現在、日本に残っている食堂車は十数両しかない。ビュフェ・カフェテリアなど、それに準ずる車両も数えるほどしかない。ここではそれらの食堂車一族とその思い出を語ろうと思う。
0系新幹線電車・36形 [車両外観]
新幹線博多開業の年から「ひかり」編成に連結されている食堂車。かつては「ひかり」全列車に連結され、営業されていた。最終営業は平成7年3月の予定だったが、平成7年1月17日、阪神大震災で新大阪〜姫路が不通になったのを受け営業停止。そのままダイヤ改正まで復旧しなかったため、平成7年1月16日のひかり45号が最終営業列車になってしまった。現在では「ひかり」編成もバラされているので、もうお目にかかることはないだろう。最後の1両となった36-84(掲載の写真の車両)はJR東海に売却されたらしい。
筆者はかつて一度だけ乗ったことがある。当時は私は大阪に住んでおり、母方の祖父母が鎌倉だったため、新幹線の利用は新横浜か小田原から「こだま」であり、縁がなかった。小学校高学年くらいの時か、一度だけ祖父が指定席を取って東京から「ひかり」に乗せてくれた。しかも食堂車にまでつれていってくれたのである。どの列車で何を食べたのかはまったく記憶にないが、営業会社は帝国ホテルで、当時売っていた100系新幹線電車の絵が描かれた定規を買ってくれた記憶がある。その100系新幹線電車の写真も試作編成だったから、100系新幹線電車の登場したてのころか。当時の私の鉄道ノートには、祖父が撮影した私が食堂車でご満悦な顔をしている写真が貼ってある。
0系新幹線電車・37形 [車両外観][車内][ウエストひかり車内1][ウエストひかり車内2]
車椅子対応設備の付いたビュフェ。東海道新幹線が開業したとき、東京〜新大阪は、「ひかり」で4時間、「こだま」で5時間だった。特に車内で食事が必要な時間でもないので、軽食堂ビュフェが付けられたという経緯がある(ただし当時のビュフェは35形)。「ひかり」「こだま」とも営業していたので、0系の「ひかり」は食堂車・ビュフェ両方とも営業、つまり車内に食事設備が2両あるという豪華編成だった。しかし平成9年12月から「こだま」のビュフェ・カフェテリアが営業休止になったことで、ビュフェ営業列車は激減、平成10年10月改正で最後の0系「ひかり」であるひかり183号・184号が100系に置き換えられたことにより、ビュフェ営業列車は消滅した。ただし「ウエストひかり」では大幅に改造された37形が、ごく最近までビュフェ営業していた。現在では車内販売も無くなり、カウンターに壁まで出来てしまった。
私にとっては、36形食堂車とは逆に、37形ビュフェ車は身近なものであった。そのため逆に印象が薄い。子供の頃、母に100円貰ってアイスクリームを買いに行ったことや、お金をためて、100系新幹線のグッズである新幹線スーパーステーショナリーなるものを買いに行ったことくらいしかない。もっとも印象にあるのは、営業休止になってしまい、がらんとした寂しいビュフェを見たショックかもしれない。余談だが、この車両にはスピードメーターが付いており、乗客も現在の速度を知ることが出来る。最近の新幹線車両には付いていない設備で、いかに当時の210km/hが注目を浴びていたかが分かる。
100系新幹線電車X編成・168形 [車両外観][食堂入口]
国鉄末期、二階建て新幹線の二階建て車両として作られた食堂車。JR化後はJR東海に引き継がれ、東京〜博多の「ひかり」を中心に使用された。しかし平成10年10月改正で、全運用が東海道区間の「こだま」にされてしまったので、食堂車営業列車も無くなってしまった。なお改正前日の最終列車となるひかり126号には試作編成が使用されたらしい。100系の食堂車は試作編成に始まって試作編成に終わったと言えよう。[試作編成食堂車]もともと100系はこのX編成が東京〜博多の長距離ひかり用、後述G編成を東京〜新大阪の短距離ひかり用に作ったらしい。しかし末期は逆に、G編成の博多行きがある中、X編成がひかりを引退してしまった。ファンの間では「よい車両だが干されている」と言われたが、まんざら嘘ではない。
この168形のX編成の食堂車も、一度だけ乗ったことがある。平成7年の8月6日の朝一番の新幹線(当時はひかり31号か?)で岡山へ向かったが、これがX編成だった。しかも食堂車が営業しているという。その前にX編成に乗ったのは震災の暫定ダイヤ中であったため、食堂車は非営業だった。「ここで食堂車へ行っておかないと、二度と乗れない。」と感じて食堂車へ向かった。営業会社はJDで、食べたのはビーフカレーだった。当時は東北大学生協のカレー大240円を食べなれていたため、900円ばかりしたカレーが異様に高く感じたものだ。そして店員さんから、36形が営業終了したため、新幹線の食堂車で営業できるのはX編成9両とV編成9両の合計18両しかないと言われて、愕然としたものだった。「二度と乗れない」という感覚は当たってしまい、次にX編成に乗ったときには、「こだま」運用に落ちた後だった。偶然なのだが、古い写真を整理していると、親にねだって初めて100系に乗せてもらったとき車内で撮った写真が見つかった。その中に、上あげた食堂入口とほとんど同じアングルの写真があった。もちろん当時の写真は食堂も営業しており、活気があった。ならべるとわびしい気分になる。
100系新幹線電車G編成・148形 [車両外観][車内]
JR東海で作られたカフェテリア車。折からのバブル景気により、新幹線のグリーン車は連日満員、食堂車など付けるよりグリーン車を増やさなくてはならない状態になった。そのためこの車両は、2階がグリーン車、1階が持ち帰り式のカフェテリアとなった。元々この車両は、東京〜新大阪の短距離ひかりに使う予定であったというのも、食堂車の設置が見送られた理由だ。G編成はグリーン車3両という編成になった。この車両の登場により、食堂車を連結しない「ひかり」が登場した形となり、「ひかり」=食堂車付きの図式は崩れた。現在は「こだま」運用に入るものも多く、グリーン車はガラガラ。1枚あたり500円という、普通車指定席並のグリーン回数券を発行し、有効利用を図るほどである。車内写真は「こだま」で撮影した。現在の「こだま」はビュフェ・カフェテリアとも営業休止なので、G編成カフェテリアも「こだま」ではこのような寂しい景色になっている。
この車両は利用したことがあるが、特に印象は無い。逆にわざわざカフェテリアまで足を運んでジュースを買ったら210円もしたとか、混んでいて座れなかったので食堂車で時間を潰そうと思ったらG編成で、カフェテリアには「お席でお召し上がりください」と貼り紙がしてあって頭に来たとか、その程度の思い出しかない。
100系新幹線電車V編成・168形 [車両外観][食堂入口][車内]
JR西日本で作られた。愛称は「グランドひかり」。二階建て車両4両を連結しており、そのうちの1両が食堂車だった。最後まで営業した昼行列車食堂車であり、また最後の東海道山陽新幹線の供食設備であった。最近では4両編成に組み替えられるものも出ており、残った編成も、食堂車非営業で運転している。
平成10年の冬、往復ともグランドひかりに乗り、食堂車も利用するという、こだわりの旅行行程を作った。それが唯一(往復だから唯二?)の利用である。窓から、それも二階建てという高い位置から外を見ての食事も、そのうちできなくなるかと思うと寂しい。車内写真は、営業終了後、あらかじめJDに頼んでおいて撮影させていただいた。後かたづけで忙しい時間、撮影を許してくださったJDには感謝している。
東北・上越新幹線が開業した際、最長の大宮〜盛岡でもたかだか3時間と少ししかかからないため食堂車は作られなかった。その代わりに作られたのがビュフェの237形である。はじめは全列車に付いていたのだが、現在では普通車に改造されたりして連結されているのを見ること自体が少くなった。しかし、東海道新幹線と違い、営業列車もちらほら見られる。国鉄時代に作られたため、車内は基本的に0系の37形に似ている。スピードメーターがデジタルなのが特徴的である。車内写真は営業している列車で許可を得て撮影したもの。37形とは対照的に活気を見せている。
思い出と言えば、東北大に合格した後、母と二人で仙台に部屋探しに行ったときだろう。久々に母と二人で新幹線に乗ったので、かつて東海道新幹線の「こだま」でやっていたように、お金を貰って私がビュフェにアイスクリームを買いに行くことになった。小さいアイスを二人で分けて食べて昔を懐かしく思ったものである。
東北新幹線2階建て「やまびこ」の主役車両である。同じ位置づけの東海道山陽新幹線148形のカフェテリアが申し訳程度の営業なのに対して、こちらは本格的営業を行っており商品がいっぱい並んでいる。また148形と違い(申し訳程度だが)食べるための席もありちゃんと食堂部分も擁している正真正銘のカフェテリア。
物を買ったことはあるのだが、残念ながら食堂部分は利用したことがない。
JR九州が看板列車「つばめ」用に作ったビュフェ車。在来線昼行列車の中で唯一の「シ」付きの列車である。全国的に食堂車だけでなくビュフェ車も衰退しているときに、新車でビュフェ車を作ったJR九州とデザイナー水戸岡氏の英断には拍手を送りたい。なお夜行列車となる「ドリームつばめ」では残念ながら営業していない。夜行列車では多くの人が食事を必要とするのだから営業してもらえないだろうか?かくいう私も「ドリームにちりん」乗車時に食べ物が手に入らず、ようやく「生活列車」で手に入れたものの不味かったという苦い思い出がある。
思い出と言っても、この車両を利用したことはたった2回だけである。1回はたこ焼き、1回はシャオマイと呼ばれる焼売を食べた。さすがにその場で調理しているわけではないのでたこ焼きの味は悪かったが、シャオマイは佐賀の名産とあってそれなりに美味しかった。そんなわけで、「つばめ」に乗ったらサハシ787形でシャオマイを買うことをお勧めする。
国鉄時代に作られたブルートレイン用の食堂車。かつては花形の東海道ブルートレインの食堂車であったが、平成5年3月18日改正で「さくら」での営業が廃止され、営業列車は無くなった。すでに全車廃車されてしまった。私も乗ったことは無い。
国鉄時代に作られたブルートレイン用の食堂車。かつては花形の東海道ブルートレインの食堂車であったが、平成5年3月18日改正で「富士」「はやぶさ」「あさかぜ1・4号」での営業が廃止され、営業列車は無くなった。現在では「出雲」のみに連結されているが営業はしておらず、売店として利用している。私も乗ったことは無く、写真もない。
一時はグレードアップした車両が登場し、星空風・オリエント風の車両が登場した。東海道ブルートレインも「北斗星」のように食堂車にも力を入れるのかと思いきや、あっけなく営業中止、オリエント風は廃車になってしまった。非グレードアップ車は平成9年11月29日改正で「富士」「はやぶさ」から外されて廃車になったため、現在残っているのは「出雲」の星空風車両のみである。再び活躍して欲しいところだ。
24系客車・スシ24形
「北斗星」「トワイライトエクスプレス」用の食堂車で、JR化後、JR北海道・東日本・西日本のそれぞれで、すでに編成から外されていた485系・489系の食堂車、サシ481とサシ489から改造したものである。現在も営業している数少ない食堂車の一つである。「北斗星」のものは「グランシャリオ」、「トワイライトエクスプレス」のものは「ダイナープレヤデス」という愛称がついている。いずれも夕食は要予約である。
私は「北斗星」の食堂車に往復乗ったことがある。行きはJR北海道車で、夕食で懐石膳「北斗星風」、朝食で和定食を食べた。帰りはJR東日本車であったが、夕食は食べず、朝食も材料切れでオレンジジュースしか飲めなかった。思い出は上野までの間、食べるものが無く、お腹が空いていたことである。
24系客車・オシ25形 *写真募集中
JR東日本が作った超豪華列車「夢空間」の食堂車である。横浜博で展示された後、臨時列車などで使われている。1両しかない。1号車に連結されることを想定しており、非貫通でワイドな窓から流れゆく景色を見ながら食事が出来る。
私は運転中に乗車したことはないが、横浜泊で展示中に車内を見たことがある。
E26系客車・マシE26形 *写真募集中
JR東日本が寝台特急「カシオペア」用に作った最新の食堂車。1両しかない。3号車に連結されている。2階建て構造で、1回が通路、2階がレストランになっている。「北斗星」と同じく夕食は要予約である。新しく食堂車を作ったことは評価すべきだが、この不景気の世の中、オールA寝台の列車など作って果たして乗る人間がいるのか、非常に疑問である。かくいう私も当然乗ったことはない。