現在地


海岸線の表示には「国土数値情報(海岸線データ) 国土交通省」を使用しています。
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R05/06/25 14:51:57現在

日程

 R03/05/29 日本橋(武蔵) 〜川崎(武蔵)
 R03/06/12 川崎(武蔵) 〜戸塚(相模)
 R03/06/26 戸塚(相模) 〜平塚(相模)
 R03/07/17 平塚(相模) 〜小田原(相模)
 R03/09/12 小田原(相模) 〜箱根(相模)
 R03/09/23 箱根(相模) 〜三島(伊豆)
 R03/09/25 三島(伊豆) 〜吉原(駿河)
 R03/09/26 吉原(駿河) 〜由比(駿河)
 R03/10/10 由比(駿河) 〜府中(駿河)
 R03/11/13 府中(駿河) 〜藤枝(駿河)
 R03/11/14 藤枝(駿河) 〜金谷(遠江)
 R03/12/21 金谷(遠江) 〜袋井(遠江)
 R03/12/22 袋井(遠江) 〜浜松(遠江)
 R04/01/04 浜松(遠江) 〜新居(遠江)
 R04/01/05 新居(遠江) 〜吉田(三河)
 R04/02/23 吉田(三河) 〜藤川(三河)
 R04/03/19 藤川(三河) 〜池鯉鮒(三河)
 R04/03/20 池鯉鮒(三河) 〜宮(尾張)
 R04/04/02 宮(尾張) 〜桑名(伊勢)
 R04/04/03 桑名(伊勢) 〜四日市(伊勢)
 R04/05/15 四日市(伊勢) 〜亀山(伊勢)
 R04/06/04 亀山(伊勢) 〜土山(近江)
 R04/06/05 土山(近江) 〜水口(近江)
 R04/09/23 水口(近江) 〜草津(近江)
 R04/09/24 草津(近江) 〜大津(近江)
 R04/11/05 大津(近江) 〜淀(山城)
 R04/11/06 淀(山城) 〜枚方(河内)
 R04/12/18 枚方(河内) 〜大坂(摂津)

報告

(R03/05/29 06:20:25 日本橋(武蔵))  日本橋到着。 (写真
(R03/05/29 06:21:31 日本橋(武蔵))  道路元標複製。 本物は橋の真ん中です。 (写真
(R03/05/29 06:22:46 日本橋(武蔵))  本物の元標は橋の真ん中です。 (写真
(R03/05/29 06:28:03)  このあたりは国道15号が東海道です。 (写真
(R03/05/29 06:44:32)  京橋通過。 (写真
(R03/05/29 07:10:53)  新橋です。 (写真
(R03/05/29 07:18:22)  新橋駅の先でJRの下をくぐり、山側に出ます。 (写真
(R03/05/29 07:48:15)  現在は国道15号を歩き続けています。 (写真
(R03/05/29 08:01:45)  札の辻交差点。 (写真
(R03/05/29 00:00:00)  高輪大木戸跡。ここが江戸の南の出入口でした。(後日撮影) (写真
(R03/05/29 08:16:30)  高輪ゲートウェイ駅。 (写真
(R03/05/29 08:44:18)  品川駅。 (写真
(R03/05/29 08:52:14)  八ツ山橋交差点で国道15号と別れ、旧東海道に入ります。 (写真
(R03/05/29 08:53:23)  八ツ山橋。 (写真
(R03/05/29 08:56:54)  このあたりから品川宿です。 (写真
(R03/05/29 08:58:51)  京急の踏切。 (写真
(R03/05/29 09:06:01 品川(武蔵))  品川宿に入っています。 国道から外れ、東海道っぽい風景になりました。 (写真
(R03/05/29 09:18:55 品川(武蔵))  品川宿本陣跡。 (写真
(R03/05/29 09:22:11 品川(武蔵))  品川橋。 (写真
(R03/05/29 00:00:00 品川(武蔵))  品川宿問屋場跡。(後日撮影) (写真
(R03/05/29 10:13:53)  鈴ヶ森刑場跡。 (写真
(R03/05/29 10:16:30)  鈴ヶ森から国道15号に戻ります。 (写真
(R03/05/29 10:35:23)  平和島口の先で国道15号と別れ、美原通りに入ります。 (写真
(R03/05/29 10:39:18)  再び街道の景色になりました。 (写真
(R03/05/29 00:00:00)  江戸から三番目の一里塚はこのあたりでした。案内板があるということで後日探しに来ましたが、見つかりませんでした。(後日撮影) (写真
(R03/05/29 10:57:55)  大森警察署前で再び国道15号に入ります。 (写真
(R03/05/29 11:23:12)  蒲田です。 かつては国道15号に踏切がありました。 (写真
(R03/05/29 12:00:09)  東六郷三丁目から再び国道15号と別れ、旧東海道に入ります。 左の小道です。 (写真
(R03/05/29 12:07:51)  六郷橋。 間もなく神奈川県です。 (写真
(R03/05/29 12:09:35)  六郷橋を渡ります。 (写真
(R03/05/29 12:16:43)  多摩川は江戸時代は渡し船だったようです。 神奈川県に入りますが、まだ武蔵国なので、国境は越えていません。 (写真
(R03/05/29 12:21:05 川崎(武蔵))  川崎宿に入ります。 (写真
(R03/05/29 00:00:00 川崎(武蔵))  川崎宿田中本陣跡。 川崎宿に3軒あった、一番江戸方の本陣です。(後日撮影) (写真
(R03/05/29 12:39:09 川崎(武蔵))  川崎宿中の本陣跡。 川崎宿に3軒あった、真ん中の本陣です。 (写真
(R03/05/29 00:00:00 川崎(武蔵))  川崎宿問屋場跡。(後日撮影) (写真
(R03/05/29 00:00:00 川崎(武蔵))  川崎宿佐藤本陣跡。 川崎宿に3軒あった、一番京方の本陣です。(後日撮影) (写真
(R03/05/29 12:55:55 川崎(武蔵))  川崎宿の京見附。 ここまでが川崎宿です。 今日はこの少し先、八丁畷駅まで行きます。 (写真
(R03/05/29 13:05:36)  八丁畷駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R03/05/29 14:20:24)  八丁畷駅でしもっちさん登場。 結構びっくりしました。 足が少々疲れたものの、特に問題も無く初日は終了しました。ありがとうございました。
(R03/06/12 06:27:22)  八丁畷駅。 間もなく出発です。 (写真
(R03/06/12 06:29:45)  実は東海道は八丁畷駅の北側で、京急の線路で微妙に分断されています。 今日はその末端から歩きはじめます。 (写真
(R03/06/12 06:36:09)  それではスタートします。 今日の区間は現国道との被りも少なく、また、かつて戸塚に住んで鶴見に通ったこともあることからなじみもあり、大変楽しみな区間です。
(R03/06/12 06:44:12)  PC版ページで本日の位置情報が出ていなかったので修正。
(R03/06/12 06:50:43)  こんな感じの通りです。 (写真
(R03/06/12 06:59:09)  市場一里塚。 江戸から五番目の一里塚だそうです。 (写真
(R03/06/12 07:12:48)  鶴見川橋。 (写真
(R03/06/12 07:28:44)  間もなく京急鶴見駅です。 見ての通り、東海道は京急鶴見駅で分断された形になっています。 (写真
(R03/06/12 07:32:04)  かつて通勤に使っていた駅ですからね。 懐かしいですわ。 (写真
(R03/06/12 07:38:32)  今日は国道と被りが少ないので、クルマをあまり気にせず歩けます。 (写真
(R03/06/12 07:43:15)  国道15号を渡って東側に行きます。 (写真
(R03/06/12 07:47:38)  鶴見線国道駅。 国道マニアの聖地(笑)です。 (写真
(R03/06/12 00:00:00)  生麦事件碑。首都高速の高架下、キリンビール工場側に入ったところにあります。これは気付かないよ!!お殿様の行列に「オラオラ!」と突っ込んでいったリチャードソンが絶命した地点です。(後日撮影)(写真
(R03/06/12 08:18:26)  生麦一丁目から国道15号に入ります。 しばらくは国道15号を歩きます。 (写真
(R03/06/12 00:00:00)  江戸から六番目の一里塚跡。痕跡は全く無く、このあたりにあっただろうという看板があるだけです。 (後日撮影)(写真
(R03/06/12 08:41:42)  新子安駅入口。 昨年、箱根駅伝を見た場所です。 (写真
(R03/06/12 00:00:00 神奈川(武蔵))  長延寺跡。この辺りから神奈川宿でした。現在の神奈川通東公園です。 (後日撮影)(写真
(R03/06/12 09:39:55 神奈川(武蔵))  神奈川町本陣跡。 神奈川宿の中を歩いています。 今では県の名前になっていますが、本来の神奈川はこのあたり。 横浜は神奈川に隣接する小さな漁村でした。 (写真
(R03/06/12 00:00:00 神奈川(武蔵))  青木町本陣跡。滝の川を挟んで両岸に本陣があったようです。 (後日撮影)(写真
(R03/06/12 09:45:44 神奈川(武蔵))  ここで国道15号とはお別れ。 旧東海道に入ります。 (写真
(R03/06/12 09:55:18 神奈川(武蔵))  多分ここでも鉄道(東海道線&京急)で東海道が分断されたんですね。 (写真
(R03/06/12 09:58:43 神奈川(武蔵))  ここで日本橋以来初めて国道1号に入るんですが、なんとわずかですが東京方面に歩きます。 (写真
(R03/06/12 10:17:20 神奈川(武蔵))  やるの? やらねぇだろ? 運動会ごとやめちまえ。 (写真
(R03/06/12 10:17:26 神奈川(武蔵))  ここ、以前のかかりつけの歯医者だったんですが、まさかこの前の道が東海道だったとは…。 (写真
(R03/06/12 10:19:26 神奈川(武蔵))  東急東横線跡地。 (写真
(R03/06/12 00:00:00 神奈川(武蔵))  大綱金刀比羅神社。この参道に江戸から七番目の一里塚がありました。 (後日撮影)(写真
(R03/06/12 00:00:00 神奈川(武蔵))  上台橋。神奈川宿はここまでです。(後日撮影)(写真
(R03/06/12 10:45:15)  静かな通りを歩いています。 (写真
(R03/06/12 10:50:58)  この区間、この道が旧東海道という記載と、一本南の道が旧東海道という記載の両方があります。 この、県道13号の盛り土で分断されたと考えると、この道が正しいような気がします。 (写真
(R03/06/12 11:11:50)  商店街。 かなりの人です。 (写真
(R03/06/12 11:16:53 保土ヶ谷(武蔵))  保土ヶ谷宿江戸方見附跡。 このあたりから保土ヶ谷宿になります。 (写真
(R03/06/12 11:26:52 保土ヶ谷(武蔵))  天王町駅です。 (写真
(R03/06/12 11:33:03 保土ヶ谷(武蔵))  保土ヶ谷付近の東海道は江戸時代に変わっていて、古道のルートは諸説あって確定していないらしい。 なるほどね。
(R03/06/12 11:50:13 保土ヶ谷(武蔵))  保土ヶ谷駅前の、この道が東海道だそうです。 (写真
(R03/06/12 11:59:38 保土ヶ谷(武蔵))  東海道本線を渡る最初の踏切。 その名も「東海道踏切」。 (写真
(R03/06/12 12:15:14 保土ヶ谷(武蔵))  国道1号に出たところが本陣跡です。 ここから国道1号に入ります。 (写真
(R03/06/12 12:29:24 保土ヶ谷(武蔵))  一里塚と上方見附。 いずれも復元モノです。 ここまでが保土ヶ谷宿です。 (写真
(R03/06/12 12:34:46)  保土ヶ谷町二丁目から右側、旧道に入ります。 (写真
(R03/06/12 12:49:39)  ここを左折します。 (写真
(R03/06/12 12:55:03)  ここを右折。 権太坂に向かいます。 (写真
(R03/06/12 12:56:05)  いきなりの坂ですね。 (写真
(R03/06/12 13:06:29)  この坂もなんか来たことあるなと思っていたら光陵高校でしたか…。 (写真
(R03/06/12 13:21:10)  後半になって登り坂の連続はきつかった…。 境木中学校の前を右折。 間もなく武相国境です。 (写真
(R03/06/12 13:28:31)  武相国境の碑。 初めて国境を越え、武蔵の国から相模の国に入ります。 (写真
(R03/06/12 13:34:56)  相模の国に入ると激しい下り。 焼餅坂というそうです。 (写真
(R03/06/12 13:38:32)  再び品濃坂の登り。 (写真
(R03/06/12 13:46:01)  品濃一里塚。江戸から九番目の一里塚。 神奈川県内でほぼ完全な形で残る唯一の一里塚だそうです。 こう見ると本物の大きさが分かります。また、両側が残っていることから、当時の東海道の道幅も分かります。 (写真
(R03/06/12 13:56:03)  品濃坂を下ります。 (写真
(R03/06/12 13:58:22)  歩道橋で環状2号線を渡ります。 (写真
(R03/06/12 14:00:21)  昔の人は江戸を朝出発して戸塚宿くらいまで一日で行ったそうです。 宿場への最後の下りといった感じでしょうか。 (写真
(R03/06/12 14:01:21)  下り続けます。 (写真
(R03/06/12 14:09:19)  この道も国道から東戸塚駅に行くのに通った道ですが、旧東海道だったんですね。 (写真
(R03/06/12 14:14:15)  国道1号を渡ります。 (写真
(R03/06/12 14:21:03)  赤関橋。 一瞬だけ国道1号に合流し、また旧道を行きます。 (写真
(R03/06/12 14:26:18)  秋葉大橋下から国道1号に入ります。 (写真
(R03/06/12 14:30:06)  柏尾のバス停。 ここは利用していました。 (写真
(R03/06/12 14:46:34)  国道ではなくてこの手前を左折するのが旧東海道なんです。 (写真
(R03/06/12 14:49:32)  そしてここ、かつて住んでいたところに近く、ほぼ毎日通っていました。 (写真
(R03/06/12 14:53:22)  ここを右折。 (写真
(R03/06/12 14:57:21)  舞岡入口。 あとはここを左折して、戸塚駅まで行くだけです。 (写真
(R03/06/12 15:04:11 戸塚(相模))  戸塚宿江戸見附跡。 ここから戸塚宿です。 (写真
(R03/06/12 15:09:42 戸塚(相模))  吉田一里塚跡。 江戸から十里地点です。 (写真
(R03/06/12 15:16:31 戸塚(相模))  現代東海道の難所、国道1号戸塚東海道踏切は廃止されました。 ただ、自転車、歩行者はとつかトンネルを通れないので、自転車にとっては不便になったかも知れません。 (写真
(R03/06/12 15:24:43 戸塚(相模))  戸塚東海道踏切跡。 箱根駅伝でもドラマを生み出しました。 最後に通ったのは平成25年か? すでに事実上早朝しか通行出来ませんでした。 (写真
(R03/06/12 15:32:38 戸塚(相模))  戸塚駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R03/06/26 06:28:28)  おはようございます。 東海道線は、ポイント点検の影響で、小田原〜辻堂駅間の上り線で一部列車が運休となっています。 ということで、出発地の戸塚駅へ向かうことが出来ず、出発が遅れています。
(R03/06/26 07:07:26 戸塚(相模))  戸塚駅出発です。 (写真
(R03/06/26 00:00:00 戸塚(相模))  戸塚宿内田本陣跡。(後日撮影)(写真
(R03/06/26 07:26:59 戸塚(相模))  戸塚宿澤辺本陣跡。 (写真
(R03/06/26 07:40:03 戸塚(相模))  戸塚宿上方見附跡。 ここまでが戸塚宿です。 (写真
(R03/06/26 07:54:35)  大坂上。 ワンマン道路(戸塚道路)と合流します。 (写真
(R03/06/26 08:00:41)  この時間からかなり暑いです。
(R03/06/26 08:12:44)  吹上付近で工事のため、微妙に国道1号が付け替えられています。 (写真
(R03/06/26 08:17:56)  江戸から十一番目の一里塚は完全に工事現場。 (写真
(R03/06/26 08:31:37)  間もなく、元渋滞のメッカ、原宿交差点。 (写真
(R03/06/26 09:15:16)  国道1号と別れ、県道30号に入ります。 (写真
(R03/06/26 09:20:58)  藤沢市に入りました。 (写真
(R03/06/26 09:37:53)  遊行寺坂を下ります。 (写真
(R03/06/26 00:00:00)  江戸から12番目の一里塚跡。(後日撮影)(写真
(R03/06/26 09:45:03 藤沢(相模))  藤沢宿江戸見附跡。 藤沢宿のエリアに入りました。 (写真
(R03/06/26 10:04:49 藤沢(相模))  ふじさわ宿交流館で休憩。 (写真
(R03/06/26 10:09:54 藤沢(相模))  遊行寺橋。 (写真
(R03/06/26 10:20:46 藤沢(相模))  藤沢宿蒔田本陣跡。 (写真
(R03/06/26 00:00:00 藤沢(相模))  藤沢宿問屋場跡。(後日撮影) (写真
(R03/06/26 10:34:49 藤沢(相模))  藤沢宿京見附跡。 (写真
(R03/06/26 10:48:31)  湘南高校入口。 神奈川県の名門校です。 (写真
(R03/06/26 10:56:50)  ここで県道から別れ、旧東海道に入ります。 (写真
(R03/06/26 10:59:27)  県道に戻ります。 (写真
(R03/06/26 11:33:09)  一里塚はこのポールのみ。 (写真
(R03/06/26 11:34:35)  平塚駅まであと約10kmです。
(R03/06/26 11:41:34)  茅ヶ崎市に入ります。 茅ヶ崎市内は国道1号と完全に一致します。 (写真
(R03/06/26 12:10:21)  気が付いたら後ろからしもっちさんに撮影されていました。 前々回の八丁畷に続いてしもっちさん、神出鬼没。
(R03/06/26 12:27:52)  茅ヶ崎高校です。 (写真
(R03/06/26 12:50:06)  江戸から十四番目の一里塚。 (写真
(R03/06/26 13:09:56)  茅ヶ崎駅を越えました。 この辺りは悪い高校生が出るので絡まれないように注意しないといけません。
(R03/06/26 13:36:58)  これ、何だろう。 (写真
(R03/06/26 14:26:24)  藤沢市内から歩いてきた国道1号ともここでお別れ。 旧道に入ります。 (写真
(R03/06/26 14:31:06)  馬入一里塚。 江戸から十五里、大坂まで百二十二里です。 (写真
(R03/06/26 14:44:25)  平塚駅前到着。 (写真
(R03/06/26 15:38:48)  平塚駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R03/07/17 07:06:29)  間もなく出発です。 今日は箱根板橋駅までです。 今日は熱中症に警戒ですね。 (写真
(R03/07/17 07:12:39)  東海道に入ります。 (写真
(R03/07/17 07:28:18 平塚(相模))  平塚宿江戸見附。 ここから平塚宿です。 (写真
(R03/07/17 07:34:05 平塚(相模))  脇本陣跡。 (写真
(R03/07/17 07:36:33 平塚(相模))  高札場跡。 (写真
(R03/07/17 00:00:00 平塚(相模))  東組問屋場跡。(後日撮影) (写真
(R03/07/17 07:38:56 平塚(相模))  平塚宿本陣跡。 (写真
(R03/07/17 07:41:56 平塚(相模))  ここを右斜め前に行きます。 (写真
(R03/07/17 00:00:00 平塚(相模))  その右側が西組問屋場跡。 平塚宿では2つの問屋場が十日交替で問屋場業務を務めていました。(後日撮影) (写真
(R03/07/17 00:00:00 平塚(相模))  現在は消防団の建物になっています。(後日撮影) (写真
(R03/07/17 07:51:01 平塚(相模))  平塚宿京方見附。 ここまでが平塚宿です。 大磯町との境です。 (写真
(R03/07/17 07:59:18)  平成の一里塚。 平成時代に作られたようです。 (写真
(R03/07/17 08:12:06)  化粧坂で国道1号を離れ、旧道に入ります。 (写真
(R03/07/17 08:15:03)  旧道の並木の間を歩きます。 (写真
(R03/07/17 08:17:59)  江戸から十六番目の一里塚。 どこが塚なんだか分かりません。 (写真
(R03/07/17 08:24:28)  東海道本線と交差。 地下道でくぐります。 (写真
(R03/07/17 08:26:44)  松並木を歩きます。 (写真
(R03/07/17 08:28:45 大磯(相模))  大磯宿江戸見附。 大磯宿に入ります。 (写真
(R03/07/17 00:00:00 大磯(相模))  大磯宿北組問屋場跡。(後日撮影)(写真
(R03/07/17 08:46:34 大磯(相模))  大磯宿小嶋本陣です。 (写真
(R03/07/17 00:00:00 大磯(相模))  大磯宿尾上本陣跡。(後日撮影)(写真
(R03/07/17 00:00:00 大磯(相模))  大磯宿石井本陣跡。偶然でしょうが、今も宿泊施設です。(後日撮影)(写真
(R03/07/17 08:50:32 大磯(相模))  左側の細い道に入ります。 (写真
(R03/07/17 00:00:00 大磯(相模))  大磯宿南組問屋場跡。(後日撮影)(写真
(R03/07/17 09:05:40 大磯(相模))  さざれ石から再び国道1号へ。 (写真
(R03/07/17 09:13:37 大磯(相模))  大磯宿上方見附。 (写真
(R03/07/17 09:16:47)  箱根駅伝で有名な東海道松並木です。 (写真
(R03/07/17 09:40:42)  城山公園前から旧道に入ります。 (写真
(R03/07/17 09:44:33)  旧道を歩きます。 (写真
(R03/07/17 09:55:44)  江戸から十七番目の一里塚。 (写真
(R03/07/17 10:03:58)  国道1号に戻っています。 (写真
(R03/07/17 10:46:36)  旧道に入ります。 (写真
(R03/07/17 10:52:23)  国道1号に戻ります。 (写真
(R03/07/17 11:01:30)  江戸から十八番目の一里塚跡。 (写真
(R03/07/17 11:02:42)  旧道に入ります。 (写真
(R03/07/17 11:08:44)  押切坂を下り、国道1号に戻ります。 (写真
(R03/07/17 12:17:47)  江戸から十九番目の一里塚跡。 看板しかありません。 (写真
(R03/07/17 12:30:02)  静岡まであと100km。 (写真
(R03/07/17 12:32:07)  ここでしもっちさん合流。 本当に神出鬼没です。
(R03/07/17 12:46:06)  酒匂川です。 (写真
(R03/07/17 12:56:05)  酒匂橋の逆側に来ました。 渡し舟はこの辺りに着いたはずです。 (写真
(R03/07/17 12:57:07)  この道が東海道のはず。 (写真
(R03/07/17 13:01:19)  国道1号を渡り、南側に行きます。 (写真
(R03/07/17 13:08:21)  国道1号に戻りました。 (写真
(R03/07/17 13:22:39 小田原(相模))  小田原宿江戸見附です。 (写真
(R03/07/17 00:00:00 小田原(相模))  江戸から20番目の一里塚跡。(後日撮影)(写真
(R03/07/17 13:23:39 小田原(相模))  ここにも小田原宿江戸見附が…。 どちらが正しい? (写真
(R03/07/17 13:30:35 小田原(相模))  新宿交差点で左折。 (写真
(R03/07/17 13:33:09 小田原(相模))  ここを右折。 (写真
(R03/07/17 13:47:08 小田原(相模))  清水金左ヱ門本陣跡。 (写真
(R03/07/17 13:49:14 小田原(相模))  国道1号と合流。 (写真
(R03/07/17 13:52:34 小田原(相模))  片岡本陣跡。 石柱だけです。 (写真
(R03/07/17 13:54:50 小田原(相模))  久保田本陣跡。 同じく石柱のみです。 (写真
(R03/07/17 13:59:35 小田原(相模))  小田原宿最後の本陣。 清水彦十郎本陣跡です。 駐車場? (写真
(R03/07/17 14:05:55 小田原(相模))  長崎電軌から里帰りした元箱根登山の202号です。 (写真
(R03/07/17 14:29:25 小田原(相模))  小田原宿板橋見附。 小田原宿はここまでです。 (写真
(R03/07/17 14:30:40)  旧道に入ります。 (写真
(R03/07/17 14:34:09)  今日はここで東海道とお別れ。 箱根板橋駅に向かいます。 (写真
(R03/07/17 14:42:20)  箱根板橋駅到着。 暑くて予定よりペースが落ちました。 本日はここまでです。 (写真
(R03/09/12 06:51:28)  箱根板橋駅です。 (写真
(R03/09/12 07:07:28)  東海道に入ります。 (写真
(R03/09/12 07:15:06)  国道1号に出ます。 (写真
(R03/09/12 07:25:13)  踏切を渡って旧東海道に入ります。 (写真
(R03/09/12 07:27:03)  全然案内が無いけど多分こちら。 (写真
(R03/09/12 07:34:07)  風祭の一里塚跡。 (写真
(R03/09/12 07:39:05)  いかにも山に向かうといった景色ですね。 (写真
(R03/09/12 07:49:59)  国道1号に戻ります。 (写真
(R03/09/12 07:54:43)  ここを旧東海道へ。 (写真
(R03/09/12 08:01:31)  国道1号に合流。 (写真
(R03/09/12 08:10:49)  三枚橋交差点から県道732号(湯本元箱根線)に入ります。 (写真
(R03/09/12 08:43:55)  一里塚跡。 時速1里で歩けていませんね。 (写真
(R03/09/12 08:46:31)  石畳に入ります。 (写真
(R03/09/12 08:48:10)  実は舗装路より歩きにくい。 (写真
(R03/09/12 08:52:52)  県道に合流。 (写真
(R03/09/12 09:11:45)  雨宿り。
(R03/09/12 09:25:42)  歩行再開。
(R03/09/12 09:54:03)  電電公社発見。 (写真
(R03/09/12 10:00:18)  どうやらここを行くらしい。 (写真
(R03/09/12 10:02:02)  江戸時代の石畳を行きます。 (写真
(R03/09/12 10:10:29)  再び県道に。 舗装路は歩きやすくて嬉しい。 (写真
(R03/09/12 10:15:42)  はい。また旧街道。 (写真
(R03/09/12 10:18:31)  登山靴欲しい。 (写真
(R03/09/12 10:21:20)  滑るしきつい。 (写真
(R03/09/12 10:27:28)  舗装路だ。 (写真
(R03/09/12 10:29:19)  再び雨宿り。
(R03/09/12 10:44:27)  歩行再開。
(R03/09/12 10:52:02)  畑宿一里塚。 江戸から23番目の一里塚。 (写真
(R03/09/12 10:53:11)  再び石畳の道。 (写真
(R03/09/12 11:00:01)  県道に出ます。 注意しないと逆に行きそう。 (写真
(R03/09/12 11:02:19)  続いて階段。 (写真
(R03/09/12 11:14:40)  再び旧道。 (写真
(R03/09/12 11:22:00)  旧街道(新設歩道)。 古いんだか新しいんだか。 (写真
(R03/09/12 11:43:08)  県道を渡ります。 (写真
(R03/09/12 11:46:45)  猿すべり坂という坂ですが、現在は階段化されています。 (写真
(R03/09/12 11:57:35)  雨宿り。
(R03/09/12 13:25:53)  甘酒茶屋で休憩中。(圏外のため遅れ送信) (写真
(R03/09/12 13:28:16)  最後の石畳に入ります。 (圏外のため遅れ送信) (写真
(R03/09/12 13:28:35)  かなり激しい登り坂です。 (圏外のため遅れ送信) (写真
(R03/09/12 13:28:43)  今までと比べれば楽な道です。 (写真
(R03/09/12 13:45:09)  行方不明者が出たとかで警察官いっぱいいるんですけど…。
(R03/09/12 13:52:26)  舗装路に入りました。 杉並木を歩きます。 (写真
(R03/09/12 14:09:02)  元箱根港到着。 本日はここまでです。 (写真
(R03/09/23 07:29:49)  それでは出発です。 (写真
(R03/09/23 07:36:36)  江戸から24番目の一里塚です。 東京から約100km歩いたことになります。 (写真
(R03/09/23 07:42:24)  歩きにくい砂利道ですが、今日は厚手の靴下と登山靴を装備しています。 (写真
(R03/09/23 07:51:57)  間もなく箱根関所です。 (写真
(R03/09/23 07:58:17 箱根(相模))  箱根宿にさしかかりました。 (写真
(R03/09/23 08:03:36 箱根(相模))  箱根関所です。 朝早くて開いていなかったらどうしようかと思いましたが開いていました。 (写真
(R03/09/23 08:05:59 箱根(相模))  朝早くて役人がいなかったので、フリーパスで関所を通過(笑)。 (写真
(R03/09/23 08:09:43 箱根(相模))  再び国道1号に出ます。 (写真
(R03/09/23 08:16:54 箱根(相模))  箱根駅伝ミュージアム。 (写真
(R03/09/23 08:21:11 箱根(相模))  国道1号と別れ、旧道に入ります。 (写真
(R03/09/23 08:31:03)  ここから石畳です。 (写真
(R03/09/23 08:43:30)  石畳、つるつる滑るし最悪。 (写真
(R03/09/23 08:58:11)  ようやく石畳抜けました。 登り坂と苔むした石畳とか地獄過ぎます。 とっとと剥がすべき。 (写真
(R03/09/23 09:03:44)  旧東海道最高地点に向け登ります。 (写真
(R03/09/23 09:16:36)  ここが最高地点かな? 真正面に富士山が見えます。 最高地点であることは、何の表示もありません。 (写真
(R03/09/23 09:52:34)  茨ヶ平・石畳入口〜接待茶屋跡まで旧東海道が通行止のため、ワープ(笑)。
(R03/09/23 09:54:10)  国道1号に出ました。 (写真
(R03/09/23 10:02:57)  再び旧道に入ります。 (写真
(R03/09/23 10:06:11)  江戸から26番目の一里塚。 (写真
(R03/09/23 10:09:20)  石畳でないと歩きやすい。 何故石畳なんて敷いたんだろう? (写真
(R03/09/23 10:27:47)  地獄の石畳下り坂。 かなり注意していても滑って転びます。 土や落ち葉の場所を選んで歩きますが、うっかり石に足を乗せようものならすべります。 昔の人は転ばないのでしょうか? 石畳の前は竹が敷いてあったらしいので、それよりはマシかと思いますが。 (写真
(R03/09/23 10:40:59)  国道1号に出ました。 (写真
(R03/09/23 10:48:10)  再び旧道。 (写真
(R03/09/23 10:56:32)  一歩一歩足場を確認しながら進みます。 効率悪すぎ。 (写真
(R03/09/23 11:13:34)  こういう場所は安全。 (写真
(R03/09/23 11:18:59)  まだまだ続く石畳地獄。 (写真
(R03/09/23 11:34:38)  アスファルトLove。 (写真
(R03/09/23 11:37:11)  また石畳(怒)。 早く終わってくれ!! (写真
(R03/09/23 11:41:59)  歩きやすくなった。 (写真
(R03/09/23 11:51:00)  歩きやすくなったと思ったらハズレ。 正しい道はこちらでした。 階段の下は石畳(泣)。 (写真
(R03/09/23 11:52:33)  路肩の石が無いところを歩くのがコツ。 (写真
(R03/09/23 11:59:12)  舗装路嬉しい。 (写真
(R03/09/23 12:02:03)  再び石畳道。 (写真
(R03/09/23 12:08:54)  江戸から27番目の一里塚。 (写真
(R03/09/23 12:12:28)  石畳地獄終了。 こわめし坂はアスファルト舗装です。 (写真
(R03/09/23 12:16:01)  すごい下り坂。 (写真
(R03/09/23 12:21:34)  ここから広い道に出ます。 (写真
(R03/09/23 12:37:49)  旧道に入ります。 (写真
(R03/09/23 12:40:53)  題目坂を下ります。 (写真
(R03/09/23 12:45:24)  再び広い道に合流。 (写真
(R03/09/23 12:54:31)  旧道、臼転坂に入ります。 久しぶりの未舗装路。 (写真
(R03/09/23 13:02:38)  舗装路に合流。 (写真
(R03/09/23 13:19:05)  ここで国道1号に合流します。 前を歩いていたご夫婦は道を間違えて行きました(笑)。 この手前の分岐が分かりにくいんだよな。 何事も予習が大切です。 (写真
(R03/09/23 13:30:47)  江戸から28番目の一里塚。 今日は時速一里出せていないですね。 道の両側残っているのは珍しいです。 (写真
(R03/09/23 13:35:39)  国道1号なのに石畳。 もはや喧嘩売っていますね。 (写真
(R03/09/23 13:44:09)  国道1号を外れても(泣)。 登山靴で足首守られているからまだマシですが、運動靴だったらと思うとゾッとします。 (写真
(R03/09/23 13:48:11)  ようやく舗装路になり、坂を下ります。 (写真
(R03/09/23 13:50:29)  東海道本線の踏切を渡ります。 踏切は保土ヶ谷以来かな? (写真
(R03/09/23 13:54:47)  県道に出ました。 あとは三島宿まで一直線。 (写真
(R03/09/23 14:01:00)  富士山がわずかに見えています。 (写真
(R03/09/23 00:00:00 三島(伊豆))  三島宿東見附跡。いくら探しても碑も案内板もありません。(後日撮影)(写真
(R03/09/23 00:00:00 三島(伊豆))  問屋場跡。(後日撮影)(写真
(R03/09/23 14:28:02 三島(伊豆))  三島宿世古本陣跡。 (写真
(R03/09/23 14:29:42 三島(伊豆))  その向かいは樋口本陣跡。 (写真
(R03/09/23 14:35:31 三島(伊豆))  三島広小路駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R03/09/25 07:01:02 三島(伊豆))  三島広小路駅、スタートです。 (写真
(R03/09/25 07:12:28 三島(伊豆))  三島宿西見附跡。 三島宿はここまでです。 (写真
(R03/09/25 07:14:30)  西見附を出てすぐ境川端。 ここが国境です。 旅は伊豆の国から駿河の国に入ります。 (写真
(R03/09/25 07:27:11)  江戸から29番目の一里塚。 (写真
(R03/09/25 07:29:04)  江戸から29番目の一里塚。 こんなに立派なものが両側残っているのは珍しい。 品濃坂以来では? (写真
(R03/09/25 07:49:15)  黄瀬川です。 一本北の橋は先の台風で落ちましたが、仮復旧されたようです。 良かった。 (写真
(R03/09/25 07:57:36)  県道に出ます。 (写真
(R03/09/25 08:08:16)  旧道に入ります。 (写真
(R03/09/25 08:19:21)  江戸から30番目の一里塚。復元モノです。 一里塚間、1時間を切っていますが喜んではいけません。 29番目とこの30番目の間は距離が不足しているそうです。 (写真
(R03/09/25 08:22:11)  再び県道に出ます。 (写真
(R03/09/25 08:33:49 沼津(駿河))  左折し、沼津城の城郭に沿って進みます。 (写真
(R03/09/25 08:40:19 沼津(駿河))  沼津市の中心部を行きます。 (写真
(R03/09/25 00:00:00 沼津(駿河))  三枚橋城外堀石垣。復元です。(後日撮影)(写真
(R03/09/25 08:43:56 沼津(駿河))  通横町交差点を右折。 (写真
(R03/09/25 08:46:24 沼津(駿河))  すぐを左折したこの通りが、宿場のメインストリートだったようです。 (写真
(R03/09/25 08:47:20 沼津(駿河))  高田本陣跡。 (写真
(R03/09/25 08:48:17 沼津(駿河))  中村脇本陣跡。 (写真
(R03/09/25 08:51:02 沼津(駿河))  清水本陣跡。 (写真
(R03/09/25 08:57:39 沼津(駿河))  間宮本陣跡。 以上すべて標石のみでした。 (写真
(R03/09/25 09:09:15 沼津(駿河))  沼津宿西見附跡。 ここまでが沼津宿です。 (写真
(R03/09/25 09:13:35)  今日あとはずっと県道を行くだけの迷いようのないルートです。
(R03/09/25 09:41:56)  県道が東海道。 (写真
(R03/09/25 09:57:42)  江戸から31番目の一里塚跡。 やはり時速一里は出せていません。 (写真
(R03/09/25 10:28:15)  原踏切。 東京からここまで、東海道本線の踏切は2ヶ所(保土ヶ谷、三島)、京浜急行、伊豆箱根鉄道の踏切を合わせても4ヶ所しかありませんでしたが、今日だけで東海道本線の踏切を3回渡ります。 (写真
(R03/09/25 10:38:44 原(駿河))  原宿東木戸跡。 ここから原宿に入ります。 (写真
(R03/09/25 00:00:00 原(駿河))  問屋場跡。(後日撮影)(写真
(R03/09/25 10:53:40 原(駿河))  本陣跡。 (写真
(R03/09/25 11:02:23 原(駿河))  原宿西木戸跡。 原宿はここまで。 (写真
(R03/09/25 11:26:26)  江戸から32番目の一里塚跡。 (写真
(R03/09/25 12:07:44)  本日2ヶ所目の踏切。 植田踏切。 (写真
(R03/09/25 12:17:51)  県道380号に合流。 こちらは自転車で何度か走った道です。 (写真
(R03/09/25 12:31:35)  間宿柏原本陣跡。 (写真
(R03/09/25 12:43:27)  増田平四郎の像。 この辺りに江戸から33番目の一里塚があったそうです。 (写真
(R03/09/25 12:45:16)  あったあった。 江戸から33番目の一里塚。 (写真
(R03/09/25 12:59:23)  ここから左側の旧道(こちらも県道)に行きます。 (写真
(R03/09/25 13:08:54)  田子の浦にうちいでてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける と歌われた田子の浦はこの辺りですが…今日は富士山が見えません。 (写真
(R03/09/25 13:21:40)  元吉原。 元々このあたりが吉原宿でしたが、寛永16年、津波の被害を受け、内陸に移動しました。 (写真
(R03/09/25 13:35:11)  本日3つ目の踏切、鈴川踏切。 (写真
(R03/09/25 13:40:53)  吉原駅北口交差点。 今日はここで東海道を離れ、吉原駅に向かいます。 (写真
(R03/09/25 13:43:49)  吉原駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R03/09/26 07:17:36)  おはようございます。 吉原駅です。 出発です。 (写真
(R03/09/26 07:21:12)  ここを左折し、東海道に出ます。 (写真
(R03/09/26 07:34:32)  ここを右に行きます。 (写真
(R03/09/26 07:41:39)  現在、真正面に富士山が見えています。 (写真
(R03/09/26 07:42:51)  左富士神社。 (写真
(R03/09/26 07:46:27)  江戸から34番目の一里塚。 元々このあたりに二代目吉原宿がありましたが、延宝8年、津波の被害を受け、移転しています。 この一里塚も三度、場所を変えています。 (写真
(R03/09/26 07:51:30)  東海道では珍しい左富士区間。 (ここの他は茅ヶ崎市の悪い高校生がいるあたりだけ。) (写真
(R03/09/26 07:53:17)  松と富士山。 (写真
(R03/09/26 08:06:10)  源平合戦で平家が水鳥の羽音に驚いて逃げ出したという平家越。 平家、アホ過ぎでしょう。 (写真
(R03/09/26 08:12:16 吉原(駿河))  吉原宿東木戸跡。 ここから吉原宿です。 (写真
(R03/09/26 08:17:12 吉原(駿河))  岳南鉄道吉原本町駅。 踏切を渡ります。 (写真
(R03/09/26 08:20:29 吉原(駿河))  宿場の通りは商店街になっています。 (写真
(R03/09/26 08:23:25 吉原(駿河))  ここが下本陣だったようですが、跡形も無いです。 (写真
(R03/09/26 08:38:08 吉原(駿河))  やっと分かりました上本陣跡。 跡形も無いと言いましたが、歩道にプレートが埋め込まれていました。 (真ん中の柱の手前) 分かるかい!! (写真
(R03/09/26 08:42:12 吉原(駿河))  旅籠屋の位置が判明したので、絵図よりTimesの横を左に入るのが東海道と判断。 (写真
(R03/09/26 08:43:21 吉原(駿河))  主要県道(22号)だし、多分正解でしょう。 (写真
(R03/09/26 08:45:32 吉原(駿河))  22号に沿って右折。 (写真
(R03/09/26 08:53:44 吉原(駿河))  西木戸跡。 ここまでが吉原宿です。 (写真
(R03/09/26 08:55:14)  国道139号に入ります。 (写真
(R03/09/26 08:59:49)  昔は東海道はまっすぐだったんですが、今は建物が建ったり新しい道路が出来たりして、国道139号と青葉通を通らねばならなくなりました。 (写真
(R03/09/26 09:12:55)  右斜め前に進みます。 (写真
(R03/09/26 09:16:30)  ここで右折。 (写真
(R03/09/26 09:19:21)  すぐに左折。 (写真
(R03/09/26 09:35:32)  ザックの中でお茶漏れ事件発生。 よくよく見てみると、キャップを閉めても気密が保たれていないので漏れても当たり前。 メーカーはサントリー。 ちなみにサントリーのペットボトルの中身が漏れるのは三度目。 その際にメーカーに連絡もしたが異常無しとのこと。 ということで、サントリーは中身が漏れるのが「仕様」ですので、カバンの中に入れて持ち運ぶのは注意しましょう。
(R03/09/26 09:43:51)  このあたりから間の宿、本市場だそうです。 (写真
(R03/09/26 09:49:22)  ここで旧東海道は中央分離帯で分断されていますが、いかにも突破しろとのごとく、分離帯に切れ目があり、碑が立っています。 (写真
(R03/09/26 09:51:41)  県道を渡り、こちらの道に入ります。 (写真
(R03/09/26 09:55:44)  江戸から35番目の一里塚跡。 (写真
(R03/09/26 10:13:47)  雲行き怪しい。 気象庁の予報はまるで当てにならない。 暑くないのは良いが。 (写真
(R03/09/26 10:15:38)  県道に合流。 (写真
(R03/09/26 10:17:55)  身延線、柚木駅です。 (写真
(R03/09/26 10:33:22)  ここを右に入ります。 雨が降ってきました。 (写真
(R03/09/26 10:36:11)  ここで左折。 (写真
(R03/09/26 10:58:04)  直前になって予報を変更すれば、そりゃよく当たるよ。ウェザーニュースさん。
(R03/09/26 11:02:31)  富士川を渡ります。 江戸時代は少し上流を渡船で渡っていました。 (写真
(R03/09/26 11:03:44)  富士川橋。 (写真
(R03/09/26 11:04:12)  富士川。 (写真
(R03/09/26 11:10:41)  富士川橋西を右折。 渡船は上流側ですから。 (写真
(R03/09/26 11:13:14)  すぐ左折。 (写真
(R03/09/26 11:13:45)  旧道っぽくなりましたね。 (写真
(R03/09/26 11:16:24)  ここを左折。 (写真
(R03/09/26 11:33:55)  江戸から37番目の一里塚です。 両塚が残っているのは立派。 (写真
(R03/09/26 11:44:44)  ここを右折。 気をつけていないとわからないよなぁ。 (写真
(R03/09/26 11:55:16)  東名高速をくぐって左折。 実はこのあたりは、歩いて日本一周した山村先生とご一緒した区間なので歩いたことがあります。 (写真
(R03/09/26 12:08:25)  標識では行き止まりになっていますが、右側が旧東海道。 (写真
(R03/09/26 12:12:02)  目の前を東海道新幹線で塞がれるんですが、一応通れるんですわ。 こちらを東海道と判断した理由は、東海道新幹線が作られる前の航空写真には左側の道が無かったから。 こうやって微妙な点はいろいろ調べてルート確定しています。 (写真
(R03/09/26 12:26:09)  左折して東名高速を越えます。 (写真
(R03/09/26 12:27:15)  いいな、このスケールのでかさ。 (写真
(R03/09/26 12:34:51)  ここを右。 (写真
(R03/09/26 12:40:16)  江戸から38番目の一里塚。 (写真
(R03/09/26 12:44:11 蒲原(駿河))  蒲原宿東木戸。 ここから蒲原宿です。 (写真
(R03/09/26 00:00:00 蒲原(駿河))  木屋の土蔵。ここの渡邉家が問屋を務めたそうです。(後日撮影)(写真
(R03/09/26 00:00:00 蒲原(駿河))  問屋場跡。(後日撮影)(写真
(R03/09/26 12:55:18 蒲原(駿河))  蒲原宿本陣跡です。 (写真
(R03/09/26 13:01:14 蒲原(駿河))  志田邸。 職場の人に「是非寄りなさい」と言われたので寄ります。 (写真
(R03/09/26 14:31:52 蒲原(駿河))  志田さんご本人がいらっしゃっていろいろ有益な情報が仕入れられました。 志田邸出発。
(R03/09/26 14:36:47 蒲原(駿河))  蒲原宿西木戸跡。 蒲原宿はここまでです。 (写真
(R03/09/26 14:37:43)  県道に出ます。 (写真
(R03/09/26 14:53:36)  ここからしばらくは自転車でも何度か走りましたし、徒歩でも歩いたことのある道です。 (写真
(R03/09/26 15:00:14)  蒲原駅。 蒲原宿の近くにある駅は蒲原駅てはなく新蒲原駅なんですね。 (写真
(R03/09/26 15:12:55)  左の旧道に入ります。 (写真
(R03/09/26 15:19:35)  江戸から39番目の一里塚跡。 (写真
(R03/09/26 15:23:32 由比(駿河))  由比宿東桝型跡。 ここから由比宿です。 (写真
(R03/09/26 15:28:36 由比(駿河))  由比宿本陣公園です。 ちょっと入ります。 (写真
(R03/09/26 15:45:01 由比(駿河))  本陣公園出発。
(R03/09/26 15:51:13 由比(駿河))  由比宿西桝型。 ここまでが由比宿です。 (写真
(R03/09/26 15:53:43)  由比川の橋。 昔はこのあたりにかかっていたんでしょうね。 川向こうと道が見事につながります。 (写真
(R03/09/26 16:00:02)  由比川の反対側。 (写真
(R03/09/26 16:16:30)  由比宿交流館含め、諸般の情報を総合すると、ここで右折するのが正しいらしい。 まあ、正しいというより道路が付け替えられたりする前の東海道に近いと言うべきか。 (写真
(R03/09/26 16:17:05)  すぐを左折。 (写真
(R03/09/26 16:17:57)  こんな路地を通って。 (写真
(R03/09/26 16:20:03)  突き当たりを右折し。 (写真
(R03/09/26 16:20:38)  県道に出ると。 (写真
(R03/09/26 16:24:35)  今日はここで東海道をそれ、由比駅に向かいます。 (写真
(R03/09/26 16:26:40)  由比駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R03/10/10 06:02:40)  おはようございます。 由比駅です。 間もなく出発します。 (写真
(R03/10/10 06:11:02)  それでは出発です。 まずはこの階段を上り、県道に復帰します。 (写真
(R03/10/10 06:13:44)  県道に出ました。 東海道歩きスタートです。 (写真
(R03/10/10 06:16:35)  この歩道橋を渡り、さった峠に向かいます。 (写真
(R03/10/10 06:18:49)  旧東海道です。 (写真
(R03/10/10 06:46:18)  間の宿川島家到着。 (写真
(R03/10/10 07:00:38)  江戸から40番目の一里塚跡。 崖と海の間のこんな狭い場所にどうやって一里塚を築いたのか、謎です。 (写真
(R03/10/10 07:02:57)  さった峠の上りに入ります。 (写真
(R03/10/10 07:07:07)  結構急な坂道です。 (写真
(R03/10/10 07:13:17)  富士山、かすかにしか見えません。 (写真
(R03/10/10 07:16:35)  東海道本線と東名高速が狭い土地を取り合っています。 (写真
(R03/10/10 07:30:42)  さった峠。 富士山は完全に見えなくなりました。 前回歩いたときも富士山は見えず。 運が悪いです。 (写真
(R03/10/10 07:35:17)  さった峠駐車場。 雨が降ってきました。 (写真
(R03/10/10 07:36:04)  本当はここに富士山が見えるはずですが…。 (写真
(R03/10/10 07:37:59)  こちらの道を行きます。 (写真
(R03/10/10 07:39:14)  山道を歩きます。 石畳でないので歩きやすい。 (写真
(R03/10/10 07:57:21)  山道が続きます。 (写真
(R03/10/10 08:04:46)  階段を下ります。 (写真
(R03/10/10 08:07:07)  この道で合っているのか心配になります。 あと蜘蛛が多い。 (写真
(R03/10/10 08:08:26)  墓地を抜け、舗装路に出ます。 (写真
(R03/10/10 08:13:44)  ここを右折。 正面の山を回り込む感じになります。 (写真
(R03/10/10 08:18:23)  ここを左へ。 (写真
(R03/10/10 08:35:56)  川越(かわごし)遺跡。 江戸時代は興津川を徒渉していました。 私は南側の橋を通ります。 (写真
(R03/10/10 08:39:23)  興津川を渡ります。 (写真
(R03/10/10 08:44:35)  この石段を下る? (写真
(R03/10/10 08:48:18)  ちょっと東海道本線の橋あたりが川越コースだったんでしょうね。 (写真
(R03/10/10 08:56:34)  国道1号に入ります。 いつ以来だろう? (写真
(R03/10/10 09:25:14)  江戸から41番目の一里塚跡。 (写真
(R03/10/10 09:35:35 興津(駿河))  興津宿公園。 興津宿は見附が見つかりませんでした。 (写真
(R03/10/10 09:37:23 興津(駿河))  興津宿東本陣跡。 (写真
(R03/10/10 09:57:59 興津(駿河))  いつの間にか興津宿の外れ。 西本陣跡は見つかりませんでした。 (写真
(R03/10/10 10:08:39)  ここを左へ。 (写真
(R03/10/10 10:10:31)  ここを右。 (写真
(R03/10/10 10:13:56)  東海道本線の踏切を渡ります。 (写真
(R03/10/10 10:16:31)  国道1号に合流。 (写真
(R03/10/10 10:53:45)  ここで国道1号から外れ、旧道に入ります。 (写真
(R03/10/10 11:32:24)  辻の一里塚跡の説明書、いくら探しても無いのでネットの写真と照合したところ、元々ここにあったのが消えたみたいです。 (写真
(R03/10/10 11:39:59 江尻(駿河))  江尻宿に入りましたが、東木戸跡の説明書も見当たらず。 (写真
(R03/10/10 11:50:38 江尻(駿河))  ここを右折。 (写真
(R03/10/10 11:52:08 江尻(駿河))  宿場の中央通って感じですね。 (写真
(R03/10/10 11:59:12 江尻(駿河))  江尻宿本陣跡。 さすがにここには碑がありました。 (写真
(R03/10/10 12:03:56 江尻(駿河))  ここを左折。 (写真
(R03/10/10 12:07:37 江尻(駿河))  ここを左へ。 (写真
(R03/10/10 12:10:35 江尻(駿河))  違うわ。左は久能街道。 右だわ。
(R03/10/10 12:14:37 江尻(駿河))  江尻宿西木戸跡。 江尻宿はここまでです。 (写真
(R03/10/10 12:51:28)  東海道本線と静鉄の踏切を渡ります。 (写真
(R03/10/10 13:12:59)  県道に合流。 (写真
(R03/10/10 13:16:04)  江戸から43番目の一里塚跡。 (写真
(R03/10/10 13:44:52)  草薙駅入口を左折。 (写真
(R03/10/10 13:47:51)  すぐを右折。 (写真
(R03/10/10 14:09:48)  ここを右折。 (写真
(R03/10/10 14:16:03)  ここを左折。 (写真
(R03/10/10 14:17:15)  一瞬「何故?」と思う矢印の向き。 (写真
(R03/10/10 14:22:07)  東海道は静岡貨物駅で分断されています。 (写真
(R03/10/10 14:25:49)  旧東海道記念碑の碑文読むと、そもそもこのあたりの東海道は区画整理で消えたっぽい。 とりあえず地下道で西へ向かいます。 (写真
(R03/10/10 14:30:43)  北側に出ました。 (写真
(R03/10/10 14:34:16)  右斜め前へ。 地図で見ると静岡貨物駅を挟んでさっきの道と一直線です。 (写真
(R03/10/10 14:41:57)  古庄で国道1号線に出ます。 (写真
(R03/10/10 14:46:35)  長沼から旧道へ。 太陽が真正面で眩しい。 (写真
(R03/10/10 14:54:42)  江戸から44番目の一里塚跡。 今日だけで5個の一里塚を通ったことになります。 (一つは跡形も無かったけど。) (写真
(R03/10/10 15:00:03)  静鉄、長沼駅。 毎年利用しますがここが東海道だったとは知りませんでした。 (写真
(R03/10/10 15:03:44)  線路の向こうは科学技術高校です。 (写真
(R03/10/10 15:11:24)  国道1号に合流…というか、東海道がマークイズに分断されています。 (写真
(R03/10/10 15:18:33)  静鉄の柚木駅。 ここを左折。 (写真
(R03/10/10 15:31:08)  この上が分断された東海道の先。 (写真
(R03/10/10 15:32:00)  東海道に戻りました。 (写真
(R03/10/10 15:46:24)  JRの下をくぐります。 (写真
(R03/10/10 15:48:48)  国道1号を渡り伝馬町通りへ。 間もなく府中(静岡)宿です。 (写真
(R03/10/10 15:51:21 府中(駿河))  府中宿東見附。 ここから府中宿です。 (写真
(R03/10/10 16:09:00 府中(駿河))  下伝馬町本陣脇本陣跡。 (写真
(R03/10/10 16:14:28 府中(駿河))  上伝馬町本陣脇本陣跡。 問屋場(といやば)も隣にあったようです。 (写真
(R03/10/10 16:20:59 府中(駿河))  ここを右へ。 (写真
(R03/10/10 16:24:07 府中(駿河))  江川町交差点。 今日はここで東海道を外れ、静岡駅へ向かいます。 (写真
(R03/10/10 16:29:11)  静岡駅。 本日はここまでです。 (写真
(R03/10/10 17:12:50)  番外編。 江戸から45番目の一里塚の碑。 東海道沿いではない本通にあるので自転車で撮影に行きました。 東海道沿いではないのは、東海道が付け替えられたからか、碑が移動されたからかは分かりません。 (写真
(R03/11/13 07:29:12)  おはようございます。 静岡駅です。 間もなく出発です。 (写真
(R03/11/13 07:40:06 府中(駿河))  江川町交差点。 東海道に復帰します。 (写真
(R03/11/13 07:42:39 府中(駿河))  呉服町交差点を右折。 (写真
(R03/11/13 07:46:04 府中(駿河))  このあたりが今川時代からの駿河の中心街だったようです。 (写真
(R03/11/13 07:48:08 府中(駿河))  ここから七間町通りに入ります。 (写真
(R03/11/13 08:00:19 府中(駿河))  ここを右折。 くねくねと曲がって本当に迷います。 敵に攻められにくくするため、わざとこう作っているんですが。 (写真
(R03/11/13 08:03:24 府中(駿河))  ここを左折。 新通りに入ります。 あとは直進。 (写真
(R03/11/13 08:09:41 府中(駿河))  新通り。 昔の東海道です。 これから静岡の街を離れます。 晩年の徳川家康の居城。 江戸時代は江戸、京都、大阪に次ぐ街だったのでしょう。 静岡を離れるのが寂しくなります。 (写真
(R03/11/13 08:10:47 府中(駿河))  静岡名物わさび漬けの発祥の店、田尻屋。 (写真
(R03/11/13 08:21:40 府中(駿河))  川越町から弥勒へ。 府中宿西見附はこのあたりかと思われますが、跡は全くありません。 (写真
(R03/11/13 08:23:50)  安倍川の川会所跡。 今は交番です。 (写真
(R03/11/13 08:26:49)  県道に合流。 (写真
(R03/11/13 08:28:30)  安倍川を渡ります。 (写真
(R03/11/13 08:32:34)  安倍川の渡しは少し下流を渡っていたようです。 (写真
(R03/11/13 08:51:02)  手越原交差点。 国道1号に入ります。 (写真
(R03/11/13 08:57:39)  佐渡交差点から県道208号へ。 (写真
(R03/11/13 09:03:05)  ここを右折。 (写真
(R03/11/13 09:17:46)  ここを左折。 気付かず通りすぎるところでした。 (写真
(R03/11/13 09:19:26)  江戸から46番目の一里塚跡。 (写真
(R03/11/13 09:24:06 鞠子(駿河))  丸子宿江戸方見附跡。 ここから丸子宿です。 (写真
(R03/11/13 09:36:15 鞠子(駿河))  丸子宿問屋場跡。 (写真
(R03/11/13 09:37:36 鞠子(駿河))  丸子宿本陣跡。 (写真
(R03/11/13 09:46:48)  丁子屋。 古農家を移築して有名になりました。 とろろ汁を食べて行きたいところですが、今日は時間が合わないため断念。 (写真
(R03/11/13 09:52:24 鞠子(駿河))  高札場。 このあたりが丸子宿西見附だったはずですが。 (写真
(R03/11/13 10:03:24)  ここで国道1号の歩道へ。 (写真
(R03/11/13 10:06:33)  ここを左の道に入ります。 (写真
(R03/11/13 10:17:53)  国道1号を渡ります。 (写真
(R03/11/13 10:21:01)  ここを左へ。 昔は単純に丸子川に沿っていたんでしょうね。 (写真
(R03/11/13 10:24:55)  右折し国道1号へ。 (写真
(R03/11/13 10:26:48)  赤目ヶ谷西交差点を右折。 結果的に丸子川に沿っています。 (写真
(R03/11/13 10:31:55)  再び国道1号線へ。 (写真
(R03/11/13 10:44:12)  道の駅宇津ノ谷峠到着。 ここで休憩します。 (写真
(R03/11/13 11:01:47)  とろろ定食 (写真
(R03/11/13 11:38:45)  歩行再開。 こちらの道を登ります。 (写真
(R03/11/13 11:41:56)  ここを右へ。 (写真
(R03/11/13 12:01:54)  ここを左へ。(圏外につき遅れ送信) (写真
(R03/11/13 12:02:06)  階段を上ります。(圏外のため遅れ送信) (写真
(R03/11/13 12:01:36)  左の道に入ります。(圏外のため遅れ送信) (写真
(R03/11/13 12:02:01)  いきなり山道。 (圏外のため遅れ送信) (写真
(R03/11/13 12:02:23)  江戸時代の東海道。 (圏外のため遅れ送信) (写真
(R03/11/13 12:01:29)  この部分は豪雨災害で付け替えられたそうです。 (写真
(R03/11/13 12:09:30)  宇津ノ谷峠。 (写真
(R03/11/13 12:10:24)  滑りそうな下り。 石畳ではないので助かりますが。 (写真
(R03/11/13 12:13:15)  舗装路に出ました。 (写真
(R03/11/13 12:23:02)  先程の区間が舗装されていたのは宇津ノ谷トンネルの管理道と重複していたからです。 再び未舗装路です。 (写真
(R03/11/13 12:28:13)  再び舗装路。 宇津ノ谷越え終了。 (写真
(R03/11/13 13:06:39)  国道1号に出ました。 左(藤枝側)に行きます。 (写真
(R03/11/13 13:14:56)  歩道橋で国道1号を越えます。 (写真
(R03/11/13 13:21:54)  国道1号から外れ、右に入ります。 (写真
(R03/11/13 13:39:12 岡部(駿河))  岡部宿枡形跡。 ここから岡部宿です。 (写真
(R03/11/13 13:43:17 岡部(駿河))  ここを右に入ります。 (写真
(R03/11/13 13:44:20 岡部(駿河))  突き当たりを左。 (写真
(R03/11/13 13:45:43 岡部(駿河))  再び県道に合流。 (写真
(R03/11/13 13:47:10 岡部(駿河))  大旅籠柏屋。 (写真
(R03/11/13 13:49:18 岡部(駿河))  岡部宿本陣跡。 (写真
(R03/11/13 13:51:58 岡部(駿河))  問屋場跡。 (写真
(R03/11/13 13:53:16 岡部(駿河))  ここを左へ。 (写真
(R03/11/13 14:06:02 岡部(駿河))  問屋場跡。 岡部宿には問屋場が二つありました。 (写真
(R03/11/13 14:09:54 岡部(駿河))  県道に出ました。 あとは岡部宿の外れまで一直線。 (写真
(R03/11/13 14:15:20 岡部(駿河))  松並木。 (写真
(R03/11/13 14:22:53 岡部(駿河))  岡部宿はここまで。 (写真
(R03/11/13 14:24:44)  内谷新田交差点から、右側の道に入ります。 (写真
(R03/11/13 14:44:23)  歩道橋を渡ります。 (写真
(R03/11/13 14:45:47)  左側が東海道。 (写真
(R03/11/13 14:49:41)  県道に合流。 (写真
(R03/11/13 14:53:15)  すぐに県道と別れて左へ。 県道と言ってもつい最近まで国道1号でした。 そのキロポストは197km。 間もなく東京から200kmです。 (写真
(R03/11/13 14:59:56)  江戸から49番目の一里塚跡。 (写真
(R03/11/13 15:04:57)  橋を渡ったところを右折します。 (写真
(R03/11/13 15:17:22)  ここを右折…なのかな? 資料によっては一本手前を右折だけど。 (写真
(R03/11/13 15:22:28)  結論 一本手前を右折して (写真
(R03/11/13 15:23:48)  この公園を抜けるのが東海道らしい。 (写真
(R03/11/13 15:25:44)  公園の案内にしっかり「旧東海道」と書いてある。 (写真
(R03/11/13 15:26:11)  確かに東海道っぽい。 (写真
(R03/11/13 15:28:35)  公園を出て真正面の道へ。 (写真
(R03/11/13 15:35:19)  県道渡って向こう側。 地図では道がありますが、どう見てもモスバーガーで道が消えているんだよな。 (写真
(R03/11/13 15:51:37 藤枝(駿河))  藤枝宿東木戸跡…は、この木柱としか思えない。 墨で何か書いてありますが、読めません。 (写真
(R03/11/13 16:02:05 藤枝(駿河))  上り問屋場跡。 藤枝宿は問屋場が上り下り別にあったのでしょうか? (写真
(R03/11/13 16:20:17 藤枝(駿河))  藤枝宿下本陣跡。 (写真
(R03/11/13 16:21:25 藤枝(駿河))  藤枝宿上本陣跡。 (写真
(R03/11/13 16:23:02 藤枝(駿河))  藤枝宿下り問屋場跡。 本日はここまでです。 (写真
(R03/11/14 07:09:40 藤枝(駿河))  藤枝宿下り問屋場跡。 こんな看板あったんですね。 出発します。 (写真
(R03/11/14 07:20:49 藤枝(駿河))  藤枝宿西木戸跡。 西木戸跡を示すものは何もありません。 (写真
(R03/11/14 07:27:31)  江戸から50番目の一里塚跡。 一里は約4kmですから約200kmを歩いたことになります。 (写真
(R03/11/14 07:41:38)  青木交差点。 素直に直進です。 (写真
(R03/11/14 07:51:57)  ここで朝食休憩。 (写真
(R03/11/14 08:10:46)  歩行再開。
(R03/11/14 08:14:27)  東海道っぽい風景。 (写真
(R03/11/14 08:20:31)  今、さらっと雨が降ったんだけど。 降水確率10%。 絶対に10回に1回以上降っている。
(R03/11/14 08:47:07)  松並木。 (写真
(R03/11/14 08:53:51)  その松並木の間に江戸から51番目の一里塚があります。 先程200kmと言いましたが、一里は約3.9kmらしいので、その計算だとまだ200km無いことになります。 江戸時代の距離測定がどの程度正しいのかは分かりませんが。 (写真
(R03/11/14 08:59:15)  県道に合流。 交差点の名前は「一里山」。 (写真
(R03/11/14 09:03:43)  島田市に入ります。 (写真
(R03/11/14 09:15:47)  ここを右に入ります。 (写真
(R03/11/14 09:43:59)  再び県道へ。 (写真
(R03/11/14 09:51:34)  ここを左側(感覚的にはまっすぐ)に行きます。 (写真
(R03/11/14 10:07:35 島田(駿河))  島田宿東見附跡。 ここから島田宿です。 (写真
(R03/11/14 10:14:40 島田(駿河))  江戸から52番目の一里塚。 (写真
(R03/11/14 10:19:23 島田(駿河))  問屋場跡。 島田宿の問屋場は1ヶ所だったようです。 (写真
(R03/11/14 10:27:31 島田(駿河))  下本陣跡。 (写真
(R03/11/14 10:30:54 島田(駿河))  中本陣跡。 (写真
(R03/11/14 10:32:19 島田(駿河))  上本陣跡。 (写真
(R03/11/14 10:42:30 島田(駿河))  西見附跡。 島田宿はここまで。 いよいよ大井川です。 (写真
(R03/11/14 10:56:03)  左側に入ります。 (写真
(R03/11/14 11:24:14)  札場。 (写真
(R03/11/14 11:29:38)  川会所。 ここで川札を買います。 (写真
(R03/11/14 12:04:45)  連台で川越します。 (嘘) (写真
(R03/11/14 12:05:22)  大井川。 (写真
(R03/11/14 12:13:09)  大井川橋。 (写真
(R03/11/14 12:25:22)  大井川。 昔に比べて水量は減ったので川越料金は安くて済みそうです。 上流で色々と取水されて水量が減りました。 知事がJR東海に文句言っているのも大井川の水を巡る歴史があるからです。 (写真
(R03/11/14 12:29:48)  駿河国から遠江国に入りました。 左折し東海道に向かいます。 (写真
(R03/11/14 12:32:36)  ここを右。 東海道に復帰。 (写真
(R03/11/14 12:34:17)  大井川を振り返ります。 写真中央が東海道の島田側。 (写真
(R03/11/14 12:39:59)  金谷宿川越し場跡。 明治になって失業した川越人足を私財を投じて救った仲田源蔵の像があります。 (写真
(R03/11/14 12:45:50)  大井川鐵道の踏切。 (写真
(R03/11/14 13:01:14 金谷(遠江))  金谷宿三番本陣跡。 宿場の東の入口の場所は分かりませんでした。 (写真
(R03/11/14 13:03:54 金谷(遠江))  二番本陣(佐塚谷)跡。 書店をやっているみたいですね。 (写真
(R03/11/14 13:07:02 金谷(遠江))  一番本陣跡。 (写真
(R03/11/14 13:17:37 金谷(遠江))  江戸から53番目の一里塚跡。 (写真
(R03/11/14 13:19:13 金谷(遠江))  一里塚跡。 今日はここで東海道を離れ、金谷駅に向かいます。 (写真
(R03/11/14 13:23:21)  金谷駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R03/12/21 06:35:55)  金谷駅で夜明けを待っています。 (写真
(R03/12/21 06:52:16)  日の出とともに出発。 (写真
(R03/12/21 06:54:11 金谷(遠江))  東海道に復帰。 (写真
(R03/12/21 06:58:08 金谷(遠江))  不動橋。 金谷宿の西の入口です。 (写真
(R03/12/21 07:01:46)  国道に合流。 (写真
(R03/12/21 07:03:19)  渡って右に入ります。 (写真
(R03/12/21 07:08:22)  石畳開始。 歩いた人によると、こちらは箱根峠と違い、滑らない石を使っているそうです。 (写真
(R03/12/21 07:09:41)  確かに滑らない。 でも坂はきつい。 (写真
(R03/12/21 07:13:42)  すべらず地蔵尊。 (写真
(R03/12/21 07:17:30)  石畳終了。 (写真
(R03/12/21 07:24:51)  県道を渡って再び石畳へ。 (写真
(R03/12/21 07:36:36)  この辺りは、復元ではなく、江戸時代からの石畳らしいです。 そしてこの区間はマピオンにもMapfanにもかかれていない区間です。 (写真
(R03/12/21 07:38:35)  江戸時代からの石畳はここでした。 確かに荒れ方が違う。 (写真
(R03/12/21 07:40:49)  石畳終了。 (写真
(R03/12/21 07:47:56)  四郡橋を渡って右へ。 (写真
(R03/12/21 07:53:28)  糞バイパス工事のため大迂回。 平日で工事の人もおり、○○も出来ず。 歩行者に迷惑をかけてクルマしか走れない道を作る行政はやめて欲しい。
(R03/12/21 07:56:24)  多分ここが東海道。 一度ロストすると方向感覚を失う。 (写真
(R03/12/21 08:07:13)  激しい上り坂。 (写真
(R03/12/21 08:10:00)  上り坂。 (写真
(R03/12/21 08:22:42)  江戸から56番目の一里塚跡。 (写真
(R03/12/21 08:27:14)  Y字路左、沓掛、日坂方面へ。 (写真
(R03/12/21 08:35:04)  Y字路を左へ。 (写真
(R03/12/21 08:43:49)  夜泣き石跡。 (写真
(R03/12/21 08:55:09)  峠からの下り。 蛇行しながら激しく下ります。 (写真
(R03/12/21 08:59:12)  県道(旧国道1号)を渡ります。 (写真
(R03/12/21 09:04:37 日坂(遠江))  日坂宿本陣跡。 明治期には家屋を小学校の校舎として利用したそうですから、かなり広かったのでしょう。 (写真
(R03/12/21 09:06:15 日坂(遠江))  問屋場跡。 (写真
(R03/12/21 09:13:40 日坂(遠江))  旅籠、萬屋。 (写真
(R03/12/21 09:16:11 日坂(遠江))  旅籠、川坂屋。 (写真
(R03/12/21 09:17:13 日坂(遠江))  高札場。 (写真
(R03/12/21 09:19:19 日坂(遠江))  日坂宿下木戸跡。 日坂宿ではこの川が下木戸の役割を果たしていたそうです。 日坂宿はここまでです。 (写真
(R03/12/21 09:24:45)  県道に合流。 (写真
(R03/12/21 09:30:16)  いったん東海道を離れ、道の駅掛川に寄ります。 (写真
(R03/12/21 09:41:37)  道の駅掛川で休憩。 セブンイレブンもあるみたいです。 本日の初コンビニ。 (写真
(R03/12/21 10:19:28)  東海道に復帰。 歩行再開。
(R03/12/21 10:30:13)  ここで左に入ります。 (写真
(R03/12/21 10:39:12)  江戸から57番目の一里塚跡。 (写真
(R03/12/21 10:41:43)  県道に合流。 (写真
(R03/12/21 10:44:08)  再び県道と別れて左へ。 (写真
(R03/12/21 10:49:55)  再び県道に合流。 ここからしばらくは県道を行きます。 (写真
(R03/12/21 11:12:07)  本村橋で県道と別れ、左に入ります。 (写真
(R03/12/21 11:32:22)  江戸から58番目の一里塚跡。 (写真
(R03/12/21 11:38:33)  東海道七曲がり。 まずここを左折。 (写真
(R03/12/21 11:39:58)  ここ右折。 (写真
(R03/12/21 11:41:39)  突き当たり左折。 (写真
(R03/12/21 11:42:23)  突き当たり右折。 (写真
(R03/12/21 11:44:29)  突き当たり右折。 (写真
(R03/12/21 11:46:58 掛川(遠江))  掛川宿東番所跡。 ここから掛川宿です。 (写真
(R03/12/21 11:48:13 掛川(遠江))  ここを左折。 (写真
(R03/12/21 11:50:34 掛川(遠江))  ここを右折。 (写真
(R03/12/21 11:52:26 掛川(遠江))  ここを左折し、七曲がり完了です。 (写真
(R03/12/21 11:58:06 掛川(遠江))  掛川宿本陣跡。 屋台街になっています。 (写真
(R03/12/21 12:04:16 掛川(遠江))  山内一豊と千代の像。 清水銀行の壁に浮き彫りされています。 (写真
(R03/12/21 12:08:37 掛川(遠江))  掛川城、蕗の門。 (写真
(R03/12/21 12:11:53 掛川(遠江))  この辺りまでが掛川宿でした。 (写真
(R03/12/21 12:18:03)  ここを右折。 (写真
(R03/12/21 12:21:40)  県道に合流。 (写真
(R03/12/21 12:27:49)  二瀬川交差点を左折。 (写真
(R03/12/21 12:35:44)  大正橋交差点を左折。 (写真
(R03/12/21 12:55:41)  天竜浜名湖鐵道西掛川駅。 (写真
(R03/12/21 13:06:01)  江戸から59番目の一里塚跡。 (写真
(R03/12/21 13:21:07)  東海道は糞バイパスの沢田ICで分断されています。 (写真
(R03/12/21 13:26:38)  右側の県道が東海道です。 (写真
(R03/12/21 13:37:58)  東海道の真ん中ということで仲道寺らしいですが、東海道五十七次の真ん中は、宿場で言えば浜松宿、距離で言えば新居宿です。 まだ中間点すら行っていない。 (写真
(R03/12/21 13:40:39)  松並木。 (写真
(R03/12/21 13:53:05)  原野谷川が行く手を阻みます。 とりあえず国道1号をくぐり、南側に行きます。 (写真
(R03/12/21 13:55:27)  この階段を上がり、国道1号下り側歩道に上がります。 (写真
(R03/12/21 13:57:34)  同心橋で原野谷川をを渡り、袋井市に入ります。 (写真
(R03/12/21 14:01:15)  橋を渡ってすぐ左折。 (写真
(R03/12/21 14:02:38)  右折、左折して下の道に入るのが正解みたいです。 (写真
(R03/12/21 14:10:39)  松並木。 (写真
(R03/12/21 14:31:30)  江戸から60番目の一里塚跡。 (縮小復元?) (写真
(R03/12/21 14:34:42)  江戸から60番目の一里塚跡。 袋井東小学校敷地内に縮小復元されています。 一応これで道の両側にあることになるのか…。 (写真
(R03/12/21 14:36:49)  ど真ん中主張し過ぎ。 (写真
(R03/12/21 14:58:07)  県道に合流…せず左折します。 (写真
(R03/12/21 15:00:42)  ここを右折。 (写真
(R03/12/21 15:03:28)  本当は先程の県道に合流しなかった場所からここまでまっすぐ道が繋がっていたのですね。 (写真
(R03/12/21 15:10:53)  ここも袋井市教育会館で東海道が分断。 南東を回って東海道の続きに向かいます。 (写真
(R03/12/21 15:14:06 袋井(遠江))  袋井宿江戸口。 ここから袋井宿です。 (写真
(R03/12/21 15:26:51 袋井(遠江))  東海道ど真ん中茶屋で休憩。 だからど真ん中主張し過ぎ。 (写真
(R03/12/21 15:44:45 袋井(遠江))  袋井宿東本陣跡。 (写真
(R03/12/21 15:46:37 袋井(遠江))  袋井宿場公園前。 本日はここまでです。 (写真
(R03/12/21 16:38:41)  今日は冬至前日でしたが、今までの行程中、二番目に長い距離を歩きました。 しかも二泊分の荷物を背負って。 無事、日没に間に合ってホッとしています。 明日は冬至。皮肉にも三番目に長い行程です。
(R03/12/22 06:44:50 袋井(遠江))  袋井宿場公園で日の出待ちです。 (写真
(R03/12/22 06:53:27 袋井(遠江))  日が出たので出発です。 (写真
(R03/12/22 00:00:00 袋井(遠江))  問屋場跡。(後日撮影)(写真
(R03/12/22 06:55:48 袋井(遠江))  中本陣跡。 ガレージ、使いにくそう。 (写真
(R03/12/22 06:57:19 袋井(遠江))  西本陣跡。 (写真
(R03/12/22 07:00:36 袋井(遠江))  西見附跡。 袋井宿はここまでです。 (写真
(R03/12/22 07:08:53)  もうやっぱりという感想しかない。 (写真
(R03/12/22 07:13:08)  県道に合流。 (写真
(R03/12/22 07:26:43)  橋の先を右に入るのが正解。 (写真
(R03/12/22 07:30:00)  江戸から61番目の一里塚跡。 (写真
(R03/12/22 07:32:13)  60m先に復元されています。 (写真
(R03/12/22 07:37:55)  再び県道に合流。 (写真
(R03/12/22 07:56:04)  太田川を渡ったところで左側の土手から左手下の道に行きます。 (写真
(R03/12/22 07:57:44)  ここですね。 (写真
(R03/12/22 08:06:38)  ここは左らしい。 (写真
(R03/12/22 08:08:54)  ここを左折。 (写真
(R03/12/22 08:11:29)  一気に一時代前の東海道に変わります。 ただしバイパスが近いのでクルマの音はうるさい。 (写真
(R03/12/22 08:14:24)  ここを右折。 (写真
(R03/12/22 08:15:44)  鎌倉時代から平成まで、道がどう移り変わったか分かりますね。 (写真
(R03/12/22 08:41:30)  県道(旧国道1号)に合流。 というか、県道の向こう側に東海道は続きます。 (写真
(R03/12/22 08:47:57)  県道脇に史跡らしきものがあって、看板立っているから、痛い足を引きずって急な階段登ると…「此処は刑場跡ではない。」って…。 (写真
(R03/12/22 08:49:40)  ここを右側に行きます。 (写真
(R03/12/22 09:08:37)  江戸から62番目の一里塚の北塚。 残っているんだけど、アパートの敷地内?を通らないと行けないし、案内も何も無い。 (写真
(R03/12/22 09:15:34)  江戸から62番目の一里塚の南塚。 こちらは愛宕神社の裏に残っています。 両塚が残っている珍しい例ですが、どちらも東海道からは見えにくいです。 (写真
(R03/12/22 09:19:22 見付(遠江))  県道に合流するところが東木戸跡。 ここから見附宿です。 (写真
(R03/12/22 09:25:37 見付(遠江))  見附宿の由来は、京から東海道を旅してきた旅人が、ここで初めて富士山を見付けたからだと言われますが、今日は富士山は見えません。 なお、理論上、東海道から見える富士山の西限界は三重県亀山市関付近です。
(R03/12/22 09:31:19 見付(遠江))  問屋場跡は静岡銀行。 (写真
(R03/12/22 09:38:29 見付(遠江))  見附宿北本陣跡。 南本陣跡は何も無いようです。 (写真
(R03/12/22 09:41:15 見付(遠江))  旧見付学校。 入館無料で教育関係の資料があるとなると、見て行かねばなるまい。 (写真
(R03/12/22 10:11:18 見付(遠江))  歩行再開。
(R03/12/22 10:13:38 見付(遠江))  脇本陣大三河屋跡。 (写真
(R03/12/22 10:18:39 見付(遠江))  ここを左折。 (写真
(R03/12/22 10:22:19 見付(遠江))  見附宿西木戸跡。 見附宿はここまでです。 (写真
(R03/12/22 10:26:17)  東海道は左です。 (写真
(R03/12/22 10:30:04)  磐田郵便局の前で再び県道と合流。 (写真
(R03/12/22 10:47:02)  ここを右折。 (写真
(R03/12/22 11:14:16)  県道に合流。 (写真
(R03/12/22 11:27:18)  江戸から63番目の一里塚。 復元一里塚ですが、場所は本来の場所と違うようです。 (写真
(R03/12/22 11:41:47)  このY字路を左側へ。 (写真
(R03/12/22 11:59:42)  何の案内もないですが、ここを右折します。 (写真
(R03/12/22 12:04:29)  この横断歩道の場所を右。 (写真
(R03/12/22 12:09:39)  目の前が天竜川です。 (写真
(R03/12/22 12:14:34)  天竜川。 風無茶苦茶強いです。 (写真
(R03/12/22 12:17:22)  当然ながら渡河出来ないので、国道1号、新天竜川橋に向かいます。
(R03/12/22 12:21:36)  国道1号、新天竜川橋。 (写真
(R03/12/22 12:30:58)  天竜川。 (写真
(R03/12/22 12:35:08)  国道1号の東京から250キロ地点は新天竜川橋上なんですね。 (写真
(R03/12/22 12:38:05)  橋を渡ったらすぐ左折。 階段を下ります。 (写真
(R03/12/22 12:43:17)  土手を南に戻ります。 (写真
(R03/12/22 12:55:39)  この階段を下ります。 江戸時代、天竜川の架橋は禁じられていましたが、明治になって、明治天皇が江戸へ行幸する際に、この位置に舟橋がかけられました。 以降、鉄橋がかけられるまで、この位置が東海道の天竜川渡河地点でした。 (写真
(R03/12/22 12:56:35)  ここを左折します。 この辺りが江戸と京都の中間点だそうです。 (写真
(R03/12/22 13:23:17)  江戸から64番目の一里塚跡。 (写真
(R03/12/22 13:23:43)  県道に合流します。 (写真
(R03/12/22 14:10:30)  ここから東海道は国道152号になります。 国道152号と言えば長野県上田と浜松を結ぶ国道。 国道1号を浜松バイパスに置き換えて南に迂回させた結果、国道1号交点までが152号ということで、152号が西に伸びた結果なのですが。 (写真
(R03/12/22 14:13:37)  素直に東海道を国道1号にすればいいだけなのに…日本の道路行政が狂った結果です。 ちなみに152号自体はなかなか楽しい酷道です。 先々月(由比→静岡の前日)は山が抜けたという地蔵峠にアタックしています。
(R03/12/22 14:37:59)  江戸から65番目の一里塚跡。 解説板だけです。 (写真
(R03/12/22 14:47:59 浜松(遠江))  浜松宿外木戸東門跡。 ここから浜松宿です。 (写真
(R03/12/22 15:07:00 浜松(遠江))  ここで国道152号とお別れ。東海道は国道257号となります。 (写真
(R03/12/22 15:11:33 浜松(遠江))  佐藤本陣跡。 (写真
(R03/12/22 15:24:42 浜松(遠江))  探し回りましたよ。 杉浦本陣跡。 (写真
(R03/12/22 15:29:00 浜松(遠江))  伝馬町交差点に川口本陣跡がありました。 今日はここで東海道を離れ、浜松駅に向かいます。 (写真
(R03/12/22 15:34:19)  浜松駅が見えてきました。 (写真
(R03/12/22 15:47:26)  浜松駅到着。 本年はここまでです。
(R04/01/04 08:12:37)  あけましておめでとうございます。 現在、浜松駅で出発準備中です。
(R04/01/04 08:24:05)  準備完了。 歩くまでがすごく寒いです。 (写真
(R04/01/04 08:35:35 浜松(遠江))  川口本陣跡。 ここから東海道に復帰します。 (写真
(R04/01/04 08:38:29 浜松(遠江))  梅屋本陣跡。 こちらは石碑もあります。 (写真
(R04/01/04 08:49:37 浜松(遠江))  浜松宿西木戸跡。 浜松宿はここまでです。 この交差点を右折します。 (写真
(R04/01/04 08:54:06)  ここを左斜め前へ。 (写真
(R04/01/04 09:05:16)  東海道本線の高架をくぐり、突き当たりを右折。 久しぶりに東海道本線の南に出ます。 (写真
(R04/01/04 09:37:44)  江戸から66番目の一里塚跡。 (写真
(R04/01/04 10:37:33)  ここで国道(と言っても1号ではなく257号ですが)を離れ、右側に入ります。 風(それも向かい風)が強く、かなり寒く感じます。 (写真
(R04/01/04 10:51:20)  江戸から67番目の一里塚跡。 当時の旅人は一日十里ですから、今の私の倍ですね。 (写真
(R04/01/04 12:07:00)  東海道松並木。 (写真
(R04/01/04 12:20:41)  元国道1号線と交差します。 (写真
(R04/01/04 12:27:13 舞坂(遠江))  舞阪宿東見附跡。 石垣が残っています。 (写真
(R04/01/04 12:30:29 舞坂(遠江))  江戸から68番目の一里塚跡。 (写真
(R04/01/04 12:31:49 舞坂(遠江))  この一里塚は両側に碑が立っています。 (写真
(R04/01/04 12:43:01 舞坂(遠江))  宮崎伝左衛門本陣跡。 (写真
(R04/01/04 12:49:31 舞坂(遠江))  脇本陣は立派な建物が残っています。 (写真
(R04/01/04 12:54:53 舞坂(遠江))  舞阪宿本雁木(がんげ)跡。 東海道はここから渡船(今切の渡し)になります。 私はあくまで歩くことにこだわるので、ここを右折し、陸路を行きます。 (写真
(R04/01/04 12:59:07 舞坂(遠江))  浜名湖です。 今でも予約すれば渡船もあるみたいですが、どのみち、今の季節はお休みです。 西風がきつく、体感温度はかなり低いです。 (写真
(R04/01/04 13:03:34 舞坂(遠江))  北雁木(がんげ)跡。 こちらは大名などの雁木だったようです。 (写真
(R04/01/04 13:21:18)  弁天島駅。 改札口がホーム上にある、珍しい駅です。 (写真
(R04/01/04 13:42:06)  雨が降ってきたので弁天島駅で休んでいましたが、日も出て来たので歩行再開します。 (写真
(R04/01/04 13:47:24)  中浜名橋。 (写真
(R04/01/04 14:00:37)  西浜名橋。 (写真
(R04/01/04 14:30:18)  新居町駅到着。 今日はずっと向かい風、浜名湖沿いでは風もかなりきつく、進むのに苦労しました。 本日はここまでです。 (写真
(R04/01/05 06:57:56)  新居町駅。 現在、出発準備中。 相変わらず寒いです。 新居宿の西側が、東海道、東京〜大阪の中間点。 今日はいよいよ後半戦に入ります。 (写真
(R04/01/05 07:00:05)  出発します。
(R04/01/05 07:18:15 新居(遠江))  新居関所に来ました。 今切の渡し、新居側の船着き場はどこだったのか、疑問でしたが、江戸時代は新居関所の目の前が湖岸だったようです。 (写真
(R04/01/05 07:21:48 新居(遠江))  関所の見学は時間外なので出来ませんが、歩道は大御門をくぐります。 (写真
(R04/01/05 07:22:48 新居(遠江))  枡形広場。 (写真
(R04/01/05 07:27:56 新居(遠江))  旅籠、紀伊国屋。 (写真
(R04/01/05 07:30:48 新居(遠江))  東海道はここを左折します。 (写真
(R04/01/05 07:32:59 新居(遠江))  飯田本陣跡。 (写真
(R04/01/05 07:34:35 新居(遠江))  疋田八郎兵衛本陣跡。 (写真
(R04/01/05 07:45:50 新居(遠江))  江戸から69番目の一里塚跡。 (写真
(R04/01/05 07:48:28 新居(遠江))  分かりにくいですが、ここを右。 小さいですが案内板もあります。 (写真
(R04/01/05 07:50:16 新居(遠江))  棒鼻跡。 新居宿はここまでです。 (写真
(R04/01/05 07:53:20)  橋本交差点。 ここを右。 (写真
(R04/01/05 07:56:49)  橋本西交差点。 ここを右斜めに入ります。 (写真
(R04/01/05 08:17:54)  寒い。 (写真
(R04/01/05 08:48:00)  江戸から70番目の一里塚跡。 知らなきゃ見逃す。 (写真
(R04/01/05 08:55:42)  神明神社。 トイレが無くて困っていたのですが、神社にトイレを発見。 天照大神に感謝。 賽銭入れて出発。 (写真
(R04/01/05 09:04:04)  ここを右折。 難所の一つ、潮見坂に向かいます。 (写真
(R04/01/05 09:05:05)  さっそく登り。 (写真
(R04/01/05 09:12:29)  登り坂が続きます。 (写真
(R04/01/05 09:20:30)  浮世絵の景色。 (写真
(R04/01/05 09:38:28 白須賀(遠江))  白須賀宿曲尺手(かねんて)。 ここから白須賀宿です。 (写真
(R04/01/05 09:51:35 白須賀(遠江))  本陣跡。 (写真
(R04/01/05 10:10:14)  旧国道に合流。 (写真
(R04/01/05 10:12:06)  すぐに右に分岐。 (写真
(R04/01/05 10:14:41)  またすぐに合流。 風がきついです。 (写真
(R04/01/05 10:19:49)  境川を渡るといよいよ三河国(愛知県)です。 (写真
(R04/01/05 10:22:58)  久しぶりに国道1号に入ります。 (写真
(R04/01/05 10:49:50)  江戸から71番目の一里塚。 このように北塚は痕跡を残しています。 (写真
(R04/01/05 11:46:15)  国道1号歩きもここまで。 右折し、ガードをくぐります。 (写真
(R04/01/05 11:49:49)  元は左側からの道が東海道で、新幹線建設で分断されたんでしょうね。 右へ進みます。 (写真
(R04/01/05 11:53:25)  東海道本線の踏切。 踏切も久しぶりです。 (写真
(R04/01/05 11:55:24)  踏切を渡ってすぐ左へ。 (というより東海道本線建設で東海道が分断されたんだろうな。) (写真
(R04/01/05 11:59:19 二川(三河))  二川宿東見附跡。 (写真
(R04/01/05 12:01:35 二川(三河))  江戸から72番目の一里塚跡。 (写真
(R04/01/05 12:13:07 二川(三河))  東問屋場跡。 二川宿は問屋場が二つあったのですね。 (写真
(R04/01/05 12:17:39 二川(三河))  旅籠せいめいや(復元)。 (写真
(R04/01/05 12:22:04 二川(三河))  二川宿本陣。 資料館になっています。 (写真
(R04/01/05 12:26:17 二川(三河))  西問屋場跡。 (写真
(R04/01/05 12:42:08)  二川駅。 このあたりに二川宿西見附がありました。 (写真
(R04/01/05 13:05:32)  旧東海道はこの辺りから現在の道と別れ、左にそれていました。 (写真
(R04/01/05 13:08:53)  で、この道が東海道。 (写真
(R04/01/05 13:25:41)  県道に合流。 (写真
(R04/01/05 13:45:00)  江戸から73番目の一里塚跡。 (写真
(R04/01/05 14:10:55)  国道1号に合流。 (写真
(R04/01/05 14:53:28)  国道1号を走る唯一の路面電車。 (写真
(R04/01/05 14:55:57 吉田(三河))  吉田宿東惣門。 ここから吉田宿です。 東惣門前で国道1号を離れ、左折します。 (写真
(R04/01/05 14:56:54 吉田(三河))  すぐ右折。 (写真
(R04/01/05 14:59:11 吉田(三河))  1本目を左折。 (写真
(R04/01/05 15:00:09 吉田(三河))  突き当たり右折。 (写真
(R04/01/05 15:08:58 吉田(三河))  ここを左折。 (写真
(R04/01/05 15:12:39 吉田(三河))  突き当たりを右折。 (写真
(R04/01/05 15:21:32 吉田(三河))  本陣跡。 (写真
(R04/01/05 15:28:33 吉田(三河))  東海道はここを右折ですが、今日はここで東海道を外れ、豊橋駅に向かいます。 (写真
(R04/01/05 15:37:58)  豊橋駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R04/02/23 06:29:51)  豊橋駅です。 一ヶ月以上空きましたが、間もなく出発します。 (写真
(R04/02/23 06:39:55 吉田(三河))  東海道に復帰しました。 (写真
(R04/02/23 06:43:28 吉田(三河))  吉田宿西惣門。 吉田宿はここまでです。 (写真
(R04/02/23 06:47:30)  ここを左折。 (写真
(R04/02/23 06:53:12)  船町交差点を右折。 書き忘れていましたが、本日は25.1kmの長丁場です。 (写真
(R04/02/23 06:56:16)  豊橋を渡ります。 (写真
(R04/02/23 07:01:00)  とよばし北交差点。 ここを左折します。 川を吹きおろして来る風で寒いです。 指先と顔の感覚が…。 (写真
(R04/02/23 07:10:13)  江戸から74番目の一里塚跡。 (写真
(R04/02/23 07:51:06)  飯田線小坂井踏切。 (写真
(R04/02/23 08:22:58)  江戸から75番目の一里塚跡。 (写真
(R04/02/23 08:57:46)  ここで謎の東海道分断。 高架下空いているし、何故、通れなくしているのか? (写真
(R04/02/23 09:03:10)  国道1号を渡ります。 (写真
(R04/02/23 09:05:26)  右の道に入ります。 (写真
(R04/02/23 09:08:54)  ここをくぐらず、右側の踏切へ。 (写真
(R04/02/23 09:13:07)  名鉄豊川線の踏切です。 (写真
(R04/02/23 09:17:31)  踏切渡った先からしばらくは、東海道が消えているので、付近の道路を使って迂回です。 まずは踏切渡って左。 (写真
(R04/02/23 09:21:02)  ここを左。 (写真
(R04/02/23 09:22:59)  ここを右。 (写真
(R04/02/23 09:27:03)  突き当たり左。 名鉄豊川線と名古屋本線を渡ります。 このあたりで東海道と交差していたはずですが、跡形もありません。 名鉄名古屋本線と豊川線の分岐で潰されたようです。 (写真
(R04/02/23 09:28:46)  右折し、国道1号に入ります。 (写真
(R04/02/23 09:43:58)  ここで右から東海道が合流してくるはずですが…跡形もないです。 左側に進みます。 (写真
(R04/02/23 10:00:05)  江戸から76番目の一里塚跡。 (写真
(R04/02/23 10:08:08 御油(三河))  御油宿に入りました。 (写真
(R04/02/23 10:12:13 御油(三河))  ここを右折。 (写真
(R04/02/23 10:15:47 御油(三河))  ここを左折。 (写真
(R04/02/23 10:19:03 御油(三河))  御油宿本陣跡。 (写真
(R04/02/23 10:29:51 御油(三河))  御油松並木が見えてきました。 御油宿はここまでです。 御油宿から次の赤坂宿までが東海道の宿場間距離しては最短です。 (写真
(R04/02/23 10:42:33 赤坂(三河))  はい、もう赤坂宿東見附跡です。 赤坂宿は中山道にも同名の宿がありますが、場所は全く違います。 (写真
(R04/02/23 10:49:52 赤坂(三河))  赤坂宿問屋場跡。 (写真
(R04/02/23 10:51:00 赤坂(三河))  赤坂宿本陣跡。 (写真
(R04/02/23 10:53:46 赤坂(三河))  復元高札場。 本来あった場所とは違います。 (写真
(R04/02/23 11:10:49 赤坂(三河))  浮世絵に描かれたという旅籠。 (写真
(R04/02/23 11:21:23 赤坂(三河))  赤坂宿西見附跡。 赤坂宿はここまでです。 ようやく暖かくなってきました。 (写真
(R04/02/23 11:44:58)  江戸から77番目の一里塚跡。 (写真
(R04/02/23 12:12:42)  国道1号に合流せず、川と国道の間の道を行きます。 (写真
(R04/02/23 12:16:41)  ここで国道1号と合流。 しばらく国道1号を行きます。 (写真
(R04/02/23 12:43:25)  左側、側道に入ります。 (写真
(R04/02/23 12:56:17)  ここで国道1号側道を外れ、左折します。 (写真
(R04/02/23 13:09:41)  江戸から78番目の一里塚跡。 (写真
(R04/02/23 13:32:54)  国道1号に合流します。 (写真
(R04/02/23 13:42:18)  右に入り、名鉄沿いに進みます。 (写真
(R04/02/23 13:47:48)  スロープを使って右側に入ります。 (写真
(R04/02/23 14:07:13)  国道1号に合流します。 (写真
(R04/02/23 14:22:30)  左に入ります。 (写真
(R04/02/23 14:27:46 藤川(三河))  藤川宿東棒鼻。 ここから藤川宿です。 (写真
(R04/02/23 14:30:49 藤川(三河))  ここを右折。 (写真
(R04/02/23 14:32:04 藤川(三河))  ここを左折。 (写真
(R04/02/23 14:40:21 藤川(三河))  藤川宿問屋場跡。 (写真
(R04/02/23 14:42:43 藤川(三河))  藤川宿本陣跡。 (写真
(R04/02/23 14:48:45 藤川(三河))  藤川宿脇本陣跡。 資料館になっています。 (写真
(R04/02/23 14:56:22 藤川(三河))  藤川宿西棒鼻跡。 藤川宿はここまでです。 (写真
(R04/02/23 14:59:09)  今日はここを右折。 東海道を離れ、藤川駅に向かいます。 (写真
(R04/02/23 15:02:38)  藤川駅到着。 本日はここまでです。 とにかく寒かった。 特に歩いていると上半身が寒い。 (写真
(R04/03/19 06:49:27)  おはようございます。 間もなく藤川駅出発です。 寒さもだいぶ和らいで参りました。 (写真
(R04/03/19 06:56:25)  東海道に復帰。 歩きはじめます。 (写真
(R04/03/19 07:00:25)  江戸から79番目の一里塚跡。 後ろを見ての通り、抜けてしまった木の立て札が置いてあるだけ。 残念な一里塚跡です。 (写真
(R04/03/19 07:07:47)  Y字路を右へ。 名鉄名古屋本線の踏切を渡ります。 (写真
(R04/03/19 07:15:26)  国道1号に合流。 (写真
(R04/03/19 07:23:49)  ここで側道に入ります。 (写真
(R04/03/19 07:27:32)  ここで国道1号と別れて左側に入ります。 (写真
(R04/03/19 07:58:02)  乙川に橋が無いので国道1号を迂回します。 (写真
(R04/03/19 07:59:29)  左折、国道に出ます。 (写真
(R04/03/19 08:03:06)  ここを左折。 東海道復帰を目指します。 (写真
(R04/03/19 08:04:55)  この道が東海道。 右に向かいます。 (写真
(R04/03/19 08:21:25)  江戸から80番目の一里塚。 ここは南塚だけ残っています。 (写真
(R04/03/19 08:38:01)  右の小さい看板のルートで、伊勢湾岸道をクリアします。 (写真
(R04/03/19 08:42:59)  国道に復帰。 (写真
(R04/03/19 08:48:11)  コスモセルフスタンドの右の旧道に入ります。 (写真
(R04/03/19 08:52:47)  国道に戻りそうで戻らず。 右側を登って行きます。 (写真
(R04/03/19 09:01:54 岡崎(三河))  岡崎宿冠木門。 ここから岡崎宿です。 そしてここからは、岡崎二十七曲がりという、下調べ無しにはまずトレース出来ない凶悪なルートです。 まずここを右。 (写真
(R04/03/19 09:02:39 岡崎(三河))  岡崎二十七曲がりの碑。 (写真
(R04/03/19 09:05:09 岡崎(三河))  ここを左。 (写真
(R04/03/19 09:15:36 岡崎(三河))  ここを右。 (写真
(R04/03/19 09:17:33 岡崎(三河))  ここを左。 (写真
(R04/03/19 09:43:19 岡崎(三河))  岡崎宿西本陣跡の碑。 (写真
(R04/03/19 09:45:45 岡崎(三河))  ここ(西本陣の向かい)を左。 (写真
(R04/03/19 09:47:53 岡崎(三河))  ここを右。 (写真
(R04/03/19 09:52:26 岡崎(三河))  ここを右。 (写真
(R04/03/19 09:56:30 岡崎(三河))  籠田公園を抜けます。 (写真
(R04/03/19 09:57:48 岡崎(三河))  ここを左。 (写真
(R04/03/19 10:04:50 岡崎(三河))  ここを右。 (写真
(R04/03/19 10:06:36 岡崎(三河))  ここを左。 (写真
(R04/03/19 10:07:35 岡崎(三河))  ここを右。 (写真
(R04/03/19 10:11:47 岡崎(三河))  ここを左。 (写真
(R04/03/19 10:12:55 岡崎(三河))  ここを右。 (写真
(R04/03/19 10:14:01 岡崎(三河))  ここを左。 (写真
(R04/03/19 10:20:18 岡崎(三河))  ここ(柿田橋手前)を左。 (写真
(R04/03/19 10:22:59 岡崎(三河))  ここを右。 (写真
(R04/03/19 10:25:19 岡崎(三河))  ここを下って左折。 (写真
(R04/03/19 10:27:32 岡崎(三河))  案内板は多いが…難しい。 (写真
(R04/03/19 10:31:09 岡崎(三河))  ここを右。 (写真
(R04/03/19 10:34:41 岡崎(三河))  次行くべき道は向こうなんだが…さすがに国道の分離帯は突破出来ないので歩道橋に迂回。 (写真
(R04/03/19 10:36:28 岡崎(三河))  そこを右ですね。 (写真
(R04/03/19 10:41:34 岡崎(三河))  ここを右。 (写真
(R04/03/19 10:53:51 岡崎(三河))  松葉惣門跡。 岡崎城の西口です。 (写真
(R04/03/19 10:57:03)  中岡崎駅。 (写真
(R04/03/19 11:00:46)  ここを右。 正面は矢作川です。 (写真
(R04/03/19 11:03:35)  正面の国道1号に上がって左に行きます。 (写真
(R04/03/19 11:04:52)  矢作橋。 (写真
(R04/03/19 11:10:31)  左の階段を降りて右(上流側)に行きます。 (写真
(R04/03/19 11:12:00)  ここを左折。 (写真
(R04/03/19 11:27:19)  ここを直進し、国道1号に合流します。 しばらくは国道1号を歩きます。 (写真
(R04/03/19 12:19:59)  国道1号から外れ、ここを右側へ。 (写真
(R04/03/19 12:34:39)  江戸から83番目の一里塚跡。 (写真
(R04/03/19 12:53:50)  松並木。 (写真
(R04/03/19 13:56:59)  江戸から84番目の一里塚。 珍しく両塚が残っている。 写真は南塚。 (写真
(R04/03/19 13:58:05)  こちらは北塚。 (写真
(R04/03/19 14:19:43 池鯉鮒(三河))  池鯉鮒宿碑。 江戸時代は池鯉鮒と書いたようですが、現在は知立(ちりゅう)表記になっています。 碑があるということはこの辺りから知立宿なのでしょうか? (写真
(R04/03/19 14:25:47 池鯉鮒(三河))  馬市の跡。 (写真
(R04/03/19 14:27:03 池鯉鮒(三河))  国道1号を渡ります。 (写真
(R04/03/19 14:30:29 池鯉鮒(三河))  ここを左側。 (写真
(R04/03/19 14:34:39 池鯉鮒(三河))  名鉄三河線の踏切。 (写真
(R04/03/19 14:44:10 池鯉鮒(三河))  県道に合流。 (写真
(R04/03/19 14:45:52 池鯉鮒(三河))  すぐに斜め右の細い道に入ります。 (写真
(R04/03/19 14:47:56 池鯉鮒(三河))  問屋場跡。 (写真
(R04/03/19 14:51:54 池鯉鮒(三河))  左側が旅籠柳屋跡、右側が脇本陣跡です。 本日はここまでです。 (写真
(R04/03/19 15:12:14 池鯉鮒(三河))  番外編 知立宿本陣跡。 東海道から一本外れたところにあるので、レンタサイクルで訪問。 (写真
(R04/03/20 06:27:03)  おはようございます。 今日は知立宿から宮宿の先、東海通駅まで行きます。 出発したいのですが、宿のフロントの関係で、7時まで出発できません。
(R04/03/20 06:36:59)  宮宿から桑名宿は七里の渡しという海路になります。 東海道を歩く人は多々いますが(昨日も1組すれ違った)、七里の渡し区間は電車やバスで移動したり、国道1号を歩いたりする方が多いようです。 私は東海道をたどって大阪まで歩いていくのが目的ですので、宮宿からは、陸路最古の東海道である明治5年に制定された東海道のルートを通ります。
(R04/03/20 07:13:20 池鯉鮒(三河))  知立宿の旅籠だったお店です。 間もなく出発します。 (写真
(R04/03/20 07:19:17 池鯉鮒(三河))  突き当たり右折。 (写真
(R04/03/20 07:21:01 池鯉鮒(三河))  突き当たり左折。 (写真
(R04/03/20 07:31:39 池鯉鮒(三河))  ここを右折し、逢妻橋を渡ります。 (写真
(R04/03/20 07:34:02)  国道1号に合流します。 (写真
(R04/03/20 07:46:25)  江戸から85番目の一里塚跡。 歩道橋の裏ですよ!! 気付かず通り過ぎてしまいました。 (写真
(R04/03/20 07:53:53)  ここを右側に入ります。 (写真
(R04/03/20 08:00:54)  東海道は歩道橋で国道1号を渡り、向こう側に続きます。 (写真
(R04/03/20 08:05:36)  東海道旧道。 (写真
(R04/03/20 08:19:40)  歩道橋を使って直進。 (写真
(R04/03/20 08:27:20)  今川町交差点で国道1号を渡ります。 地下道の位置がちょっとわかりにくいです。 (写真
(R04/03/20 08:34:57)  国道の反対側に来ました。 (写真
(R04/03/20 08:42:40)  境橋、三河国と尾張国の国境です。 東海道も7ヶ国目、尾張国に入ります。 (写真
(R04/03/20 08:49:48)  国道1号に入り、伊勢湾岸道をくぐります。 (写真
(R04/03/20 09:16:43)  ここから左側の旧道へ。 (写真
(R04/03/20 09:21:15)  江戸から86番目の一里塚。 両塚残っていますが実態は…。 写真は北塚。 (写真
(R04/03/20 09:23:58)  南塚。 和田工業という会社に食い込むように残っているのですが…和田工業にとっては邪魔だろうな。 (写真
(R04/03/20 10:11:52)  国道1号に合流。 (写真
(R04/03/20 10:17:41)  国道1号と別れ、ここを左側へ。 (写真
(R04/03/20 10:29:23)  国道1号に合流。 (写真
(R04/03/20 10:33:41)  国道1号を渡り、県道222号に入ります。 しばらくは県道222号の旅です。 (写真
(R04/03/20 10:36:39)  ここを左側。 (写真
(R04/03/20 10:38:56)  旧街道の風景です。 (写真
(R04/03/20 10:52:27)  江戸から87番目の一里塚。 両塚ありますが復元です。 写真は南塚。 (写真
(R04/03/20 10:53:20)  復元北塚。 (写真
(R04/03/20 10:55:07)  名鉄の踏切を渡ります。 (写真
(R04/03/20 11:21:41 鳴海(尾張))  鳴海宿の東口です。 (写真
(R04/03/20 11:33:54 鳴海(尾張))  枡形。 県道も右折、左折で進みます。 (写真
(R04/03/20 11:39:12 鳴海(尾張))  鳴海宿問屋場跡。 今は名古屋市緑生涯学習センターです。 昔も今も、役所が利用しているんですね。 (写真
(R04/03/20 11:44:23 鳴海(尾張))  鳴海宿本陣跡。 名古屋が近くなってきたからか、クルマの運転が目茶苦茶になってきました。 気をつけないと…。 (写真
(R04/03/20 11:46:25 鳴海(尾張))  ここを右折。 (写真
(R04/03/20 11:55:14 鳴海(尾張))  鳴海宿西口です。 (写真
(R04/03/20 12:04:58)  ここを渡って斜め左。 県道222号を行きます。 (写真
(R04/03/20 12:07:09)  直進し、天白川を渡ります。 (写真
(R04/03/20 12:31:06)  江戸から88番目の一里塚。 東塚だけが残っています。 片側しか無いのが残念ですが立派ですね。 (写真
(R04/03/20 12:39:20)  笠覆寺。 織田側に捕われていた竹千代(徳川家康)と織田信広の人質交換が行われた場所です。 (写真
(R04/03/20 12:41:34)  その笠覆寺の前で左折。 (写真
(R04/03/20 12:48:28)  名鉄名古屋本線の踏切を渡ります。 (写真
(R04/03/20 12:51:34)  ここを右折。 いったん県道222号線から離れ、荒崎呼続町線を行きます。 (写真
(R04/03/20 13:18:05)  山崎川を渡ったところで左折。 (写真
(R04/03/20 13:20:11)  県道222号に合流。 (写真
(R04/03/20 13:26:58)  国道1号に合流。 (写真
(R04/03/20 13:33:07)  側道を行きます。 (写真
(R04/03/20 13:36:56)  東海道本線の踏切を渡ります。 JR東海区間で東海道本線と交差するのは多分最後。 (写真
(R04/03/20 13:38:04)  ここを左側に行きます。 (写真
(R04/03/20 13:43:00)  名鉄常滑線ガードをくぐります。 (写真
(R04/03/20 13:48:38)  何の案内も無いけど江戸から89番目の一里塚跡ってこれか? (写真
(R04/03/20 13:54:31)  まっすぐ活きたいのだが、中央分離帯で分断されています。 そのため、伝馬町駅を迂回します。 (写真
(R04/03/20 13:59:09)  東海道に復帰。 (写真
(R04/03/20 14:02:20)  ここを左折。 (写真
(R04/03/20 14:03:55)  国道247号を渡ります。 (写真
(R04/03/20 14:08:50 宮(尾張))  宮宿赤本陣跡。 遺こうは全く残っていません。 (写真
(R04/03/20 14:11:49 宮(尾張))  突き当たり右折。 間もなく宮の渡しです。 (写真
(R04/03/20 14:14:30 宮(尾張))  宮の渡し公園到着。 (写真
(R04/03/20 14:23:08 宮(尾張))  船着き場です。 江戸時代の東海道はここから海路でした。 ここからは明治の東海道を歩くことになります。 (写真
(R04/03/20 14:25:54)  ここを左側に行きます。 (写真
(R04/03/20 14:30:08)  大瀬子橋を渡ります。 (写真
(R04/03/20 14:31:25)  渡って左折。 (写真
(R04/03/20 14:32:47)  右の階段をおります。 (写真
(R04/03/20 14:35:22)  直進。 (写真
(R04/03/20 14:45:04)  ここを右へ。 (写真
(R04/03/20 14:50:05)  直進かと思いますが、明治時代の地図を見ると、ここを右折なんですね。 (写真
(R04/03/20 14:51:34)  左折し、国道154号に入ります。 (写真
(R04/03/20 14:53:22)  千年(ちとせ)交差点を右折。 ここからは東海通を行きます。 (写真
(R04/03/20 15:07:46)  東海通駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R04/03/20 20:20:34)  先ほど確認しましたところ、本日のルートにミスを発見いたしました。 飛ばしてしまったところは、宮の渡し〜東海通駅です。 当該部分につきましては改めて歩き直しいたします。
(R04/03/21 15:46:51 宮(尾張))  【やり直し編】再び宮の渡しからスタートします。 (写真
(R04/03/21 15:48:52)  ここを左側。 (写真
(R04/03/21 15:50:55)  大瀬子橋を渡ります。 (写真
(R04/03/21 15:52:02)  すぐに左折。 (写真
(R04/03/21 15:53:09)  右手の階段を降ります。 (写真
(R04/03/21 15:55:48)  直進。 (写真
(R04/03/21 16:03:08)  ルートミスポイント。 ここを右折してはいけません。 直進します。 (写真
(R04/03/21 16:04:47)  そして東海通まで行ってもいけない。 ここを右折。 (写真
(R04/03/21 16:06:50)  ルートミス区間終了。 直進します。 (写真
(R04/03/21 16:08:15)  国道154号に突き当たり左折。 (写真
(R04/03/21 16:10:04)  千年(ちとせ)交差点で右折。 東海通に入ります。 このまま東海通駅に向かいます。 (写真
(R04/03/21 16:20:52)  【歩き直し編終了】東海通駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R04/04/02 06:57:08)  結果的に三度目の東海通駅です。 出発準備中。 (写真
(R04/04/02 07:02:03)  それでは出発します。 今日の行程は前ヶ須まで、明治5年制定の東海道を歩きます。
(R04/04/02 07:10:12)  日の出橋まではひたすら直進。 写真はJR貨物、東海道本線名古屋港支線?の踏切。 (写真
(R04/04/02 07:16:49)  東海通の命名の元になった東海橋を渡ります。 (写真
(R04/04/02 07:32:53)  あおなみ線港北駅。 (写真
(R04/04/02 08:47:59)  日の出橋西交差点で左折。 東海通とはお別れです。 (写真
(R04/04/02 08:53:03)  ここを右折。 (写真
(R04/04/02 09:50:54)  ここを左折。 河合小橋を渡ります。 (写真
(R04/04/02 09:55:08)  続いて日光大橋を渡ります。 (写真
(R04/04/02 10:08:48)  日光橋は明治時代とかかっている位置が違うため、この辺りの東海通は一本北の道が正解です。 残っているのか、行ってみます。 (写真
(R04/04/02 10:09:54)  ここを左折。 (写真
(R04/04/02 10:11:05)  この道なんですが、通り抜け出来なそうですね。 (写真
(R04/04/02 10:15:10)  やっぱりダメでした。 (写真
(R04/04/02 10:24:30)  善太橋を渡り、弥富市に入ります。 善太橋西交差点を左折します。 (写真
(R04/04/02 10:45:40)  ここを右側へ。 (写真
(R04/04/02 10:58:36)  このあたり、0mより低いんですね。 (写真
(R04/04/02 11:14:34)  東海道五十七次徒歩の旅、4月3日(日)桑名宿から近鉄四日市駅は雨が見込まれるため、中止といたします。
(R04/04/02 11:15:16)  何のことない道ですが、明治天皇も通った道。 明治時代の東海道です。 (写真
(R04/04/02 11:21:31)  ここを左折。 (写真
(R04/04/02 11:28:22)  小学校前交差点を直進、前方の細い道に入ります。 (写真
(R04/04/02 11:37:01)  ここを左折。 (写真
(R04/04/02 11:49:35)  ここを右折。 (写真
(R04/04/02 11:56:49)  ここを左側。 (写真
(R04/04/02 12:08:01)  多分ここを左折。 (写真
(R04/04/02 12:24:31)  東海道は日の出小学校の敷地に入ってしまいます。 しっかりと「通り抜け禁止」と書いてあるので、小学校の向こう側に回ります。 (写真
(R04/04/02 12:33:09)  小学校の逆側に来ました。 再び東海道です。 (写真
(R04/04/02 12:50:21)  左側が東海道です。 (写真
(R04/04/02 12:53:39)  ここを左折。 (写真
(R04/04/02 12:56:53)  ふたつやの渡し跡。 この先の木曽川には昭和時代まで橋が無かったため、明治時代の東海道も、ここからは海路でした。 (写真
(R04/04/02 13:01:52)  ここの階段を上がり、右に行きます。 (写真
(R04/04/02 13:04:54)  国道1号です。 左折し、尾張大橋に向かいます。 (写真
(R04/04/02 13:07:28)  尾張大橋。 (写真
(R04/04/02 13:12:21)  三重県境。 多分尾張国と伊勢国の国境も同じ場所。 (写真
(R04/04/02 13:20:40)  尾張大橋西詰。 ここを右折します。 (写真
(R04/04/02 13:25:31)  左側の道を行きます。 (写真
(R04/04/02 13:30:01)  この道が東海道です。 大正9年測量の地図にははっきりと東海道と書かれています。 この道は明治の地図にも描かれていますが、東海道の文字はありません。 ここからは少なくとも大正時代からは東海道だった道を行きます。 (写真
(R04/04/02 13:35:20)  ここからしばらくは、東海道が国道の向こう側に消えてしまうので、国道1号、右方向に行きます。 (写真
(R04/04/02 13:42:56)  ここを右折。 東海道に復帰します。 (写真
(R04/04/02 13:57:59)  三栄橋渡ってすぐ右折。 大正時代と橋の位置が違うためです。 (写真
(R04/04/02 13:59:40)  すぐ左折。 東海道に復帰。 (写真
(R04/04/02 14:01:36)  ここを左折。 (写真
(R04/04/02 14:02:09)  すぐ右折。 (写真
(R04/04/02 14:06:30)  ここを左折。 (写真
(R04/04/02 14:08:27)  すぐに右折。 (写真
(R04/04/02 14:10:18)  ここを左折。 (写真
(R04/04/02 14:11:28)  すぐに右折。 大手橋を渡ります。 (写真
(R04/04/02 14:17:05)  奥を右折。 (写真
(R04/04/02 14:18:14)  何で長島はこんなに道が曲がっているんだ? (写真
(R04/04/02 14:23:57)  ここを左折。 (写真
(R04/04/02 14:27:07)  階段を上がって左へ。 (写真
(R04/04/02 14:31:59)  ここから国道1号に入ります。 昭和時代に作られた伊勢大橋で長良川、揖斐川を渡ります。 (写真
(R04/04/02 14:35:01)  長良川。 (写真
(R04/04/02 14:41:05)  伊勢大橋は橋の真ん中に交差点があります。 (写真
(R04/04/02 14:43:05)  続いて揖斐川。 (写真
(R04/04/02 14:48:24)  伊勢大橋西詰を左折。 (写真
(R04/04/02 14:51:24)  県道613号。 大正9年測量の地図では、この区間は東海道でした。 明治の地図では川の流れるルートが違い、道自体が存在しませんでした。 (写真
(R04/04/02 15:07:27)  ここを左折。 (写真
(R04/04/02 15:12:46 桑名(伊勢))  桑名宿本陣跡。 (写真
(R04/04/02 15:25:41 桑名(伊勢))  七里の渡し跡。 再び江戸時代の東海道に戻ります。 (写真
(R04/04/02 15:26:38 桑名(伊勢))  舟合所、問屋場跡。 (写真
(R04/04/02 15:38:36 桑名(伊勢))  ここを右折。 (写真
(R04/04/02 15:53:04 桑名(伊勢))  桑名宿京町見附跡。 本日はここまでです。 (写真
(R04/04/02 17:51:03)  東海道五十七次徒歩の旅、4月3日(日)に桑名宿から近鉄四日市駅までは、 中止のお知らせをしましたが、明日の降水確率が下がってきたこと、気象の専門家が大丈夫と言っていることから、復活実施とします。
(R04/04/03 05:31:46)  おはようございます。 はっきり言えるのは、tenki.jpも専門家さんも外したということです。
(R04/04/03 05:45:46 桑名(伊勢))  昨日の場所に戻りました。 遅くなると天気悪化するので、出発します。 というかもう降っているし。 (写真
(R04/04/03 05:53:00 桑名(伊勢))  吉津屋見附跡。 ここを右折。 (写真
(R04/04/03 05:54:07 桑名(伊勢))  すぐを左折。 (写真
(R04/04/03 05:55:12 桑名(伊勢))  次も左折。 典型的な枡形ですね。 (写真
(R04/04/03 05:58:53)  ここを右折。 (写真
(R04/04/03 06:16:20)  県道に合流します。 雨が強くなってきました。 (写真
(R04/04/03 06:18:19)  すぐに右折して、県道と別れます。 (写真
(R04/04/03 06:30:49)  突き当たりを左折。 (写真
(R04/04/03 06:55:03)  東海道はここを直進ですが、この先の町屋橋が昭和初期に廃止されていますので、左折し、国道の橋を渡ります。 (写真
(R04/04/03 06:56:32)  右折し、国道1号に入ります。 (写真
(R04/04/03 07:00:39)  町屋橋南詰を右折。 (写真
(R04/04/03 07:02:27)  すぐに左折。 東海道に復帰します。 (写真
(R04/04/03 07:11:54)  江戸から97里目の一里塚跡。 七里の渡し区間の一里塚は無いので、今後は「番目」ではなく「里目」と表記します。 (写真
(R04/04/03 07:18:07)  近鉄名古屋線の踏切。 (写真
(R04/04/03 07:43:56)  ここを左折。 (写真
(R04/04/03 07:49:29)  桜並木。 期待していたのですが、もう散り始めています。 (写真
(R04/04/03 07:50:43)  桜並木。 (写真
(R04/04/03 08:00:05)  ここを左側へ。 (写真
(R04/04/03 08:34:00)  ここを直進。 ちなみに今日は桑名からここまで、一軒もコンビニがありません。 ここは貴重な補給&トイレ地点です。 (写真
(R04/04/03 08:37:24)  関西本線の踏切。 上のガードは三岐鉄道です。 (写真
(R04/04/03 08:40:28)  ここを左折。 (写真
(R04/04/03 08:49:14)  江戸から98里目の一里塚跡。 手前の橋は「一里塚橋」という名前です。 (写真
(R04/04/03 08:57:31)  ここを右折。 危うく見落とすところでした。 (写真
(R04/04/03 09:12:22)  ここを左折。 (写真
(R04/04/03 09:14:38)  ここを右。 (写真
(R04/04/03 09:38:46)  かわらずの松。 路面は乾いているところもあります。 (写真
(R04/04/03 09:48:00)  ここを左折。 (写真
(R04/04/03 09:49:51)  国道1号に合流します。 (写真
(R04/04/03 10:04:27)  ここを左側へ。 (写真
(R04/04/03 10:09:32)  江戸から99里目の一里塚跡。 正確には一里塚は海蔵川拡幅で取り込まれてしまいました。 海蔵川を渡る橋もありませんので、ここを右折し、国道1号に回ります。 (写真
(R04/04/03 10:10:59)  左折し海蔵川を渡ります。 また雨が降ってきました。 (写真
(R04/04/03 10:13:57)  橋詰を左折。 (写真
(R04/04/03 10:17:28)  ここを右側。 (写真
(R04/04/03 10:18:38)  東海道に復帰。 (写真
(R04/04/03 10:43:42 四日市(伊勢))  四日市名物なが餅。 残念ながら単品は無く、食べられず。 (写真
(R04/04/03 10:45:04 四日市(伊勢))  四日市宿問屋場跡。 (写真
(R04/04/03 10:49:25 四日市(伊勢))  四日市宿黒川本陣跡。 黒川農薬商会ということは、本陣の後継者が経営しているのでしょうか? (写真
(R04/04/03 10:53:40)  ここからしばらくは東海道が消えてしまっています。 とりあえずここを右折。 (写真
(R04/04/03 10:57:13)  国道1号に出て左折。 (写真
(R04/04/03 10:59:07)  あそこが東海道の続きなんですが…国道1号を渡れないんですよね。 (写真
(R04/04/03 11:02:18)  諏訪神社前の信号まで行って国道1号を渡り、東海道に復帰。 (写真
(R04/04/03 11:05:56)  東海道が商店街です。 (写真
(R04/04/03 11:11:31)  真正面に続くのが東海道ですが、本日は右折し、近鉄四日市駅に向かいます。 (写真
(R04/04/03 11:18:04)  近鉄四日市駅到着。 本日はここまでです。 結局、雨本降りの中、近鉄四日市駅まで来ました。 (しかも着いたら小雨になるし。) (写真
(R04/05/15 06:37:34)  近鉄四日市駅です。 スタートします。 (写真
(R04/05/15 06:46:53)  ここを右折。 東海道に復帰します。 (写真
(R04/05/15 06:49:50)  ここは東海道なんです。 (写真
(R04/05/15 06:57:04)  近鉄のガードをくぐります。 名古屋からしばらく並走してきた近鉄ともしばらくお別れです。 (写真
(R04/05/15 07:11:02)  ここを右折気味に。 (写真
(R04/05/15 07:37:26)  江戸から100里目の一里塚跡。 (写真
(R04/05/15 07:38:17)  約400kmを歩いたことになります。 (写真
(R04/05/15 08:12:00)  国道1号に合流。 ちなみに国道のキロポストは399.3kmです。 (写真
(R04/05/15 08:15:22)  100メートルほどで国道1号とお別れ。 右側に入ります。 (写真
(R04/05/15 08:18:58)  四日市あすなろう鉄道の踏切を渡ります。 (写真
(R04/05/15 08:22:52)  ここを左折します。 「近鉄追分駅」って、すでに近鉄は四日市あすなろう鉄道になったんですけどね。 (写真
(R04/05/15 08:34:54)  ここを右折。 見落としたらアウトですね。 (写真
(R04/05/15 08:37:24)  ここを右折。 こちらはまあそうかなと。 (写真
(R04/05/15 09:03:40)  内部川の橋(釆女橋)が無いため、国道1号に迂回です。 (写真
(R04/05/15 09:06:30)  国道に上がります。 (写真
(R04/05/15 09:07:34)  国道の内部橋を渡ります。 (写真
(R04/05/15 09:11:21)  ここを左側へ。 東海道に復帰します。 (写真
(R04/05/15 09:17:22)  ここを右折のはずだが、道標無し。 (写真
(R04/05/15 09:20:40)  東海道とは書かれていないが、杖つき坂の方へ左折。 (写真
(R04/05/15 09:22:45)  確かに坂です。 (写真
(R04/05/15 09:25:06)  マジ坂です。 (写真
(R04/05/15 09:32:25)  江戸から101里目の一里塚跡。 公園?原っぱ? (写真
(R04/05/15 09:35:22)  国道1号に合流。 (写真
(R04/05/15 09:39:38)  国道の反対側には一里塚の碑がありますが、国道を渡るポイントが無いのが残念。 (写真
(R04/05/15 09:53:18)  側道と化しているここが旧道跡らしい。 (写真
(R04/05/15 10:04:48)  国道1号と別れ、左側に入ります。 前方の団体さんも東京から歩いてきたとのこと。 全員60以上だそうですが、ペースが速く、着いていけません。 (写真
(R04/05/15 10:17:23)  国道1号に合流。 地下道で渡り、上り車線側を歩きます。 (写真
(R04/05/15 10:23:18 石薬師(伊勢))  国道1号と別れ、右側に入ります。 このあたりから石薬師宿です。 (写真
(R04/05/15 10:32:51 石薬師(伊勢))  石薬師宿小澤本陣跡。 (写真
(R04/05/15 10:45:53 石薬師(伊勢))  国道1号をオーバークロス。 (写真
(R04/05/15 10:51:51)  ここを右側? (写真
(R04/05/15 10:54:56 石薬師(伊勢))  この先、東海道はJR関西本線に分断されているため、左折し、迂回します。 (写真
(R04/05/15 10:56:29 石薬師(伊勢))  江戸から102里目の一里塚跡。 (写真
(R04/05/15 10:57:44)  関西本線をくぐります。 (写真
(R04/05/15 10:58:49)  ここを右折。 (写真
(R04/05/15 11:01:57)  この先のゆるいカーブあたりからまた東海道です。 (写真
(R04/05/15 11:08:08)  右折し国道1号をくぐります。 (写真
(R04/05/15 11:10:06)  画面中央の白いガードの小橋を渡ります。 (写真
(R04/05/15 11:13:49)  田園の中を進みます。 前の方も東海道歩き。 どんどん抜かれます(笑)。 (写真
(R04/05/15 11:18:02)  国道1号に合流。 (写真
(R04/05/15 11:36:15)  庄野町北交差点で右折。 (写真
(R04/05/15 11:39:59 庄野(伊勢))  庄野町西交差点を左折。 庄野宿に入ります。 (写真
(R04/05/15 11:59:06 庄野(伊勢))  庄野宿問屋場跡。 石薬師宿は問屋場の表示がありませんでしたが、庄野宿はしっかりとありました。 (写真
(R04/05/15 12:02:03 庄野(伊勢))  庄野宿本陣跡。 庄野宿は東海道53次で一番最後に出来た宿場だそうです。 (写真
(R04/05/15 12:03:22 庄野(伊勢))  高札場跡。 本物の高札は庄野宿資料館にありました。 (写真
(R04/05/15 12:12:19 庄野(伊勢))  庄野宿碑。 庄野宿はここまでです。 (写真
(R04/05/15 12:16:28)  ここで国道1号を渡らねばなりません。 (写真
(R04/05/15 12:21:30)  国道を渡ったここが東海道なんですが…何と繋がっていない!! 柵乗り越えたい…。 (写真
(R04/05/15 12:26:06)  ちゃんと迂回して来ましたよ。逆側まで。 (写真
(R04/05/15 12:45:33)  江戸から103里目の一里塚跡。 (写真
(R04/05/15 12:58:10)  目の前は安楽川ですが、橋がありません。 下流の和泉橋を迂回します。 (写真
(R04/05/15 13:01:39)  こちら和泉橋。 元々の東海道和泉橋よりやや下流にかかっています。 (写真
(R04/05/15 13:09:15)  ここを右折。 東海道に向かいます。 (写真
(R04/05/15 13:12:45)  ここを左側に行くのが東海道です。 (写真
(R04/05/15 13:21:20)  ここを左側へ。 (写真
(R04/05/15 13:27:43)  県道に合流…しようかと思ったのですが、案内表示は県道を渡って直進せよと。 地図を確認します。 (写真
(R04/05/15 13:38:05)  結論。 分からん(笑)。 なのでミスルートにならないように両方歩きます。
(R04/05/15 13:42:21)  まずは県道ルート。 関西本線の踏切を渡ります。 (写真
(R04/05/15 13:46:21)  ここが不明区間の終点。 先程の位置に戻ります。 (写真
(R04/05/15 13:52:03)  戻ってきました。 不明なのはこの区間です。 (写真
(R04/05/15 13:53:18)  現地案内では県道ではなく、この道が東海道。 (写真
(R04/05/15 13:56:58)  突き当たりを右折し (写真
(R04/05/15 13:57:50)  関西本線の踏切を渡り (写真
(R04/05/15 14:00:27)  県道に合流します。 線形的にはこちらが正解のような気がします。 (写真
(R04/05/15 14:06:24)  かなり時間ロスしました。 井田川駅です。 (写真
(R04/05/15 14:12:07)  歩道橋で国道1号を渡ります。 (写真
(R04/05/15 14:15:04)  ここを左折。 (写真
(R04/05/15 14:29:15)  ここを右側へ。 (写真
(R04/05/15 14:31:21)  右側へ。 (写真
(R04/05/15 14:41:39)  江戸から104里目の一里塚跡。 塚は復元です。 (写真
(R04/05/15 14:55:11 亀山(伊勢))  このあたりから亀山宿です。 (写真
(R04/05/15 15:10:52 亀山(伊勢))  亀山城江戸口門跡。 何も残っていません。 亀山城は丹波亀山城を破却せよとの命令で、間違って壊されるという、ネタみたいな城でした。 ここを右折します。 (写真
(R04/05/15 15:21:48 亀山(伊勢))  樋口本陣跡。 東町問屋場も兼ねていたそうです。 (写真
(R04/05/15 15:23:54 亀山(伊勢))  ここを左折。 (写真
(R04/05/15 15:28:11 亀山(伊勢))  枡形。 (写真
(R04/05/15 15:33:50 亀山(伊勢))  東海道はここを直進ですが、今日はここを左折し、東海道を外れます。 (写真
(R04/05/15 15:37:28)  本当はまっすぐ行くと亀山駅なんですが、駅前工事のため、通行できません。 (写真
(R04/05/15 15:41:19)  亀山駅到着。 (写真
(R04/05/15 15:44:28)  本日はここまでです。
(R04/05/15 16:17:18)  亀山から名古屋方面は1時間に1本。 タイミング悪く亀山駅で30分以上のロスとなりました。
(R04/06/04 06:44:50)  おはようございます。 今日は亀山から出発です。 自転車、各停バスの旅、徒歩と、何度も泊まったホテルを後にします。 もう自転車なら大阪まで一日の距離ですが、徒歩ではまだまだです。
(R04/06/04 06:56:36)  亀山駅です。 工事の進行で、先月と同じアングルの写真は撮れなくなっています。 出発します。 (写真
(R04/06/04 07:06:33 亀山(伊勢))  東海道に復帰します。 (写真
(R04/06/04 07:12:14 亀山(伊勢))  西町問屋場はこのあたりでした。 案内板によると、正確な場所は分からないみたいですが。 (写真
(R04/06/04 07:14:52 亀山(伊勢))  あ、これ、ダメなやつだ。 (読みは正しくは「といやば」。) (写真
(R04/06/04 07:21:45 亀山(伊勢))  ここを右折。 (写真
(R04/06/04 07:23:22 亀山(伊勢))  ここを左折。 (写真
(R04/06/04 07:29:37 亀山(伊勢))  亀山城、京口門跡。 (写真
(R04/06/04 07:45:05)  江戸から105里目の一里塚。 遠くからもムクの木が見えていました。 昔の一里塚はこんな感じだったんでしょうね。 (写真
(R04/06/04 07:57:28)  ここを右折ですね。 ちゃんと案内板が立っています。 (写真
(R04/06/04 08:03:34)  ここを左側へ。 (写真
(R04/06/04 08:08:10)  この先、東海道は関西本線に分断されているため、左折し、跨線橋に迂回します。 (写真
(R04/06/04 08:15:16)  東海道の続きに行きます。 (写真
(R04/06/04 08:28:55)  のどかな道です。 (写真
(R04/06/04 08:38:34)  関西本線の踏切。 名古屋から絡み合ってきた関西本線とも、ここでお別れです。 (写真
(R04/06/04 08:40:50)  左折し、国道1号、25号に入ります。 (写真
(R04/06/04 08:45:36 関(伊勢))  右側、関宿に入ります。 (写真
(R04/06/04 08:59:20 関(伊勢))  江戸から106里目の一里塚跡。 標石がありますが、見つけるのは一苦労。 (写真
(R04/06/04 09:01:32 関(伊勢))  この左側の茂みの中にありました。 (写真
(R04/06/04 09:02:38 関(伊勢))  関宿の町並み。 (写真
(R04/06/04 09:10:22 関(伊勢))  ここでいったん東海道を離れ、道の駅で補給します。 (写真
(R04/06/04 09:22:19)  JR関駅。 (写真
(R04/06/04 09:29:54)  道の駅関宿。 (写真
(R04/06/04 09:33:39)  亀山名物みそ焼きうどん定食。 (写真
(R04/06/04 09:56:17)  お金払うときに「ハイ、三千万円。」と言うのも近畿に来たなと感じる。
(R04/06/04 09:58:57 関(伊勢))  東海道復帰。 (写真
(R04/06/04 10:04:46 関(伊勢))  問屋場跡。 標石があるらしいですが見つかりません。 (写真
(R04/06/04 10:06:14 関(伊勢))  川北本陣跡。 (写真
(R04/06/04 10:08:58 関(伊勢))  伊藤本陣跡。 建物の一部が残っているっぽいです。 (写真
(R04/06/04 10:12:43 関(伊勢))  関郵便局。 ポストも古いものを模しています。 (写真
(R04/06/04 10:14:39 関(伊勢))  復元高札場。 (写真
(R04/06/04 10:19:35 関(伊勢))  補給用に志ら玉と塩べっこう飴を購入。 (写真
(R04/06/04 10:25:56 関(伊勢))  ちなみにここが理論上、東海道から富士山が見える最遠地点。 建物はあるし、東は曇っているので実際は見えませんが。 (写真
(R04/06/04 10:37:58 関(伊勢))  関宿西の追分。 関宿はここまでです。 (写真
(R04/06/04 10:42:32)  ここを左折。 (写真
(R04/06/04 10:43:38)  国道1号に出て右折します。 (写真
(R04/06/04 10:52:28)  ここを左折。 (写真
(R04/06/04 10:55:28)  ここを右折。 (写真
(R04/06/04 10:57:52)  国道を渡ってまっすぐ。 (写真
(R04/06/04 11:01:54)  再び国道1号に合流。 (写真
(R04/06/04 11:22:58)  江戸から107里目の一里塚跡。 (写真
(R04/06/04 11:24:48)  ここを右折。 国道と別れます。 (写真
(R04/06/04 11:49:03)  ここを右側。 (写真
(R04/06/04 11:54:19)  直進。 (写真
(R04/06/04 12:08:28 坂下(伊勢))  松屋本陣跡。 標石だけです。 (写真
(R04/06/04 12:15:52 坂下(伊勢))  大竹屋本陣跡。 同じく標石だけです。 向かいの前田屋前に自動販売機があり、補給できました。 ただし水は売り切れ。 (写真
(R04/06/04 12:19:36 坂下(伊勢))  梅屋本陣跡。 坂下宿には松竹梅の本陣がありましたが、今は標石を残すのみです。 (写真
(R04/06/04 12:29:48)  国道1号に出ます。 (写真
(R04/06/04 12:44:09)  ここを一番右側に入ります。 (写真
(R04/06/04 12:46:11)  いよいよ峠越えです。 (写真
(R04/06/04 12:50:32)  急に坂がきつくなった。 (写真
(R04/06/04 12:53:00)  ここを右折。 ですが片山神社を見ていきます。 (写真
(R04/06/04 13:07:52)  ついに石畳の峠道に。 (写真
(R04/06/04 13:18:09)  国道が見えます。 (写真
(R04/06/04 13:26:51)  伊勢、近江国境、鈴鹿峠。 伊勢国から近江国に行きます。 (写真
(R04/06/04 13:39:54)  鈴鹿峠の近江側には公衆トイレがあります。 関宿からトイレ無しだったので助かります。
(R04/06/04 13:44:20)  ここを右折。 (写真
(R04/06/04 13:46:19)  左折し、国道1号に出ます。 (写真
(R04/06/04 14:23:35)  ここを右側。 (写真
(R04/06/04 14:37:38)  江戸から109里目の一里塚跡。 (写真
(R04/06/04 14:38:52)  一里塚自体はありませんが、一里塚公園という小さな公園になっています。 (写真
(R04/06/04 14:39:32)  国道1号と交差します。 (写真
(R04/06/04 14:41:48)  これが東海道ですね。 (写真
(R04/06/04 14:43:45)  すぐに通行出来なくなるので、国道を迂回します。 (写真
(R04/06/04 14:54:43)  猪鼻交差点を右折します。 (写真
(R04/06/04 14:59:20)  東海道に復帰。 左折します。 (写真
(R04/06/04 15:07:47)  国道1号に合流します。 (写真
(R04/06/04 15:14:31)  ここを右側に入ります。 (写真
(R04/06/04 15:29:58)  海道橋。 安永4年に出来た田村川橋の復元です。 旅人の渡り賃は3文だったようです。 (写真
(R04/06/04 15:33:11)  土山宿まであと少し。 (写真
(R04/06/04 15:35:32)  田村神社の前で左折。 田村神社の参道が東海道です。 (写真
(R04/06/04 15:36:27)  田村神社参道兼東海道。 (写真
(R04/06/04 15:42:57)  道の駅あいの土山到着。 本日はここまでです。 (写真
(R04/06/05 07:49:05)  おはようございます。 土山宿付近には宿が無い(各停バスの旅で泊まった宿は廃業)ため、昨夜はあいくるバスで水口まで行った上、水口で泊まりました。 今、あいくるバスで道の駅あいの土山に向かっています。 バスの始発の関係で、8時過ぎスタートです。
(R04/06/05 08:20:54)  準備完了。 道の駅あいの土山スタートです。 (写真
(R04/06/05 08:25:08)  土山宿の江戸口。 ここからが土山宿です。 (写真
(R04/06/05 08:28:05 土山(近江))  訂正。 先程の場所ではなく、ここが土山宿江戸口だったようです。 (写真
(R04/06/05 08:41:42 土山(近江))  江戸から110里目の一里塚跡。 沼津のように宿場を避けてずらした一里塚もありますが、ここはもろ宿場内です。 (写真
(R04/06/05 08:52:43 土山(近江))  旅籠、並びすぎだろ!! (写真
(R04/06/05 08:59:03 土山(近江))  二階屋本陣跡。 幕末は衰退し、本陣の座は大黒屋に移ったようです。 (写真
(R04/06/05 09:00:09 土山(近江))  問屋場跡。 (写真
(R04/06/05 09:02:47 土山(近江))  伝馬継立処。 休憩施設の名前で、実際は継立業務はしていないみたいです(笑)。 (写真
(R04/06/05 09:07:10 土山(近江))  この土山宿の嬉しいところは、復元問屋場があるところです。 (写真
(R04/06/05 09:12:35 土山(近江))  土山本陣跡。 今なお立派なお宅です。 (写真
(R04/06/05 09:19:54 土山(近江))  大黒屋本陣跡と問屋場跡。 大黒屋本陣は幕末に本陣に変わったところ、問屋場は二カ所あったのでしょう。 (写真
(R04/06/05 09:28:40 土山(近江))  国道1号に合流。 土山宿はここまでです。 (写真
(R04/06/05 09:31:13)  すぐに右側へ。 (写真
(R04/06/05 09:42:30)  野洲川に突き当たりました。 東海道はここを松尾の渡しで超えていたのですが、現在は渡しはありません。 国道に迂回します。 (写真
(R04/06/05 09:47:49)  迂回。 ここを右折。 (写真
(R04/06/05 09:51:20)  右折し、国道に入ります。 (写真
(R04/06/05 09:57:37)  右折。 (写真
(R04/06/05 10:02:18)  この道が東海道です。 右、野洲川方面、行ってみましょう。 (写真
(R04/06/05 10:04:25)  すぐに檻で阻まれました。 気を取り直して西へ向かいます。 (写真
(R04/06/05 10:11:11)  国道を渡って直進。 (写真
(R04/06/05 10:14:37)  直進します。 左から合流する道は、明治13年からの東海道です。 (写真
(R04/06/05 10:40:04)  江戸から111里目の一里塚跡。 (写真
(R04/06/05 11:08:52)  間の宿大野村。 旅籠枡屋って、今でもやっているのか? (写真
(R04/06/05 11:14:15)  国道1号に合流。 (写真
(R04/06/05 11:15:20)  バス停裏から右側に入ります。 (写真
(R04/06/05 11:37:40)  国道1号を渡ります。 (写真
(R04/06/05 11:41:21)  ここを右折。 (写真
(R04/06/05 11:51:20)  江戸から112里目の一里塚。 復元モノです。 かつてはもう少し東にあったそうです。 (写真
(R04/06/05 11:55:05)  まっすぐ行く道を東海道と書いているページもありますが、明治初期にはまっすぐ行く道は無く、東海道分間絵図でも一里塚の先で折れているので、ここを左折が正解。 (写真
(R04/06/05 11:56:50)  突き当たり右折。 県道に出ます。 (写真
(R04/06/05 12:01:54)  ここを右側へ。 (写真
(R04/06/05 12:09:01)  県道に合流。 (写真
(R04/06/05 12:11:53)  右側に行きます。 (写真
(R04/06/05 12:25:34)  ここを右折。 (写真
(R04/06/05 12:34:55)  国道307号を渡ります。 (写真
(R04/06/05 12:39:33 水口(近江))  水口宿東見附跡。 水口宿に入ります。 (写真
(R04/06/05 12:42:27 水口(近江))  県道を渡ります。 (写真
(R04/06/05 12:47:08 水口(近江))  水口宿脇本陣。 建物の一部が残ります。 (写真
(R04/06/05 12:48:55 水口(近江))  水口宿本陣跡。 (写真
(R04/06/05 12:53:41 水口(近江))  水口宿は町中で東海道が3筋に別れています。 今回は問屋場のある真ん中の道を行きます。 よってここは左側。 (写真
(R04/06/05 12:55:04 水口(近江))  で、ここを右側。 (写真
(R04/06/05 13:01:21 水口(近江))  問屋場跡。 (写真
(R04/06/05 13:16:01 水口(近江))  3筋が合流して近江鉄道の踏切へ。 関以来の鉄道です。 (写真
(R04/06/05 13:16:53 水口(近江))  踏切を渡ってすぐ左折。 東海道から外れます。 (写真
(R04/06/05 13:18:47)  水口石橋駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R04/09/23 06:46:17)  おはようございます。 本日は雨。 本来であれば中止にすべき天気ですが、今回から現地への往復に新幹線を使わざるを得ず、その新幹線の変更が不可能なので、やむなく実施します。 火曜日に見たときには問題無い天気予報だったのですが、急に予報が悪化。 さすがにこれには対応出来ません。
(R04/09/23 07:04:29)  水口石橋駅出発です。 (写真
(R04/09/23 07:10:11 水口(近江))  東海道に入ります。 (写真
(R04/09/23 07:33:37 水口(近江))  水口城天王口跡。 ここを右折です。 数日前の天気予報がまるで無意味の天気です。 (写真
(R04/09/23 07:35:47 水口(近江))  突き当たり左折。 (写真
(R04/09/23 07:44:29 水口(近江))  ここを左折。 気象協会の天気予報の変わり様がひどい。 昨日の16時予報、降水確率30%、曇り。 今は最大12mmの強雨予報。 まあ、直前にこっそり変えて的中率高いと称するウェザーニュー○よりマシだが。 (写真
(R04/09/23 07:45:12 水口(近江))  ここを右折。 (写真
(R04/09/23 07:52:42 水口(近江))  江戸から113里目の一里塚跡。 (写真
(R04/09/23 07:53:19 水口(近江))  一里塚前を左折します。 (写真
(R04/09/23 07:56:47 水口(近江))  ここを右折。 (写真
(R04/09/23 07:57:50 水口(近江))  水口宿西見附跡。 水口宿はここまでです。 (写真
(R04/09/23 08:35:02)  ここを左側へ。 舞込橋で泉川を渡ります。 (写真
(R04/09/23 08:39:18)  江戸から114里目の一里塚。 本物ではなくモニュメントです。 (写真
(R04/09/23 08:42:45)  東海道横田渡。 野洲川を渡ります。 当然、現代に渡は無いので、国道の橋に迂回します。 (写真
(R04/09/23 08:45:25)  ここに橋があった時代もあったのですね。 (写真
(R04/09/23 09:42:03)  横田渡の対岸の位置は特定出来ず。 とりあえずこれが東海道であることは確実です。 (写真
(R04/09/23 09:55:20)  三雲駅。 久しぶりのJR線です。 (写真
(R04/09/23 10:13:41)  踏切を渡って右折。 (写真
(R04/09/23 10:42:19)  江戸から115里目の一里塚跡。 (写真
(R04/09/23 11:23:19 石部(近江))  石部宿東見附跡。 (写真
(R04/09/23 11:24:26 石部(近江))  よく見ると道が枡形になっています。 (写真
(R04/09/23 11:37:20 石部(近江))  石部宿高札場跡。 (写真
(R04/09/23 11:37:55 石部(近江))  石部宿問屋場跡。 (写真
(R04/09/23 11:41:58 石部(近江))  石部宿三大寺本陣跡。 (写真
(R04/09/23 12:20:04 石部(近江))  30分ほど休憩しました。 歩行再開し、石部宿小島本陣跡です。 (写真
(R04/09/23 12:24:41 石部(近江))  田楽茶屋前を右折。 (写真
(R04/09/23 12:29:29 石部(近江))  突き当たりを左折。 このように、宿場の入口は、敵が攻めづらいように、曲がっているのが普通です。 (写真
(R04/09/23 12:31:30 石部(近江))  江戸から116里目の一里塚跡。 (写真
(R04/09/23 12:35:46 石部(近江))  石部宿西見附跡。 石部宿はここまでです。 雨は少し弱くなりました。 (弱くなったとはいえ、2〜3mmくらいの量で降っているけどね。) (写真
(R04/09/23 12:45:19)  ここを左折。 (写真
(R04/09/23 12:51:09)  まっすぐ行く道は、天和2年に崩壊し、以降は南側を迂回するルートが東海道になりました。 明治4年に旧道が復活しますが、「江戸末期の東海道をたどる」ことを優先しますので、左折し、南側の五軒茶屋道を行きます。 (写真
(R04/09/23 13:05:12)  右折。 国道1号をくぐります。 (写真
(R04/09/23 13:12:23)  ここを右折。 高速の下をくぐります。 (写真
(R04/09/23 13:14:49)  ガードをくぐったら右折。 (写真
(R04/09/23 13:21:55)  ここを左折。 旧道と合流です。 (写真
(R04/09/23 13:32:03)  伊勢落バス停。 一日2本だけ草津行バスが出ています。 各停バスの旅ではキーになりました。 (写真
(R04/09/23 13:48:04)  左折。 コンビニどころか自販機も無いので無補給なのが辛い。 (写真
(R04/09/23 14:04:28)  和中散本舗で水を分けてもらい何とか給水。
(R04/09/23 14:08:40)  江戸から117里目の一里塚跡。 (写真
(R04/09/23 14:39:44)  東経136度子午線通過。 (写真
(R04/09/23 15:14:39)  ここを右折。 雨がひどくなってきましたが、雨宿りするところすらない。 (写真
(R04/09/23 15:31:43)  江戸から118里目の一里塚跡。 (写真
(R04/09/23 16:10:34)  どっちか迷いますが、左側に行ってみます。 (写真
(R04/09/23 16:14:49)  正解? (写真
(R04/09/23 16:17:30)  ここを左折。 (写真
(R04/09/23 16:19:16 草津(近江))  ここから草津宿です。 いまさらですが雨は弱くなってきました。 (写真
(R04/09/23 16:30:24 草津(近江))  中山道と合流。 (写真
(R04/09/23 16:31:35 草津(近江))  中山道追分到着。 皮肉にも雨は上がりました。 本日はここまでです。 (写真
(R04/09/23 18:12:33)  今日は大雨で酷い目に遭いました。 tenki.jp、ウェザーニュース、Y!天気を併用していましたが、予報はコロコロ変わり、全く当てになりませんでした。 一貫して雨の予報を出していたウェザーニュースが当たったようには見えますが、降水量がコロコロ変わり、「雨が弱くなったタイミングで出発」に使えませんでした。
(R04/09/23 18:14:23)  そういえばちょうど1年前には箱根〜三島を歩いていたんですね。 1年経ってもゴールが出来ないほど、東海道は長いのです。
(R04/09/24 07:03:47 草津(近江))  今日は昨日とうってかわって青空です。 草津宿中山道追分を出発します。 (写真
(R04/09/24 07:07:47 草津(近江))  草津宿本陣。 建物が残っている上、規模も最大級だそうです。 (写真
(R04/09/24 07:12:40 草津(近江))  もう一軒あった本陣、田中九蔵本陣跡。 (写真
(R04/09/24 07:23:12 草津(近江))  向問屋? この向かいに問屋場があったみたいですが、説明はありません。 (写真
(R04/09/24 07:24:21 草津(近江))  あったわ。 普通気付くか? (写真
(R04/09/24 07:36:06 草津(近江))  この辺りが黒門跡。 ここまでが草津宿でした。 目の前の草津川は付け替えられたもので、本来は中山道追分のすぐ脇を流れていました。 (写真
(R04/09/24 07:51:50)  国道1号に合流。 国道の青看にも「大阪」の文字が出てきました。 朝食休憩に入ります。 (写真
(R04/09/24 08:22:06)  江戸から119里目の一里塚跡。 上北池公園内にあります。 (写真
(R04/09/24 08:23:18)  ここを突破。 (写真
(R04/09/24 09:19:50)  江戸から120里目の一里塚跡。 (写真
(R04/09/24 09:38:26)  ここを左折。 (写真
(R04/09/24 09:45:49)  ここを右折。 (写真
(R04/09/24 09:54:39)  ここを左折。 (写真
(R04/09/24 10:04:15)  ここを左側。 (写真
(R04/09/24 10:06:18)  すぐを右折。 (写真
(R04/09/24 10:17:32)  瀬田の唐橋。 (写真
(R04/09/24 10:22:05)  ビワイチってここがゴールだったんですね。 (写真
(R04/09/24 10:27:32)  京阪唐橋前駅。 関西私鉄のエリアに入りました。 (写真
(R04/09/24 10:30:00)  ここを右折。 (写真
(R04/09/24 11:16:20)  膳所城多口総門跡。 膳所城下に入ります。 (写真
(R04/09/24 11:22:24)  ここを右折。 (写真
(R04/09/24 11:29:44)  ここを左折。 (写真
(R04/09/24 11:36:18)  ここを右折。 (写真
(R04/09/24 11:48:34)  ここを左側。 (写真
(R04/09/24 11:51:59)  ここを左折。 (写真
(R04/09/24 11:53:41)  ここを左折。 (写真
(R04/09/24 12:05:13)  膳所城北総門跡。 膳所城下を出ます。 ここもちゃんと枡形になっていますね。 (写真
(R04/09/24 12:21:15 大津(近江))  京阪の石場踏切。 このあたりから大津宿です。 (写真
(R04/09/24 12:23:51 大津(近江))  ここを左側。 (写真
(R04/09/24 12:27:22 大津(近江))  ここも左側。 (写真
(R04/09/24 12:46:58 大津(近江))  日本史における東海道で起きた東の大事件が生麦事件なら、西の大事件は大津事件。 その現場ですが…説明が剥がれかけるなど残念な状況です。 (写真
(R04/09/24 12:50:10 大津(近江))  警備の警察官が切り付けるとか、もうダメ過ぎだろうと。 犯人を取り押さえた人力車夫は一躍時の人となりましたが、後に日露戦争もあり、幸せな人生を送ったわけでもないのがなんというか。 (写真
(R04/09/24 12:56:03 大津(近江))  ここを左折。 (写真
(R04/09/24 13:01:26 大津(近江))  この道路、豊橋に続き、東海道を走る路面電車なんですが、何と4両編成が走るんですね。 (写真
(R04/09/24 13:04:42 大津(近江))  大津宿本陣跡。 (写真
(R04/09/24 13:16:29 大津(近江))  春日町交差点。 本日はここで左折し、東海道を離れます。 (写真
(R04/09/24 13:25:08)  大津駅到着。 東海道本線の駅で区切るのは豊橋以来。 本日はここまでです。 (写真
(R04/11/05 07:24:44)  大津駅。 間もなく出発です。 (写真
(R04/11/05 07:34:12 大津(近江))  ここを左折。 東海道に復帰します。 (写真
(R04/11/05 07:38:24 大津(近江))  東海道本線と交差。 東京から何度も東海道本線と交差してきましたが、ここが最後の交差地点です。 このあと大阪まで東海道から東海道本線を見ることはありません。 (写真
(R04/11/05 07:43:38 大津(近江))  逢坂の登りです。 (写真
(R04/11/05 07:53:07)  ここは是非寄っておきたいところ。 旧逢坂山隧道東口。 日本人技術者が掘った最初の鉄道トンネルです。 今は北を通っている東海道本線ですが、昔は東海道沿いに走っていました。 (写真
(R04/11/05 07:54:36)  残念ながら、西口側は名神高速道路などというものに潰されました。 (というか、旧東海道本線跡地を名神高速道路が通っている。)
(R04/11/05 07:57:00 大津(近江))  このあたりまでが大津宿でした。 国道1号に合流します。 (写真
(R04/11/05 08:07:52)  もう少しで頂上。 (写真
(R04/11/05 08:09:43)  登りきったここを右側に。 (写真
(R04/11/05 08:10:36)  逢坂山関跡。 (写真
(R04/11/05 08:13:53)  旧東海道。 (写真
(R04/11/05 08:18:05)  ここで歩道橋を使ってまた国道1号に合流。 (写真
(R04/11/05 08:27:51)  江戸から123里目の一里塚跡。 (写真
(R04/11/05 08:40:18)  ここで左側へ。 国道1号と別れます。 (写真
(R04/11/05 08:43:30)  府県境を歩きます。 (写真
(R04/11/05 08:45:31)  左側京都市、右側大津市。 府県庁所在地同士の境界。 (写真
(R04/11/05 08:57:10)  伏見追分。 家康時代に指定された京都へ行く東海道と別れ、秀忠時代に追加指定された大阪に向かう東海道に入ります。 歌川広重の影響で、ほとんどの人が東海道五十三次と思っているため、追分〜大阪の情報はほとんどありません。 この先は難易度がぐっと上がります。 (写真
(R04/11/05 09:19:14)  ここを左側。 (写真
(R04/11/05 09:24:31)  地下道を使って国道1号を渡ります。 (写真
(R04/11/05 09:32:39)  また地下道で国道1号を渡ります。 (写真
(R04/11/05 09:34:46)  東海道新幹線の高架をくぐります。 東海道新幹線と交差するのもここが最後。 (写真
(R04/11/05 09:55:52)  大宅一里塚。 江戸起点の一里塚なのかは不明瞭。 (写真
(R04/11/05 09:58:01)  旧東海道本線との交点。 今は名神高速道路です。 (写真
(R04/11/05 10:07:41)  ここを右折。 (写真
(R04/11/05 10:19:05)  ここを右折。 (写真
(R04/11/05 10:28:40)  ここを左折。 (写真
(R04/11/05 10:31:20)  ここを右折。 (写真
(R04/11/05 10:42:19)  ここから旧東海道本線と並走します。 (写真
(R04/11/05 10:52:20)  このあたりは名神高速道路が出来た際に付け替えられているんだろうな。 妙にまっすぐ。 (写真
(R04/11/05 11:02:08)  名神高速道路とは別れますが、旧東海道本線はまだ先まで並走していました。 (写真
(R04/11/05 11:12:02)  ここを右側へ。 (写真
(R04/11/05 11:18:58)  県道に合流。 古い地図によると、ここで旧東海道本線を越えています。 この県道が東海道本線跡かもしれません。 (写真
(R04/11/05 11:21:52)  ここで旧東海道本線ともお別れです。
(R04/11/05 11:23:03)  ここを左折。 (写真
(R04/11/05 11:32:59)  右折。 (写真
(R04/11/05 11:33:41)  すぐ左折。 (写真
(R04/11/05 11:37:04)  JR奈良線を越えます。 (写真
(R04/11/05 11:42:17)  ここを右折。 左側はJR藤森駅です。 (写真
(R04/11/05 11:49:22)  突き当たり左折。 (写真
(R04/11/05 11:52:31)  ここを右折。 (写真
(R04/11/05 12:03:06)  ここを左折。 (写真
(R04/11/05 12:30:21 伏見(山城))  ここを右折? 追分〜大阪は情報が少なく、ルートが分からない場所も多い。 どこからが伏見宿なのかも分からない。 (写真
(R04/11/05 12:31:33 伏見(山城))  すぐを左折。だと思う。 (写真
(R04/11/05 12:43:40 伏見(山城))  ここを右折? (写真
(R04/11/05 12:46:54 伏見(山城))  ここを左折? (写真
(R04/11/05 12:50:40 伏見(山城))  ここを右折? (写真
(R04/11/05 12:52:39 伏見(山城))  ここを左折? (写真
(R04/11/05 13:09:57 伏見(山城))  ここを右折? (写真
(R04/11/05 13:12:59 伏見(山城))  ここを左折? (写真
(R04/11/05 13:25:01 伏見(山城))  寺田屋。 (写真
(R04/11/05 13:31:19 伏見(山城))  ここが問屋場跡らしい。 月桂冠本社。 案内板は無し。 しかも月桂冠公式サイトで問屋場(といやば)をとんやばと書いているダメっぷり。 (指摘したら直るかな?) (写真
(R04/11/05 13:36:13 伏見(山城))  このあたりが本陣と思われるが、案内は何も無し。 宣伝しているのは酒ばかり。 伏見宿のダメっぷりが際立ちます。 (写真
(R04/11/05 13:41:38 伏見(山城))  日本の電車発祥の地。 (写真
(R04/11/05 13:45:20 伏見(山城))  京橋を渡ります。 (写真
(R04/11/05 13:46:59 伏見(山城))  昔はこのあたりに船着き場があり、大阪方面は水運を利用していたそうです。 つまり、京都→大阪の東海道自体、利用者が少なかったのです。 (写真
(R04/11/05 13:50:58 伏見(山城))  中書島交差点を右側に。 (写真
(R04/11/05 13:52:36 伏見(山城))  ここを右折。 (写真
(R04/11/05 13:56:39)  ここを左折。 (写真
(R04/11/05 14:01:09)  京阪本線の踏切を渡ります。 (写真
(R04/11/05 14:04:29)  この土手を行きます。 (写真
(R04/11/05 14:06:52)  大阪へ向かう土手の道(笑)。 (写真
(R04/11/05 14:10:06)  はぁ? ざけんな!! どうしろと? (写真
(R04/11/05 14:16:14)  京阪本線で道、途切れているし。 橋直せよ!! (写真
(R04/11/05 14:27:27)  反対側に来ました。 マジ突破したかった。 (写真
(R04/11/05 14:30:30)  大阪に向かう土手の道。 (写真
(R04/11/05 14:53:11)  ここを右側。 京阪本線の踏切を渡ります。 (写真
(R04/11/05 15:14:38)  大津方面にウォーキングの人とすれ違いました。 歩きの人と会うのは本日初めて。 先程の橋の通行止を伝えました。
(R04/11/05 15:24:04)  改装工事中の京都競馬場。 (写真
(R04/11/05 15:34:14 淀(山城))  淀小橋旧址。 かつては東海道の左側に宇治川が流れていました。 (写真
(R04/11/05 15:36:37 淀(山城))  ここを右折します。 (写真
(R04/11/05 15:41:12 淀(山城))  唐人雁木旧址。 (写真
(R04/11/05 15:49:14 淀(山城))  淀駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R04/11/06 06:49:45 淀(山城))  おはようございます。 淀駅前です。 本日は枚方公園駅まで行きます。 間もなく出発です。 (写真
(R04/11/06 07:00:47 淀(山城))  京都競馬場。今は改装工事中のため、お馬さんは走っていません。 今朝はいませんが、淀の町、本当に警備員が多い。 外れた連中が悪さするので、競馬場のお金で警備員置いているとのこと。 淀駅が競馬場側に移転して、直結の出口出来たのはそのため? (町に出すなと。) (写真
(R04/11/06 07:10:05)  中央の分離帯の左を通って右折、ローソンの横を入るのが東海道らしい。 (写真
(R04/11/06 07:12:10)  ここを左折。 (写真
(R04/11/06 07:15:01)  ここを右折。 さっきの県道に戻る形になります。 (写真
(R04/11/06 07:20:18)  直進。 (写真
(R04/11/06 07:24:45)  右折。 (写真
(R04/11/06 07:27:06)  ここを左折というか道なりというか。 (写真
(R04/11/06 07:31:24)  直進。 (写真
(R04/11/06 07:35:38)  京阪淀車庫の横を行きます。 (写真
(R04/11/06 07:42:31)  京阪淀車庫。 ちなみに今回の大津〜大阪の歩きは京阪のパンフレットを参考にしています。 (怪しいところはあるんだけどね。) (写真
(R04/11/06 07:45:46)  左折。 (写真
(R04/11/06 07:52:18)  ちなみにこのあたりの道、明治の地図だと存在しないんですよね。 木津川の付け替えでこのあたりの地形は大きく変わってしまっています。
(R04/11/06 07:57:32)  淀川を渡ります。 江戸時代は渡らなかったんですけど。 (写真
(R04/11/06 08:02:28)  続いて木津川を渡ります。 (写真
(R04/11/06 08:09:19)  ここを左折。 江戸時代のルートから外れているところで頑張る必要があるのかどうか分かりませんが。 (写真
(R04/11/06 08:15:12)  ルートミス。 先のところ、直進ですね。
(R04/11/06 08:18:22)  多分ここを右に行く道が大阪街道なんですよ。 (写真
(R04/11/06 08:25:39)  ここは左側と判断。 (写真
(R04/11/06 08:31:59)  土手の上の道が大阪街道かもしれないな。 京阪のマップ、ところどころ怪しいから。 まあこの区間は江戸時代の東海道ではないことは確かだ。 (写真
(R04/11/06 08:44:15)  ここを左折。 このあたりからまた昔の東海道です。 (写真
(R04/11/06 09:12:11)  ここを右折。 (写真
(R04/11/06 09:17:51)  ここを左折。 ここからなんですが、京阪のマップが一番怪しい区間です。 大阪府のマップとも違うし、何より明らかに出来たばかりの新しい道を通っている。 ということでここからは、明治の地図を見て、少なくとも明治の東海道であることが確実な道を歩きます。 (写真
(R04/11/06 09:24:58)  ここをまっすぐ行きます。 (写真
(R04/11/06 09:27:53)  もし明治の東海道とは別に江戸時代の東海道があったとしても、間違いなくあのスーパーの建設で消えています。 (写真
(R04/11/06 09:36:59)  ここで左側へ。 (写真
(R04/11/06 09:39:27)  ここを右へ。 (写真
(R04/11/06 10:03:58)  昔は京阪本線を渡っていましたが、現在は渡れないので迂回です。 ここを左折。 先程、ウォーキングの人とすれ違いました。 通行止の橋について伝えました。 あちらの方も言っていましたが、京阪のマップが分かりにくいという意見は同じです。 (写真
(R04/11/06 10:07:36)  樟葉駅。 ここを右折します。 (写真
(R04/11/06 10:12:02)  県道13号大阪方面に合流。 この県道13号が東海道です。 (写真
(R04/11/06 10:33:32)  ここを左側へ。 (写真
(R04/11/06 10:36:59)  目の前を船橋川に阻まれます。 右に迂回。 (写真
(R04/11/06 10:38:18)  樟葉橋を渡ります。 (写真
(R04/11/06 10:40:21)  樟葉橋を渡ってすぐ左折。 (写真
(R04/11/06 10:54:02)  牧野駅手前を左折。 (写真
(R04/11/06 11:38:48)  牧野駅前の、この川沿いに歩きます。 (写真
(R04/11/06 11:44:03)  明治橋を渡ります。 明治橋と言いながら平成9年11月竣工と書いているんですが。 (写真
(R04/11/06 11:45:13)  明治橋を渡ったら左折。 (写真
(R04/11/06 11:48:25)  右側へ。 (写真
(R04/11/06 11:56:46)  ここも右側ですね。 (写真
(R04/11/06 11:59:34)  京阪本線の踏切を渡ります。 (写真
(R04/11/06 12:05:03)  県道13号を渡ります。 (写真
(R04/11/06 12:08:43)  県道13号に合流します。 (写真
(R04/11/06 12:33:56)  ここを左側へ。 (写真
(R04/11/06 12:44:40)  天野川に行く手を阻まれます。 右折し、迂回します。 (写真
(R04/11/06 12:45:57)  かささぎ橋交差点を左折。 (写真
(R04/11/06 12:47:14)  鵲橋を渡ります。 (写真
(R04/11/06 12:49:53)  渡ってすぐ左折。 (写真
(R04/11/06 12:52:27 枚方(河内))  東見附跡を右折。 (写真
(R04/11/06 12:54:15 枚方(河内))  枚方宿東見附跡。 おそらく堤防のかさ上げ前はここに鵲橋がつながっていて、橋を渡ったら枚方宿だったのでしょう。 (写真
(R04/11/06 13:01:45 枚方(河内))  枚方橋跡。 (写真
(R04/11/06 13:04:59 枚方(河内))  ここを右折。 (写真
(R04/11/06 13:16:57 枚方(河内))  枚方宿本陣跡。 (写真
(R04/11/06 13:24:16 枚方(河内))  枚方宿問屋場跡。 枚方宿は伏見や淀と違い、案内がしっかりしています。 (写真
(R04/11/06 13:26:56 枚方(河内))  枡形。 (写真
(R04/11/06 13:32:26 枚方(河内))  本日は枚方公園駅に向かうので、ここで東海道を離れます。 (写真
(R04/11/06 13:38:01)  枚方公園駅到着。 本日はここまでです。 (写真
(R04/12/17 00:01:08)  雨予報のため、本日の歩きは延期します。
(R04/12/17 23:12:38)  明日は天候か回復見込みなので、いよいよ最終区間、枚方〜大阪を歩きます。
(R04/12/18 07:34:42)  枚方公園駅です。 間もなく出発します。 (写真
(R04/12/18 07:43:27 枚方(河内))  東海道に復帰。 左折します。 (写真
(R04/12/18 07:53:45 枚方(河内))  鍵屋資料館。 ページで現在位置が出ていなかったので修正。 (写真
(R04/12/18 07:55:11 枚方(河内))  枚方宿西見附跡。 枚方宿はここまでです。 (写真
(R04/12/18 07:56:15)  西見附で左折。 (写真
(R04/12/18 07:58:30)  ここを右折。 (写真
(R04/12/18 08:02:03)  多分右側。 (写真
(R04/12/18 08:06:57)  やっぱり左側ですね。 正確に言うと本来は右側なんだろうけど、左側に行かないと抜けられない。
(R04/12/18 08:09:20)  ここを左折。 もはやパズル。 (写真
(R04/12/18 08:12:45)  国道170号を渡ります。 寒い。 (写真
(R04/12/18 08:19:48)  ここを左折。 何も目印は無い。 (写真
(R04/12/18 08:22:31)  信号右折。 (写真
(R04/12/18 08:25:38)  ここを左折。 正確に言うと、さっきの左折地点からここまでは、東海道が消えているため、迂回なんですね。 (写真
(R04/12/18 08:35:57)  右前の細い道へ。 (写真
(R04/12/18 08:39:35)  ここを右折。 (写真
(R04/12/18 08:40:19)  すぐ左折。 (写真
(R04/12/18 08:54:23)  左側へ。 淀川沿いを歩きますが、そもそも淀川自体のルートが変わっているので、東海道の正確なトレースは不可能です。 (写真
(R04/12/18 08:59:06)  淀川堤防に上がります。 (写真
(R04/12/18 09:00:42)  しばらく堤防歩き。 風が冷たい。 (写真
(R04/12/18 09:15:27)  風が冷たい。 (写真
(R04/12/18 09:21:05)  淀川新橋。 下をくぐります。 (写真
(R04/12/18 09:26:49)  淀川新橋をクリアしたら再び堤防へ。 (写真
(R04/12/18 09:49:25)  鳥飼仁和寺大橋をくぐります。 本来は右側なんですが、通れないので右側へ。 (写真
(R04/12/18 10:20:24)  向かい風が強い。 (写真
(R04/12/18 10:27:20)  左側へ行って鳥飼大橋をくぐります。 (写真
(R04/12/18 10:33:16)  左側へ。 淀川とお別れ。 (写真
(R04/12/18 10:39:29)  ここを右折。 (写真
(R04/12/18 10:42:19)  ここを右折。 (写真
(R04/12/18 10:50:22)  県道に合流。 (写真
(R04/12/18 10:53:20)  ここを右側へ。 (写真
(R04/12/18 10:54:11)  ここを左折。 (写真
(R04/12/18 10:58:48)  県道を渡ります。 (写真
(R04/12/18 11:01:40)  守口の一里塚跡。 (写真
(R04/12/18 11:02:07)  守口の一里塚跡。 (写真
(R04/12/18 11:03:51)  国道1号を渡ります。 (写真
(R04/12/18 11:08:07 守口(河内))  ちゃんと五十七次になっています。 (写真
(R04/12/18 11:11:16 守口(河内))  ここを右折。 (写真
(R04/12/18 11:12:13 守口(河内))  守口宿本陣跡。 駐輪場ですね。 (写真
(R04/12/18 11:14:21 守口(河内))  八島交差点。 ここを鋭角に左折。 (写真
(R04/12/18 11:23:42 守口(河内))  高札場跡? (写真
(R04/12/18 11:34:25)  ここを左折。 このあたりは区画整理されてしまったので、東海道をたどれません。 (写真
(R04/12/18 11:38:09)  アーケードを通ります。 (写真
(R04/12/18 11:41:33)  ここを右折。 (写真
(R04/12/18 11:43:47)  国道1号に出て左折。 (写真
(R04/12/18 11:48:12)  大阪市に入りました。 河内国から摂津国に入りました。 (写真
(R04/12/18 11:51:25)  左側へ。 (写真
(R04/12/18 12:08:06)  関目5丁目交差点。 (写真
(R04/12/18 12:11:06)  ここを右折。 (写真
(R04/12/18 12:15:08)  向かいの道が東海道です。 (写真
(R04/12/18 12:22:35)  都島通りに合流。 (写真
(R04/12/18 12:28:41)  ここを左側に入ります。 (写真
(R04/12/18 12:30:23)  ここを左側へ。 (写真
(R04/12/18 12:32:29)  そちら側に渡りたいんだが…迂回。 (写真
(R04/12/18 12:33:57)  この道ですね。 (写真
(R04/12/18 12:37:57)  ここを左折。 (写真
(R04/12/18 12:41:48)  ここを右側へ。 (写真
(R04/12/18 12:46:06)  商店街に入ります。 (写真
(R04/12/18 12:48:35)  ここを右側。 (写真
(R04/12/18 12:51:17)  国道1号に入ります。 (写真
(R04/12/18 12:52:30)  京橋西交差点。 すぐ左折します。 京阪京橋駅方面へ。 (写真
(R04/12/18 12:55:23)  京阪京橋駅。 東海道は京阪本線で分断されています。 お約束があるのでここでいったん休憩。 (写真
(R04/12/18 14:34:27)  休憩終わり。 京阪京橋駅、京阪モールの逆側からスタートします。 (写真
(R04/12/18 14:36:42)  多分左側。 (写真
(R04/12/18 14:43:22)  昔はこの左側に川が流れており、野田橋という橋で川を渡っていました。 ここに野田橋の碑がありますので、ここで左折します。 (写真
(R04/12/18 14:45:23)  ここを右折。 (写真
(R04/12/18 14:55:30)  正面にある寝屋川橋は江戸末期には存在しないので、ここを左折。 京橋に向かいます。 (写真
(R04/12/18 14:59:28)  京橋。 かつての東海道の終点です。 (写真
(R04/12/18 15:00:55)  ここを右折。 (写真
(R04/12/18 15:04:50)  東海道はここを直進していたはずですが、現在は道が無くなっているので、右側の県道を行きます。 (写真
(R04/12/18 15:09:21)  京阪天満橋駅。 土佐堀通りを歩いています。 (写真
(R04/12/18 15:15:20)  八軒屋船着場跡。 昔は、京都〜大阪は東海道を歩くのではなく、伏見からここまで船を利用することが多かったようです。 (写真
(R04/12/18 15:23:18)  ここを左折。 (写真
(R04/12/18 15:25:25)  ここを右折すれば高麗橋です。 (写真
(R04/12/18 15:26:48 大坂(摂津))  高麗橋到着!! 江戸末期の東海道終点です。 (写真
(R04/12/18 15:34:03 大坂(摂津))  橋自体は阪神高速の下。 このあたりは日本橋と同じ境遇。 (写真
(R04/12/18 15:52:19)  右折し、御堂筋に入ります。 (写真
(R04/12/18 15:55:07)  淀屋橋。 (写真
(R04/12/18 15:58:26)  大阪市役所。 (写真
(R04/12/18 16:00:00)  大江橋。 (写真
(R04/12/18 16:04:07)  梅新南交差点。 左側へ。 (写真
(R04/12/18 16:07:53)  梅田新道交差点到着。 (写真
(R04/12/18 16:14:44)  大阪市道路元標到着。 東京から大阪まで歩き通しました!! (写真
(R04/12/18 17:06:47)  東海道本線遅延、新幹線運休中ということで、大阪駅からすぐにターンしています。 帰り着けなくなると困るので。 本当は一泊してゆっくりとしたかったのに、昨日の雨と今日の新幹線運休ですぐの折り返しとなりました。
(R04/12/18 17:09:10)  そういえば最長片道きっぷの旅のときも、最後の行程は一日遅れた上に最終日も列車が遅延しまくり、結局、肥前山口はすぐのターンでした。 ついてないな。
(R05/06/25 12:39:37)  【番外編】 京阪追分駅南口。 今日は追分→三条大橋を歩きます。 (写真
(R05/06/25 12:44:13)  髭の茶屋追分。 今日は直進します。 (写真
(R05/06/25 12:51:38)  歩道橋で国道1号を越えます。 (写真
(R05/06/25 12:55:06)  ここを右側へ。 (写真
(R05/06/25 13:00:42)  京都市に入ります。 近江国と山城国の国境です。 (写真
(R05/06/25 13:26:02)  ここを右折。 現三条通に入ります。 (写真
(R05/06/25 13:30:46)  ここを左折。 (写真
(R05/06/25 13:33:40)  右前の道が東海道。 (写真
(R05/06/25 13:38:54)  最後の峠。 (写真
(R05/06/25 13:48:21)  最後の峠、日ノ岡峠クリア。 (写真
(R05/06/25 13:53:26)  三条通に合流。 (写真
(R05/06/25 14:02:30)  九条山。 昔は京阪京津線が三条通に沿って走っていました。 (写真
(R05/06/25 14:22:13)  蹴上交差点。 ここを左側へ。 (写真
(R05/06/25 14:48:15)  三条大橋を渡ります。 (写真
(R05/06/25 14:49:40)  三条大橋終点到着。 (写真
(R05/06/25 14:49:40)  再掲(写真

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