3月31日(亀山→大阪)
 今日は国道1号を走破し、大阪まで行く予定である。7時半からホテルの朝食。前日は、ホテルで朝食を食べると出る時間が遅くなるのでどうしようかと悩んでいたくせに、朝食時間にはやや遅れていった。連日自転車で走っていると、どうしても朝、登校拒否状態になる。靴は乾いておらず、汗と泥をまじえた悪臭を放っている。9時過ぎ出発。ただ登校拒否は続いていたようで、亀山鉄道部で写真撮影を始める。出発したのが9時43分。
 亀山から関までの道はすでに2年前、走ったことがある。ただし、当時はここが国道1号だったが、今では県道に格下げされている。布気という交差点で国道1号と合流。東名阪自動車道の亀山ICのすぐそばである。関駅手前の踏切でたまたま列車の通るのを撮影。関西線の亀山〜加茂は、片道1時間に1本しか来ないので、なかなか運がよい。名古屋からほぼ並行してきた関西線もここでお別れ。国道1号は鈴鹿を越えて滋賀県に向かう。新所西という小さなT字路で国道25号は左に別れる。ここでは国道25号は「この先大型トラック通行できません。」と書かれた看板の立つ、片側1車線の寂しい道路である。
 国道25号と別れるといよいよ鈴鹿越え。急にあたりは寂しくなる。国道1号全線中、もっとも寂しいところだろう。やがて坂がきつくなり、自転車を押して走るようになる。あたりからはいつしか民家も消える。途中で上下線が別になる。片道二車線なのだがこれだけの道を山肌に作るだけのスペースが無いのだろう。上下に分かれて一方通行2車線の道路2本になる。大阪行きの道路が上、東京行きの道路が下となり、山肌にへばりついて登って行く。本当にここが東京〜大阪のメインルートだったのか信じられなくなるような道路である。片道2車線だから箱根越よりは広い。しかし箱根を越える道はたくさんある。鈴鹿を越える道はこれしかない。なのに店はおろか、自動販売機、電柱まで無い。車も時おりトラックが通るだけである。
 遥か遠く、山の上の方に橋が見える。トラックが一台その橋を渡るのが見える。まさかあそこまで登れというんじゃないだろうなと、2日前にもあったようなことを考える。ゆうに1分以上たって、忘れた頃にトラックとすれ違う。箱根はSAN氏との勝負もあったので自力で登ったが、鈴鹿はとうに徒歩になっている。
 坂下という地名のところを過ぎる。バス停があるが人のいる気配はない。バスはここまで、ここから先は国道1号で最高の過疎地帯、バスも通らない道となる。97年までは、西日本JRバスの亀草線があった。が、97年、県境を含む亀山〜熊野神社が廃止、亀草線は名前だけになってしまった。亀山〜伊勢坂下は三重交通が引き継いでいるらしい。もっとも廃止寸前の時刻表を見ても、亀山から伊勢坂下は数本走っているが、亀山から三雲へまで行く便は亀山9時22分発、三雲10時38分着の1本だけだから状況は推し量れる。そもそもJRバスの前身、国鉄バスは、地域格差の是正の御旗の元、他の事業者がやりたがらない過疎地のバス路線を担当している。現在では民間企業となってしまい、だいぶ変わったが、JRバスしか走っていない区間というのは、それなりに疑ってかかった方が良い。ましてやJRバスでさえ放棄した区間は……。箱根などかなりの山だったが、ちゃんとJR以外の事業者が路線バスを走らせている。まあ安心だ。
 ひたすら登り、ひたすら橋を渡る。先ほどトラックが渡っていた橋も渡る。遥か下に先ほど通ってきた道が見える。登り続けてようやくトンネルが見えたときには正直ほっとした。このあと大阪まで、基本的には下りである。トンネルの中で三重県から滋賀県へ。これで関西入りしたことになる。トンネルを出てすぐ、東京行きの国道1号と合流。
 初めて走る滋賀県は「高原」というか「忍者の里」というイメージだった。背後に鈴鹿の山をかかえ風は涼しい。先ほどまでの山登りが嘘のようである。こちら側は三重県側と違い、ちらほらと建物もある。しばらく行ったところで電話ボックスを見つけ、中部道路管理事務所交通対策課へ電話を入れ、無事中部を出たこととお礼を言っておく。静岡県内の国道1号のことでは喧嘩もしたが、一応道も聞いたことだし、お互い最後は気持ちよく終わろうということである。時刻は11時51分。午前中に鈴鹿越えを終わった。電話をかけ終わるとワゴンがやってきて、電話の点検をしだした。公衆電話の点検など見たことがないので面白そうなのでしばらく眺める。公衆電話の工事に見せかけた泥棒が多いと聞くのでしばらく見ていたが、持っていく気配はないので本物のようである。
「盗聴器とか、変なもの多いですよ。こういう人里離れたところは危ないです。」
と言われた。
 しばらく行くと、道中3つ目の道の駅、「あいの里土山」である。箱根峠の道の駅は休憩所という感じのところだったが、ここはどちらかというと大駐車場という感じ。その一端に申し訳程度に建物が建っている。一応休憩。食堂でカレーを注文する。生協のカレー小くらいのサイズで700円もした。あまり美味しくない。道の駅の入口にあったノートに仙台から来た旨書く。ぺらぺらと見てみたが、自転車で来た人の書き込みは見つからなかった。
 カレー小一杯では、自転車をこぐ体力にはとても足りないので、その先にあったローソンで適当なものを買って腹を満たす。ついでにたまたま荷物の中から見つけたNTTの支払いも済ませる。自転車で現れて仙台の住所の入ったNTTの請求書を見せているのに全然驚いてくれないので、
「仙台から自転車で来たんです。」
と言ってみる。
「どれくらいかかりました?」
とかいう、ありきたりの反応しかしてくれない。つまらない。
 ローソンを出てすぐに444キロ地点。昨日400キロ地点で撮影が出来なかったので、代わりにここで撮影しておく。300キロ地点でやったように、自転車にカメラを乗せ、セルフタイマーで撮影する。
 天気はいいし、ゆるやかな下りが続くしで走りやすい。サイクリングしていて一番楽な状態である。水口町を抜けるころ、左手に亀山以来の電車の姿を見る。JRの草津線である。亀山からのバス空白地帯、鉄道空白地帯を抜け、町に戻ってきたなと感じる一瞬である。左手に見てきた野洲川を渡って甲西町へ。三雲駅前を通過する。ここからは野洲川と草津線に挟まれて走る。
 甲賀郡という、忍者でも出て来そうな地名は石部町で終わり。名神高速の下をくぐると、名古屋以来のJR東海道線沿線に戻る。栗太郡栗東町。中山道こと国道8号と合流し、寄り添ってきた草津線を越えて西側へ出る。目の前に新幹線の高架が見えると、いよいよメインルートに戻ってきたなと感じる。峠越えはほとんど車はいなかったのに今は渋滞さえしている。15時27分、草津駅前通過。京都在住「みかかの鉄人」のひらい氏に電話してみると、ちょうど京都に戻っていて時間が取れると言うので急きょ会うことにする。初めて会うので楽しみである。
 草津駅の先で国道1号は2つに別れる。片方は京都市街を避けて走る自動車専用道路京滋バイパスにつながっているので、看板をよく見て迷い込まないようにする。ここが渋滞の源のようだ。瀬田、石山と東海道線に沿って走る。221系がかっ飛ばして行くのを見ると、いよいよ関西に来たんだなと感じる。大津駅前通過が16時04分。大津市は日本で最後まで町だった県庁所在地(のはず)である。
 大津駅前を過ぎると、京阪京津線と並び、急に山景色となる。最後の山越え、逢坂山である。京津線は地下鉄と路面電車を直通させている。京都市内は地下鉄、大津市内にわずかに路面区間を残し、4両の列車がそこを走る。路面区間はここから北へ1キロほどのところであるが、長旅であるし寄り道はしないことにする。わずか2年ほど前までは、京都市内も路面だった。京都の三条通りを少し走ると、いきなり山の中に入っていって驚いたのを覚えている。思えばあのとき並行していた道は国道1号だった。今そこを自転車で走っている。実は地下鉄直通になってからの京津線の電車は見たことがないので、来ないかと思って少し待ってみたが、残念ながら来なかった。
 逢坂山は今までの山に比べれば大したことない。だが朝から鈴鹿越えをしてきた私にとっては辛かった。土山町以来快調に飛ばしていたが、ついに歩いてしまう。
 京都市山科区に入る。実は今まで、県庁所在地同士が隣接しているのは、仙台市と山形市だけだと思っていた。が、今、大津市から京都市に入った。京都は県ではないから、確かに県庁所在地同士が隣接しているのは仙台市と山形市だけなのだが、仙台市民をやってきた者としては、唯一だと思っていただけに面白くない。
 新幹線と並行すると京都市の中心、堀川五条まであと5キロとなる。ひらい氏に再び電話する。東山の短いトンネルをくぐり、碁盤の目で有名な京都市街へ一直線に下って行く。京都市内は五条通りが国道1号になっているようである。
 東山五条のコンビニで休憩しひらい氏に電話、鴨川にかかる五条大橋で待っていますとのことなので、500メートルほど移動。ひらい氏はすぐに分かった。ひらい氏は、私があまりにぼろぼろの格好だったのでびっくりしたとのこと。雨風埃排気ガス、ありとあらゆるものに打たれ、服はなんとなく黒ずんでいるし、汗と泥を混ぜたような臭いは取れていない。時刻17時30分頃。
 初めてなので話すことは特にないのだが、まず最初にセルフタイマーで記念写真を撮って、続いて一緒に「みかかの鉄人」を書いていることもあり、「みかかの鉄人」の話や、旧帝大に住まう困ったお兄さんたちの話をしたりする。途中で研究の話も出た。つい半月前が卒論〆切で、その前までは泊まり込みが続き、半狂乱寸前になっていたことを思い出す。五条大橋の上でそのまま長々と話していたが、大阪では後藤氏が出迎えてくれる予定であること。あまり遅くなってもよくないので、後藤氏からの現在位置確認の電話があったのを期に別れる。
 堀川五条通過が18時10分。京都の中心部は通りがきれいに東西南北に走っており、地名は通りの名前のX軸とY軸を並べて言う。ここまでは国道1号は五条通りで、東山五条、河原町五条、烏丸五条、堀川五条と走ってきた。ここからは堀川通りが国道1号である。その他の国道も同くちゃんと東西南北の通りを走っており、はるか遠く、下関との間を結ぶ山陰道こと国道9号は堀川五条から西の五条通り、奈良とを結ぶ国道24号は烏丸五条−烏丸七条−七条河原町、以下河原町通りというルートである。
 堀川通りの途中に500キロポストがある。キロポスト撮影は今回が最後になるはずだ。600キロという地点は国道1号にはない。雨の日本橋からの長かった国道1号の旅も、あと3時間ほどで終わりである。
 京都駅のすぐ西側で東海道線をくぐり、油小路通りに入る。九条油小路で行き止まりになり、九条通りを西へ。九条大宮の次の信号が九条国道口。国道1号の京都、大阪間、京阪国道の入口であるが、規則通りの名前を付けてある。次の信号はしっかり国道十条である。ここから久御山町内まで、国道1号は真南へひたすら一直線である。おそらく国道1号の最長直線区間だろう。21時に大阪で後藤氏がお出迎えのはずである。国道1号が東海道と言われるのは京都まで。京都〜大阪は京阪国道である。日の暮れたその京阪国道をかっ飛ばす。
 木津川を渡っている途中、後藤氏から電話、走りながら待ち合わせ場所を国道1号の終点、梅田新道に決める。八幡市の先が洞ヶ峠。高校の頃、国語の小笠原先生(仮名)が、「洞ヶ峠を決め込む」なんて言葉を教えてくれた記憶があるが、その洞ヶ峠である。意味は忘れた。21時到着に向けてひた走る私にとって、洞ヶ峠など無きに等しかった。
 枚方市中振交差点20時06分。国道1号はあと18.9キロ。21時到着は本当にぎりぎりである。とそのとき、後藤氏から電話が入った。1時間ほど遅れるとのこと。このままでは早く着きすぎるので、ローソンに入って休息を取る。
 国道1号最後のバイパス、寝屋川バイパスをひた走る。車道と離れ、頭上に近畿自動車道の高架が見えると大日である。大阪市営地下鉄谷町線の起点である。京都から突っ走ったせいで22時到着には時間がまだ少し早い。地下鉄大日駅の地下道を使って大日交差点を渡る。国道1号の旅の最後に、自転車を引いてとぼとぼと地下鉄の通路を歩くとは思わなかった。地上に出たところで堺の家に無事大阪入りしている旨電話を入れる。ラッキーなことに残度数のあるテレホンカードを拾った。別に電話が出来るのがラッキーなのではない。後藤氏の出迎えが1時間遅くなったことによる時間つぶしのネタが出来たからである。時刻20時44分。
 ほんの1キロ行ったところでお望みの休息場所を見つけた。「もりぐちけいさつ」である。テレホンカードを拾得し、届けに来たというのを理由に、ストーブの効いた警察署の中で、椅子に座ってゆっくり休む。25日付けでつくばへ転居しているので、自分の住所がすらすら言えなかったが、怪しまれることなく済んだ。静岡の祖母がものすごく心配しているらしいので、無事走っている旨電話しておく。
 21時を過ぎたころ、警察署を出発。国道1号はもう残り10キロを切っている。谷町線の上を関目まですすみ、関目から南へ。京阪電鉄のガード下をくぐり、蒲生4丁目から今度は地下鉄長堀鶴見緑地線の上を走る。梅田新道までの残り距離が刻々と減って行く。それにしても大阪はすごい。国道1号は3車線、ところが一番外側の車線は違法駐車で駐車場状態。ここまではよその都市でもあるとして、2車線目がタクシーの待合所状態。通れるのは1車線だけ。自転車が道路のほぼど真ん中を走っているのに全然違和感がない。違法駐車の列に、「ああ大阪だな。」と感じるとは情けない話である。
 大阪環状線京橋ガード手前で後藤氏より電話があり、梅田に到着したとのこと。再び加速。京橋駅から先は、すでに2年前走ったことのある区間である。桜宮橋で旧淀川を渡り、JR東西線の上を走る。南森町であと1キロとなる。梅新東交差点を渡ったところで後藤氏にもう一度電話。電話中に後藤氏は私の姿を確認したらしい。歩道橋の上から後藤氏が降りてくる。自転車を降りて後藤氏と一緒に歩いて梅田新道の大阪市道路元標の前に到着、21時41分。95時間03分の道のりであった。
 とりあえずせっかく出迎えてくださったので、何もせずハイさようならというわけにはいかない。ちょうど最近出来た観覧車のチケットを後藤氏が持っていたので乗ることにする。大阪梅田のど真ん中に何故か出来た観覧車。大阪駅が見おろせる絶好の場所だが、高所恐怖症の私は怖い。
 そのあと自転車置き場を探して梅田をうろうろするが見つからない。駐車場はアホほどあるのだが、自転車置き場は全くない。うろうろすると客引きが寄ってくる。本当に困った町である。客引きはおばちゃんなのだが、後藤氏によれば背後にはやのつくおじさんがおり、手を出すと危ないとのこと。無視する。結局自転車置き場は見つからず、後藤氏と別れ、京橋へ戻る。京橋には自転車置き場があることは確認されている。
 …なんと営業は終了していた。駅前の交番に聞くと、阿波座まで行かないと自転車置き場はないとのこと。阿波座なんぞ行ってたら終電に乗り遅れる。仙台なら市中心部の自転車置き場は24時間営業だし、横浜は係員こそ22時でいなくなるが係員がいないときは無料で自転車置き場は開いている。他の政令指定都市に比べて大阪はなんと遅れていることだろうか?それほど不便な上に駐輪料金は一日150円(だったと思う)も取る、まさにぼったくりである。仙台なら50円、屋根のないところは40円だ。穴ぼこ(地下鉄)ばかり掘っているから金が無くなるのだろう。
 そんなわけで、結局堺まで自転車で帰ることとなった。深夜かつ道路交通法まるで無視モードで走ったため、所要時間は50分程度。下手に大阪市低速地下鉄に乗るより早い。一度だけパトカーとすれ違ったのだが、その時だけはたまたま赤信号を守っていたという強運走行であった。

<写真>
   亀山鉄道部1
   亀山鉄道部2
   関付近にて関西線を撮影
   新所西交差点
   新所西交差点から国道25号を眺める
   鈴鹿越えの道
   遠くにこの先わたるべき橋が見える
   東京日本橋から444キロ地点にて
   京阪電車と並んで逢坂山越え
   五条大橋にて、ひらい氏とAsaPi!
   東京日本橋から500キロ地点にて
   大阪梅田新道にて、後藤氏とAsaPi!
   大阪市道路元標とAsaPi!
   観覧車より梅田の夜景