3月30日(豊橋→亀山)
今日はWさんは出勤なので、一緒に家を出る。昨日は車で迎えに来てくださったので、車で出勤かと思いきや、自転車。車にマウンテンバイクが積んであったのでそれで行く…のではなく、別に通勤用に自転車があるのである。バイクも持っているらしく、一人暮らしに乗り物が4台。Wさんは「のりものいっぱい」とおどけている。
私はバスで大曽根駅へ向かい、中央線・東海道線を使って豊橋へ戻ることになる。バスは渋滞に阻まれ、Wさんの自転車に抜かれた。
大曽根駅へついても、まだ自転車に乗る気になれない。昨日の浜松以来、蛇行で走っている気がする。大曽根でも電車になかなか乗れず、知人に電話したりして時間を潰していた。ちょうどいいところで103系が来たのでふんぎりが付き、乗る。103系は国鉄の標準的な通勤電車で、仙台・首都圏・名古屋・京阪神・岡山・広島・福岡など、大都市で見られるお馴染みの形だが、首都圏では置き換えが進んでいる。そしてこの名古屋の103系は古い車両が多く、この春、他の都市より一足先に消えることが噂されている。他の都市では、一色に塗られることが多い103系だが、名古屋では白地にオレンジと緑の帯、JR東海お得意のカラーである。
金山で東海道線の快速に乗り換え。車内で大阪までの残り距離を計算していると、二日かければ一日100キロちょっとのペースで行けることが分かった。中間点は関町。豊橋で鎌倉の祖父に電話をかけ、安い宿を教えてもらう。
自転車置き場を出たのが10時半頃。しかし気合いが入るのにはまだ時間がかかった。出るなり全国唯一の「駅前」駅の撮影をする。国道1号へ戻れば今度は国道1号唯一の路面電車を国道1号の標識を入れて撮影しようとする。走り出したかと思うとすぐにマクドナルドへ入ってお食事を開始。結局まともに豊橋から走り出したのは11時半過ぎであった。
30分ほど走り、豊川放水路を越えた下り坂で300キロポスト発見。自転車にカメラを据え付け、セルフタイマーで撮影するとうまく自分を入れて撮れることが分かった。思えば200キロポストの時にはSAN氏だけでなく、高校生二人もいっしょだった。今は一人、正直寂しい。
昨日の静岡県とうって変わって走りやすい道路が続く。東海道線から10キロほど北東に離れて走るので知らない地名が多く楽しい。難読駅国府(こう)からほぼ名鉄に併走する。昨日国府宮まで運んでくれたパノラマDXが走って行く。東名高速と掛川市以来の再会を果たすと音羽蒲郡IC。地名としては音羽町だが、南西に隣接する蒲郡市の方が有名なのでこのような名前になったのだろう。岐阜羽島的な命名である。その先でミニストップを見つけ、早いが昼食にする。時刻は13時半であり別に早くもないが、先ほどマクドナルドで朝食を取ったばかりなので気分的には早い。
岡崎市は国道1号と名鉄が中心部を通る。東海道線は幸田から大きく北へ進路を変え、岡崎駅と西岡崎駅を作っているが、中心部からは外れている。新幹線は市の南端をかすめるだけである。さすがに愛知県屈指の都市の中心部だけあって信号が多く、少々難儀する。市街地を抜けると再び名鉄と併走し、安城市に入る。安城市は東海道線の方が中心部を通っており、名鉄の新安城、新幹線の三河安城は中心部からずれている。ちなみに安城にあったお城は記憶が正しければ安洋城と言ったはずで、なぜ安城という地名になったのかは不明。その先で知立(ちりゅう)市に入る。新幹線は市内を横切っているが東海道線は通っていない。そのため私のようなJRユーザーは読めない。
心なしかトヨタの店が多くなってくる。刈谷市や豊明市といったあたりはトヨタ社員の町と化しているらしい。豊田市に至っては市の名前からしてトヨタである。トヨタは地名ではなくもともと創始者の名前だが、それを市の名前にしてしまうなどやりすぎにもほどがある。かくいう私はトヨタが大嫌いなので、このあたりを走っていると気分が悪い。
前後を過ぎる。鎌倉の祖母の兄弟が住んでいるはずだが、ご挨拶に行こうにも場所を知らないので行けない。まあ行けば長くなるだろうし、そうすると本当に大阪へ着けそうになくなるので、前後とはこういう町かと見ておくだけにする。もっともちょっとトヨタが多いだけの普通の町ではあったが。
前後の先で「桶狭間古戦場跡」の標識を見つけた。有名な織田信長が今川義元を破った場所である。どうやら国道から100メートルほど入った場所らしいので、観光には興味のない私も、話のついでに見ておくことにする。「織田信長」の漫画の巻末にあった写真のとおりの風景であったが、ちょうど桜が満開でお花見の場所にも良さそうである。わが生まれ故郷、静岡の大名が散った場所、そして天下統一を目指して戦った信長が初めてその名を知らしめた場所、現在では国道から少し入った、ただの静かな公園のような場所である。時刻は16時10分であった。
桶狭間を過ぎるとすぐに名古屋市になる。長らく併走した名鉄ともお別れ。頭上には名古屋高速の高架が現れ、にわかに都会の景色になる。阪神大震災があっただけに、「あれが倒れてくると俺たちが潰れるんだろうな。」と思いながら見上げる。東海道線の笠寺の駅の近くを通り、地下鉄堀田の駅のあたりで国道1号は右折。頭上から名古屋高速が消えすっきりする。国道1号は高架で東海道線を乗り越すが、自転車は通れないらしいので、一本南の踏切へ行く。湘南色の113系が過ぎ去っていった。ここからしばらく東海道と東海道線は別れるので、湘南色113系も見納めである。
熱田神宮のすぐ南を通過。国道1号は名古屋の中心部は通らず西へ向かうので、ここが一番中心部に近い場所である。時刻は17時半。あと関まで64キロ。夜になってしまうが昨日に比べれば心理的に余裕がある。
この調子だと無事関まで走れそうなので、手近な公衆電話で、祖父に教えてもらった宿に電話する。すると、
「あのう、うち今、宿やっていないんです。」
再び祖父に連絡し、代わりの宿を教えてもらう。関の手前、亀山市にある亀山第一ホテル。亀山駅のすぐそばである。こちらは問題なく取れた。何で来られますか?という質問に自転車と答え、今どこですか?という質問に名古屋と答えたのに、何ら驚かないのがやる気が失せる。こういう輩はいっぱいいるのだろうか?いつ頃着きますか?と言われたので、あと5時間くらいと伝えておいた。雨が降りだした。
18時半頃、蟹江町のコンビニで休憩。雨はさらに激しくなってきた。リュックを背負った上からウィンドウブレーカーを着込み、ライトを取り付け、完全に夜&雨装備に変える。
雨はだんだん激しくなってくる。弥富町を抜け、尾張大橋で木曽川を渡る。いよいよ三重県。行政上はここから近畿地方だが、三重県は愛知・岐阜と結びつきが強く、近畿に入った気はしない。長島という典型的な輪中の町を抜けると長良川である。濃尾平野を構成する主要な川は木曽川・長良川・揖斐川の3つであるのは中学校の地理でも習う。しかしここまで下流に来ると、長良川と揖斐川は合流してしまい、1本の川になってしまっている。国道1号はこの川を伊勢大橋で渡るのだが、何故か途中に中堤入口というT字路があり、信号まである。T字路の先は上流の岐阜県海津町に続いており、長良川のうち、この信号から先の部分が揖斐川の成れの果てである。
桑名市に入り、再び市街地の中を走る。鉄道で言えば、東海道線ではなく関西線に沿っている。マクドナルドを見つけ休憩。ウィンドウブレーカーは水をしたたらせ、すでに雨具の役割を果たしていない。リュックもびしょびしょである。食事の間、ウィンドウブレーカーを広げ、リュックも開けておくが、焼け石に水状態だ。正直いってここでずっと休んでいきたいが、あきらめ出発する。雨が激しい上寒い。
川越町に入り、富田駅の先で関西線を越す。昼間で晴れていれば、陸橋から関西線を眺めたりするのだろうが、何せ今は一刻も早くゴールしたい。元々本数の少ない関西線の列車を待っているほど暇ではない。雨が激しいのと信号が多いのとで、自転車の歩みはのろい。四日市市中心部を抜ける。東京日本橋からの距離を示すキロポストはまもなく400になろうとしている。200キロ、300キロと来るに従い、状況は悪くなっている気がする。果たして400キロはどういう構図になるのか。
が、ちょうど400キロという地点で、なんと左から国道25号が現れた。25号と合流する方向、つまり右に曲がるのが1号のルートである。25号線はここから関までが1号との共用区間、関から徳川家康が本能寺の変のあと越えたことで有名な加太越をし、柘植、伊賀上野と関西線に沿って進んだあと、大きく南下し、直接奈良県に入る。最後は大阪の駐車違反で有名な御堂筋となり、国道1号と同じく梅田新道を終点とする。2年前、亀山から梅田新道まで走ったが、道幅4m程ではないかと思われる場所があったり、野犬が出たりするとんでもない道である。今回、ここから亀山の区間は走るので、あと塩浜からここまでの3km走れば全線走破である。往復で20分ほど。豪雨で弱り切っている私にはその気力は残っていない。右にハンドルを切る。
25号との合流点で遠くにスーパーの明かりが見えていた。ここでトイレへ行っておくのが正解だったのだろう。が、どうせ国道沿いにあるだろうとたかをくくって行かなかったのが災いした。合流後、国道1号は今までの様相をがらっと変え、郊外を走るバイパスの様相を見せて来た。遠くに明かりは見えるが道は暗く、道はやたらと太く信号は少ない。25号と合流後、ようやくキロポストを見つけると、やはり日本橋から400キロ地点をこえていた。400キロ地点は交差点とぴったり一致してしまったため無いのか、または交差点のどこか目立たないところにあったのか、捜しに戻る気力はすでにない。
トイレは行きたいし、体温は下がってくる。自転車は油が切れてきたのか、嫌な音を出し続ける。先ほどの交差点まで戻ってスーパーに行くべきか、しかし戻る気力は無く、ただただ先へいくのみである。幸い歩道は広く、信号は少ないため、スピードは出る。
ようやく見つけた店は、国道沿いの小さなラーメン屋だった。なんとか飛び込み、事情を言ってトイレを借りる。夜、前身ずぶぬれの男が突然飛び込んできて、驚いたであろう。しかしそんなこと考える余裕はない。一応トイレを借りたお礼に焼飯を1杯注文する。こういうときだからか、ものすごくうまい。みるみる体温が回復する。つい餃子も注文する。これもうまい。
再び豪雨の国道1号へ出る。ラーメン屋を出てすぐがパーキングエリアのようになっており、コンビニもある。コンビニならトイレを借りても長居することは無かったのであろうが、この際つべこべ言っていられない。コンビニで地図を見る。亀山までの道を見るが、町のないところをぶち抜いたような道が、延々3ページ以上に渡って続く。うんざりする。
もうあとはひたすらぐしゃぐしゃである。雨なのか涙なのか鼻水なのか分からない液体が顔を伝い、靴は足を入れているのか水を入れているのか分からない状態。ウィンドウブレーカー、セーターを通してシャツまで濡れている。バケツをひっくり返したような雨だとか、頭の上から足の先までびしょびしょだとか、もう何とでも形容しやがれという感じ。雨で視界は狭い上に街灯はほとんどなく、ブレーキもすべってほとんど効かない。これでも走行そのものはほとんど苦にならなかったのは、ひとえに三重県の道路の作り方が良かったからだろう。歩道が自転車通行可だったので歩道を走っていたのだが、歩道は広く、手入れが行き届いており、割れ目や段差は全くない。暗闇でも安心して運転できる。路側帯だって広い。交通量もそんなに多くない。晴れた昼間ならかなりかっ飛ばせる。これが静岡県みたいな腐った道だったり、あちこちにあるような、割れ目と段差だらけの歩道だったら、くたばっていたか水たまりにダイビングしていたか田圃に飛び込んでいたかどれかだろう。遠くを2両編成の電車が走っていくような気がする。現実なのか幻なのかその判断さえつかない。
ようやく亀山市に入り、井田川駅前を通過する。あと一駅である。河合町という交差点から国道1号は亀山バイパスに入る。今回泊まる宿は旧道沿いなので旧道に入らなければならない。バイパスは右に別れていくのだが、あまり考えずに歩道を走っていくと、そのバイパスのさらに右へ出て、バイパスが高架になったところで下をくぐって旧道沿いに出るという、パズルのようなコースで河合町交差点をクリアしてしまった。旧道に入ったところのガソリンスタンドでトイレを借りる。
かつて、確かに国道1号だった旧道は、いつの間にか県道28号になっていた。関西線と完全に並行しているが走ってくる列車はない。しばらく走ると見覚えのある亀山駅へ着いた。亀山第一ホテルはすぐ見つかった。時刻は11時10分過ぎ。電話を入れておいたので問題なくチェックインできる。どろどろの自転車は、「盗まれると困る」というホテルの人のはからいで玄関の中に入れられる。豪雨の中悪戦苦闘しているうちに、母親から携帯に電話があったようだ。雨音でそれどころではなく気付かなかったが、心配そうな声が留守電に入っている。電話をかける。
部屋に入ってどれだけほっとしたことか。干せるものはありったけ部屋の中に干し、熱いシャワーを浴びる。散々に濡れてきたのだが、温かいと良い。
巣田氏より電話が入るが、電波の届きが悪いのか、よく切れる。
<写真>
全国唯一の「駅前」駅
国道1号を走る路面電車
東京日本橋から300キロ地点にて
桶狭間古戦場跡にて
桶狭間古戦場跡と「あさお2号」