3月28日(横浜→静岡)
 今日は箱根越えが入る。幸い寝坊も15分で済んだ。近くのローソンで朝食をとった後出発。時刻は7時28分である。今日の使命は一刻も早く静岡に着くことである。
 子安から国道1号に復帰。横浜駅東口を通り権田坂を越える。不動坂交差点から横浜新道の方へ行くと自動車専用道路に入ってしまうことは前回の旅行で学習済なので、戸塚駅方面への国道1号旧道を走る。横浜市在住の巣田氏より、今どのあたりか電話が入る。だらだらと話していたら戸塚駅付近まで来た。
 原宿交差点から先は初めて走る道である。仙台からここまでは、2度走っているが、ここからは走ったことがない。県道30号と分岐した後、堀割り区間に入った。まるで土浦バイパスのような道が続く。ガンガン飛ばすがそれも新湘南バイパスの藤沢入り口で終わり。一般道は茅ヶ崎市街へ向かう。
 このあたりでどうも自転車のペダルの回転がおかしいことに気づく。雨の中走ってきたこともあり油切れのようである。ふたたび自転車屋を探し注油してもらう。ここも親切な自転車屋さんで、料金は取らなかったように記憶している。東海道を走って行くという我々に対し、
「ギアは低めに入れて回転数で走らないと膝壊すよ。」
と忠告してくれた。確かに私はトップギアに入れてパワーで走っている。
 いつの間にか箱根駅伝のコースと合流し、名所東海道松並木を抜ける。午前中の間に小田原市に入った。静岡市まで残り約100kmである。箱根越えに入ってしまうと休めるところは期待できないのでいまのうちにと道沿いのマクドナルドに入る。
 二人の間で意見の分かれるところがあった。それは箱根の登りのルートである。箱根の登りは国道1号と旧東海道が別々にある。双方は湯本で分岐し、1号は箱根湯本駅前、大平台、宮の下、小涌谷、芦ノ湯を通って元箱根に至る、いわゆる箱根駅伝コースである。一方の旧東海道は須雲川に沿って湯本茶屋、畑宿と登り、そこからまっすぐ元箱根に向かう。距離的には旧東海道の方が近そうだが、それはすなわち勾配が急ということになる。私は大好きな箱根駅伝コースを走りたいし、SAN氏は史跡の並ぶ旧道を走りたい。仙台から一緒に走ってきた我々だが、自転車でここまで走ってくるなど、二度とないだろうから、走りたい方を走ろうということに決まった。地図や修理用具など、必需品が分裂してしまうがやむを得ない。
 小田原市の中心街を抜け、法務局合同庁舎の前で左折、少し行って右折。国道1号本線が曲がるポイントである。国道1号自体が曲がるのはおそらく保土ヶ谷以来。こういう場所は気を付けていないといつの間にか国道を外れて訳の分からない小さな道に入ってしまう。国道6号、国道25号などで痛いほど分かった。特に25号は三重県内で案内が少なく苦労した。やがて前方にJRの高架橋が見えてくる。今までJRとほぼ並行してきたが、ここでJRは大きく左にそれ、海沿いに熱海へ向かう。こちらは今から箱根越えだ。箱根登山鉄道が並行し、道もやや登りに入る。いよいよ天下の険、箱根だ。並行する箱根登山鉄道は、狭軌・標準軌の3線区間。SAN氏に面白いから見ておくように言う。
 風祭のローソンでSAN氏との最終打ち合わせ。合流地点となる元箱根で、SAN氏のPHSがつながるか分からないのが問題である。つながらなかった場合、30分待って来なかったらそのまま走り続け、電波の入るところへ行ったら落ち合おうということになった。最悪、沼津まで行けば電波が入るだろう。鎌倉の祖父に電話し、それぞれのルートの様子を聞いておく。が、旧東海道ルートは景色がいいけどきついよという、結局どっちつかずの返事だった。
 12時55分頃ローソン出発、13時05分頃、分岐点の三枚橋に到着。二人で記念撮影をしたあと、仙台からともに走ってきたSAN氏ともお別れ。走り出して振り返るとちょうどSAN氏が橋を渡って行くところだった。
 箱根湯本駅前で渋滞にはまる。歩道は人でいっぱい、車道も車がいっぱいでほとんど動かない。その間を低速で縫うように走る。一方、PHSで電話してみると、SAN氏は早速坂にぶち当たり、四苦八苦しているとのこと。
 箱根湯本の駅を出てすぐ、箱根名物となった函嶺洞門を通る。毎年正月テレビで見ているルートを走っているという実感がわく。函嶺洞門を過ぎると後は激しい登り。意地でも降りずに走ると決めたため、最低速ギアでぐいぐい登っていく。青葉山で鍛えた足にはなんともないはずだが、何せ距離が長い。天下の国道1号にしては道が狭く、片側1車線で、バスがようやくすれ違うくらい。後ろからは次々観光バスが迫る。なお、箱根湯本方面への逆車線は渋滞でほとんど動かず、うんざりした表情が並ぶ。その間をバイクが走って行く。カーブを曲がっても曲がっても、まだまだ続く登り。80パーミルを自力で登る箱根登山鉄道でさえ、ここは3カ所のスイッチバックを入れているのだ。
 函嶺洞門より、ひたすら登り続けること30分、大平台のヘアピンカーブに到着。箱根駅伝を見ていると、近いようだが、実際はかなりある。カーブを曲がったところが大平台の駅である。
 宮ノ下温泉に久々のコンビニ、ローソンを発見。休憩場所にもなるが、SAN氏に「待っていてやるぜ」と大口を叩いた以上、休まず登り続ける。このあたりで私のアステルが圏内になったのでSAN氏に連絡を入れてみる。向こうは茶屋でのんきに休んでいるらしい。大平台より30分、小涌谷踏切を渡る。箱根駅伝の際は、電車側が止まる、名物踏切である。箱根登山鉄道と別れ、国道1号は南へ向かう。SAN氏は鷹巣山、二子山を挟んで4kmほど南で苦戦しているはずである。
 小涌園を過ぎると、少し坂は緩くなる。右手に箱根山、左手に鷹巣山を見ながら登って行く。途中、自転車の3人組を抜く。この季節、自転車で東海道を走ろうという輩がかなりいるようだ。一時より登りは緩くなっているのにまだまだ最高地点は見えない。「元箱根5km」なんて看板を見るとうんざりしてくる。どう見ても利用者がいなそうなボロい自動販売機で「なっちゃん」を購入。このように体力を使い続ける時は甘い物がうまい。自転車を止めるが、うっかりすると斜面で自転車が倒れる。
 やがて霧が出て来る。路肩には白い物が残っている。下界との気温差が激しいが、連続勾配で身体はほかほかである。芦ノ湯を過ぎ、いよいよ待ちに待った下り、続いて最高地点へ向けて最後の登り、そこに最高地点の看板があった。国道1号最高地点、874m。SAN氏がいないので、自分を入れて写真を撮影することが出来ないので、自転車を入れて写真を撮る。14時57分。三枚橋で別れてから2時間が経っている。雪が残り、息を吐くと白いものが漂う世界、頼りにしていた携帯電話も通じない、まさに別世界であった。ウィンドブレーカーを着込む。
 ここからは芦ノ湖に向けて一気に下り。旧東海道との合流地点まで残り2km。もう20分とかからない。大芝交差点で目の前に芦ノ湖が見えてくる。15時10分頃、合流地点の畑宿入口交差点に到着。SAN氏は到着していない。勝った。奇跡的にアステルが圏内だったのでSAN氏に連絡。甘酒茶屋でのんきに甘酒を飲んでいるらしい。あと15分ほどで着くという。
 その連絡から5分ほど、旧東海道の坂の上の方にSAN氏の姿発見。慌ててカメラを準備するが、電源が入る前に降りてきてしまった。SAN氏曰く、
「せっかくポーズ取ったのに。」
 あと15分って言ったのは誰じゃい?
 奇跡的に大芝付近がアステルのエリアだったために無事SAN氏と合流。2時間半ぶりだが、長かったような短かったようなである。私は一所懸命登り続けだったのに、SAN氏は甘酒を飲んでご機嫌、ちょっと羨ましい。
 杉並木の間の下りを飛ばして芦ノ湖湖畔まで降りる。ここで少し休憩。またもや久々のコンビニ、ファミリーマートがあったが、営業時間がセブンイレブンで、SAN氏が大うけしている。時刻は15時40分頃、箱根駅伝の選手は、箱根湯本からここまで約1時間で走るが、自転車は2時間半かかってしまった。箱根の往路ゴールはもう少し先である。ここから「駅伝選手1時間、自転車3時間」という謎の言葉が生まれた。
 再び走り出す。箱根町役場の横を通る。三枚橋のさらに東側から箱根町である。小田原市街からすぐにすんでいても町役場は山の中、不便だろうなと思う。
 町役場を出ると再び登り。最高地点で安心しきっていた私は、一気に疲れが出てエンスト。甘酒で気力を保持していたSAN氏との間隔が開いて行く。箱根湯本から、自転車を押さずに登ってきた私も、ついに自転車を降り、押して歩くこと1km。砂漠のオアシスのように、「道の駅箱根峠」が現れた。「道の駅」って何だろうと思っていたが、何でもない、粗末なPAのようである。眼下に芦ノ湖が見える。わずか1kmでこれだけ登ったのだから疲れて当然である。
 16時15分頃、「道の駅箱根峠」を出発。すぐに箱根新道と合流し、静岡県に入る。標高846m。あとは海面すれすれまで、本当に下る一方である。16時20分頃、下りを開始。みるみるスピードはあがり、50キロを越す。青葉山下りで鍛えた腕で、適切なアウトインアウトとカーブでのブレーキ、直線区間での加速をくり返す。3時間かかってためた位置エネルギーが一気に放出される。途中、「死亡事故現場 ご冥福をお祈りします」などという不気味な看板が立ち、花束が置かれている場所があったが、その横を50キロ以上で通過。このあたり、週末は峠族なるものが出没するらしい。
 30分ほどで三島の市街へ突入。コンビニへ入って食糧補給をしていると、これまたノンブレーキで下ってきたSAN氏が現れる。今日泊まることになる静岡の祖父母に、三島まで来たことを連絡し、出発したのが17時20分。静岡まで残り60kmであるから、早くても到着は21時頃になる。
 上石田の立体交差でちょっとうろうろしたが、無事沼津バイパスに入る。歩道完備のかなりいい道路である。途中、片浜で開店セールをやっているサークルKを見つけ、夕食を買い込む。ライトを取り付け、夜装備に変更し、18時20分、出発。
 まもなく歩道が無くなった。依然車道はよく整備されているので路側帯を爆走する。すぐ横をトラックが猛スピードで通り過ぎてゆくが、もう慣れてしまった。新幹線が右側を併走する。100系のこだまが新富士駅に向かって減速している。東海道線を乗り越す。「道の駅富士」が横に見えるが、今は一刻も早く静岡に着きたいところなので無視して走る。富士川を渡る。60Hz地域に自転車で乗り入れるのは初めてである。先を行くSAN氏の自転車が止まっていたが気にせずぶち抜き走り続ける。と、不思議なことに気付いた。合流する道路がインターチェンジになっているのだが、そのインターチェンジの入り口に、「自転車通行止」の標識があるのである。あとから来るSAN氏を待ち、そのことを告げると、けろんとした顔で、
「さっき『ここから先、自転車通行禁止』の標識あったよ。」
と言う。
「何で教えてくれなかった!!」
と責めると、
「言おうと思って止まっていたけど、そのまま通り過ぎたから。」
と言われた。こっちの負けである。とりあえず、そのまま走り、最寄りのインターチェンジで降りる。(あとで確認したところ、沼津バイパスにも自転車通行不可の区間があったようである。新幹線と併走していた部分はそうだったらしい。)
 降りたところは交通量の多いバイパスと違い、人気のない静かなところだった。野犬にかみ殺されましたということになっても、疑わないほど寂しいところである。私は非常に腹立たしかった。こういうことがないよう、事前に建設省の国道管理事務所に電話をして、自転車が通れるかどうかを聞いておいた。その際、「全線走れます。」との返事をもらっていたのにこのざまである。ちゃんとバイパスを走りたいということは言っていた。危険な走行をさせてしまって、この旅の企画者としてSAN氏にも顔が立たない。(ちなみにこの怒りは翌日爆発する。)
 仕方なく海沿いの道を走る。SAN氏は景色が綺麗などと言っているが、私はスピードを出せないことと、建設省に対する怒りで、ぶつくさ言っている。そのうち海沿いの道も行き止まりになり、怒り倍増である。
 なんとか西へ続く道を見つけ走る。左右は古い町並みが続く。察するに由比の宿場の中を走っているようである。そのうち由比駅についた。ちょうど366Mが通過していったので19時56分である。バイパスを爆走していれば、そろそろ静岡に着く頃と思うと、ますます腹立たしくなってくる。
 由比駅を出てすぐ、東海道線を乗り越し、国道1号へ復帰した。そのまま興津まで1号を走るが、興津川を渡ったところで再び自動車専用区間になる。箱根より疲れる。(ちなみに、興津ICで降りると、そのまま一般の国道1号へ入れるはずだった。)
 もう疲れてどこをどう走ったのか記憶に無い。静岡のおばが寿司を用意して待っていると言っていたが、いつ着くか分からない。運良く国道1号に入っていたときにはほっとした。清水駅前で右折、江尻大橋で左折、あとは静岡まで一直線である。
 清水市内のファミリーマートで最後の休憩。20時48分だった。21時30分には着くだろう。静岡市に入り、静岡鉄道と併走するともうラストスパート。最近出来たばかりの東静岡駅とグランシップという謎な建物の横を通り、静岡駅着。自転車置き場を探してSAN氏の自転車を入れ、SAN氏と別れる。SAN氏は電車で興津まで戻り、友人宅での宿泊である。私はそのまま国道1号を1kmほど走り、祖父母の家へ。21時40分着。
 隣のおじ、おばの家では、寿司が用意されていた。翌日もまた自転車だというのに、24時近くまで一緒に酒を飲んでいたところ、祖母が心配して迎えに来た。

<写真>
    東海道松並木
    箱根町三枚橋にて、AsaPi!とSAN氏
    函嶺洞門
    遠くに箱根登山鉄道が見える
    大渋滞の大平台ヘアピンカーブ
    小涌谷の踏切
    国道1号最高地点にて、愛車「あさお2号」
    大芝交差点より芦ノ湖を眺める
    SAN氏大受けのセブンイレブンなファミリーマート
    芦ノ湖畔にて
    箱根峠より芦ノ湖を見下ろす
    静岡−神奈川県境