3月29日(静岡→豊橋)
本日は朝一番の電車でSAN氏がやってきて出発の予定だった。よって出発は6時頃のはずだった。祖母にもそう言っておいた。が祖母に起こされた時刻は6時過ぎ。SAN氏からの連絡はない。不思議に思って電話すると…見事に寝坊していた。この二人、予定通りに出発したためしがない。普段の大学の出席状況が推し量れる。
SAN氏は2番の列車で到着。私は国道1号沿いまで出てSAN氏と落ち合った。祖母が見送りに国道まで出てきてくれた。SAN氏が朝食を取っておらず、それに合わせて私も朝食を取っていなかったので、南安倍の交差点で左折、吉野家に入り朝定食を食べる。結局出発したのは7時29分となった。
安倍川を渡ったあたりで早くもSAN氏不調。柏あたりから散々痛いと言っていた膝がもう限界に来ていたらしい。箱根は好調だったので安心していたのだが。丸子ICではすでにSAN氏との間がかなり開いてしまい、私が5分ほど待つというひどい状態になっていた。丸子ICからしばらく行くと道の駅宇津ノ谷峠という、地図に載っていない休息ポイントを発見。それも当然、今日から開業なのである。開業時刻は午後1時30分、ということで残念ながら今はガードマンががっちり守っており利用できない。
新宇津ノ谷トンネルを抜けたところで、なんと国道1号は「自転車通行禁止」。思えば地獄の一日の始まりであった。歩道に沿って下に降り、訳の分からない細い道を走るが国道1号はそのまま岡部トンネルの中に消えてしまう。昨日の富士由比バイパスといい今日の岡部バイパスといい、自転車は馬鹿にされたものだ。すでにまた遅れているSAN氏を待ち、どこへ続くか分からない道を「すべての道はローマに通ず」などと強がりを言いながらのろのろと走る。わざわざ建設省に問い合わせてまで「国道1号は全線走れます」と言った私の顔は丸潰れである。しかも我々を馬鹿にするがごとく「岡部バイパス4車線化」なんて広告が出ていたりする。「車線なんていらないから自転車歩行者通せボケ。」といった感じである。
途中で県道81号と合流。現在位置を把握でき、このまま行けば国道1号と合流できることが分かった。内谷新田交差点で国道1号と合流。ここからは自転車も国道1号を走れるようだ。8時半頃、藤枝市内のサークルKへ到着。コンビニの前で休憩をしていると、高校生らしき2人連れがやってきた。どう見ても自転車遠乗り組なので話しかける。なんでも厚木から来たらしく、箱根、静岡と宿泊して浜名湖まで行くらしい。こちらは仙台から来たこと、横浜から静岡を一日で走ったことなどを話す。「僕らの倍ですね。」と言われてちょっといい気分である。
コンビニを出てしばらく走ると200キロポストがあった。時刻はほぼ9時。東京日本橋から200キロ、いや、静岡県内では国道からはがされたことも多かったので、もう200キロ以上走っていることは間違いない。私がキロポストの横に立ちSAN氏に撮影してもらっていると、先ほどの高校生2人連れが現れたので、結局柵の上にカメラを置いてセルフタイマーで4人で撮影した。ちなみに100地点は箱根の山中だったはずで、道が狭いためか、はたまた箱根新道側にあるのか、100キロポストは無かった。
お互い一緒に写真を撮ったからか、意気投合して4人で走って行くことになる。SAN氏は足が痛いということだったが、4人でわいわいやりながら走ってペースが落ちたためか、また高校生の前で頑張っているからか、難なくついてきており、六合駅の前で
「ここを逃したら当分東海道線の駅の近く通らないぞ。」
と言った時も、
「大丈夫。」
と返事していた。
島田市内の大津通りで国道1号は右折。1キロほど走るとまたまた悪の「自転車通行不可」の標識。地図を見るとこの先大井川が行く手を阻んでいるため、大津通りまでまるまる1キロ引き替えさねばならないことが分かった。4人でしばし呆然。ナビをする形になっていた私の面目はまるで無し。やる気はかなり削ぎ落とされた。SAN氏と、
「昨日みたいに無視して走るか?」
と言うが、真っ昼間、それも車がひっきりなしに走る中を堂々と走る勇気などない。しばらく凍っていたが、若さか、高校生2人が引き返し始める。その後を仕方なしについていく大学生2人。全く建設省の連中は、自転車で100キロ200キロ走ろうと言うとき、1キロ戻るのがどれだけ消耗になるのか分かっているのだろうか。
大津通り交差点から県道381号線、通称島田金谷線に入る。大井川橋を渡り終え、大井川鉄道とクロスした後、急に上り坂になった。
「青葉山登りで鍛えた脚力を見せてやろう。」
とばかりに大学生二人は力むが、早速私が遅れだした。膝が痛いと言っていたSAN氏もやや遅れている。一方、高校生は元気に登っている。足を引っ張っても悪いので、ここでさよならすることになった。高校生はみるみるうちに、上方へ消えていった。
この峠、今まで存在も知らなかった。東海道の静岡県内にこんなすごい坂があるとも知らなかった。東海道本線は金谷の先でトンネルに入るし、新幹線はさらに南をトンネルでぶち抜いている。東名高速はさらに南を走っているし、恨みの国道1号は、バイパスでずっと北を迂回している。自転車でも無い限り、こんなところ走らないのである。国道ではなく、県道の中でも主要地方道に指定されていない一般県道なので手入れが行き届いておらず道路状態は最悪。産まれた県を悪く言いたくないが最悪の道路行政と言わざるを得ない。何故人と自転車という、峠越えが大変なものだけがボロい道で峠越えしているの?航空シミュレータを持っていたら東名高速と国道1号金谷バイパスを爆撃してやると心に決めた。
私は先ほどからイライラしているのだが、SAN氏はこの自然に帰しそうなボロい道路を堪能しており、眼下に茶畑が広がる風景に感動している。東海道育ちの私としては、茶畑など当たり前の風景だが、東北育ちの人間にとっては珍しいらしい。またSAN氏は白いタンポポも見つけた。写真に撮っておけば良かったが私はそんな余裕もない。遥か下に見える大井川橋にげんなりし、子供の頃「お化け屋敷」と呼んでいた廃屋によく似た建物を見ては消沈していた。遥か上からトラックが転がるように降りてくる。SAN氏と、
「まさかあんなところまで登れってんじゃないだろうな?」
と顔を見合わせる。40秒ほどして、真横をそのトラックが走り抜け、ますます消沈。そもそもトラックが走っているのが許せないと、もう八つ当たり気味になる。
ようやく坂を上りきり、やや下りに入ったところで、恨みの国道1号金谷バイパスが左に併走する。そして目の前に茶屋が。トイレにも行きたいのでここで休むことにする。抹茶アイス、醤油せんべいなど、適当なものを買い食べる。そしてこの自転車旅行の企画者としての威信を取り戻すため、付近にあった公衆電話で電話帳を引き、浜松の国道管理事務所に電話した。SAN氏が「まあまあまあ」となだめている。浜松の連中に恨みはないし、嘘を流したのは名古屋のオフィスでのうのうとしているであろう中部の元締めなので、ここはやんわりと「苦情があるので、中部のとりまとめの方の電話番号教えてください。」と言う。そうこうしているうちに何故か先ほどの高校生二人がたどり着いた。先に行ったはずなのにと不思議に思っていたが、なんでも諏訪原城址を見物していたらしい。醤油煎餅をすすめ、再び先を譲る。
茶屋のすぐ先でバイパスに合流。中山峠をトンネルで抜け、掛川市に向けて下る。途中道路工事をしている関係上、自動車もノロノロ走っており、さっきの憂さ晴らしをするがごとく突っ走る。ただしこの工事も「日坂バイパス」という悪の工事であり、完成後はこの道路が手抜き整備になることは間違いない。このあたりで本日泊めていただくことになる名古屋のW氏から携帯電話に電話があった。走行は不調であり、岡崎打ち切りもあり得ることを告げる。
掛川バイパス入口の千羽ICに到着。ここからは有料道路で掛川市街を抜けるつもりであった。事前にハイウェイガイドに電話して、通行料が30円であることを確認している…が、こちらも入口に「自転車通行不可」の標識。どうやら建設省だけでなく道路公団まで自転車を馬鹿にしていたようだ。昨日からの度重なるルート変更に、不思議と腹立たなくなってきた。(ただし料金案内を行う部署が、30円というさも本当らしい情報を付けて「通行可」と言ってきたのは問題と考え、帰宅後文書にてハイウェイガイドに抗議し、謝罪を受けている。)
幸い掛川市内はそんなに混んでおらず、ほぼ平らだったので、掛川バイパスを通れなかったロスは最小限で済んだ。13時少し前、沢田ICに到着し、付近のコンビニで休憩を取る。ついでに誤情報を流してくれた建設省の中部道路管理事務所交通対策課へ電話を入れる。なんだかんだ言っているうちに、誤情報を教えてくれた担当者が出てきた。
「以前電話して、国道1号で自転車が通れない区間があるかどうかを聞いた時に、『全線通れます。』と言われたにもかかわらず、富士由比バイパスや、岡部バイパスが通れなかったんですが。そのおかげでこちらの予定が滅茶苦茶なんですけどどうしてくれます?」
本人が出てきたので始めから攻撃的に出る。
「ええと、私が伺ったのは、国道1号に路側帯があるかどうかですけど。ですので全線にありますと答えたわけです。」
なんでも、「路側帯を走りますので。」と言ったのを勘違いして、単に設備としての「路側帯があるかどうか。」を返事したのだと言う。あくまで国道管理事務所は設備を担当しているところなのである。
「しかし、自転車で行きますと言ったでしょう。私に道路交通法に違反をやれって言うんですか?」
疲れてイライラしているか、こっちも滅茶苦茶攻撃的である。
「私はそう取りませんでした。」
そう取りませんでした。じゃないでしょうとは思ったものの、こちらとしても証拠があるわけでもなく、こんなところで喧嘩していても仕方がない。ふと、この際だから、喧嘩はやめて利用しようという気が起こってきた。
「分かりました。過ぎたことはいいですから、ここから先、国道1号が自転車通れるかどうか教えてください。」
「すぐにはお答えできません。」
「関東道路管理事務所は、『調べますので1時間ほど経ってからおかけ直しください。』と言って調べてくれましたよ。」
「分かりました。調べてお電話します。今どこですか?」
というわけで、この先の情報を頂くことに成功した。ここからしばらく行くと袋井バイパスに入る。袋井バイパスは高架で自転車通行不可だが、高架下を通って抜けられる。磐田バイパスは道路公団の管理なので分からない。磐田バイパスを出ると新天竜橋。危ないので気を付けるようにとのこと。浜松市内に入って浜松バイパスは通行可とのこと。最後に、
「交通事故に気を付けてください。」
と言われた。が、言われないでも気をつけるものである。
言われた通り袋井バイパスの下を走る。磐田市に入ったところで高架の国道1号と再び合流し、磐田バイパスの入口に着く。道路公団はこれも「通行可、30円。」と案内していたが、予想通り「自転車通行不可」の標識。もう期待していないのでなんとも思わない。私はもう気が滅入ってきて、SAN氏は再び膝が痛んできて、無口のまま自転車をこぎ続ける。走り行くバスはいつの間にか静岡鉄道から遠州鉄道に変わっている。
豊田町のコンビニで休憩。SAN氏が何やらPHSで連絡を取っている。電話が終わると私に、
「悪いけど、浜松でやめるわ。」
と言ってきた。どうやら膝が限界に来ていたようだ。朝から私が不機嫌だったので言い出せなかったのだろう。先ほどの電話は、浜松の友人に連絡を取っていたのだという。一緒に135度線を越えようと仙台から走ってきたのに非常に残念だ。が、これ以上ゆっくりしていると私の方も泊まる場所まで行けなくなるので仕方がない。
天竜川を渡り、浜松市内に入ってすぐ、国道152号との分岐点でSAN氏は去っていった。仙台から650キロ、ついに一人になってしまった。
感傷にひたるまもなく国道1号浜松バイパスを南下する。さすがに1人になると早い。東海道線をオーバークロス、新幹線をアンダークロスし、国道1号中、もっとも太いと思われる箇所に入った。本来なら飛ばせるはずなのだが、あいにくの向かい風。道路が太いだけに激しく吹き抜ける。ついに力つき、バイパス沿いのローソンに駆け込んだ。16時頃だっただろうか。ここから後は記録もなく、疲れていたためか、ほとんど記憶もない。
コンビニでゆっくりすると、ますますやる気が無くなってきた。ここまで一緒に来たSAN氏が脱落してしまったのもあるかもしれない。二人なら一人が音を上げても引っ張っていく形になる。それもない。まだ東京大阪の半分も来ていない。コンビニで唐揚げくんとフランクフルトを買い、漫画を立ち読みして休んでいると、自転車旅行などどうでも良くなってきた。どうせ頑張ったところで名古屋まであと100km以上、走れるわけはない。
30分以上、だらだら休んでいると、少しくらい走ろうかという気分になってきた。再び自転車で走り出す。相変わらずの向かい風だがもう逆らわずゆっくり走る。やがて右から国道42号が合流し、浜名バイパスの篠原入口に着く。道路公団によれば浜名バイパスは自転車通行不可。今まで道路公団の情報は嘘っぱちばかりだったので期待したがやっぱり通行不可だった。そのまま国道1号をゆく。
高架のホームに改札口があることで有名な弁天島の駅前のコンビニで休憩。17時半頃だっただろうか。コンビニの入口にベンチがあったので休む。横浜の巣田氏から再び今どのあたりかと電話が入る。静岡県の西の端ですよと言ったが、まさかその後に潮見峠が控えていようとは思わなかった。電話で話ながら徒歩で浜名湖を渡る。だらだらとしゃべりながら新居町駅あたりまで来た。JRバスが見えてくる。これがどういう意味かは翌翌日知ることになる。新居町を過ぎたあたりで、携帯電話の電池が危なくなってきたので電話を切る。日が暮れた。
さらに国道1号を進むと、大倉戸というところで再び悪の「自転車通行不可」の標識。目の前の進める道路は国道42号という道路しかない。私の地図には無い、予想外の現象である。私の地図だと国道1号と国道42号の分岐点は白須賀ということになっている。どうやら潮見バイパスなる悪の道路が出来たため、大倉戸〜白須賀は国道1号の名前を剥奪されてしまったらしい。まさかここまで静岡の道路が改悪されているとは思わなかった。
仕方無しに国道42号を走る。ちなみに国道42号は、かつては和歌山〜津の、紀伊半島半周道路であった。平成3年に、国道23号〜国道167号〜伊勢湾フェリー〜県道伊良湖岬白須賀線〜国道1号を含めて浜松まで延長してしまい、浜松〜和歌山という、全国で8番目に長い国道になった。紀勢線に乗っていたとき、窓から見ていた42の数字の道路を、まさか東海道で走るとは思いもしなかった。
潮見バイパスの白須賀インターを越えたあたりから激しい登りになる。時間が時間なので店も閉まっており、寂しい峠道である。時折大阪ナンバーなどのトラックが走って行くのを見て、かろうじて東海道を走っているのが信じられる。見おろせば国道1号潮見バイパスが潮見坂トンネルへ入って行く。後に同じ道を走った香奈氏が、自身の旅行記で、
「仮に自動車の持てない貧乏な病気の老人が、隣町の医者に行こうとして、歩いて峠を渡っているうちに、倒れて死んでしまったら、少なからずの社会問題になるだろう。」
と述べているが、確かにそうである。車を持てる金持ちには素晴らしい道路を作り、弱者にはボロい道路で我慢させているのは弱者虐待である。それこそ誰かが倒れて犠牲になって、建設省と静岡県に頭を冷やしてもらうしかないのだろうか?
坂を登り切ったところが本当の白須賀の集落のようであった。バイパスにも見捨てられたからか、夜が早く寂しいところであった。かつては国道1号として賑わっていたのだろうか?ほとんど車も来ない白須賀交差点の信号を左折して伊良湖岬へ下っていくのが国道42号、一方豊橋へ行くのには左折せず、まっすぐ一般県道を直進する。幸い格下げから時が経っていないためか、それとも下り坂で一瞬で下ってしまったからか、静岡県道特有のボロさにイライラすることもなく、愛知県入りした。とたんに左側から潮見バイパスが合流し、にぎやかになる。
二川までの道を一気に下る。久々に新幹線を見た。二川のローソンで休憩。潮見峠越えで消費したエネルギーを補給するとともに、Wさんに豊橋でリタイア、電車で名古屋へ向かうことを知らせる。時刻は19時44分。地図を見て豊橋市内の道を記憶する。
豊橋市中心部までは6キロほどだった。東八町で、国道1号唯一の路面電車と合流。西八町からは国道1号と別れ、路面電車に沿って豊橋駅へ向かう。駅前の自転車置き場へ自転車を入れてようやく長い一日が終わった。自転車置き場のじいさん、仙台から来たと言うと驚くかと思いきや、
「そういえばこの前、自転車で熊本へ行くという人が来たなぁ。」
と言う。熊本まではあと1000キロ弱。すごい奴はいるものである。
一日の最後にまたミスをした。名鉄特急で眠っていたら名古屋を通り過ぎ国府宮なるところまで運ばれてしまったのである。Wさんを待たせてしまい、申し訳なかった。
夜はWさんの車でラーメンを食べに行った。「横綱ラーメン」というやつで、結構おいしかった。京都を中心に愛知県から大阪府にかけて店舗があるらしいので、この旅行中、チャンスがあればまた食べたいものだ。
<写真>
開業間近の「道の駅宇津ノ谷峠」
東京日本橋から200キロ地点にて
桜が咲く袋井付近