枕崎 泊
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(13/07/23 20:03:48 1) 「北斗星」ソロゲット!! これで北海道に向かうことが出来ます。
(13/07/25 18:51:07 1) 上野駅名物推進運転での入線。 ご覧のとおり、貫通扉を開けての運転です。 これで雨や雪が降った日には… (写真)
(13/07/25 19:13:10 1) 今日の牽引機はEF510-514。青森までの牽引です。 (写真)
(13/07/25 19:15:05 1) 今日の宿。JR北海道のソロです。 機関士の引き出しが上手で、出発の揺れはほとんどありませんでした。 (写真)
(13/07/25 19:32:16 1) 大宮発車。 運転上手過ぎる。発車のショックが全くない。
(13/07/25 21:48:38 1) パブタイムが始まったので食堂車へ。今回はソロが取れたのが2日前のため、3日前までに予約が必要な食堂車の夕食利用は出来ず。 取れると賭けて食堂車の予約しておいても良かったんだけどね。 ダメロング(701系)とすれ違うようになりました。交流区間に入ったようです。
(13/07/25 21:56:03 1) 郡山到着。 前方機関車ではパンタグラフを下げている頃。 なんかやたらと揺れるようになった。宇都宮で機関士交代したのか…。 (写真)
(13/07/25 22:08:47 1) マンゴージュースとソーセージ盛り合わせ。 本来はビアマンゴーと行きたいところだけどアルコールダメなので。 時間的に仙台行きの最終「ひばり」の車内で帰りの一杯って感じか。ちょうど車両も485系(改)なので、気分は東北特急。 支払いはSuicaで。食堂車がもう少し生き残っていれば、食堂車でちょっと食べてSuica支払いは当たり前の光景だったんだろうな。 (写真)
(13/07/25 22:24:33 1) 保健所の営業許可の住所が上野駅構内、屋号または商号が「北斗星 スシ24-505」になっていた。 上野駅構内の営業許可で、北海道でも営業出来るのかとか、北斗星以外には使用出来ないのかとか、色々興味深い。
(13/07/26 05:49:25 1) 残念ながら下り「北斗星」では1号車の前に機関車が立つため、トンネルを見渡すことは出来ません。(最後尾は電源車) 「スーパー白鳥」の展望席が立入禁止になった今、トンネルを見渡すことの出来る定期列車は、上り「北斗星」と「はまなす」だけになってしまいました。 (写真)
(13/07/26 06:59:03 1) 函館に3分遅れで到着。 ED79の開放とDD51の連結を撮影。遅れている中、250mダッシュはきつかったです。 (写真)
(13/07/26 07:22:40 1) 上野駅構内(誤)で1600円の朝食。 (写真)
(13/07/26 07:30:28 1) 森駅。 これまたいい位置に駅名標が来ました。 (写真)
(13/07/26 09:29:29 1) 伊達紋別で9004D(代走北斗)と交換。 先日、NN183系のエンジンが火を吹いた影響で、183系「北斗」はすべて運休中。この1本だけが何故か運転していますが、所定5004Dは120km/h運転のところ110km運転をするため、ダイヤに乗りません。このため、臨時列車扱いとなっています。 このため、「北斗星」も時刻変更です。 ご覧のとおり、ヘッドマークは「北斗」ではなく「臨時」です。 (写真)
(13/07/26 10:00:57 1) 6分タイマーシャワー。 (写真)
(13/07/26 10:20:02 1) 日本最長の直線区間。 この直線を利用してのシャワータイムでした。 ご覧のとおり、雨が降っています。 (写真)
(13/07/26 11:22:38 1) 3分遅れで札幌駅到着。 意外ですが、1列車全区間乗車は初めてです。 (写真)
(13/07/26 13:18:21 Bus) JR北海道バス(JHB)札樽線に乗ります。 (写真)
(13/07/26 14:09:01 Bus) 地下鉄宮の沢駅前で小樽駅行きに乗り換え。 (写真)
(13/07/26 15:42:21 3948M) uシートなんてものに乗ってみる。 (写真)
(13/07/26 17:16:58 3445M) ふと森林公園駅で降りたら国鉄が…。 (写真)
(13/07/26 17:24:31 3445M) ホームに上がったらここにも国鉄。238Mで運用中…乗りたかった。 (写真)
(13/07/26 18:31:49 2245M) ヤッター!! 国鉄車、国鉄色です。 この列車で滝川まで行きます。 (写真)
(13/07/26 18:37:24 2245M) 実はこの車両、非冷房。 しかも何故か誰も窓を開けない。 国鉄マークの扇風機が回っていますが、これも全部が回っているわけではない。 (写真)
(13/07/26 20:08:18 3035M) 旭川駅到着。 国鉄時代と同じスタンプ台に国鉄デザインのスタンプがあるのが嬉しい。 旭川駅は駅舎を建て替えており、いずれも国鉄時代のものではないと思われるが。 (写真)
(13/07/26 20:19:07 3035M) 北口西側のこちらは古さからして多分、国鉄時代のもの。 (写真)
(13/07/27 06:03:12 4621D) 上川駅です。 この時間に上川駅に来るということは… (写真)
(13/07/27 06:11:49 4621D) 下り普通列車に乗ります。 実はこれだけで説明不要です。 上川駅から出る下り普通列車は、この始発の1本しかありません。 (写真)
(13/07/27 06:31:19 4621D) 乗客1名に対してキハ40 833とキハ40 830の2両編成。 実態は遠軽付近で使うキハ40の送り込み列車です。 旭川から回送で来て、上川駅で4520Dと4621Dに分割、遠軽駅着後も4620Dと4659Dに分割されます。
(13/07/27 07:14:22 4621D) 貴重な上白滝駅の写真です。停車中に撮影。 一日平均乗車人数は四捨五入すると間違いなく0でしょう。 (写真)
(13/07/27 07:38:37 4621D) この上白滝は快速通過駅。楓駅無き今、普通駅で1番列車の少ない駅でしょう。 (写真)
(13/07/27 08:04:46 Bus) 遠軽からは名寄線代替バスで紋別へ。 遠軽は駅からバス乗り場が遠く、乗り継ぎ時間が短いため心配していたのですが、無事、間に合いました。 そして…営業所で乗車券を買おうとしたら売っておらず。なんと今日は年に一度のバスの日で無料!! 千円以上節約出来たことになり、超ラッキーです。 (写真)
(13/07/27 08:28:01 Bus) 中湧別駅跡です。 (写真)
(13/07/27 09:50:42 Bus) 紋別駅跡で朝食。 (写真)
(13/07/27 10:17:18 Bus) 紋別からは雄武行きに乗ります。 今日は紋別の港祭りということで、運転士さんは紋太くんのTシャツを着ています。 (写真)
(13/07/27 11:24:17 Bus) 雄武到着。 無料ではありませんでした。残念。 雄武駅跡は道の駅になっています。 (写真)
(13/07/27 11:50:02 Bus) 雄武から枝幸行きです。 雄武から北見枝幸の約50kmは鉄道として開業することはありませんでした。 宗谷バスが国鉄時代から変わらず走っています。 (写真)
(13/07/27 12:57:32 Bus) 北見枝幸到着。 (写真)
(13/07/27 13:06:20 Bus) ほとんど待つことなく浜頓別行きが来ます。 ここから旧興浜北線区間です。 (写真)
(13/07/27 13:54:12 Bus) 浜頓別到着。 こんなところに国鉄が…。 (写真)
(13/07/27 14:36:10 Cycle) 浜頓別からは自転車で天北線跡を走ります。 (写真)
(13/07/27 15:14:34 Cycle) 山軽駅跡。 (写真)
(13/07/27 16:09:22 Bus) 再びバスに乗ります。 稚内行きでいよいよ今回の旅の起点、稚内へ!! 行きと帰りが同じルートではつまらないので今回は、宗谷本線に触れずに稚内入りしようとしてこのようなルートになりました。 (旭川〜新旭川については目をつぶってください。) (写真)
(13/07/27 17:08:25 Bus) 鬼志別ターミナル。 遠軽から200km以上バスに乗っている訳で…腰、お尻、色々痛くなってきます。 それを考えると鉄道って何て素晴らしい乗り物なんだと感じます。 (写真)
(13/07/27 18:37:27 Bus) 稚内駅到着。 (写真)
(13/07/27 19:07:01 Bus) 乗車券購入。 経由は「別紙にて」(笑) 差し替えてもばれなそうだけどいいのか? 駅に木村裕子がいてびっくりした。青春18きっぷで枕崎から来たらしい。 ちなみに私の旅は青春18きっぷよりもはるかに難しいし逝かれているという自負はある。 (写真)
(13/07/28 06:03:53 4326D) 【国鉄車の旅第1部開始】 おはようございます。稚内駅です。 今から最南端の終着駅、枕崎に向けて、国鉄車だけを使った旅を開始します。 (写真)
(13/07/28 06:37:36 4326D) 枕崎まで3126.1km。ここまで、「国鉄車しか使ってはいけない」という非常に厳しいルールのもと、向かいます。 (写真)
(13/07/28 06:45:42 4326D) トップランナーはキハ54 512。 国鉄最後の年、昭和61年度に登場したディーゼルカーです。 キハ54は扇風機付きで登場(つまり非冷房)した最後の車両でもあります。 何故か非冷房なのに誰も窓を空けない。 でも、すきま風だけで充分に涼しいのが北海道の朝。 冬は二重窓なので安心です。 (写真)
(13/07/28 06:56:28 4326D) 兜沼で最初の列車交換。 4321D、キハ54 509でした。 (写真)
(13/07/28 08:43:24 4326D) 間もなく音威子府。1時間13分停車…というより1時間13分後に列車番号を変えて出発します。 写真は途中下車印の無い状態の切符。 (写真)
(13/07/28 09:04:27 4328D) 音威子府駅です。 今日はキハ40国鉄色の臨時列車が走るとかで、ツアー客が集まっています。 ここで初の下車印。ついでに硬券入場券を買いました。 (写真)
(13/07/28 09:11:46 4328D) ここで「スーパー宗谷2号」と交換。 左1番線が乗って来た4326D〜4328D、右2番線が321D〜4325D〜4327Dのキハ54 508、真ん中奥3番線が「スーパー宗谷2号」。 小雨が降っています。 (写真)
(13/07/28 09:40:24 4328D) 音威子府名物の音威子府そば。 前から知っていましたが、音威子府で停車時間がある列車に乗ったことがなかったので食べられませんでした。 麺が黒いのが特徴です。 (写真)
(13/07/28 09:44:53 4328D) ただいま入りました情報によりますと、大雨のため、室蘭線 苫小牧〜長万部間が運転見合わせとのこと。 こちらは雨も上がり、車内は暑くなってきているので、想像も出来ませんが。 影響が無いことを祈りますが、運用変更でも影響を喰らうのがこの旅の辛いところ。
(13/07/28 10:32:39 4328D) 美深で「スーパー宗谷1号」と交換。 かつては日本一の赤字線で有名となった美幸線の始発駅でした。 (写真)
(13/07/28 11:01:52 4328D) 名寄到着。 国鉄色の臨時列車が出発を待っています。 これのせいで沿線には三脚が大量に生えていました。 (写真)
(13/07/28 11:09:21 324D) セカンドランナーはキハ40 1725、旭川行きです。 昭和54年製、先程の国鉄色と同型の車両なんですが、国鉄色だと「懐かしい。」と言うあたり、素人と撮り鉄はアホ。 乗れば塗色は見えないのですから同じです。 塗り分けしない分、国鉄色の方が安上がりで、客も寄ってくるのですから、JR北海道もどんどん取り入れるべきでしょう。(実際やっちゃうのがJR西日本。) (写真)
(13/07/28 12:02:16 324D) 和寒〜塩狩は峠区間。キハ40は非力なので、ゆっくりと登ります。 エンジンがフル回転するからか、スピードが下がり風が入らないからか、車内がかなり暑くなります。 (写真)
(13/07/28 12:08:02 324D) 塩狩です。 「東京〜稚内 国鉄車の旅」のときには、この駅名標が半分ほど、雪に埋まっていました。 (写真)
(13/07/28 13:02:36 324D) 北旭川で便乗する乗務員を乗せるために停車。 ここから架線の下を走ります。 (写真)
(13/07/28 13:05:07 324D) 【お知らせ】本日は北海道から出られないことが確定いたしました。 予定変更は決定し次第、反映します。 (写真)
(13/07/28 13:19:24 14D) 旭川からは「オホーツク4号」に乗ります。 編成は、キハ183-211+キハ182-23+キロハ182-10+キハ182-44+キハ183-1551、 1番後ろのキハ183-1551以外が国鉄車です。 (写真)
(13/07/28 14:15:40 2220M) 深川からは岩見沢行き普通列車です。今回の旅で初めての電車、札幌運転所711系S116編成、3扉改造車です。 道内で乗る唯一の電車です。というのも、北海道の国鉄電車は711系しか残っていません。 雨がぱらついてきました。 (写真)
(13/07/28 16:21:31 2220M) 昼食は旭川駅弁の蝦夷海鮮鮨。 (写真)
(13/07/28 16:24:17 2220M) 岩見沢着。 国鉄車同士の並び。711系は2199M。 (写真)
(13/07/28 16:37:57 2220M) 「北斗星」フル編成が停まっている。何故だろう? 予想は何となく出来るのだが…編成の向きが札幌到着所定なので確信がもてない。 ところで、岩見沢の馬鹿駅員、「途中下車印ください。」と言ったら無効印押そうとした。寸前で止めたところ、やったらマジギレのところ。 みどりの窓口で、「あれは何だ!!」と苦情を言ったら、「配属されたばかりなので許してやってください。」とお願いされた。 JR北海道では券面見なくても駅員が勤まるらしい。 (写真)
(13/07/28 16:46:47 1472D) 岩見沢からは室蘭本線で苫小牧へ。 行けるところまで行っておきます。車両はキハ40 1771、昭和57年製です。 どうも札幌から小樽経由函館行きの臨時列車が出るらしい。 (写真)
(13/07/28 17:23:35 1472D) 岩見沢発車時点では立ち客が出るほどの混雑だったが、追分までの間にほとんど下車。残っているのは4人だけ。 昭和50年代には岩見沢や夕張の石炭を室蘭の港に運ぶ、こちらのルートが間違いなく「本線」だったのだが、今や完全なローカル線。
(13/07/28 17:47:39 1472D) 遠浅までは雨が降っていなかった。 千歳線と合流するあたりから雨が降り出して、沼ノ端では大雨。 なんじゃこりゃ!!
(13/07/28 18:17:01 1472D) 苫小牧到着。 ここから東室蘭方面は全面運休。 よって残念ながら本日はここまでとなります。 雨は降っているものの、豪雨という状況ではないため、連続雨量が引っ掛かったものと思われます。 (写真)
(13/07/28 19:12:36 2239D) とりあえず弁当を確保。 夕食は苫小牧駅弁の「サーモン寿司」。 18時以降売れ残っていたら半額とかで、350円で入手。 (写真)
(13/07/28 19:15:07 2239D) 列車番号で分かるとおり、日高本線乗車中。 ただし、現在、富川〜日高門別で鹿と衝突し、停車中。 (写真)
(13/07/28 19:53:15 2239D) 結局、9分遅れで運転中。 運転士さん、さっと軍手を取り出して処理。手慣れたものです。 車両はキハ40 351、昭和56年製。 ここ日高本線は一度はキハ130というJR車に置き換えましたが、塩害でボロボロになって全廃。JR車を国鉄車で置き換えたという稀な路線です。
(13/07/28 21:16:13 2239D) 苫小牧を出たときにはデッキに座っている人もいたのに、浦河から先は貸し切り状態。
(13/07/28 21:56:02 2239D) とりあえず様似駅前の民宿に宿泊。
(13/07/29 07:32:38 Bus) せっかくなので、JRバス日勝線に乗っておきます。 一日一本だけの千平経由広尾行き。 写真は雨のため、営業所と連絡を取るために庶野で停まっているバスです。 とりあえず運転続行となりましたが、戻れるかは不明です。 (写真)
(13/07/29 08:22:39 Bus) 広尾駅到着。 なお、国道336号が降雨通行止めになったため、様似方面に戻れなくなりました。 踏んだり蹴ったりもいいところです。 (写真)
(13/07/29 09:59:45 Bus) とりあえず都市に移動しないとどうしようもありません。 十勝バスで帯広に向かいます。 このバス、国鉄広尾線の代替バスです。 (写真)
(13/07/29 12:15:47 Bus) 帯広駅到着。 今頃は青森駅にいたはずなのにおかしいな。 第二プランでも様似にいたはずなのに…。 (写真)
(13/07/29 13:02:46 2434D) 苫小牧復帰に向けての予定が決まりました。 まずはキハ40 1741で十勝清水に向かいます。 昭和55年製の国鉄車です。 (写真)
(13/07/29 14:33:17 36D) 帯広に来たからには「豚丼」。 予定が目茶苦茶になりブルーなところですが、これを食べられた点はヨシとしましょう。 (写真)
(13/07/29 16:17:47 2778M) 【予定更新】 間もなく苫小牧に到着します。 予定を更新しました。
(13/07/29 16:36:05 440D) 当初の予定から24時間遅れになることは確定ですが、雨の影響で運用変更になると嫌なので、すぐの東室蘭行きで東室蘭まで進んでおきます。 車両はキハ143-151+キハ143-101。いわゆるPDCと呼ばれる、客車を改造したディーゼルカーです。 JR化後に登場した形式ですが、種車が国鉄50系客車なので、国鉄車の扱いとなります。 キハ40と違い、冷房もあり、快適です。 (写真)
(13/07/29 16:44:03 440D) ちなみにこのPDC、元々は小樽〜旭川を走っていた客車でした。 JR化後、ディーゼルカーに改造され、札沼線へ。札沼線電化に伴い、室蘭本線に移り、それまで走っていた711系電車(昨日、深川〜岩見沢で乗った電車)を置き換えました。 これに伴い、室蘭本線の東室蘭〜苫小牧は、電化されているにも関わらず、普通電車が一本もないことになりました。 3両編成でワンマン運転出来ない711系より2両編成でワンマン運転出来るPDCの方が合理的ですが…どちらも歴史ある車両だけに複雑な気持ちです。
(13/07/29 16:48:43 440D) そういえばここ、日本最長の直線区間ですね。 (写真)
(13/07/29 16:54:16 440D) こう見ると国鉄客車の雰囲気充分ですね。エンジン音はしますが… (写真)
(13/07/29 17:04:43 440D) 雨25km規制が出ました。 萩野駅を7分遅れて出発です。 現在、雨は降っていませんが、この先、降っているのでしょうか?
(13/07/29 17:12:58 440D) 竹浦〜幌別、雨25km規制だそうです。 竹浦出発時点ですでに6分遅れ。 ちなみに雨は降っていません。
(13/07/29 17:33:02 440D) 登別発21分遅れ。 ちなみに雨は降っていません。
(13/07/29 17:56:21 440D) 幌別発35分遅れ。 通常のスピードに戻りました。 結局、徐行区間では雨は降っていませんでした。
(13/07/29 18:16:05 440D) 無事、東室蘭到着。 あとは「はまなす」が来るのを待つばかり。
(13/07/29 19:48:29 Bus) 室蘭の夜景 (写真)
(13/07/29 23:12:26 202) ただいま入りました情報によりますと、「はまなす」は大雨のため、苫小牧抑止。
(13/07/29 23:21:10 202) 東室蘭を70分遅れで出た5021Dが幌別抑止となったため、東室蘭から飲料水の輸送準備やってる。
(13/07/29 23:27:42 202) 準備中の飲料水。 カロリーメイトまで出て来た。 すべて特急の客用。「はまなす」の客は放置。 (写真)
(13/07/30 01:07:39 202) 線路点検終了は1時25分頃とのこと。
(13/07/30 01:37:51 202) 「はまなす」運転再開。苫小牧を2時間半遅れで出発。
(13/07/30 02:19:20 202) ついに改札開始!! (写真)
(13/07/30 02:24:27 202) 東室蘭…長い付き合いだったな(笑)。 (写真)
(13/07/30 02:46:40 202) 今日は最大限の増結をした12両編成。 駅員さん、全車両がホームにかかりますと言ったのに、後ろ、ホームからはみ出しているではないですか!! しかも11号車(最後尾)、ドア開いていないし。 東室蘭を157分遅れで発車。これで北海道を離れられます。 (写真)
(13/07/30 02:53:49 202) 編成は、DD51 1142+スハネフ14 551+オハネ25 15+オハネ24 502+スハフ14 555+オハ14 512+オハ14 507+オハ14 503+スハフ14 501+スハフ14 551+オハ14 535+オハ14 531+スハフ14 506です。 伊達紋別を153分遅れで発車。 寝るのでしばし実況をおやすみします。
(13/07/30 05:30:26 202) 函館到着5時20分、機関車をED79 7に交換して5時24分発車。2時間2分遅れ。 もしかして払戻回避のため頑張るか? (写真)
(13/07/30 08:14:30 202) 7時54分青森駅着。めでたく払戻対象に。 深夜まで放置されて払戻も無しでは目も当てられないですから。 夜行列車は乗ってて遅れる分にはラッキーですが、乗る前から遅れたら最低です。 写真は回送用にDE10が連結された「はまなす」。 (写真)
(13/07/30 08:34:57 202) 今や14系客車を使用しているのはこの「はまなす」のみ。貴重な存在です。 (写真)
(13/07/30 08:59:40 202) 「払戻は青森駅で」、ここ一年分の払戻を突き付けています。 12月の夜に列車打ち切り、外に放置をやった恨みということで(笑)。 青森駅も成長したようで、遅延証明書も出せるようになりました。 (写真)
(13/07/30 09:03:28 202) それじゃなくても今日の青森駅は払戻祭りですが(笑)。 ちなみに下り「あけぼの」は宮内抑止らしい。
(13/07/30 09:24:34 Ship) 青森、国鉄と来ればここに行くしかありません。 メモリアルシップ八甲田丸です。 (写真)
(13/07/30 09:29:19 Ship) 連絡船で駅弁を食べてみたかったので、ロビーで朝食。 何故か時刻表の駅弁リストに載っていなかった「トロサーモンあぶり寿司」。 (写真)
(13/07/30 10:21:05 Ship) JNRマーク、いいですね。 民営化直後は外せなかったこのマークがあちこちで見られましたが、最近はさすがに見なくなりました。 ちなみに青函連絡船は一年弱だけJRでした。 JR北海道には廃止寸前の連絡船要員すべてを雇う余裕はなく、JR東日本、JR東海からの出向者も加えて運航されました。 連絡船は終夜運航だったため、昭和62年4月1日時、ここにあったJNRマークは55分の折り返し時間にJRマークに交換されました。 (現在のマークはペンキ) (写真)
(13/07/30 11:29:30 331D) 日本一寂しい会社境界駅。 (写真)
(13/07/30 11:55:51 331D) 青森での空いた時間を利用して、道の駅いまべつ、津軽二股駅、津軽今別駅、(仮称)奥津軽駅と、四つの名前を持つ駅に来ています。 (写真)
(13/07/30 12:30:41 331D) 公団が余計なものを作っています。 (写真)
(13/07/30 12:48:26 4028M) 津軽今別はJR北海道最南端の駅。ひと駅間だけJR北海道エリアに戻ったことになります。 (写真)
(13/07/30 12:50:22 4028M) 国鉄485系「白鳥28号」で青森に戻ります。 (写真)
(13/07/30 12:56:50 4028M) ただ今入りました情報によりますと、 「【夜行・寝台列車 一部運休】 始発駅30日発車の寝台特急『あけぼの号(上野行き)』は、信越本線内での大雨の影響で、青森〜秋田駅間で区間運休となります。」 だそうです。 本日の行程は秋田から「あけぼの」。これで「乗る前から遅れる」心配が無くなるため、私にとってはラッキーです。
(13/07/30 13:25:28 4028M) 編成は青森車両センター485系A1編成の4・5号車にモハ485-3049+モハ484-3049を組み込んだ8両編成でした。
(13/07/30 13:51:09 8634D) 青森からは「リゾートしらかみ4号」で秋田へ向かいます。 一見、最近の車両に見えますが、国鉄40系ディーゼルカーの改造車です。 前回、「東京〜稚内 国鉄車の旅」のときに乗れなかったのでリベンジです。 (ちなみに前回乗った「あけぼの」が今日は運休。) (写真)
(13/07/30 14:03:36 8634D) 津軽海峡線からの貨物の遅れを受けて、青森を4分遅れで発車。 編成は、秋田・青森方からキハ48 701(旧キハ40 506)+キハ48 1701(旧キハ40 507)+キハ48 1543+キハ48 702(旧キハ40 510)です。
(13/07/30 14:17:15 8634D) 鶴ヶ坂交換の8051Mの遅れを受けて鶴ヶ坂6分遅れ。
(13/07/30 15:23:51 8524D) ちょっと寝てしまった。 さすがに昨日の睡眠時間が足りなすぎる。 新青森と弘前で乗車がありました。 でも乗車率は2割台か。
(13/07/30 15:51:08 8524D) この列車の唯一の長時間停車が鰺ヶ沢。831Dと並びます。 この列車も改造前はこの左側のような姿でした。 (写真)
(13/07/30 16:37:54 8524D) 深浦で国鉄車ではない「リゾートしらかみ」と交換。 ご覧のとおり、雨が降っています。 一昨日から雨には敏感になってしまいます。 (写真)
(13/07/30 16:44:32 8524D) 深浦を出て、室内灯がファンタジーライトに切り替わりました。 ガキが喜んで走り回って邪魔です。 (写真)
(13/07/30 17:27:55 8524D) 県境です。 ご覧のとおり晴れてきて、太陽が海面に反射しています。 (写真)
(13/07/30 17:31:54 8524D) 稚内からの旅も1000kmに達しました。 ちょうど1000kmの地点は滝ノ間〜八森の五能線23.6km地点です。 草が生い茂ってキロポストが見えづらく、写真は200mほど行き過ぎました。 (写真)
(13/07/30 18:20:08 8624D) 東能代からは1号車が前になります。弘前、川部、東能代と三回向きが変わり、最初と逆向きに秋田に着くことになります。 森岳〜鹿渡の複線区間で「つがる6号」とすれ違うダイヤになっていたのに、「つがる6号」が遅れたため、鹿渡に臨時停車。3分ほど遅れます。 (写真)
(13/07/30 18:39:22 8624D) 3683Mとの交換を、大久保から羽後飯塚に変更したらしく、羽後飯塚に臨時停車。 遅れは7分に拡大。
(13/07/30 18:53:08 8624D) 追分停車。 実は今回の旅では二つの「追分駅」に停車します。 このため、表示が「追分(室)」「追分(奥)」になっていると思います。 日本全国同名駅はいくつかありますが、今回、二つとも停車するのは追分だけです。他に二つの「黒井駅」を通過、「桂川(かつらがわ)駅」を通過し「桂川(けいせん)駅」に停車する予定です。 (写真)
(13/07/30 18:59:55 8624D) 6分遅れで秋田到着。 (写真)
(13/07/30 19:06:28 2022) 「あけぼの」の機関車はすでに待機。 ヘッドマークが逆(青森方)についていますが。 (写真)
(13/07/30 21:36:35 2022) 秋田駅から徒歩5分、「ぽっぽや」という店で夕食。 名前から分かると思いますが、内装はオーナーの趣味です。 マニアの人は行くことをオススメします。
(13/07/30 22:00:22 2022) 「あけぼの」は21時50分頃入線と言われていたのに、45分頃にホームに行ったらもう入線しているし。 しかも機関車のヘッドマーク、逆向きのままだし。 (写真)
(13/07/30 22:06:59 2022) 秋田特発「あけぼの」、まだ秋田駅を発車していません。 結果的にゆっくり編成を記録出来たので、私にとってはラッキーでした。 青森から乗ろうとしていた人は秋田までプレハブ(701系)で来なければならなくなったのでアンラッキーです。 編成は、EF81 136+オハネフ24 27+オハネ24 51+オハネ25 215+オハネフ25 202+オハネ24 552+オハネ24 553+スロネ24 552+オハネフ24 8+カニ24 25です。 (写真)
(13/07/30 22:11:37 2022) 放送によると、秋田出発は22時25分頃らしい。
(13/07/30 22:13:19 2022) 見てくださいよこの設備。 これこそ「国鉄」です。 (写真)
(13/07/30 22:49:07 2022) 22時34分出発。69分遅れ。 未だに信越本線には規制があるらしい。上野にはいつ着くことやら。
(13/07/31 00:54:12 2022) 0時08分頃酒田着。本日はここまでです。 今日は新潟地区が大雨でかなり乱れていたみたいで…明日の無事を祈ります。
(13/07/31 07:00:51 822D) おはようございます。今日も雨です。抑止がかからないことを祈りましょう。 今日のトップランナーは、普通列車村上行き。編成は、 キハ48 523+キハ47 514+キハ40 534+キハ47 519 です。 北海道、室蘭本線以来の40系ディーゼルカーです。 40系は旅客6社すべてに引き継がれました。 今回の旅では、通過しない四国を除く5社の40系に乗る予定です。 (写真)
(13/07/31 08:10:11 822D) 鶴岡でしばらく停車。雨は上がっており、現在は新潟支社管内では規制は無いとのこと。 国鉄車の4両編成。2両目は国鉄色です。 ここ羽越本線の村上〜鶴岡は、電化されているにも関わらず、普通列車は全列車ディーゼルカーで運転されています。 先に通った室蘭本線の東室蘭〜苫小牧と同様、普通電車は存在しません。 滝川→旭川に続く2本目の電車に乗るのはもう少し先です。 (写真)
(13/07/31 08:15:04 822D) 鶴岡を出て、車掌が検札に来ました。記憶が正しければ、指定席の無い普通列車で検札が来るのは今回の旅で初めて。
(13/07/31 09:05:22 822D) 越後寒川駅、すぐ向こうが海です。風規制も多く、 青森行き最終日の「いなほ7号」はこの辺りから何度も風規制を受け、羽後亀田打ち切りになりました。 (写真)
(13/07/31 09:15:33 822D) シートも青で、典型的な国鉄車の車内です。 (写真)
(13/07/31 10:03:10 822D) 村上での乗り換えは同じホームって…確かに同じホーム。 (写真)
(13/07/31 10:14:10 1932M) 村上からは新潟経由吉田行きに乗り換え。 車両は新潟車両センター115系N6編成+S6編成です。 岩見沢以来の電車です。そしてこれから何度も付き合うことになる115系です。 (写真)
(13/07/31 10:25:14 1932M) 【予定変更】9月28日から特急「いなほ」にE653系がデビューする=485系「いなほ」もお別れということで、予定を変更して坂町で降りて「いなほ」に乗ることにします。
(13/07/31 10:33:25 2006M) 坂町から「いなほ6号」に乗ります。 新潟車両センター485系T15編成です。 3000番代も好きですが、国鉄メイクの1000番代の方がこの旅には合っている気がします。 クハ481-1508なら最高です。 酒田〜秋田でも乗っておきたかったけど、もう機会は無いだろうな。 (写真)
(13/07/31 10:47:52 2006M) 途中でさっきの吉田行きの列車を追い越します。 新潟からまた乗ることになります。 (写真)
(13/07/31 11:19:10 1932M) 新潟からはさっきの吉田行きに乗り換え。 車両は新潟車両センター115系N6編成+S6編成です。 (写真)
(13/07/31 11:23:19 1932M) ここでようやく朝食!! 新潟駅弁の「焼漬鮭ほぐし弁当」です。 (写真)
(13/07/31 12:27:06 140M) 吉田からは越後線、柏崎行きに乗り換えです。 新潟車両センター115系S1編成です。 (写真)
(13/07/31 14:31:06 1056M) 柏崎からは特急「北越6号」に乗ります。 車両は新潟車両センター485系R25編成です。 先程の「いなほ」は1000番代でしたが、今度は3000番代。結果的に両方乗ることが出来て良かったです。 新しい車両に見えますが、485系の改造車で、製造は昭和50年代になります。 (写真)
(13/07/31 15:03:08 3326M) 直江津からは普通「妙高6号」で長野に向かいます。 車両は長野総合車両センター189系N101編成です。 189系は碓氷峠を機関車と協調して上り下り出来る車両で、特急「あさま」に使われてきました。 北陸新幹線開業に伴い、特急「あさま」が廃止され、以来、このような普通列車運用に就いています。 特急形車両ですが普通列車です。快速ですらありません。 特急形車両を普通列車だけに運用するなど、国鉄時代には考えられないような運用です。 (写真)
(13/07/31 15:07:24 3326M) ちなみに、今日の行程で1番危険な乗り継ぎがここ直江津です。 「北越」がわずかでも遅れるとアウト。「妙高6号」は今日の189系最終列車です。しかも189系が定期運用を持っているのはここだけです。
(13/07/31 15:30:08 3326M) 考えてみれば、本州に入ってからずっと、日本海に沿って南下してきました。しかしこのまま日本海側を行っても、小松以西は国鉄車がありません。(臨時「トワイライトエクスプレス」除く) そのため、直江津から川崎まで、本州を横断し、川崎からは太平洋側を行くことになります。
(13/07/31 16:44:50 3326M) 長野駅到着。結局爆睡でした。 二日連続深夜という状態で、特急形車両に終点までというのは寝るなと言う方が無理です。 写真は長野駅舎。公団が作る余計なものの開業に合わせて建て替え予定です。 (写真)
(13/07/31 17:21:24 448M) 長野からは信越本線・篠ノ井線・中央本線直通の甲府行きで一気に東京近郊区間を目指します。 車両は長野総合車両センター115系N1編成です。 (写真)
(13/07/31 17:39:49 448M) スイッチバックの桑ノ原信号場で「しなの17号」と交換。 (写真)
(13/07/31 17:56:05 448M) もうお昼だか夜だか分からないが…時刻表に載っていない「北回廊弁当(一重)」。 (写真)
(13/07/31 17:56:36 448M) 姨捨駅より。 (写真)
(13/07/31 18:00:13 448M) 聖高原で「リゾートビューふるさと」と交換。 (写真)
(13/07/31 18:37:13 448M) 松本停車中。 トイレに行くのが困難なほどに混んできました。
(13/07/31 20:43:11 358M) 甲府で大月行きに乗り換え。 車両は豊田車両センター115系M9編成です。 同じ中央本線でも豊田の車両はスカ色です。 本家の横須賀線や房総各線から国鉄車が無くなった今、スカ色を見られるのはこの中央本線だけになりました。 (写真)
(13/07/31 21:41:27 358M) 【第1部終了】 大月到着。本日は立川方面に行く国鉄車はもうありません。 よって、本日はここまでとなります。 ここからはいったん帰宅し、明日は通常出勤します。 稚内から使って来た乗車券は、写真のようになりました。 (写真)
(13/08/01 00:26:35 358M) 第1部の感想…疲れた。 1日くらいの遅れは予想の範囲内だったが、苫小牧で止められたのは予想外。帯広まで流されたのは更に予想外。 延泊はまあいいが、困ったのは着るもの。今回は荷物軽減のため、着るものを減らしたのでやり繰りに困った。宿の風呂場で何度洗濯したか。 あと本州は暑い。北海道はやはり涼しい。ただし非冷房車でも窓を開けないので車内は本州の方が涼しい。
(13/08/02 08:29:10 527M) 【お知らせ】すみません。やっちゃいけないことをやってしまいました。寝坊して528Mに乗れませんでした。 次の立川行きに乗るべく、大月に向かっています。 そういえば自転車旅行のときも国道20号甲府市スタートの日に寝坊、塩尻峠を日没後に越えることになりました。 中央線方面とは相性が悪いのかもしれません。
(13/08/02 09:01:30 527M) 大月到着。 乗って来たのも国鉄車。長野総合車両センター115系C1編成です。 (写真)
(13/08/02 09:09:58 527M) 大月と言えば富士急行。実は未だに乗ったことの無い路線です。 そしてご覧のとおり、日本唯一の国鉄165系の現役車がいます。 しなの鉄道の169系が引退したので、日本唯一の直流急行形でもあります。 (写真)
(13/08/02 09:30:39 426M) 【国鉄車の旅第2部開始】 大月から国鉄車の旅を再開します。 まずは立川行きにのり、先程来た道を戻ります。 車両は長野総合車両センター115系C2編成です。 一昨日が国鉄車ではなかったとはいえ、大月〜八王子を1往復半、我ながら馬鹿馬鹿しいです。 (写真)
(13/08/02 10:50:42 426M) 立川からは南武線なんですが…ここは国鉄車が来るかどうかは運次第。 寝坊が致命的な影響を与えるか、帳消しになるかも運次第です。 今日は午前休みしか取っていないので、チャンスは5回です。 最初の1028Fは乗り遅れ、次の1062FはJR東日本205系、次の1022Fはプレハブ(209系)でした。 あとチャンスは1148F、1110Fだけです。
(13/08/02 10:57:45 426M) 1148FはJR東日本205系。 あと1本。やばいです。 (写真)
(13/08/02 11:03:29 426M) 1110Fはプレハブ(209系)。終わりました。
(13/08/02 11:13:14 426M) 続く1132FもJR東日本205系。
(13/08/02 11:24:36 426M) ふと見つけたポスター。 エスカレーターで片側を空けるなというものですが、北海道から関東の鉄道会社の名前しかなくて、関東以西はJR東海と西日本だけ。 関西民鉄は「急ぐ人のために片側を空けましょう」だもんな。 (写真)
(13/08/02 11:31:57 1134F) 1134F。 中原電車区205系4編成です。 写真の車両はJR車ですが、4号車、5号車だけは国鉄車という編成です。 (写真)
(13/08/02 11:35:58 1134F) 見た目はほとんど同じ205系ですが、ドア窓の大きさが違います。 5号車国鉄車と6号車JR車の違い、わかりますでしょうか? (写真)
(13/08/02 11:44:12 1118F) 1134Fに乗ろうかと思いましたが、次の1118F快速に全車国鉄車が来ましたのでこちらに乗ります。 中原電車区205系34編成、中原電車区のクハの中では最若番車(=1番古い)、昭和60年製です。 (写真)
(13/08/02 12:10:18 1118F) 今日から明日にかけては、「ここでしか乗れない」車両が続きます。 まずはこの205系、国鉄からJRにかけて山手線の新車として導入されました。現在、南武線、武蔵野線、鶴見線などにいますが、すでに東日本では淘汰が始まっています。 一部はJR西日本にも引き継がれましたが、西日本に引き継がた車両は全車が阪和線におり、行程に組み込むのは困難です。1番乗りやすいのがこの南武線のグループ。気がついたら少数派です。 この後、185系、183系、211系と続きます。
(13/08/02 13:57:06 8037M) 川崎からは特急「踊り子117号」で横浜へ。 わずか7分に対して特急券500円です。 車両は大宮総合車両センター185系A2編成(旧田町車)です。 馬鹿馬鹿しいようですが、今や「踊り子」を使わないと川崎から西へ国鉄車で行くことができません。 (写真)
(13/08/02 23:41:51 9391M) 横浜からは「ムーンライトながら」です。 大宮総合車両センター183系H102編成です。 (写真)
(13/08/02 23:52:59 9391M) 残念ながら「きたぐに」「日本海」の廃止により、現在は、国鉄車の定期列車だけで関東エリアと関西エリアを行き来することはできません。東は小松、中津川、飯田、三島まで、西は永原、柘植、猪谷、瑞浪までが国鉄車で行ける限界です。 「ムーンライトながら」と「トワイライトエクスプレス」だけが両エリアをつないでいます。
(13/08/03 05:33:22 9391M) 葛西帝国(JR東海)の首都、名古屋に到着しました。 この葛西帝国をいかに抜けるかが、国鉄車の旅の鍵になります。 なにせここ、葛西帝国に残る国鉄車は、わずか8両の211系電車とキハ40だけ。あとはイベントトレインとして残された4両の117系。しかもキハ40も置き換えを打ち出しています。 JR西日本で全車健在の117系や他社では散々乗った(乗る)115系が引退済み。他社で主力のキハ40も置き換え対象というあたり、いかに葛西帝国が異常か分かるでしょう。 (写真)
(13/08/03 05:46:23 9391M) ここで葛西帝国会長、葛西敬之について紹介しておく。 葛西はJR束日本の松田、JR西日本の井手とともに悪の枢軸(誤)として国鉄ファンに敵視される人物で、松田が引退、井手が失脚したあとも、JR東海を支配している。 彼の経営手法は、鉄道の旅を徹底して否定している。東海道線の夜行列車群が無くなり、ただのローカル線になったのは葛西帝国が機関車の運転士の養成をしなかったからというのは有名。 東京〜大阪を結ぶ「銀河」が廃止に追い込まれたのは葛西によるところが大きい。
(13/08/03 05:55:56 9391M) JR九州の「ななつ星」が大人気で、東が追随します、西が追随します、絶対に追随しないどころか、おそらくそれらの車両の管内通過を認めないのが葛西帝国。 新幹線中心の経営と言うが、JR西日本がグリーン車にビデオ放映の設備を付けたら新大阪以東では施錠させるのが葛西帝国。JR西日本が史上最速(当時)の500系を作ったら乗り入れを認めないのが葛西帝国。
(13/08/03 06:11:04 9391M) JR東海発足時は新幹線は全列車に食堂車かビュフェがあったのに、今や食堂車はおろか、売店すらない。「のぞみ」「ひかり」以外は車内販売すらない。在来線特急からは車内販売全廃した。在来線日本最長距離昼行特急(「しなの16号」)が管内を走っているにもかかわらずである。 先代の須田社長は381系や165系といった国鉄時代の貴重な車両を編成単位で保存し、181系ディーゼルカーという東海地区にゆかりのある車両をJR四国から購入して保存していたのに、申し訳程度に博物館を作って一部を収蔵した以外は放置解体。
(13/08/03 06:19:13 9391M) 新幹線以外は客じゃない、新幹線も「東京〜新大阪だけ乗ってくれればいいんですよ。」(九州まで乗られると取り分の割合が減る)と言い放つのが葛西帝国。 正直、JR東海から新幹線を取り上げるくらいしないと日本の鉄道に将来は無いと本気で思っている。 こんな葛西帝国。なるべく早く抜けるのが吉。 今回の旅でも一日弱で抜けます。
(13/08/03 07:16:07 4311M) 名古屋駅改札で経由別紙を確認された。今まで見た駅員はいなかった気がする。(岩見沢の馬鹿に至っては…。) しっかりしていて良い。 次に乗るのは211系なのだが、少しだけ心配がある。 というのは、JR東海が保有している国鉄211系は4両×2の8両のみ。運用は2運用ある。つまり検査時は他車で代走があるのである。 代走は当然JR東海車。代走が入ってしまうと名古屋から進めなくなりこの後の予定は破壊される。 葛西帝国はなるべく早く抜けたい。あと1時間弱で結果が分かる。
(13/08/03 08:24:25 4311M) 国鉄211系が八田方から回送で入線。これで大阪まで行けることがほぼ確定しました。 同じく国鉄211系を使う4312Mが折り返すのかと思ったら違うんですね。その代わり、名古屋駅で国鉄211系が並びます。 手前が4311M、奥が4312M。この2編成がJR東海の国鉄211系のすべて。JR東海で定期運用を持っている国鉄電車すべてです。 (写真)
(13/08/03 08:48:14 4311M) 普通列車亀山行き。 車両は神領車両区211系K51編成です。 JRRの「JR電車編成表」では、 クモハ211-2 モハ210-14 サハ211-14 クハ210-8 の編成はK52となっていますが、実際にはK51編成を名乗っています。 国鉄211系はJR東日本の方がたくさん所有していますが、東北本線、高崎線で細々と運用しているのみ。多くは長野に疎開留置されています。いずれ耐寒強化して長野地区で運用開始するんでしょうがねぇ。今は数が少ない東海の方が乗りやすい状態になっています。 (写真)
(13/08/03 08:59:25 4311M) ちなみにこの車両は昭和61年製。国鉄と言っても最末期ですね。 永和で交換のため停車。「関西本線<名古屋・亀山>電化開業」(昭和57年)のスタンプがあり感動。 「鉄道の旅は許さん!」という葛西会長の方針か、東海鉄道事業本部エリアでは、名古屋駅も含め、ほとんどの駅でスタンプが撤去されていますが、三重支店までは影響は及んでいない模様。
(13/08/03 09:30:50 4311M) 空いて来たのでボックスシートに移動して弁当を食べる。 国鉄車のボックスシートで駅弁、最高ですよね。 弁当は何故か時刻表に載っていない、名古屋駅の「大えびフライ弁当 みそカツ付き」。 どうせ衣を付けたえびフライに衣を付けて衣を付けて…とやっただけだろうと期待していなかったが、本当に大きくて歯ごたえのあるえびだった。 しかし何で名古屋はみそカツとかえびフライとか「重い」ものばかりなんだろう。 北海道の海鮮が懐かしい。 (写真)
(13/08/03 10:03:26 4311M) 上り列車の遅れの影響で2分ほど遅れて亀山到着。 蝋燭と液晶の街です。 次の国鉄車は、なんと5時間半後! 5時間半あれば普通列車で大阪まで行って帰ってくることが出来ます。 しかも柘植駅が大阪近郊区間なので、亀山→柘植、柘植→油日、油日→亀山の計980円で行って帰って来られるというお値段かなりリーズナブル。 (写真)
(13/08/03 11:56:58 Bus) 国鉄チャレンジ20000kmのポスター!! このキャンペーンから「乗り潰し」が一般的になりました。 しかし、こんなポスターが残っているところ、どこだと思いますか? (写真)
(13/08/03 12:56:55 Bus) 国民宿舎「関ロッジ」です。 日本で唯一、20系客車に泊まることが出来ます。 20系はJR化後も何年かは現役で、写真を撮ったことはありますが、乗ることは無く、全廃となりました。 この車両の搬入は国鉄時代の昭和60年ですから、この客車はここで28年過ごしたことになります。かなり錆が見えています。 車内も見せてもらいましたが、ベッドの狭さと三段寝台に驚きました。これでも「走るホテル」と羨望の的だったのですから時代を感じます。 先程のポスターはこの車内にありました。 (写真)
(13/08/03 13:40:41 Bus) 道の駅「関宿」で休憩。 今回は道の駅の訪問も多いですね。(おうむ・わっかない・いまべつ) (写真)
(13/08/03 14:11:40 236D) 亀山駅に戻ってきました。 朝乗った211系が留置されています。 国鉄車は夜まで運用はありません。 (写真)
(13/08/03 14:53:10 335D) 亀山駅は関西本線の途中駅、紀勢本線との分岐駅ながら、全列車が始発、終着で、この駅を通り抜ける列車は一本もありません。 こういう駅も珍しく、他には伊万里くらいしか思い付きません。 亀山は更に、各方面の使用車両も固定されています。(名古屋方面は211系と313系、津方面は40系ディーゼルカーとキハ11、加茂方面はキハ120のみ) もちろん昔は関西本線、紀勢本線とも、直通列車の方が多かったのですが…。 (写真)
(13/08/03 15:00:07 335D) なんか引き上げ線で変な色のがヘッドライト点けてる…。
(13/08/03 15:00:38 335D) 変な色のが近づいて来た…。
(13/08/03 15:27:47 335D) 変な色のが来ました。これが新宮行きになります。 キハ40 3005+キハ48 5001+キハ48 6502です。 キハ40 3005とキハ48 6502が変な色です。 この色、国鉄気動車の一般色なのですが、40系ディーゼルカーが登場した頃は朱色一色が一般色になっており、国鉄時代、40系ディーゼルカーがこの色になったことはありません。 そもそも高運転台車両でこの色になったのはキニだかなんだかが一両なっただけです。 こんなリバイバルでも何でもない、時代考証も目茶苦茶な色にするなんて、葛西帝国のやることは理解出来ません。 (写真)
(13/08/03 16:35:56 335D) 阿漕〜高茶屋が予定のルートの中間点です。 もっとも、先日の大雨で山口線・山陰本線が不通となり、後半はショートカットせざるを得ないので、実際の中間点は過ぎていることになります。 (写真)
(13/08/03 16:40:24 335D) ちなみに乗っているのは2両目、JR東海色のキハ48 5001です。 変な色が嫌…だからではなく、キハ40はデッキが無いのでクーラーの効きが悪いから避けただけです。 昭和56年製です。
(13/08/03 17:58:38 335D) 紀伊長島でしばらく停車。 (写真)
(13/08/03 19:55:37 335D) 新宮到着。 寝続けて掃除のおじさんに起こされました。 かなり疲れがたまっています。 (写真)
(13/08/03 21:36:26 2348M) 井手商会もといJR西日本エリアに入りました。 当面の問題は、実は乗車券の経路に入っている山口線、山陰本線をどうするかという問題です。先程お客様センターに電話したところ、不通区間の別途旅行の扱いはしていない(指示が来ていない)から、新山口まで行って前途払戻してくれというというアホな答えが。んなわけねぇだろ? ちょっと新宮駅で確認します。
(13/08/03 22:02:30 2348M) 新宮駅からは最終の串本行きに乗ります。 車両は吹田総合車両所日根野支所新在家派出所105系SF002編成です。 長い区所名ですが、昔の新和歌山車両センター(和ワカ)です。 元々105系はクリーム色に朱色帯でしたが、最近、青緑一色の手抜き塗装に変わりました。でも通勤電車の一色塗装は見慣れているからか、違和感無いです。 105系は初めから105系として製造されたグループと、103系から改造されたグループがありますが、新宮〜紀伊田辺で使用されるのは新造グループです。 (写真)
(13/08/03 22:20:09 2348M) 今回の旅は、稚内から川崎までは上り列車だけを使用しているので、列車番号がすべて偶数になっています。一方、川崎から伯耆大山までは下り列車だけなので、基本的に列車番号は奇数なのですが、ここ、紀勢西線は阪和線に合わせた列車番号になっているため、下り列車ながら2348Mと偶数番号になっています。
(13/08/03 22:37:26 2348M) ワンマンの2両目、全員が靴を脱いで座席に上がって、横になったり三角座りしたりしています。さすが関西!! 「郷に入ればGoGoGo!!(誤)」ということで、私もC寝台(クモニネ105)にします。 東のプレハブと違って、ベッドにしても問題ない座席ですし、寝台幅は20系並にあるし。
(13/08/04 05:55:21 2320M) おはようございます。 今日は串本発紀伊田辺行きの1番列車からスタートします。 車両は吹田総合車両所日根野支所新在家派出所105系SF002編成、要は昨日新宮から乗って来た編成がそのままホームで滞泊したものです。 写真右側の列車です。 こう並んで見ると、オーシャンカラー(左側)と手抜き塗装(右側)の違いがわかります。 (写真)
(13/08/04 07:18:16 2320M) 紀伊田辺到着。 今朝は横にこそなっていないものの、ほとんど寝て過ごしました。 (写真)
(13/08/04 07:38:59 2320M) この紀伊田辺で2時間待ちとなります。 紀伊田辺〜御坊は113系、御坊〜和歌山は117系と、基本的に国鉄車が運用されているのですが、朝の時間帯は225系が入ってきます。その朝の時間帯であるがために、やたらと待つ羽目になります。 (写真)
(13/08/04 08:13:52 2320M) 確かにこのポスター、西日本にもあるんだな。 (写真)
(13/08/04 08:59:10 2352M) 紀伊田辺からは113系なんですが…なんじゃこりゃ。形といい色といい、最低です。 車両は吹田総合車両所日根野支所113系HG201編成です。 かつてたくさんの113系が在籍した日根野区も、今や4両が残るだけ。みなこの顔です。 そして今回の旅で113系に乗るのはこの1回のみ。かつてはこれに乗らずに東京〜大阪を移動する方が難しかったのに今や絶滅危惧種です。 (写真)
(13/08/04 10:11:55 13D) 御坊からちょっと寄り道して、東京都に本社がある某不動産会社の路線に乗ります。 某不動産会社が「鉄道会社の不動産部門」と名乗りたいがために購入。2.7kmを残して廃止したという鉄道です。 この車両は国内最後の旅客用二軸車だったりします。 座席の布は擦り切れ、冷房は故障という、ツッコミどころ満載で走っています。 (写真)
(13/08/04 10:15:18 13D) 終点、西御坊駅到着。 とても駅とは思えない場所です。 それでもさすがは不動産会社、一日16往復も走っています。乗客は1列車1人くらいか(笑)。 スピードも30kmくらいしか出しません。 (写真)
(13/08/04 10:20:01 14D) それは鉄道名じゃなくて急行「紀州」のサボだろ!! 全線乗っても180円とリーズナブル。 あと、乗客1名は訂正。途中から乗って来て6名になりました。 安くて本数があれば客は乗るんですね。 (写真)
(13/08/04 10:40:12 352M) 御坊からは117系普通、和歌山行きに乗ります。 かつては「シティライナー」の愛称で京阪神を爆走し、急行「比叡」や特急「日本海」をぶち抜いていた117系ですが、4両に短縮され、青緑一色の手抜きカラーになり、御坊〜和歌山を往復しています。 すでにJR東海の仲間は廃車、解体されています。 車両は吹田総合車両所日根野支所新在家派出所117系SG003編成です。 (写真)
(13/08/04 10:49:57 352M) 朝食(?)は御坊駅の「さんま寿司」。 時刻表には何故か載っていません。 (写真)
(13/08/04 12:03:24 237M) 国鉄車の旅の趣旨から言えば、すぐの「くろしお」で北上しても良いのですが、せっかくなので和歌山市まで行って、紀勢本線一気乗りにしておきましょう。 和歌山市行きは吹田総合車両所日根野支所新在家派出所105系SP005編成です。 ところでこの顔、見覚えある方、いませんか? 昔、常磐線各駅停車・営団地下鉄千代田線で走っていた103系1000番代です。国鉄末期に105系に改造され、西日本にやってきました。 (写真)
(13/08/04 12:05:54 237M) 昭和46年製で、私より古い車両です。 同じ105系を名乗っていますが、新宮〜紀伊田辺で乗ったオリジナル105系が3扉なのに対し、103系改造の105系は4扉です。 東日本からは103系は無いどころか、103系1000番代の後継車の203系も全車廃車され、フィリピンやインドネシアに渡っています。 つまり、東日本の二世代前の車両を大切に使っているのがJR西日本なのです。
(13/08/04 12:08:12 237M) …古いのは構わないのですが、この車両、JR西日本が冷房化率を上げたいがために安物を付けた簡易冷房車。ほとんど効きません。走行時間が短く4つのドアを開け放した日には…。 扇風機がフル稼働していますが暑いです。北海道の非冷房車と変わりません。
(13/08/04 12:23:37 237M) 和歌山市到着。 紀勢本線384.2kmの執着駅ですが、実態は南海電鉄への乗り入れです。駅名票もこのように南海スタイルです。 これで紀勢本線全線に乗車しました。西日本区間はすべて、青緑一色の手抜き塗装でした。 ちなみに国鉄車で名古屋〜大阪を移動するには、今回のように紀伊半島を半周するしかなくなっています。 (写真)
(13/08/04 12:33:52 1201) 続いて私にとっての未乗路線、和歌山電鐵貴志川線に乗ります。 私が大阪にいた頃は南海電鉄貴志川線だったのですが、南海電鉄が廃止を表明、地元の尽力で岡山電気軌道が受け入れ先になり、和歌山電鐵として再生しました。 車両はあの水戸岡鋭治氏のデザインで改装しています。 私は南海時代も含めて乗ったことはなく、初めての乗車です。 (写真)
(13/08/04 14:00:59 68M) 和歌山からは「くろしお18号」で天王寺へ向かいます。車両は吹田総合車両所日根野支所381系HD602編成です。 元々阪和線沿線に住んでいたので、本当は阪和線は普通列車でゆっくり通過したかったのですが、残念ながら、現ダイヤの昼間は国鉄車の103系は鳳以南に来ません。 さすがに夜までは待てないので、特急で通過します。 また103系王国阪和線を特急で通過してしまったがために、後で行程に103系を入れるのに苦労するのですが…。 (写真)
(13/08/04 14:30:17 68M) お昼は和歌山駅の「味くらべ」。これまた時刻表には載っていません。 時刻表に載る基準ってなんなんだろう? 懐かしい区間の車窓を見ながら弁当を食べています。 103系王国と書きましたが、減便と快速、区間快速からの撤退で103系を見ることもかなり減りましたね。 杉本町以北は高架化され、景色の視線が変わっています。 (写真)
(13/08/04 14:51:10 68M) 天王寺駅18番線到着。 天王寺駅もかなり変わりました。 19番線20番線とかいう魔界は無くなったし、何よりこの阪和線ホームの衰退ぶりが寂しい。 大阪直通の増加と普通の減便の結果です。 天王寺から先は201系を待ちます。 (写真)
(13/08/04 15:41:12 1473) 天王寺からは大阪環状線に乗ります。 大阪環状線は103系と201系ですが、201系はここでしか乗れないので201系に乗ることにします。 本数的には201系の方が多いはずなのですが、103系が2連発で来ました。 昼間は関空紀州路快速、大和路快速を除くと15分に1本なので、ここで30分以上待ったことになります。 車両は吹田総合車両所森ノ宮支所201系LB8編成です。 (写真)
(13/08/04 16:14:19 1473) 【国鉄車の旅第2章終了】 無事、大阪駅到着。 第2章はここまでです。 現在、帰路についています。
(13/08/07 14:52:10 3015M) 【国鉄車の旅第3章開始】 間もなく国鉄車の旅第3章、大阪〜枕崎をスタートします。
(13/08/07 15:07:10 3015M) 関西で余裕が出来るようにと、自宅を1番列車で出てきた上、途中新幹線で加速したのに、枇杷島駅の人身事故の影響でギリギリ。 事故は仕方ないとしても、葛西帝国は意図的に接続悪くしているとしか思えない。 大垣駅手前でしばらく停車→接続のため、米原行きが遅れ→米原で新快速に不接。
(13/08/07 15:31:41 3015M) 国鉄車の旅、実は大阪〜福知山が1番のネックです。この381系「こうのとり」に乗るしかありません。福知山の381系が消えた瞬間に、北海道〜九州の国鉄車の旅は出来なくなります。 大阪からは「こうのとり15号」に乗ります。 車両は福知山電車区381系FE65編成にFE651編成を挟んだ編成です。 (写真)
(13/08/07 15:32:34 3015M) ちなみに、今回の乗車券、新山口〜幡生の扱いについて、JR西日本のお客様センターからの回答は来ていません。 先程、大阪駅改札口に怒りの文書を手渡して来ました。
(13/08/07 15:33:51 3015M) 尼崎〜塚口の魔のカーブで、踏切支障のため停止。7分遅れとなりました。
(13/08/07 15:50:04 3015M) 停車中にお客様センターから電話あり。大阪駅での文書が効いたのか? 結論から言うと、別途旅行は須佐〜宇田郷しか認められないとのこと。 または新山口で前途を払い戻して、幡生で別途購入してくださいとのこと。(払戻額より別途購入額の方が高くなります。) アホくさい話ですが、新山口〜幡生の放棄しかありません。
(13/08/07 16:14:32 3015M) ちなみにこの列車、J-WESTカードの会員だと自由席と同額で指定席に乗車できます。 「くろしお」に至っては自由席以下…。先日、混雑している自由席に乗って大損しました。
(13/08/07 17:23:28 3015M) 和田山発車。いつの間にか定刻に。
(13/08/07 18:09:13 183D) 豊岡からは延々と普通列車の乗り継ぎになります。これ以降、本州内で特急に乗る予定はありません。 豊岡からは浜坂行きです。車両はキハ47 5+キハ47 1012です。 (写真)
(13/08/07 18:28:50 183D) 検札が回って来たので、敢えて青春18きっぷではなく、稚内→枕崎の乗車券を見せました。 そういえば、この乗車券、何度か検札に会っていますが、スタンプを捺したのは「こうのとり」車内、大阪車掌区だけです。 大阪車掌区ということで、「浅尾車掌のスタンプ、持っていませんか?」と聞いたのですが、持っていないとのこと。残念。 (写真)
(13/08/07 19:08:45 183D) いつの間にか、旧余部鉄橋が舗装されて「空の公園」になっていました。 車掌さんも知らなかったみたいですからごく最近です。 (写真)
(13/08/07 19:17:05 183D) 車掌さんと書きましたが、実はこの区間、ワンマンではない普通列車は一往復だけ!!貴重でした。 所定はキハ47×4両なので、本日は2両減車です。
(13/08/07 19:28:19 545D) 浜坂駅はすでに営業終了。 途中下車印もスタンプも押せず。残念。 (写真)
(13/08/07 19:30:40 545D) 浜坂からは鳥取行きワンマンカー。 車両はキハ47 146+キハ47 1037です。 このカラーの車両は初めて見た。 (写真)
(13/08/07 20:58:48 545D) さっきの車両、こんなデザインでした。 (写真)
(13/08/07 21:00:59 265D) 鳥取ですぐの列車に乗っても倉吉で接続が無いので、一本落とします。 21時01分発倉吉行き、車両はキハ47 2017+キハ47 3015です。 (写真)
(13/08/07 21:43:20 265D) 宝木で交換する「スーパーまつかぜ14号」の遅れを受けて5分遅れ。
(13/08/07 22:16:25 267D) 倉吉で米子行きに乗り換え。快速「とっとりライナー」の交換待ちで2分遅れで発車。 車両はキハ47 8+キハ47 1025です。 (写真)
(13/08/08 00:00:45 267D) 今日は切符上は伯耆大山、実際は米子泊です。 しっかりとこういう印がありました。他駅の下車印が付くのは米子駅だけになる予定です。 それにしても米子は宿が安くて嬉しいです。今日泊まる宿は何と2630円!! 今日は山陰本線の荒島〜揖屋で人身事故があったみたいですね。 西から来る列車が軒並み遅れて来るわけですね。 (写真)
(13/08/08 06:02:39 228D) おはようございます。 米子を出発し、本来の出発地、伯耆大山に向かいます。 車両は、キハ47 1025+キハ47 8+キハ47 84+キハ47 1114です。 (写真)
(13/08/08 06:13:23 228D) 伯耆大山駅到着。 枕崎への旅を再開します。 (写真)
(13/08/08 06:24:54 820M) 伯耆大山からは伯備線、新見行きに乗ります。 車両は岡山電車区115系G8編成です。 国鉄車の旅で何度も乗ることになる115系ですが、2日の立川以来です。 色はご覧のとおり手抜き塗装の黄色。別名「末期色」と呼ばれています。 逆側の先頭車は…見ない方がいいと思います。 (写真)
(13/08/08 07:52:09 820M) 普通列車が通過する駅、布原。 この列車は「運転停車」し、「サンライズ出雲」と交換します。 4分間停まってもドアは開けません。 (写真)
(13/08/08 07:58:52 820M) 新見到着。 見ない方がいい先頭車を見てしまいました。 (写真)
(13/08/08 08:40:18 848M) 新見からは相生行きに乗ります。車両は岡山電車区115系A2編成です。 国鉄車ですが、客室内は転換式シートに変更されていますので221系並!!快適です。 ただし色は末期色に塗り替えられてしまいました。 (写真)
(13/08/08 09:43:19 848M) 備中高梁で一本落とします。その理由は… (写真)
(13/08/08 09:55:15 1828M) 理由は備中高梁から213系に乗るためです。 213系は国鉄からJRへの移行期に作られているので、車両によっては国鉄車ではなくなります。 このため、少しでも国鉄車の確率を上げるため、4両編成のこの列車を狙いました。 車両は岡山電車区213系C1編成+C7編成、4両とも国鉄車です。213系のトップナンバー編成とサハ→クハ改造のトップナンバーの組み合わせです。 (写真)
(13/08/08 10:19:07 1828M) 213系は国鉄最後の新形式です。 わずかな期間でしたが国鉄に在籍していた証拠です。 (写真)
(13/08/08 10:22:01 1828M) こちらは改造先頭車。 運転台ユニットをまるまる付け足していますが、ちゃんと国鉄っぽいデザイン。 115系に施した下手くそな先頭車改造と違い、あまり違和感無いです。 (写真)
(13/08/08 10:52:30 1733M) 倉敷からは山陽本線で西へ向かいます。 普通列車糸崎行き、車両は岡山電車区115系D14編成です。 車内は転換式シート、塗色は末期色です。 JRの手抜き塗装も着々と増え、まともな塗装の車両を見るのが厳しくなりました。 (写真)
(13/08/08 11:12:56 1733M) 3両編成の先頭車だけ明らかに空いている。他の車両には立ち客もいるのに、先頭車だけは空席だらけ。何故なら先頭車は弱冷車だから。 明らかに支持されていない施策なんだからいい加減廃止すべきではないか。
(13/08/08 11:27:27 1733M) ここで「国鉄車の旅」のコースの説明を…。 本州に入って直江津までは日本海側を来ました。ところが、小松以西は国鉄車が無い(「トワイライトエクスプレス」除く)ため、直江津から本州横断しました。川崎からは太平洋側を来ますが、尼崎〜姫路は国鉄車が無いため、再び本州横断して福知山からひ日本海側を行きます。 ところが今度は浜田〜益田に国鉄車が無いため、三度目の本州横断をして太平洋側に来ました。 無駄に日本海側と太平洋側を行き来したように見えますが、国鉄車の旅では必然なのです。
(13/08/08 12:09:19 1733M) 糸崎駅到着。 岡山支社と広島支社の境界駅で、運転上の大拠点ですが、駅自体はご覧のとおりです。 (写真)
(13/08/08 12:22:56 351M) 糸崎からは予定を変更し、すぐの列車で三原に駒を進めます。 車両は下関総合車両所広島支所115系L04編成です。 珍しく、まだまともな色です。 糸崎駅の側線を見ても末期色ばかりになりました。 (写真)
(13/08/08 12:59:32 143M) 三原からは呉線に乗ります。これから広島まで、2時間以上、通勤電車のロングシートです。 まずは広行き、車両は下関総合車両所広島支所105系K3編成です。 末期色に塗り替えられた仲間も多い中、広島色(白地にJR西日本カラーともみじ色の帯)を保っています。 (写真)
(13/08/08 13:38:45 143M) 竹原駅停車中。 青春18きっぷに途中下車印を頼む阿呆が増殖中。 押す場所まで指定する馬鹿がいる。 一葉化で記載事項が見にくくなったし、18きっぷに下車印は要らないだろう。 こういう迷惑な奴のせいで、本当に下車印が必要な切符まで下車印が省略されたら本末転倒だ。
(13/08/08 14:38:45 5645M) 広からは快速広島行きに乗り換えです。 車両は下関総合車両所広島支所103系D3編成です。 103系は中央線、山手線から始まり、東京、仙台、名古屋、大阪、福岡の通勤区間でいくらでも見られた車両でした。国鉄で1番たくさん作られた車両です。 しかしすでにJR東日本、JR東海では絶滅。JR西日本でも急速に数を減らしています。 今回の旅でも103系に乗るのはこの区間だけです。 そして…一色塗りが1番似合う車両なんですが、何故か末期色にしていません。 (写真)
(13/08/08 14:50:55 5645M) 安芸阿賀での交換列車遅れの影響で呉駅の停車時間が消えました。それでも3分遅れ。
(13/08/08 15:08:28 5645M) 天応駅でまっ黄色の103系と交換。さすが全く違和感無し。路線的には水色の方が似合いそうだが。 ダイヤが乱れているからか、かるが浜、天応、水尻と運転停車。快速とは言いづらい。
(13/08/08 15:23:05 5645M) 海田市発車時点で4分遅れ。 間もなく広島です。
(13/08/08 16:36:22 1563M) 【国鉄車の旅番外編1】 番外編で宮島口に向かいます。 車両は下関総合車両所運用検修センター115系N9編成です。 3000番代、末期色にはなっていません。 (写真)
(13/08/08 17:02:33 Ship) 宮島口に来た理由は、国鉄連絡船の唯一の生き残り、「ななうら丸」に乗るため。 16時30分宮島口発になんとか乗れました。 折り返しの運航は無く、そのまま宮島桟橋に停泊です。 (写真)
(13/08/08 17:21:06 Ship) 緊急地震速報の影響で山陽本線が遅れている。そういや宮島で例の音を聞いたけど地震の通知メールは来なかった。気象庁、派手に誤報やったっぽいな。
(13/08/08 18:30:47 791M) せっかくですからまともな113系に乗っておきます。 可部線可部行きです。 車両は下関総合車両所広島支所113系P02編成です。 車内は221系並の転換式シート、色もJR西日本カラーです。 (写真)
(13/08/08 18:34:08 791M) 緊急地震誤報の影響で広島駅を7分遅れで発車。 緊急地震誤報が夕ラッシュのダイヤを破壊しています。 (写真)
(13/08/08 20:19:12 1583M) 横川(実際には140円の乗車券を買って広島)からは下関行きで西へ向かいます。 車両は下関総合車両所運用検修センター115系N02編成です。 3000番代です。 緊急地震誤報の影響で4分遅れで広島を発車。ダイヤが乱れたときでも基本的に発車順序の変更はしないようです。 広島を出た時には大混雑でしたが、すぐに空いてきて座れるようになりました。 東京と違って通勤距離が短くてうらやましいです。 (写真)
(13/08/08 21:43:55 3483M) 岩国の停車時間分で遅れを取り戻すと思いきや、岩徳線との接続待ちで逆に遅れを増幅。 現在、5分遅れで走行中。
(13/08/08 22:40:09 3483M) いつの間にか定刻で走っていた。謎。
(13/08/08 22:47:40 3483M) 新山口到着。 村上から何度となく乗った115系ともこれでお別れ。 そしてこれから、切符の扱いについて、JR西日本と戦いです。 (写真)
(13/08/09 00:39:44 3483M) 約1時間の戦いの末、新山口〜幡生(山口線・山陰本線経由)の不乗証明をゲット。ただし、払戻は原券を回収しないとダメとのこと。ということで、実際には払戻しないのを前提に証明しているのが現状。 原券回収しないといけないというのは社員がちょろまかさないようにとのこと。まっそういうことやる社員がいる会社だしな(笑)。 明日朝までに山陽本線経由の乗車券に作り直して差額返金しろと言うのも可能だったが、本当にやりそうだし、駅員一人徹夜させるだけの嫌がらせなのでやめた。
(13/08/09 07:29:13 9521) 今回の原因列車。車両は下関総合車両所新山口支所に留置中。 まあ、ここが所属区だから当たり前と言えば当たり前。 機関車の方は梅小路運転区の所属なので、今期は山口県にすら来ていないと思われます。 地福まで運転すればいい(機関車はプッシュプル)のにやらないのはやる気が無いからか。 元々今期は運転日が少なく、JRのSLで最多運転の座はSL人吉に譲っています。 (写真)
(13/08/09 07:43:12 1833M) 【予定変更】 山口線・山陰本線不通のため、新山口〜幡生を宇部線・山陽本線経由にし、幡生〜枕崎の予定を24時間繰り上げます。 なお、宇部線・山陽本線迂回中についても「国鉄車のみ」のルールは適用(逆に国鉄車以外に乗れるかは疑問だが)とします。 元々今回の国鉄車の旅のルール上は、新山口〜幡生が山口線・山陰本線経由である必要は無く、ただ「SLやまぐち」に乗りたいがための冗長経路でした。 不通にかこつけてSLやまぐちを全区間運休にしたJR西日本には怒りを覚えます。
(13/08/09 07:50:27 1833M) ということで、1833Mで下関行きで新山口を発ちます。 車両は下関総合車両所運用検修センター105系U9編成+I2編成です。 123系も期待しましたが、そもそもこの列車はどう見ても105系I編成の入庫列車なので、123系は入らないと思います。 (写真)
(13/08/09 08:25:50 1833M) 宇部新川到着。 (写真)
(13/08/09 09:02:53 3835M) 宇部新川からは予定通りの下関行きに乗ります。 123系電車が下関に入庫するための列車なので、必ず123系が入ります。 車両は下関総合車両所運用検修センター123系U14編成(クモハ123-3)+105系U3編成です。 この123系、元々はクモニ143という荷物電車だったのですが、国鉄の小荷物輸送の廃止と1両で走れる電車の必要性から、旅客車に改造されました。 元羽衣線の5か6を期待しましたが、残念ながら3でした。 123系はまともな色ですが、後ろの105系は末期色です。 (写真)
(13/08/09 09:17:17 3835M) 製造が昭和53年、改造が昭和62年ですから、本来の荷物電車としての仕事は10年足らずだったことになります。 国鉄の郵便・荷物輸送の廃止は急だったようで、わずか4年で廃車になった郵便車もあるようなので、長い方なんでしょう。 改造が国鉄時代だったのも意外でしたが、当時の国鉄の苦しいお財布事情がそう(荷物電車にお客を…)させたわけですから当たり前と言えば当たり前。すでに荷物車時代の約3倍、旅客車としての歴史を残しています。 ちなみに昭和62年の国鉄車は3ヶ月しか無いので貴重です。 (写真)
(13/08/09 09:53:32 3835M) 下関駅到着。 国鉄車の旅、井手商会(JR西日本)エリア終了です。 北海道から続いた国鉄車の旅も、いよいよ終盤に入ります。 (写真)
(13/08/09 10:15:33 5147M) 下関からは小倉行きに乗ります。 下関〜門司はトンネル、そして交直切替区間という特殊性から、民営化後はこの区間を抜けられる車両は作られておらず、全列車が国鉄車になっています。 車両は大分車両センター415系FO107編成です。 415系の貴重なセミクロスシート車です。 (写真)
(13/08/09 11:02:44 2337M) 小倉からは久留米行きで吉塚へ向かいます。 車両は小倉総合車両センター門司港車両派出415系FJ103編成です。 鹿児島本線を快速に抜かれながら各駅に停まって行きます。 (写真)
(13/08/09 11:55:35 2337M) 赤間で2本待避。 そういえば九州の415系の側面行き先幕、ローマ字が入っていないものがかなりの率であるんだが、何故だろう? 他の地域では見たことがない。 (写真)
(13/08/09 12:39:35 2337M) 吉塚到着。稚内〜枕崎の本体の旅としては、今日はここまでです。 引き続き、国鉄車の旅の番外編をお送りします。 (写真)
(13/08/09 12:45:52 2337M) 【国鉄車の旅番外編2】引き続き博多→博多、国鉄車の旅をスタートします。 トップランナーは普通、二日市行き。車両は小倉総合車両センター門司港車両派出415系FJ103編成です。 博多駅のこのホーム、篠栗線用だと思っていたのですが、本線の列車も使用するのですね。 (写真)
(13/08/09 13:04:55 2337M) しかし暑い。 冷房車にいるはずなのだが、窓(それも日影側)に近づくだけで汗が吹き出る。 井手商会の簡易冷房車じゃあるまいし、外は一体何が起こっているんだ?
(13/08/09 13:53:09 2857M) 鳥栖で長崎行きに乗り換え。 数少ない国鉄車同士が綺麗に接続します。しかも対面乗り換え。 車両は小倉総合車両センター門司港車両派出415系FJ126編成です。 (写真)
(13/08/09 14:02:55 2857M) 鳥栖と言えば「焼麦(しゃおまい)」。 「つばめ」のビュッフェでこれを頼むのが楽しみでした。 (写真)
(13/08/09 14:39:15 5845D) 佐賀で西唐津行きに乗り換えです。 前に黄色い何かが付いていますが、こちらには乗りません。 車両はキハ125-1+キハ47 9126です。 (写真)
(13/08/09 15:58:04 5845D) 唐津駅、金持神社。 正直、まだあったのかという感想。 金持さん、異動出来ないの? (写真)
(13/08/09 16:13:49 5845D) 西唐津到着。 唐津線、筑肥線の起終点だからもう少し大きな駅かと思ったらホーム一面だけの駅。駅スタンプも無し。 次の福岡空港行き国鉄車は1時間後。 こんなところで1時間待つのは耐えられないので、唐津駅に戻ります。 (写真)
(13/08/09 16:23:21 5848D) ということで唐津に引き返しました。 (写真)
(13/08/09 16:49:30 350C) 唐津からは103系に乗ります。 本編では広〜広島でしか乗れなかった103系ですが、福岡では比較的楽に乗ることが出来ます。 ご覧のとおり、水戸岡デザインで、まるで別車両のようになっています。 元々、九州の103系は201系の製造開始後に作られた車両で、本州の103系とはかなり別車両ですが。 車両は唐津鉄道事業部唐津車両センター103系E17編成です。 (写真)
(13/08/09 17:29:12 654C) そのまま筑前前原まで行っても接続する福岡空港行きは福交車なので、浜崎で一本落としました。 浜崎を選んだ理由は、古いスタンプがありそうだからという理由だったのですが、外れました。 浜崎からは福岡空港行きに乗ります。 車両は唐津鉄道事業部唐津車両センター103系E18編成+E07編成です。 (写真)
(13/08/09 17:51:50 654C) 3号車と4号車はモハとクモハが向き合っています。 (写真)
(13/08/09 18:38:59 654C) 博多駅到着。 番外編2はここまでです。 (写真)
(13/08/10 06:26:50 1620H) おはようございます。 本日は吉塚(実際は博多)からスタートします。 トップランナーは篠栗線・筑豊本線経由小倉行きです。 両線、国鉄時代は電化されていなかったので、国鉄車が黄色いヘッドサイン出して走るのはかなり違和感があります。 車両は小倉総合車両センター門司港車両派出415系FJ106編成です。 (写真)
(13/08/10 08:07:08 3531D) 新飯塚から快速・田川後藤寺行きに乗ります。 快速なので後藤寺線内ノンストップです。 車両はキハ31 7+キハ31 10です。 キハ31は国鉄車とJR車がありますが、幸いなことに国鉄車です。ただし昭和62年製なので、国鉄在籍期間はほとんどありません。 昨日の小倉から今日の城野までは冗長経路となっていますが、このキハ31は他車との共通運用が多く捕捉し辛い上、JRになってから製造された車両もあり計画が立たないので、確実に乗れるようにするためです。 (写真)
(13/08/10 08:35:24 936D) 予定を変更し、田川伊田まで先に駒を進めておきます。 車両は キハ147 49+キハ40 8051 、キハ147に乗っておきました。 (写真)
(13/08/10 10:26:30 944D) 田川伊田では「石炭・歴史博物館」に行っていました。 博物館の前には鉄道グッズが大量に展示された喫茶(?)があります。 田川伊田駅に戻り、小倉行きに乗ります。 車両は キハ147 184+キハ147 1033 です。 (写真)
(13/08/10 11:22:52 944D) 小倉駅到着。 稚内〜枕崎の本編二度目の小倉駅ですが、城野〜小倉は特例による複乗が認められているだけで、乗車券上は城野で大分方面へ折り返しているため、片道乗車券が成立しています。 (写真)
(13/08/10 11:28:37 9043M) 摩訶不思議な出来事です。 同じ時刻に同じホームから同じ方面への列車が出ます。 (写真)
(13/08/10 11:41:57 9043M) JNRマーク!! (写真)
(13/08/10 11:56:28 9043M) 小倉からは臨時特急「にちりん83号」に乗ります。 「いなほ」「北越」と同じく485系ですが、こちらは200番代(ただし貫通扉は埋められている)の国鉄色です。 大分鉄道事業部大分車両センター485系DO32編成、昭和47年、48年製の古豪です。 JR九州485系の定期運用は平成23年3月12日をもって終了しましたが、このDO32編成だけが、時々臨時列車として運用しています。 (写真)
(13/08/10 12:38:35 9043M) この5両の485系、新製配置は揃って青森です。 かつてはグリーン車、食堂車を組み込んだ長編成で、「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「白鳥」「いなほ」などで活躍していたのでしょう。 485系一族に転機が訪れたのは東北新幹線開業。 485系は全国的に大異動がありました。 そのとき、この5両も九州に来ました。
(13/08/10 13:38:57 9043M) L特急というのも懐かしい。 (北海道や葛西帝国では現役だけど) (写真)
(13/08/10 14:40:58 7004D) 続いて「ゆふいんの森4号」に乗ります。 こんな新しい車両に乗っていいんですか?と思うかもしれませんが、国鉄時代の車両の改造車です。車両履歴を見たら、逆にその古さに驚きます。 (写真)
(13/08/10 15:22:40 7004D) 車両と新製年、転属履歴を書きます。 先頭4号車キハ71-1(元キハ65 51)、昭和45年製、長野→大分。 3号車キハ70-2(元キハ58 436)、昭和38年製、松本→金沢→名古屋→七尾→新潟→大分→人吉→竹下→長崎。 2号車キハ70-1(元キハ58 490)、昭和39年製、新潟→竹下→直方→早岐→長崎。 1号車キハ71-2(元キハ65 19)、昭和45年製、竹下→大分。
(13/08/10 15:28:16 7004D) 中間の2両は東海道新幹線の開業前から働いている車両ですからびっくりです。 「能登路」「赤倉」「きそ」「ひめかわ」「しらゆき」…当時、どんな列車で走ったのでしょうか? 当然ながら、車体は新造していますので、当時の面影は全く残っていません。
(13/08/10 16:46:55 4448D) 豊肥本線復旧に伴い、熊本方面への国鉄車の旅がしやすくなりましたね。 復旧後の豊肥本線内の国鉄車の運用は不明なのですが、元々宮地〜豊後竹田は列車が少なかったこともあり、あまり変わっていないみたいですね。 ということで、国鉄車が来るまで1時間以上待ちました。 車両はキハ47 4509+キハ47 8088です。 (写真)
(13/08/10 17:44:04 4448D) 「九州横断特急6号」との交換のため、犬飼駅に停車。 犬飼は、国道10号自転車旅行で泊まった街です。 (写真)
(13/08/10 18:38:09 4448D) 豊後竹田到着。 前回来たときにはここに代行バスの姿がありましたが、無事、全線復旧したため、今はその姿はありません。 (写真)
(13/08/10 18:51:40 4448D) 瀧廉太郎旧宅 (写真)
(13/08/10 18:54:37 4448D) 廉太郎トンネル。通るとメロディが…。 (写真)
(13/08/10 20:04:38 1091D) 豊後竹田からは「九州横断特急101号」で熊本に向かいます。 車両はキハ185-1008+キハ186-5+キハ185-16です。 185系ディーゼルカーは国鉄末期に四国に導入され、JR四国に引き継がれました。後にJR九州に売却され、大改装して九州でも走っています。 分割民営化以降、数少ない広域異動を経験した車両です。 これで乗車ノルマもあと713系電車だけです。 J-WEST会員特典で指定席を取りましたが、自由席の方が空いているという罠。 写真は後で撮り直します。 (写真)
(13/08/10 20:49:50 1091D) 立野のスイッチバック通過中。 真っ暗で面白くも何ともない。 そういえばこのスイッチバック、登る方向の列車に乗ったことがない。
(13/08/10 21:38:27 1091D) 熊本到着。本日はここまでです。 (写真)
(13/08/11 06:24:25 521D) おはようございます。 熊本は今日も朝から汗ばむような暑さです。 今日は普通列車三角行きからスタートします。 昨日、後藤寺線でキハ31に乗っているので、今日ここで頑張る必要はないのですが、いろいろ乗っておきたいので乗っておきます。 車両はキハ31 1+キハ31 14です。 先頭はキハ31のトップナンバーです。 (写真)
(13/08/11 06:57:05 6323M) 宇土で息つく間もなく、普通列車八代行きに乗り換え。 415系が大牟田以南を走るのは朝しかなく、宇土〜八代の行程は大変組みにくくなっています。 車両は南福岡車両区415系FM1517編成です。 …記録を取っていて気付いたのですが、415系って、民営化後の90年まで製造が続いていたのですね。 JR九州は民営化以降に作っていないから大丈夫ですが、ちょっと焦りました。 (写真)
(13/08/11 07:38:33 6323M) 八代駅到着。 約3時間後の「SL人吉」まで待ちです。 今日は異常に接続が悪く、西都城までしか行けません。 (写真)
(13/08/11 08:42:20 6329M) 熊本→八代の6329M。平日は国鉄車415系だけど、土休日は815系っぽい。 早めに八代まで来て正解でした。 (写真)
(13/08/11 09:08:50 1081D) 昨日「九州横断特急101号」で乗った車両が「くまがわ1号」としてやってきました。 暗くて気付かなかったのですが、九州横断特急カラーではなくゆふカラーだったんですね。 (写真)
(13/08/11 10:38:30 8241) 「SL人吉」到着。 機関車は58654、大正11年製です。 (写真)
(13/08/11 10:48:08 8241) お目当てはこちらの客車。今や貴重になった50系客車です。 編成はオハフ50 702(元オハフ50 40)+オハ50 701(元オハ50 75)+オハフ50 701(元オハフ50 39)です。 機関車は大正時代ですが、客車も昭和50年代の国鉄車の改造車です。 しかしこのくそ暑い中、SLの運転席はすごい状態だろうな。トンネルも多いし、想像を絶する。 客車は旧形客車でもないし、冷房も入っているので快適。逆に言うと今回の旅ではSLでなくても構わない。 (写真)
(13/08/11 12:16:06 8241) 人吉到着。暑い。
(13/08/11 12:28:59 8241) バック運転で引き上げです。 (写真)
(13/08/11 12:45:05 8241) 石造の機関庫、国内唯一らしい。 客車を外した58654が休んでいます。 ディーゼル機関車のようなものは見当たりませんので、客車の入れ替えも蒸気機関車でやるのですね。 (写真)
(13/08/11 13:26:47 1255D) 次に乗る「いさぶろう3号」が到着しました。 人吉駅に国鉄車(を水戸岡鋭治氏がリニューアルしたもの)が並びます。 (写真)
(13/08/11 13:47:15 1255D) 車両はキハ140-2125+キハ47 9082+キハ47 8159 です。 「リゾートしらかみ」同様、40系ディーゼルカーを改造したリゾート列車です。 (写真)
(13/08/11 14:26:26 1255D) 昼食は八代駅弁の「鮎屋三代」。 八代駅で買い忘れたのですが、「SL人吉」の車内で売っていました。 (写真)
(13/08/11 14:42:16 1255D) 日本三大車窓も今日は曇り。 ちなみに今回の旅では姨捨と矢岳と、日本三大車窓のうち二つを通過しています。 (写真)
(13/08/11 15:57:50 1255D) 吉松にも国鉄車(の水戸岡鋭治リニューアル車)が並びます。 手前はキハ47の特急!!「はやとの風」。 (写真)
(13/08/11 16:09:01 2932D) 今日知ったのですが、吉松はかつては鹿児島本線と日豊本線という、九州の幹線の分岐駅だったのですね。 今の肥薩線が鹿児島本線、今の吉都線が日豊本線でした。 今はどちらもローカル線ですが…。
(13/08/11 16:14:06 2932D) 観光列車もいいですが、混雑しているので疲れますね。 吉松からは吉都線都城行きです。 車両はキハ40 8050単行です。 吉都線はかつては特急、急行も走る路線でした。1980年に特急「おおよど」、2000年に急行「えびの」が廃止され、一ローカル線になりました。 今ではJR九州で1番の赤字線と言われています。 (写真)
(13/08/11 16:21:37 2932D) 雨の音で目が覚めました。 雨と言えばこの夏は嫌な目に遇いました。 抑止ないといいな。
(13/08/11 17:32:12 2932D) 都城到着。 雨は降っていませんがまとわり付くような暑さはありませんので、一雨降ったのかもしれません。 終点枕崎まではあと3本、今まで散々に遠回りしましたが、ここから枕崎は最短距離を行くだけです。 (写真)
(13/08/11 19:30:57 6887M) 都城駅で待つこと約2時間。 乗るのは次の西都城までなので、絶対に歩いた方が早い。
(13/08/11 20:45:34 6887M) 都城からは一日一本だけの713系西都城行きに乗ります。 車両は鹿児島鉄道事業部鹿児島車両センター713系LK1編成+LK4編成です。 この713系は国鉄が地方線区向けの近郊形車両として開発し、長崎地区に配置されました。 しかし国鉄の財政難で増備は叶わず、僅か4編成8両のみの異端児となりました。 平成8年、宮崎空港線開業の際、空港アクセス電車として白羽の矢が立ち、鹿児島へ異動の上、水戸岡大改造となりました。 車内は回転式リクライニングシート、JR東日本なら間違いなくグリーン料金を取ります。 (写真)
(13/08/11 20:49:02 6887M) ちなみに所属は鹿児島ですが、鹿児島県内での営業運転は無く、もっぱら延岡〜宮崎空港での空港アクセスが仕事。 一本だけある西都城行きですが、そのまま明日の西都城発になるのか、はたまた鹿児島回送になるのかと思っていたら、都城回送でした。
(13/08/11 21:01:16 6887M) 旅も残すところあと一日になりました。 電車は今日の713系で終わり。明日、40系ディーゼルカー2本を乗り継いで終了です。 上川から一日一本の普通列車に乗ったこと、熊の恐怖と戦いながら天北線の廃線跡を走ったこと、ワクワクしながら稚内駅で切符を購入したこと、一日は運休、翌日は2時間以上遅れ、なかなか北海道を脱出出来なかったこと、みんな遠い昔のようです。 あと2本、ちゃんと動くことを祈っています。 この3週間、あまり仕事をしていなかったので、帰ったらかなり仕事が溜まっています。 (写真)
(13/08/12 07:01:24 6751D) 西都城駅に来ました。 最終日の出発です。 (写真)
(13/08/12 07:17:16 6751D) 最終日トップランナーは普通列車鹿児島中央行きです。 今日の行程のうち、鹿児島中央までは電化されていますが、もうこの切符で電車に乗ることはありません。 西都城〜国分は国鉄電車は走っていません。よってディーゼルカーに乗ることになります。 国分から先は415系も走っているのですが、この時間はありません。 つい5ヶ月前まで、国鉄急行形の改造車717系という電車が走っていたのですがね。 車両はキハ40 8101+キハ147-183です。 今回の行程で何度も乗った40系ディーゼルカーです。 (写真)
(13/08/12 07:29:49 6751D) 出発してすぐ、財部はもう鹿児島県ですが、実際の山越えはその先です。 最後の県に入ったと思ってほっとするとあとで泣きます。(自転車で走った経験談) 非力なキハ40がエンジンを唸らせて峠を登っています。 ダイヤグラムを見るとこの列車だけスジが寝ているのが分かります。
(13/08/12 08:21:10 6751D) 国分で55分停車、普通列車2本と特急を先行させます。 が、いずれも国鉄車ではないため、乗れません。 西都城〜鹿児島中央、1/3が停車時間のような気がします。 この列車も国鉄マークの扇風機があります。 (写真)
(13/08/12 08:32:40 6751D) 停車時間中に近くのジョイフルで朝食…を試みましたが、混雑で無理でした。 (写真)
(13/08/12 08:50:38 6751D) 停車時間中に「サンライズ瀬戸ソロ」ゲット!! これで帰りの寝台券も揃いました。
(13/08/12 09:20:43 6751D) 加治木から立ち客が出るくらいに混んできました。
(13/08/12 10:09:13 3071D) 鹿児島中央到着。 向かいに指宿行きのぼったくり特急「指宿のたまて箱」が停まっていました。 あの非力な40系に特急を名乗らせるというとんでもない列車です。 いくら水戸岡デザインでもこれはひどい。 国鉄車なので乗ることは出来ますが、乗り換え時間が短い上、枕崎に着く時間は変わらないので乗りません。まあ、そもそも満席でしたが。 (写真)
(13/08/12 10:18:26 1333D) いよいよ最後の列車です。 稚内から国鉄車だけで繋いで来ました。その数のべ63列車!64列車目、アンカーを勤めるのは普通列車枕崎行きです。 車両はキハ47 1049+キハ47 8125です。 40系ディーゼルカー、国鉄旅客車両で唯一、6社すべてに在籍しています。 非力でセミクロスシートでどこにでもいる、考えてみれば1番国鉄っぽい車両です。 (写真)
(13/08/12 10:32:32 1333D) 残念だったのは山口線・山陰本線経由に出来なかったこと。これで12系客車に乗るチャンスを失いました。正直、旅に疲れていたので、日程短くなってホッとした面もありますが。 この区間の払戻については、新山口駅で1時間、博多駅の西日本事務所で1時間半戦いました。 規程に基づいて払戻しろというだけなんですが…あの手この手を使って払戻を逃れようとするあたりが「井手商会」の社風なんでしょう。 ちなみにこの分の払戻は受けていません。
(13/08/12 10:41:58 1333D) 同行者が少なかったのも残念です。 天王寺→大阪と、広島→横川(陽)だけでした。 本当は小倉→別府もいたはずだったのですが、山口線・山陰本線の運休に伴う一日繰上で合流できませんでした。 前半は雨にやられました。「はまなす」運休で、初日から予定が狂いました。JRバス日勝線の運休で帯広まで流されたのもかなり予定外でした。が、その後はほとんど予定通り。 実は広島でゆっくりしなければ、その日のうちに吉塚まで行けたのですが、そうしていたら指宿枕崎線が運休していたはずで、最後の最後にまた延泊喰らうところでした。
(13/08/12 11:23:02 1333D) 指宿でこの旅最後の列車交換。 宗谷本線の兜沼以来、数多くの列車と行き違いましたが、これ以降、列車と出会うことはありませ。 (写真)
(13/08/12 11:39:18 1333D) JR日本最南端の有人駅、山川停車中。 (写真)
(13/08/12 11:42:49 1333D) 交換ではありませんが、山川始発の1342Dと並ぶので、「列車と出会うことはありません。」は間違いですね。 (写真)
(13/08/12 12:03:28 1333D) JR日本最南端の駅、西大山。 最北端の駅、稚内からここまで旅して来ました。 JR最北端の稚内、JR最西端の佐世保は下車したことがありますし、最東端の東根室は根室から徒歩で訪れたことがありますが、最南端の西大山だけはアクセスの悪さが災いし、下車したことがありません。 西頴娃交換の列車を狙って山川から往復するか、朝の列車を利用するかですが。 (写真)
(13/08/12 12:45:09 1333D) 最後の駅、薩摩板敷発車。 (写真)
(13/08/12 12:50:01 1333D) 到着。 (写真)
(13/08/12 13:17:56 1333D) 稚内から枕崎まで、国鉄車だけを64本乗り継いでの旅が終了しました。 ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。 (写真)
(13/08/12 13:45:59 1346D) 折り返し列車が発車していきました。 枕崎駅に静けさが戻ります。 (写真)
(13/08/12 13:51:22 Bus) 行きも「宗谷本線を使わない」というコンセプトで稚内に向かいましたので、帰りも「指宿枕崎線を使わない」というコンセプトで枕崎を去ります。 鹿児島交通なんさつ線で伊集院へ向かいます。 (写真)
(13/08/12 14:30:36 Bus) 加世田ステーション通過。 鹿児島交通の鉄道時代の中心地です。
(13/08/12 14:38:40 Bus) 稚内も枕崎も、昔は2本ずつ(稚内…宗谷本線と天北線、枕崎…指宿枕崎線と鹿児島交通南薩線)の鉄道が通じていました。 稚内も枕崎も、今や通じる鉄道は1本だけ(稚内…宗谷本線、枕崎…指宿枕崎線)です。 稚内も枕崎も、ホーム1面1線だけになってしまいました。 でも最近、稚内には駅ビルが建ち、枕崎にも駅舎が建ちました。 意外に似ているなと。 そうして今回、代替バスと鉄道を利用して、両駅を訪問したことになります。
(13/08/12 15:34:33 Bus) 伊集院駅到着。 鹿児島交通ホーム跡です。 (写真)
(13/08/12 15:44:25 2450M) 伊集院からは鹿児島本線です。 今回は乗れなかった鹿児島の415系が来ました。 車両は鹿児島鉄道事業部鹿児島車両センター415系FK516編成です。 (写真)
(13/08/12 17:10:42 6138D) 肥薩おれんじ鉄道。 一本で新八代まで行けるので便利です。 稚内への行き、枕崎からの帰りとも、経営分離区間は在来線(行き…IGRと青い森、帰り…肥薩おれんじ)に乗ります。 極力在来線は基本です。 (写真)
(13/08/12 19:47:42 574A) 新八代からは新幹線「さくら574号」で加速です。 明日は仕事に出ないといけないので。 車両はJR西日本博多総合車両所S9編成です。 残念ながらJR九州車ではないので向谷サウンドが聞けません。残念。 というか、S編成って嫌な思い出が…。 (写真)
(13/08/12 20:20:08 574A) そういえば今日は日航ジャンボ123便が落ちて28年目ですね。 ついこの間のような気がしますが…。 当たり前ですが今回も危険な乗り物は避けましょうということで、稚内への行き、枕崎からの帰りとも、陸路で移動しています。
(13/08/12 22:54:10 5032M) 今日の宿はこちらです。 まあ、西方面から寝台で帰ろうと思ったらこれしかない訳ですが…。 1階ソロです。「北斗星」のソロと比べると狭すぎです。特に1階は、荷物の置き場が無いので嫌いです。 食堂車も無いし、部屋で起きている場所も無いので、正に「寝るしか無い」列車です。走行時間を考えると仕方ないのですが…。 唯一、「北斗星」よりいい点は、コンセントがあること。でも1階部屋はこれも使いにくい位置にあるんだよね。 (写真)
(13/08/13 07:16:48 5032M) 無事東京到着。 (写真)
(13/07/23 20:03:48 1) 「北斗星」ソロゲット!! これで北海道に向かうことが出来ます。
(13/07/25 18:51:07 1) 上野駅名物推進運転での入線。 ご覧のとおり、貫通扉を開けての運転です。 これで雨や雪が降った日には… (写真)
(13/07/25 19:13:10 1) 今日の牽引機はEF510-514。青森までの牽引です。 (写真)
(13/07/25 19:15:05 1) 今日の宿。JR北海道のソロです。 機関士の引き出しが上手で、出発の揺れはほとんどありませんでした。 (写真)
(13/07/25 19:32:16 1) 大宮発車。 運転上手過ぎる。発車のショックが全くない。
(13/07/25 21:48:38 1) パブタイムが始まったので食堂車へ。今回はソロが取れたのが2日前のため、3日前までに予約が必要な食堂車の夕食利用は出来ず。 取れると賭けて食堂車の予約しておいても良かったんだけどね。 ダメロング(701系)とすれ違うようになりました。交流区間に入ったようです。
(13/07/25 21:56:03 1) 郡山到着。 前方機関車ではパンタグラフを下げている頃。 なんかやたらと揺れるようになった。宇都宮で機関士交代したのか…。 (写真)
(13/07/25 22:08:47 1) マンゴージュースとソーセージ盛り合わせ。 本来はビアマンゴーと行きたいところだけどアルコールダメなので。 時間的に仙台行きの最終「ひばり」の車内で帰りの一杯って感じか。ちょうど車両も485系(改)なので、気分は東北特急。 支払いはSuicaで。食堂車がもう少し生き残っていれば、食堂車でちょっと食べてSuica支払いは当たり前の光景だったんだろうな。 (写真)
(13/07/25 22:24:33 1) 保健所の営業許可の住所が上野駅構内、屋号または商号が「北斗星 スシ24-505」になっていた。 上野駅構内の営業許可で、北海道でも営業出来るのかとか、北斗星以外には使用出来ないのかとか、色々興味深い。
(13/07/26 05:49:25 1) 残念ながら下り「北斗星」では1号車の前に機関車が立つため、トンネルを見渡すことは出来ません。(最後尾は電源車) 「スーパー白鳥」の展望席が立入禁止になった今、トンネルを見渡すことの出来る定期列車は、上り「北斗星」と「はまなす」だけになってしまいました。 (写真)
(13/07/26 06:59:03 1) 函館に3分遅れで到着。 ED79の開放とDD51の連結を撮影。遅れている中、250mダッシュはきつかったです。 (写真)
(13/07/26 07:22:40 1) 上野駅構内(誤)で1600円の朝食。 (写真)
(13/07/26 07:30:28 1) 森駅。 これまたいい位置に駅名標が来ました。 (写真)
(13/07/26 09:29:29 1) 伊達紋別で9004D(代走北斗)と交換。 先日、NN183系のエンジンが火を吹いた影響で、183系「北斗」はすべて運休中。この1本だけが何故か運転していますが、所定5004Dは120km/h運転のところ110km運転をするため、ダイヤに乗りません。このため、臨時列車扱いとなっています。 このため、「北斗星」も時刻変更です。 ご覧のとおり、ヘッドマークは「北斗」ではなく「臨時」です。 (写真)
(13/07/26 10:00:57 1) 6分タイマーシャワー。 (写真)
(13/07/26 10:20:02 1) 日本最長の直線区間。 この直線を利用してのシャワータイムでした。 ご覧のとおり、雨が降っています。 (写真)
(13/07/26 11:22:38 1) 3分遅れで札幌駅到着。 意外ですが、1列車全区間乗車は初めてです。 (写真)
(13/07/26 13:18:21 Bus) JR北海道バス(JHB)札樽線に乗ります。 (写真)
(13/07/26 14:09:01 Bus) 地下鉄宮の沢駅前で小樽駅行きに乗り換え。 (写真)
(13/07/26 15:42:21 3948M) uシートなんてものに乗ってみる。 (写真)
(13/07/26 17:16:58 3445M) ふと森林公園駅で降りたら国鉄が…。 (写真)
(13/07/26 17:24:31 3445M) ホームに上がったらここにも国鉄。238Mで運用中…乗りたかった。 (写真)
(13/07/26 18:31:49 2245M) ヤッター!! 国鉄車、国鉄色です。 この列車で滝川まで行きます。 (写真)
(13/07/26 18:37:24 2245M) 実はこの車両、非冷房。 しかも何故か誰も窓を開けない。 国鉄マークの扇風機が回っていますが、これも全部が回っているわけではない。 (写真)
(13/07/26 20:08:18 3035M) 旭川駅到着。 国鉄時代と同じスタンプ台に国鉄デザインのスタンプがあるのが嬉しい。 旭川駅は駅舎を建て替えており、いずれも国鉄時代のものではないと思われるが。 (写真)
(13/07/26 20:19:07 3035M) 北口西側のこちらは古さからして多分、国鉄時代のもの。 (写真)
(13/07/27 06:03:12 4621D) 上川駅です。 この時間に上川駅に来るということは… (写真)
(13/07/27 06:11:49 4621D) 下り普通列車に乗ります。 実はこれだけで説明不要です。 上川駅から出る下り普通列車は、この始発の1本しかありません。 (写真)
(13/07/27 06:31:19 4621D) 乗客1名に対してキハ40 833とキハ40 830の2両編成。 実態は遠軽付近で使うキハ40の送り込み列車です。 旭川から回送で来て、上川駅で4520Dと4621Dに分割、遠軽駅着後も4620Dと4659Dに分割されます。
(13/07/27 07:14:22 4621D) 貴重な上白滝駅の写真です。停車中に撮影。 一日平均乗車人数は四捨五入すると間違いなく0でしょう。 (写真)
(13/07/27 07:38:37 4621D) この上白滝は快速通過駅。楓駅無き今、普通駅で1番列車の少ない駅でしょう。 (写真)
(13/07/27 08:04:46 Bus) 遠軽からは名寄線代替バスで紋別へ。 遠軽は駅からバス乗り場が遠く、乗り継ぎ時間が短いため心配していたのですが、無事、間に合いました。 そして…営業所で乗車券を買おうとしたら売っておらず。なんと今日は年に一度のバスの日で無料!! 千円以上節約出来たことになり、超ラッキーです。 (写真)
(13/07/27 08:28:01 Bus) 中湧別駅跡です。 (写真)
(13/07/27 09:50:42 Bus) 紋別駅跡で朝食。 (写真)
(13/07/27 10:17:18 Bus) 紋別からは雄武行きに乗ります。 今日は紋別の港祭りということで、運転士さんは紋太くんのTシャツを着ています。 (写真)
(13/07/27 11:24:17 Bus) 雄武到着。 無料ではありませんでした。残念。 雄武駅跡は道の駅になっています。 (写真)
(13/07/27 11:50:02 Bus) 雄武から枝幸行きです。 雄武から北見枝幸の約50kmは鉄道として開業することはありませんでした。 宗谷バスが国鉄時代から変わらず走っています。 (写真)
(13/07/27 12:57:32 Bus) 北見枝幸到着。 (写真)
(13/07/27 13:06:20 Bus) ほとんど待つことなく浜頓別行きが来ます。 ここから旧興浜北線区間です。 (写真)
(13/07/27 13:54:12 Bus) 浜頓別到着。 こんなところに国鉄が…。 (写真)
(13/07/27 14:36:10 Cycle) 浜頓別からは自転車で天北線跡を走ります。 (写真)
(13/07/27 15:14:34 Cycle) 山軽駅跡。 (写真)
(13/07/27 16:09:22 Bus) 再びバスに乗ります。 稚内行きでいよいよ今回の旅の起点、稚内へ!! 行きと帰りが同じルートではつまらないので今回は、宗谷本線に触れずに稚内入りしようとしてこのようなルートになりました。 (旭川〜新旭川については目をつぶってください。) (写真)
(13/07/27 17:08:25 Bus) 鬼志別ターミナル。 遠軽から200km以上バスに乗っている訳で…腰、お尻、色々痛くなってきます。 それを考えると鉄道って何て素晴らしい乗り物なんだと感じます。 (写真)
(13/07/27 18:37:27 Bus) 稚内駅到着。 (写真)
(13/07/27 19:07:01 Bus) 乗車券購入。 経由は「別紙にて」(笑) 差し替えてもばれなそうだけどいいのか? 駅に木村裕子がいてびっくりした。青春18きっぷで枕崎から来たらしい。 ちなみに私の旅は青春18きっぷよりもはるかに難しいし逝かれているという自負はある。 (写真)
(13/07/28 06:03:53 4326D) 【国鉄車の旅第1部開始】 おはようございます。稚内駅です。 今から最南端の終着駅、枕崎に向けて、国鉄車だけを使った旅を開始します。 (写真)
(13/07/28 06:37:36 4326D) 枕崎まで3126.1km。ここまで、「国鉄車しか使ってはいけない」という非常に厳しいルールのもと、向かいます。 (写真)
(13/07/28 06:45:42 4326D) トップランナーはキハ54 512。 国鉄最後の年、昭和61年度に登場したディーゼルカーです。 キハ54は扇風機付きで登場(つまり非冷房)した最後の車両でもあります。 何故か非冷房なのに誰も窓を空けない。 でも、すきま風だけで充分に涼しいのが北海道の朝。 冬は二重窓なので安心です。 (写真)
(13/07/28 06:56:28 4326D) 兜沼で最初の列車交換。 4321D、キハ54 509でした。 (写真)
(13/07/28 08:43:24 4326D) 間もなく音威子府。1時間13分停車…というより1時間13分後に列車番号を変えて出発します。 写真は途中下車印の無い状態の切符。 (写真)
(13/07/28 09:04:27 4328D) 音威子府駅です。 今日はキハ40国鉄色の臨時列車が走るとかで、ツアー客が集まっています。 ここで初の下車印。ついでに硬券入場券を買いました。 (写真)
(13/07/28 09:11:46 4328D) ここで「スーパー宗谷2号」と交換。 左1番線が乗って来た4326D〜4328D、右2番線が321D〜4325D〜4327Dのキハ54 508、真ん中奥3番線が「スーパー宗谷2号」。 小雨が降っています。 (写真)
(13/07/28 09:40:24 4328D) 音威子府名物の音威子府そば。 前から知っていましたが、音威子府で停車時間がある列車に乗ったことがなかったので食べられませんでした。 麺が黒いのが特徴です。 (写真)
(13/07/28 09:44:53 4328D) ただいま入りました情報によりますと、大雨のため、室蘭線 苫小牧〜長万部間が運転見合わせとのこと。 こちらは雨も上がり、車内は暑くなってきているので、想像も出来ませんが。 影響が無いことを祈りますが、運用変更でも影響を喰らうのがこの旅の辛いところ。
(13/07/28 10:32:39 4328D) 美深で「スーパー宗谷1号」と交換。 かつては日本一の赤字線で有名となった美幸線の始発駅でした。 (写真)
(13/07/28 11:01:52 4328D) 名寄到着。 国鉄色の臨時列車が出発を待っています。 これのせいで沿線には三脚が大量に生えていました。 (写真)
(13/07/28 11:09:21 324D) セカンドランナーはキハ40 1725、旭川行きです。 昭和54年製、先程の国鉄色と同型の車両なんですが、国鉄色だと「懐かしい。」と言うあたり、素人と撮り鉄はアホ。 乗れば塗色は見えないのですから同じです。 塗り分けしない分、国鉄色の方が安上がりで、客も寄ってくるのですから、JR北海道もどんどん取り入れるべきでしょう。(実際やっちゃうのがJR西日本。) (写真)
(13/07/28 12:02:16 324D) 和寒〜塩狩は峠区間。キハ40は非力なので、ゆっくりと登ります。 エンジンがフル回転するからか、スピードが下がり風が入らないからか、車内がかなり暑くなります。 (写真)
(13/07/28 12:08:02 324D) 塩狩です。 「東京〜稚内 国鉄車の旅」のときには、この駅名標が半分ほど、雪に埋まっていました。 (写真)
(13/07/28 13:02:36 324D) 北旭川で便乗する乗務員を乗せるために停車。 ここから架線の下を走ります。 (写真)
(13/07/28 13:05:07 324D) 【お知らせ】本日は北海道から出られないことが確定いたしました。 予定変更は決定し次第、反映します。 (写真)
(13/07/28 13:19:24 14D) 旭川からは「オホーツク4号」に乗ります。 編成は、キハ183-211+キハ182-23+キロハ182-10+キハ182-44+キハ183-1551、 1番後ろのキハ183-1551以外が国鉄車です。 (写真)
(13/07/28 14:15:40 2220M) 深川からは岩見沢行き普通列車です。今回の旅で初めての電車、札幌運転所711系S116編成、3扉改造車です。 道内で乗る唯一の電車です。というのも、北海道の国鉄電車は711系しか残っていません。 雨がぱらついてきました。 (写真)
(13/07/28 16:21:31 2220M) 昼食は旭川駅弁の蝦夷海鮮鮨。 (写真)
(13/07/28 16:24:17 2220M) 岩見沢着。 国鉄車同士の並び。711系は2199M。 (写真)
(13/07/28 16:37:57 2220M) 「北斗星」フル編成が停まっている。何故だろう? 予想は何となく出来るのだが…編成の向きが札幌到着所定なので確信がもてない。 ところで、岩見沢の馬鹿駅員、「途中下車印ください。」と言ったら無効印押そうとした。寸前で止めたところ、やったらマジギレのところ。 みどりの窓口で、「あれは何だ!!」と苦情を言ったら、「配属されたばかりなので許してやってください。」とお願いされた。 JR北海道では券面見なくても駅員が勤まるらしい。 (写真)
(13/07/28 16:46:47 1472D) 岩見沢からは室蘭本線で苫小牧へ。 行けるところまで行っておきます。車両はキハ40 1771、昭和57年製です。 どうも札幌から小樽経由函館行きの臨時列車が出るらしい。 (写真)
(13/07/28 17:23:35 1472D) 岩見沢発車時点では立ち客が出るほどの混雑だったが、追分までの間にほとんど下車。残っているのは4人だけ。 昭和50年代には岩見沢や夕張の石炭を室蘭の港に運ぶ、こちらのルートが間違いなく「本線」だったのだが、今や完全なローカル線。
(13/07/28 17:47:39 1472D) 遠浅までは雨が降っていなかった。 千歳線と合流するあたりから雨が降り出して、沼ノ端では大雨。 なんじゃこりゃ!!
(13/07/28 18:17:01 1472D) 苫小牧到着。 ここから東室蘭方面は全面運休。 よって残念ながら本日はここまでとなります。 雨は降っているものの、豪雨という状況ではないため、連続雨量が引っ掛かったものと思われます。 (写真)
(13/07/28 19:12:36 2239D) とりあえず弁当を確保。 夕食は苫小牧駅弁の「サーモン寿司」。 18時以降売れ残っていたら半額とかで、350円で入手。 (写真)
(13/07/28 19:15:07 2239D) 列車番号で分かるとおり、日高本線乗車中。 ただし、現在、富川〜日高門別で鹿と衝突し、停車中。 (写真)
(13/07/28 19:53:15 2239D) 結局、9分遅れで運転中。 運転士さん、さっと軍手を取り出して処理。手慣れたものです。 車両はキハ40 351、昭和56年製。 ここ日高本線は一度はキハ130というJR車に置き換えましたが、塩害でボロボロになって全廃。JR車を国鉄車で置き換えたという稀な路線です。
(13/07/28 21:16:13 2239D) 苫小牧を出たときにはデッキに座っている人もいたのに、浦河から先は貸し切り状態。
(13/07/28 21:56:02 2239D) とりあえず様似駅前の民宿に宿泊。
(13/07/29 07:32:38 Bus) せっかくなので、JRバス日勝線に乗っておきます。 一日一本だけの千平経由広尾行き。 写真は雨のため、営業所と連絡を取るために庶野で停まっているバスです。 とりあえず運転続行となりましたが、戻れるかは不明です。 (写真)
(13/07/29 08:22:39 Bus) 広尾駅到着。 なお、国道336号が降雨通行止めになったため、様似方面に戻れなくなりました。 踏んだり蹴ったりもいいところです。 (写真)
(13/07/29 09:59:45 Bus) とりあえず都市に移動しないとどうしようもありません。 十勝バスで帯広に向かいます。 このバス、国鉄広尾線の代替バスです。 (写真)
(13/07/29 12:15:47 Bus) 帯広駅到着。 今頃は青森駅にいたはずなのにおかしいな。 第二プランでも様似にいたはずなのに…。 (写真)
(13/07/29 13:02:46 2434D) 苫小牧復帰に向けての予定が決まりました。 まずはキハ40 1741で十勝清水に向かいます。 昭和55年製の国鉄車です。 (写真)
(13/07/29 14:33:17 36D) 帯広に来たからには「豚丼」。 予定が目茶苦茶になりブルーなところですが、これを食べられた点はヨシとしましょう。 (写真)
(13/07/29 16:17:47 2778M) 【予定更新】 間もなく苫小牧に到着します。 予定を更新しました。
(13/07/29 16:36:05 440D) 当初の予定から24時間遅れになることは確定ですが、雨の影響で運用変更になると嫌なので、すぐの東室蘭行きで東室蘭まで進んでおきます。 車両はキハ143-151+キハ143-101。いわゆるPDCと呼ばれる、客車を改造したディーゼルカーです。 JR化後に登場した形式ですが、種車が国鉄50系客車なので、国鉄車の扱いとなります。 キハ40と違い、冷房もあり、快適です。 (写真)
(13/07/29 16:44:03 440D) ちなみにこのPDC、元々は小樽〜旭川を走っていた客車でした。 JR化後、ディーゼルカーに改造され、札沼線へ。札沼線電化に伴い、室蘭本線に移り、それまで走っていた711系電車(昨日、深川〜岩見沢で乗った電車)を置き換えました。 これに伴い、室蘭本線の東室蘭〜苫小牧は、電化されているにも関わらず、普通電車が一本もないことになりました。 3両編成でワンマン運転出来ない711系より2両編成でワンマン運転出来るPDCの方が合理的ですが…どちらも歴史ある車両だけに複雑な気持ちです。
(13/07/29 16:48:43 440D) そういえばここ、日本最長の直線区間ですね。 (写真)
(13/07/29 16:54:16 440D) こう見ると国鉄客車の雰囲気充分ですね。エンジン音はしますが… (写真)
(13/07/29 17:04:43 440D) 雨25km規制が出ました。 萩野駅を7分遅れて出発です。 現在、雨は降っていませんが、この先、降っているのでしょうか?
(13/07/29 17:12:58 440D) 竹浦〜幌別、雨25km規制だそうです。 竹浦出発時点ですでに6分遅れ。 ちなみに雨は降っていません。
(13/07/29 17:33:02 440D) 登別発21分遅れ。 ちなみに雨は降っていません。
(13/07/29 17:56:21 440D) 幌別発35分遅れ。 通常のスピードに戻りました。 結局、徐行区間では雨は降っていませんでした。
(13/07/29 18:16:05 440D) 無事、東室蘭到着。 あとは「はまなす」が来るのを待つばかり。
(13/07/29 19:48:29 Bus) 室蘭の夜景 (写真)
(13/07/29 23:12:26 202) ただいま入りました情報によりますと、「はまなす」は大雨のため、苫小牧抑止。
(13/07/29 23:21:10 202) 東室蘭を70分遅れで出た5021Dが幌別抑止となったため、東室蘭から飲料水の輸送準備やってる。
(13/07/29 23:27:42 202) 準備中の飲料水。 カロリーメイトまで出て来た。 すべて特急の客用。「はまなす」の客は放置。 (写真)
(13/07/30 01:07:39 202) 線路点検終了は1時25分頃とのこと。
(13/07/30 01:37:51 202) 「はまなす」運転再開。苫小牧を2時間半遅れで出発。
(13/07/30 02:19:20 202) ついに改札開始!! (写真)
(13/07/30 02:24:27 202) 東室蘭…長い付き合いだったな(笑)。 (写真)
(13/07/30 02:46:40 202) 今日は最大限の増結をした12両編成。 駅員さん、全車両がホームにかかりますと言ったのに、後ろ、ホームからはみ出しているではないですか!! しかも11号車(最後尾)、ドア開いていないし。 東室蘭を157分遅れで発車。これで北海道を離れられます。 (写真)
(13/07/30 02:53:49 202) 編成は、DD51 1142+スハネフ14 551+オハネ25 15+オハネ24 502+スハフ14 555+オハ14 512+オハ14 507+オハ14 503+スハフ14 501+スハフ14 551+オハ14 535+オハ14 531+スハフ14 506です。 伊達紋別を153分遅れで発車。 寝るのでしばし実況をおやすみします。
(13/07/30 05:30:26 202) 函館到着5時20分、機関車をED79 7に交換して5時24分発車。2時間2分遅れ。 もしかして払戻回避のため頑張るか? (写真)
(13/07/30 08:14:30 202) 7時54分青森駅着。めでたく払戻対象に。 深夜まで放置されて払戻も無しでは目も当てられないですから。 夜行列車は乗ってて遅れる分にはラッキーですが、乗る前から遅れたら最低です。 写真は回送用にDE10が連結された「はまなす」。 (写真)
(13/07/30 08:34:57 202) 今や14系客車を使用しているのはこの「はまなす」のみ。貴重な存在です。 (写真)
(13/07/30 08:59:40 202) 「払戻は青森駅で」、ここ一年分の払戻を突き付けています。 12月の夜に列車打ち切り、外に放置をやった恨みということで(笑)。 青森駅も成長したようで、遅延証明書も出せるようになりました。 (写真)
(13/07/30 09:03:28 202) それじゃなくても今日の青森駅は払戻祭りですが(笑)。 ちなみに下り「あけぼの」は宮内抑止らしい。
(13/07/30 09:24:34 Ship) 青森、国鉄と来ればここに行くしかありません。 メモリアルシップ八甲田丸です。 (写真)
(13/07/30 09:29:19 Ship) 連絡船で駅弁を食べてみたかったので、ロビーで朝食。 何故か時刻表の駅弁リストに載っていなかった「トロサーモンあぶり寿司」。 (写真)
(13/07/30 10:21:05 Ship) JNRマーク、いいですね。 民営化直後は外せなかったこのマークがあちこちで見られましたが、最近はさすがに見なくなりました。 ちなみに青函連絡船は一年弱だけJRでした。 JR北海道には廃止寸前の連絡船要員すべてを雇う余裕はなく、JR東日本、JR東海からの出向者も加えて運航されました。 連絡船は終夜運航だったため、昭和62年4月1日時、ここにあったJNRマークは55分の折り返し時間にJRマークに交換されました。 (現在のマークはペンキ) (写真)
(13/07/30 11:29:30 331D) 日本一寂しい会社境界駅。 (写真)
(13/07/30 11:55:51 331D) 青森での空いた時間を利用して、道の駅いまべつ、津軽二股駅、津軽今別駅、(仮称)奥津軽駅と、四つの名前を持つ駅に来ています。 (写真)
(13/07/30 12:30:41 331D) 公団が余計なものを作っています。 (写真)
(13/07/30 12:48:26 4028M) 津軽今別はJR北海道最南端の駅。ひと駅間だけJR北海道エリアに戻ったことになります。 (写真)
(13/07/30 12:50:22 4028M) 国鉄485系「白鳥28号」で青森に戻ります。 (写真)
(13/07/30 12:56:50 4028M) ただ今入りました情報によりますと、 「【夜行・寝台列車 一部運休】 始発駅30日発車の寝台特急『あけぼの号(上野行き)』は、信越本線内での大雨の影響で、青森〜秋田駅間で区間運休となります。」 だそうです。 本日の行程は秋田から「あけぼの」。これで「乗る前から遅れる」心配が無くなるため、私にとってはラッキーです。
(13/07/30 13:25:28 4028M) 編成は青森車両センター485系A1編成の4・5号車にモハ485-3049+モハ484-3049を組み込んだ8両編成でした。
(13/07/30 13:51:09 8634D) 青森からは「リゾートしらかみ4号」で秋田へ向かいます。 一見、最近の車両に見えますが、国鉄40系ディーゼルカーの改造車です。 前回、「東京〜稚内 国鉄車の旅」のときに乗れなかったのでリベンジです。 (ちなみに前回乗った「あけぼの」が今日は運休。) (写真)
(13/07/30 14:03:36 8634D) 津軽海峡線からの貨物の遅れを受けて、青森を4分遅れで発車。 編成は、秋田・青森方からキハ48 701(旧キハ40 506)+キハ48 1701(旧キハ40 507)+キハ48 1543+キハ48 702(旧キハ40 510)です。
(13/07/30 14:17:15 8634D) 鶴ヶ坂交換の8051Mの遅れを受けて鶴ヶ坂6分遅れ。
(13/07/30 15:23:51 8524D) ちょっと寝てしまった。 さすがに昨日の睡眠時間が足りなすぎる。 新青森と弘前で乗車がありました。 でも乗車率は2割台か。
(13/07/30 15:51:08 8524D) この列車の唯一の長時間停車が鰺ヶ沢。831Dと並びます。 この列車も改造前はこの左側のような姿でした。 (写真)
(13/07/30 16:37:54 8524D) 深浦で国鉄車ではない「リゾートしらかみ」と交換。 ご覧のとおり、雨が降っています。 一昨日から雨には敏感になってしまいます。 (写真)
(13/07/30 16:44:32 8524D) 深浦を出て、室内灯がファンタジーライトに切り替わりました。 ガキが喜んで走り回って邪魔です。 (写真)
(13/07/30 17:27:55 8524D) 県境です。 ご覧のとおり晴れてきて、太陽が海面に反射しています。 (写真)
(13/07/30 17:31:54 8524D) 稚内からの旅も1000kmに達しました。 ちょうど1000kmの地点は滝ノ間〜八森の五能線23.6km地点です。 草が生い茂ってキロポストが見えづらく、写真は200mほど行き過ぎました。 (写真)
(13/07/30 18:20:08 8624D) 東能代からは1号車が前になります。弘前、川部、東能代と三回向きが変わり、最初と逆向きに秋田に着くことになります。 森岳〜鹿渡の複線区間で「つがる6号」とすれ違うダイヤになっていたのに、「つがる6号」が遅れたため、鹿渡に臨時停車。3分ほど遅れます。 (写真)
(13/07/30 18:39:22 8624D) 3683Mとの交換を、大久保から羽後飯塚に変更したらしく、羽後飯塚に臨時停車。 遅れは7分に拡大。
(13/07/30 18:53:08 8624D) 追分停車。 実は今回の旅では二つの「追分駅」に停車します。 このため、表示が「追分(室)」「追分(奥)」になっていると思います。 日本全国同名駅はいくつかありますが、今回、二つとも停車するのは追分だけです。他に二つの「黒井駅」を通過、「桂川(かつらがわ)駅」を通過し「桂川(けいせん)駅」に停車する予定です。 (写真)
(13/07/30 18:59:55 8624D) 6分遅れで秋田到着。 (写真)
(13/07/30 19:06:28 2022) 「あけぼの」の機関車はすでに待機。 ヘッドマークが逆(青森方)についていますが。 (写真)
(13/07/30 21:36:35 2022) 秋田駅から徒歩5分、「ぽっぽや」という店で夕食。 名前から分かると思いますが、内装はオーナーの趣味です。 マニアの人は行くことをオススメします。
(13/07/30 22:00:22 2022) 「あけぼの」は21時50分頃入線と言われていたのに、45分頃にホームに行ったらもう入線しているし。 しかも機関車のヘッドマーク、逆向きのままだし。 (写真)
(13/07/30 22:06:59 2022) 秋田特発「あけぼの」、まだ秋田駅を発車していません。 結果的にゆっくり編成を記録出来たので、私にとってはラッキーでした。 青森から乗ろうとしていた人は秋田までプレハブ(701系)で来なければならなくなったのでアンラッキーです。 編成は、EF81 136+オハネフ24 27+オハネ24 51+オハネ25 215+オハネフ25 202+オハネ24 552+オハネ24 553+スロネ24 552+オハネフ24 8+カニ24 25です。 (写真)
(13/07/30 22:11:37 2022) 放送によると、秋田出発は22時25分頃らしい。
(13/07/30 22:13:19 2022) 見てくださいよこの設備。 これこそ「国鉄」です。 (写真)
(13/07/30 22:49:07 2022) 22時34分出発。69分遅れ。 未だに信越本線には規制があるらしい。上野にはいつ着くことやら。
(13/07/31 00:54:12 2022) 0時08分頃酒田着。本日はここまでです。 今日は新潟地区が大雨でかなり乱れていたみたいで…明日の無事を祈ります。
(13/07/31 07:00:51 822D) おはようございます。今日も雨です。抑止がかからないことを祈りましょう。 今日のトップランナーは、普通列車村上行き。編成は、 キハ48 523+キハ47 514+キハ40 534+キハ47 519 です。 北海道、室蘭本線以来の40系ディーゼルカーです。 40系は旅客6社すべてに引き継がれました。 今回の旅では、通過しない四国を除く5社の40系に乗る予定です。 (写真)
(13/07/31 08:10:11 822D) 鶴岡でしばらく停車。雨は上がっており、現在は新潟支社管内では規制は無いとのこと。 国鉄車の4両編成。2両目は国鉄色です。 ここ羽越本線の村上〜鶴岡は、電化されているにも関わらず、普通列車は全列車ディーゼルカーで運転されています。 先に通った室蘭本線の東室蘭〜苫小牧と同様、普通電車は存在しません。 滝川→旭川に続く2本目の電車に乗るのはもう少し先です。 (写真)
(13/07/31 08:15:04 822D) 鶴岡を出て、車掌が検札に来ました。記憶が正しければ、指定席の無い普通列車で検札が来るのは今回の旅で初めて。
(13/07/31 09:05:22 822D) 越後寒川駅、すぐ向こうが海です。風規制も多く、 青森行き最終日の「いなほ7号」はこの辺りから何度も風規制を受け、羽後亀田打ち切りになりました。 (写真)
(13/07/31 09:15:33 822D) シートも青で、典型的な国鉄車の車内です。 (写真)
(13/07/31 10:03:10 822D) 村上での乗り換えは同じホームって…確かに同じホーム。 (写真)
(13/07/31 10:14:10 1932M) 村上からは新潟経由吉田行きに乗り換え。 車両は新潟車両センター115系N6編成+S6編成です。 岩見沢以来の電車です。そしてこれから何度も付き合うことになる115系です。 (写真)
(13/07/31 10:25:14 1932M) 【予定変更】9月28日から特急「いなほ」にE653系がデビューする=485系「いなほ」もお別れということで、予定を変更して坂町で降りて「いなほ」に乗ることにします。
(13/07/31 10:33:25 2006M) 坂町から「いなほ6号」に乗ります。 新潟車両センター485系T15編成です。 3000番代も好きですが、国鉄メイクの1000番代の方がこの旅には合っている気がします。 クハ481-1508なら最高です。 酒田〜秋田でも乗っておきたかったけど、もう機会は無いだろうな。 (写真)
(13/07/31 10:47:52 2006M) 途中でさっきの吉田行きの列車を追い越します。 新潟からまた乗ることになります。 (写真)
(13/07/31 11:19:10 1932M) 新潟からはさっきの吉田行きに乗り換え。 車両は新潟車両センター115系N6編成+S6編成です。 (写真)
(13/07/31 11:23:19 1932M) ここでようやく朝食!! 新潟駅弁の「焼漬鮭ほぐし弁当」です。 (写真)
(13/07/31 12:27:06 140M) 吉田からは越後線、柏崎行きに乗り換えです。 新潟車両センター115系S1編成です。 (写真)
(13/07/31 14:31:06 1056M) 柏崎からは特急「北越6号」に乗ります。 車両は新潟車両センター485系R25編成です。 先程の「いなほ」は1000番代でしたが、今度は3000番代。結果的に両方乗ることが出来て良かったです。 新しい車両に見えますが、485系の改造車で、製造は昭和50年代になります。 (写真)
(13/07/31 15:03:08 3326M) 直江津からは普通「妙高6号」で長野に向かいます。 車両は長野総合車両センター189系N101編成です。 189系は碓氷峠を機関車と協調して上り下り出来る車両で、特急「あさま」に使われてきました。 北陸新幹線開業に伴い、特急「あさま」が廃止され、以来、このような普通列車運用に就いています。 特急形車両ですが普通列車です。快速ですらありません。 特急形車両を普通列車だけに運用するなど、国鉄時代には考えられないような運用です。 (写真)
(13/07/31 15:07:24 3326M) ちなみに、今日の行程で1番危険な乗り継ぎがここ直江津です。 「北越」がわずかでも遅れるとアウト。「妙高6号」は今日の189系最終列車です。しかも189系が定期運用を持っているのはここだけです。
(13/07/31 15:30:08 3326M) 考えてみれば、本州に入ってからずっと、日本海に沿って南下してきました。しかしこのまま日本海側を行っても、小松以西は国鉄車がありません。(臨時「トワイライトエクスプレス」除く) そのため、直江津から川崎まで、本州を横断し、川崎からは太平洋側を行くことになります。
(13/07/31 16:44:50 3326M) 長野駅到着。結局爆睡でした。 二日連続深夜という状態で、特急形車両に終点までというのは寝るなと言う方が無理です。 写真は長野駅舎。公団が作る余計なものの開業に合わせて建て替え予定です。 (写真)
(13/07/31 17:21:24 448M) 長野からは信越本線・篠ノ井線・中央本線直通の甲府行きで一気に東京近郊区間を目指します。 車両は長野総合車両センター115系N1編成です。 (写真)
(13/07/31 17:39:49 448M) スイッチバックの桑ノ原信号場で「しなの17号」と交換。 (写真)
(13/07/31 17:56:05 448M) もうお昼だか夜だか分からないが…時刻表に載っていない「北回廊弁当(一重)」。 (写真)
(13/07/31 17:56:36 448M) 姨捨駅より。 (写真)
(13/07/31 18:00:13 448M) 聖高原で「リゾートビューふるさと」と交換。 (写真)
(13/07/31 18:37:13 448M) 松本停車中。 トイレに行くのが困難なほどに混んできました。
(13/07/31 20:43:11 358M) 甲府で大月行きに乗り換え。 車両は豊田車両センター115系M9編成です。 同じ中央本線でも豊田の車両はスカ色です。 本家の横須賀線や房総各線から国鉄車が無くなった今、スカ色を見られるのはこの中央本線だけになりました。 (写真)
(13/07/31 21:41:27 358M) 【第1部終了】 大月到着。本日は立川方面に行く国鉄車はもうありません。 よって、本日はここまでとなります。 ここからはいったん帰宅し、明日は通常出勤します。 稚内から使って来た乗車券は、写真のようになりました。 (写真)
(13/08/01 00:26:35 358M) 第1部の感想…疲れた。 1日くらいの遅れは予想の範囲内だったが、苫小牧で止められたのは予想外。帯広まで流されたのは更に予想外。 延泊はまあいいが、困ったのは着るもの。今回は荷物軽減のため、着るものを減らしたのでやり繰りに困った。宿の風呂場で何度洗濯したか。 あと本州は暑い。北海道はやはり涼しい。ただし非冷房車でも窓を開けないので車内は本州の方が涼しい。
(13/08/02 08:29:10 527M) 【お知らせ】すみません。やっちゃいけないことをやってしまいました。寝坊して528Mに乗れませんでした。 次の立川行きに乗るべく、大月に向かっています。 そういえば自転車旅行のときも国道20号甲府市スタートの日に寝坊、塩尻峠を日没後に越えることになりました。 中央線方面とは相性が悪いのかもしれません。
(13/08/02 09:01:30 527M) 大月到着。 乗って来たのも国鉄車。長野総合車両センター115系C1編成です。 (写真)
(13/08/02 09:09:58 527M) 大月と言えば富士急行。実は未だに乗ったことの無い路線です。 そしてご覧のとおり、日本唯一の国鉄165系の現役車がいます。 しなの鉄道の169系が引退したので、日本唯一の直流急行形でもあります。 (写真)
(13/08/02 09:30:39 426M) 【国鉄車の旅第2部開始】 大月から国鉄車の旅を再開します。 まずは立川行きにのり、先程来た道を戻ります。 車両は長野総合車両センター115系C2編成です。 一昨日が国鉄車ではなかったとはいえ、大月〜八王子を1往復半、我ながら馬鹿馬鹿しいです。 (写真)
(13/08/02 10:50:42 426M) 立川からは南武線なんですが…ここは国鉄車が来るかどうかは運次第。 寝坊が致命的な影響を与えるか、帳消しになるかも運次第です。 今日は午前休みしか取っていないので、チャンスは5回です。 最初の1028Fは乗り遅れ、次の1062FはJR東日本205系、次の1022Fはプレハブ(209系)でした。 あとチャンスは1148F、1110Fだけです。
(13/08/02 10:57:45 426M) 1148FはJR東日本205系。 あと1本。やばいです。 (写真)
(13/08/02 11:03:29 426M) 1110Fはプレハブ(209系)。終わりました。
(13/08/02 11:13:14 426M) 続く1132FもJR東日本205系。
(13/08/02 11:24:36 426M) ふと見つけたポスター。 エスカレーターで片側を空けるなというものですが、北海道から関東の鉄道会社の名前しかなくて、関東以西はJR東海と西日本だけ。 関西民鉄は「急ぐ人のために片側を空けましょう」だもんな。 (写真)
(13/08/02 11:31:57 1134F) 1134F。 中原電車区205系4編成です。 写真の車両はJR車ですが、4号車、5号車だけは国鉄車という編成です。 (写真)
(13/08/02 11:35:58 1134F) 見た目はほとんど同じ205系ですが、ドア窓の大きさが違います。 5号車国鉄車と6号車JR車の違い、わかりますでしょうか? (写真)
(13/08/02 11:44:12 1118F) 1134Fに乗ろうかと思いましたが、次の1118F快速に全車国鉄車が来ましたのでこちらに乗ります。 中原電車区205系34編成、中原電車区のクハの中では最若番車(=1番古い)、昭和60年製です。 (写真)
(13/08/02 12:10:18 1118F) 今日から明日にかけては、「ここでしか乗れない」車両が続きます。 まずはこの205系、国鉄からJRにかけて山手線の新車として導入されました。現在、南武線、武蔵野線、鶴見線などにいますが、すでに東日本では淘汰が始まっています。 一部はJR西日本にも引き継がれましたが、西日本に引き継がた車両は全車が阪和線におり、行程に組み込むのは困難です。1番乗りやすいのがこの南武線のグループ。気がついたら少数派です。 この後、185系、183系、211系と続きます。
(13/08/02 13:57:06 8037M) 川崎からは特急「踊り子117号」で横浜へ。 わずか7分に対して特急券500円です。 車両は大宮総合車両センター185系A2編成(旧田町車)です。 馬鹿馬鹿しいようですが、今や「踊り子」を使わないと川崎から西へ国鉄車で行くことができません。 (写真)
(13/08/02 23:41:51 9391M) 横浜からは「ムーンライトながら」です。 大宮総合車両センター183系H102編成です。 (写真)
(13/08/02 23:52:59 9391M) 残念ながら「きたぐに」「日本海」の廃止により、現在は、国鉄車の定期列車だけで関東エリアと関西エリアを行き来することはできません。東は小松、中津川、飯田、三島まで、西は永原、柘植、猪谷、瑞浪までが国鉄車で行ける限界です。 「ムーンライトながら」と「トワイライトエクスプレス」だけが両エリアをつないでいます。
(13/08/03 05:33:22 9391M) 葛西帝国(JR東海)の首都、名古屋に到着しました。 この葛西帝国をいかに抜けるかが、国鉄車の旅の鍵になります。 なにせここ、葛西帝国に残る国鉄車は、わずか8両の211系電車とキハ40だけ。あとはイベントトレインとして残された4両の117系。しかもキハ40も置き換えを打ち出しています。 JR西日本で全車健在の117系や他社では散々乗った(乗る)115系が引退済み。他社で主力のキハ40も置き換え対象というあたり、いかに葛西帝国が異常か分かるでしょう。 (写真)
(13/08/03 05:46:23 9391M) ここで葛西帝国会長、葛西敬之について紹介しておく。 葛西はJR束日本の松田、JR西日本の井手とともに悪の枢軸(誤)として国鉄ファンに敵視される人物で、松田が引退、井手が失脚したあとも、JR東海を支配している。 彼の経営手法は、鉄道の旅を徹底して否定している。東海道線の夜行列車群が無くなり、ただのローカル線になったのは葛西帝国が機関車の運転士の養成をしなかったからというのは有名。 東京〜大阪を結ぶ「銀河」が廃止に追い込まれたのは葛西によるところが大きい。
(13/08/03 05:55:56 9391M) JR九州の「ななつ星」が大人気で、東が追随します、西が追随します、絶対に追随しないどころか、おそらくそれらの車両の管内通過を認めないのが葛西帝国。 新幹線中心の経営と言うが、JR西日本がグリーン車にビデオ放映の設備を付けたら新大阪以東では施錠させるのが葛西帝国。JR西日本が史上最速(当時)の500系を作ったら乗り入れを認めないのが葛西帝国。
(13/08/03 06:11:04 9391M) JR東海発足時は新幹線は全列車に食堂車かビュフェがあったのに、今や食堂車はおろか、売店すらない。「のぞみ」「ひかり」以外は車内販売すらない。在来線特急からは車内販売全廃した。在来線日本最長距離昼行特急(「しなの16号」)が管内を走っているにもかかわらずである。 先代の須田社長は381系や165系といった国鉄時代の貴重な車両を編成単位で保存し、181系ディーゼルカーという東海地区にゆかりのある車両をJR四国から購入して保存していたのに、申し訳程度に博物館を作って一部を収蔵した以外は放置解体。
(13/08/03 06:19:13 9391M) 新幹線以外は客じゃない、新幹線も「東京〜新大阪だけ乗ってくれればいいんですよ。」(九州まで乗られると取り分の割合が減る)と言い放つのが葛西帝国。 正直、JR東海から新幹線を取り上げるくらいしないと日本の鉄道に将来は無いと本気で思っている。 こんな葛西帝国。なるべく早く抜けるのが吉。 今回の旅でも一日弱で抜けます。
(13/08/03 07:16:07 4311M) 名古屋駅改札で経由別紙を確認された。今まで見た駅員はいなかった気がする。(岩見沢の馬鹿に至っては…。) しっかりしていて良い。 次に乗るのは211系なのだが、少しだけ心配がある。 というのは、JR東海が保有している国鉄211系は4両×2の8両のみ。運用は2運用ある。つまり検査時は他車で代走があるのである。 代走は当然JR東海車。代走が入ってしまうと名古屋から進めなくなりこの後の予定は破壊される。 葛西帝国はなるべく早く抜けたい。あと1時間弱で結果が分かる。
(13/08/03 08:24:25 4311M) 国鉄211系が八田方から回送で入線。これで大阪まで行けることがほぼ確定しました。 同じく国鉄211系を使う4312Mが折り返すのかと思ったら違うんですね。その代わり、名古屋駅で国鉄211系が並びます。 手前が4311M、奥が4312M。この2編成がJR東海の国鉄211系のすべて。JR東海で定期運用を持っている国鉄電車すべてです。 (写真)
(13/08/03 08:48:14 4311M) 普通列車亀山行き。 車両は神領車両区211系K51編成です。 JRRの「JR電車編成表」では、 クモハ211-2 モハ210-14 サハ211-14 クハ210-8 の編成はK52となっていますが、実際にはK51編成を名乗っています。 国鉄211系はJR東日本の方がたくさん所有していますが、東北本線、高崎線で細々と運用しているのみ。多くは長野に疎開留置されています。いずれ耐寒強化して長野地区で運用開始するんでしょうがねぇ。今は数が少ない東海の方が乗りやすい状態になっています。 (写真)
(13/08/03 08:59:25 4311M) ちなみにこの車両は昭和61年製。国鉄と言っても最末期ですね。 永和で交換のため停車。「関西本線<名古屋・亀山>電化開業」(昭和57年)のスタンプがあり感動。 「鉄道の旅は許さん!」という葛西会長の方針か、東海鉄道事業本部エリアでは、名古屋駅も含め、ほとんどの駅でスタンプが撤去されていますが、三重支店までは影響は及んでいない模様。
(13/08/03 09:30:50 4311M) 空いて来たのでボックスシートに移動して弁当を食べる。 国鉄車のボックスシートで駅弁、最高ですよね。 弁当は何故か時刻表に載っていない、名古屋駅の「大えびフライ弁当 みそカツ付き」。 どうせ衣を付けたえびフライに衣を付けて衣を付けて…とやっただけだろうと期待していなかったが、本当に大きくて歯ごたえのあるえびだった。 しかし何で名古屋はみそカツとかえびフライとか「重い」ものばかりなんだろう。 北海道の海鮮が懐かしい。 (写真)
(13/08/03 10:03:26 4311M) 上り列車の遅れの影響で2分ほど遅れて亀山到着。 蝋燭と液晶の街です。 次の国鉄車は、なんと5時間半後! 5時間半あれば普通列車で大阪まで行って帰ってくることが出来ます。 しかも柘植駅が大阪近郊区間なので、亀山→柘植、柘植→油日、油日→亀山の計980円で行って帰って来られるというお値段かなりリーズナブル。 (写真)
(13/08/03 11:56:58 Bus) 国鉄チャレンジ20000kmのポスター!! このキャンペーンから「乗り潰し」が一般的になりました。 しかし、こんなポスターが残っているところ、どこだと思いますか? (写真)
(13/08/03 12:56:55 Bus) 国民宿舎「関ロッジ」です。 日本で唯一、20系客車に泊まることが出来ます。 20系はJR化後も何年かは現役で、写真を撮ったことはありますが、乗ることは無く、全廃となりました。 この車両の搬入は国鉄時代の昭和60年ですから、この客車はここで28年過ごしたことになります。かなり錆が見えています。 車内も見せてもらいましたが、ベッドの狭さと三段寝台に驚きました。これでも「走るホテル」と羨望の的だったのですから時代を感じます。 先程のポスターはこの車内にありました。 (写真)
(13/08/03 13:40:41 Bus) 道の駅「関宿」で休憩。 今回は道の駅の訪問も多いですね。(おうむ・わっかない・いまべつ) (写真)
(13/08/03 14:11:40 236D) 亀山駅に戻ってきました。 朝乗った211系が留置されています。 国鉄車は夜まで運用はありません。 (写真)
(13/08/03 14:53:10 335D) 亀山駅は関西本線の途中駅、紀勢本線との分岐駅ながら、全列車が始発、終着で、この駅を通り抜ける列車は一本もありません。 こういう駅も珍しく、他には伊万里くらいしか思い付きません。 亀山は更に、各方面の使用車両も固定されています。(名古屋方面は211系と313系、津方面は40系ディーゼルカーとキハ11、加茂方面はキハ120のみ) もちろん昔は関西本線、紀勢本線とも、直通列車の方が多かったのですが…。 (写真)
(13/08/03 15:00:07 335D) なんか引き上げ線で変な色のがヘッドライト点けてる…。
(13/08/03 15:00:38 335D) 変な色のが近づいて来た…。
(13/08/03 15:27:47 335D) 変な色のが来ました。これが新宮行きになります。 キハ40 3005+キハ48 5001+キハ48 6502です。 キハ40 3005とキハ48 6502が変な色です。 この色、国鉄気動車の一般色なのですが、40系ディーゼルカーが登場した頃は朱色一色が一般色になっており、国鉄時代、40系ディーゼルカーがこの色になったことはありません。 そもそも高運転台車両でこの色になったのはキニだかなんだかが一両なっただけです。 こんなリバイバルでも何でもない、時代考証も目茶苦茶な色にするなんて、葛西帝国のやることは理解出来ません。 (写真)
(13/08/03 16:35:56 335D) 阿漕〜高茶屋が予定のルートの中間点です。 もっとも、先日の大雨で山口線・山陰本線が不通となり、後半はショートカットせざるを得ないので、実際の中間点は過ぎていることになります。 (写真)
(13/08/03 16:40:24 335D) ちなみに乗っているのは2両目、JR東海色のキハ48 5001です。 変な色が嫌…だからではなく、キハ40はデッキが無いのでクーラーの効きが悪いから避けただけです。 昭和56年製です。
(13/08/03 17:58:38 335D) 紀伊長島でしばらく停車。 (写真)
(13/08/03 19:55:37 335D) 新宮到着。 寝続けて掃除のおじさんに起こされました。 かなり疲れがたまっています。 (写真)
(13/08/03 21:36:26 2348M) 井手商会もといJR西日本エリアに入りました。 当面の問題は、実は乗車券の経路に入っている山口線、山陰本線をどうするかという問題です。先程お客様センターに電話したところ、不通区間の別途旅行の扱いはしていない(指示が来ていない)から、新山口まで行って前途払戻してくれというというアホな答えが。んなわけねぇだろ? ちょっと新宮駅で確認します。
(13/08/03 22:02:30 2348M) 新宮駅からは最終の串本行きに乗ります。 車両は吹田総合車両所日根野支所新在家派出所105系SF002編成です。 長い区所名ですが、昔の新和歌山車両センター(和ワカ)です。 元々105系はクリーム色に朱色帯でしたが、最近、青緑一色の手抜き塗装に変わりました。でも通勤電車の一色塗装は見慣れているからか、違和感無いです。 105系は初めから105系として製造されたグループと、103系から改造されたグループがありますが、新宮〜紀伊田辺で使用されるのは新造グループです。 (写真)
(13/08/03 22:20:09 2348M) 今回の旅は、稚内から川崎までは上り列車だけを使用しているので、列車番号がすべて偶数になっています。一方、川崎から伯耆大山までは下り列車だけなので、基本的に列車番号は奇数なのですが、ここ、紀勢西線は阪和線に合わせた列車番号になっているため、下り列車ながら2348Mと偶数番号になっています。
(13/08/03 22:37:26 2348M) ワンマンの2両目、全員が靴を脱いで座席に上がって、横になったり三角座りしたりしています。さすが関西!! 「郷に入ればGoGoGo!!(誤)」ということで、私もC寝台(クモニネ105)にします。 東のプレハブと違って、ベッドにしても問題ない座席ですし、寝台幅は20系並にあるし。
(13/08/04 05:55:21 2320M) おはようございます。 今日は串本発紀伊田辺行きの1番列車からスタートします。 車両は吹田総合車両所日根野支所新在家派出所105系SF002編成、要は昨日新宮から乗って来た編成がそのままホームで滞泊したものです。 写真右側の列車です。 こう並んで見ると、オーシャンカラー(左側)と手抜き塗装(右側)の違いがわかります。 (写真)
(13/08/04 07:18:16 2320M) 紀伊田辺到着。 今朝は横にこそなっていないものの、ほとんど寝て過ごしました。 (写真)
(13/08/04 07:38:59 2320M) この紀伊田辺で2時間待ちとなります。 紀伊田辺〜御坊は113系、御坊〜和歌山は117系と、基本的に国鉄車が運用されているのですが、朝の時間帯は225系が入ってきます。その朝の時間帯であるがために、やたらと待つ羽目になります。 (写真)
(13/08/04 08:13:52 2320M) 確かにこのポスター、西日本にもあるんだな。 (写真)
(13/08/04 08:59:10 2352M) 紀伊田辺からは113系なんですが…なんじゃこりゃ。形といい色といい、最低です。 車両は吹田総合車両所日根野支所113系HG201編成です。 かつてたくさんの113系が在籍した日根野区も、今や4両が残るだけ。みなこの顔です。 そして今回の旅で113系に乗るのはこの1回のみ。かつてはこれに乗らずに東京〜大阪を移動する方が難しかったのに今や絶滅危惧種です。 (写真)
(13/08/04 10:11:55 13D) 御坊からちょっと寄り道して、東京都に本社がある某不動産会社の路線に乗ります。 某不動産会社が「鉄道会社の不動産部門」と名乗りたいがために購入。2.7kmを残して廃止したという鉄道です。 この車両は国内最後の旅客用二軸車だったりします。 座席の布は擦り切れ、冷房は故障という、ツッコミどころ満載で走っています。 (写真)
(13/08/04 10:15:18 13D) 終点、西御坊駅到着。 とても駅とは思えない場所です。 それでもさすがは不動産会社、一日16往復も走っています。乗客は1列車1人くらいか(笑)。 スピードも30kmくらいしか出しません。 (写真)
(13/08/04 10:20:01 14D) それは鉄道名じゃなくて急行「紀州」のサボだろ!! 全線乗っても180円とリーズナブル。 あと、乗客1名は訂正。途中から乗って来て6名になりました。 安くて本数があれば客は乗るんですね。 (写真)
(13/08/04 10:40:12 352M) 御坊からは117系普通、和歌山行きに乗ります。 かつては「シティライナー」の愛称で京阪神を爆走し、急行「比叡」や特急「日本海」をぶち抜いていた117系ですが、4両に短縮され、青緑一色の手抜きカラーになり、御坊〜和歌山を往復しています。 すでにJR東海の仲間は廃車、解体されています。 車両は吹田総合車両所日根野支所新在家派出所117系SG003編成です。 (写真)
(13/08/04 10:49:57 352M) 朝食(?)は御坊駅の「さんま寿司」。 時刻表には何故か載っていません。 (写真)
(13/08/04 12:03:24 237M) 国鉄車の旅の趣旨から言えば、すぐの「くろしお」で北上しても良いのですが、せっかくなので和歌山市まで行って、紀勢本線一気乗りにしておきましょう。 和歌山市行きは吹田総合車両所日根野支所新在家派出所105系SP005編成です。 ところでこの顔、見覚えある方、いませんか? 昔、常磐線各駅停車・営団地下鉄千代田線で走っていた103系1000番代です。国鉄末期に105系に改造され、西日本にやってきました。 (写真)
(13/08/04 12:05:54 237M) 昭和46年製で、私より古い車両です。 同じ105系を名乗っていますが、新宮〜紀伊田辺で乗ったオリジナル105系が3扉なのに対し、103系改造の105系は4扉です。 東日本からは103系は無いどころか、103系1000番代の後継車の203系も全車廃車され、フィリピンやインドネシアに渡っています。 つまり、東日本の二世代前の車両を大切に使っているのがJR西日本なのです。
(13/08/04 12:08:12 237M) …古いのは構わないのですが、この車両、JR西日本が冷房化率を上げたいがために安物を付けた簡易冷房車。ほとんど効きません。走行時間が短く4つのドアを開け放した日には…。 扇風機がフル稼働していますが暑いです。北海道の非冷房車と変わりません。
(13/08/04 12:23:37 237M) 和歌山市到着。 紀勢本線384.2kmの執着駅ですが、実態は南海電鉄への乗り入れです。駅名票もこのように南海スタイルです。 これで紀勢本線全線に乗車しました。西日本区間はすべて、青緑一色の手抜き塗装でした。 ちなみに国鉄車で名古屋〜大阪を移動するには、今回のように紀伊半島を半周するしかなくなっています。 (写真)
(13/08/04 12:33:52 1201) 続いて私にとっての未乗路線、和歌山電鐵貴志川線に乗ります。 私が大阪にいた頃は南海電鉄貴志川線だったのですが、南海電鉄が廃止を表明、地元の尽力で岡山電気軌道が受け入れ先になり、和歌山電鐵として再生しました。 車両はあの水戸岡鋭治氏のデザインで改装しています。 私は南海時代も含めて乗ったことはなく、初めての乗車です。 (写真)
(13/08/04 14:00:59 68M) 和歌山からは「くろしお18号」で天王寺へ向かいます。車両は吹田総合車両所日根野支所381系HD602編成です。 元々阪和線沿線に住んでいたので、本当は阪和線は普通列車でゆっくり通過したかったのですが、残念ながら、現ダイヤの昼間は国鉄車の103系は鳳以南に来ません。 さすがに夜までは待てないので、特急で通過します。 また103系王国阪和線を特急で通過してしまったがために、後で行程に103系を入れるのに苦労するのですが…。 (写真)
(13/08/04 14:30:17 68M) お昼は和歌山駅の「味くらべ」。これまた時刻表には載っていません。 時刻表に載る基準ってなんなんだろう? 懐かしい区間の車窓を見ながら弁当を食べています。 103系王国と書きましたが、減便と快速、区間快速からの撤退で103系を見ることもかなり減りましたね。 杉本町以北は高架化され、景色の視線が変わっています。 (写真)
(13/08/04 14:51:10 68M) 天王寺駅18番線到着。 天王寺駅もかなり変わりました。 19番線20番線とかいう魔界は無くなったし、何よりこの阪和線ホームの衰退ぶりが寂しい。 大阪直通の増加と普通の減便の結果です。 天王寺から先は201系を待ちます。 (写真)
(13/08/04 15:41:12 1473) 天王寺からは大阪環状線に乗ります。 大阪環状線は103系と201系ですが、201系はここでしか乗れないので201系に乗ることにします。 本数的には201系の方が多いはずなのですが、103系が2連発で来ました。 昼間は関空紀州路快速、大和路快速を除くと15分に1本なので、ここで30分以上待ったことになります。 車両は吹田総合車両所森ノ宮支所201系LB8編成です。 (写真)
(13/08/04 16:14:19 1473) 【国鉄車の旅第2章終了】 無事、大阪駅到着。 第2章はここまでです。 現在、帰路についています。
(13/08/07 14:52:10 3015M) 【国鉄車の旅第3章開始】 間もなく国鉄車の旅第3章、大阪〜枕崎をスタートします。
(13/08/07 15:07:10 3015M) 関西で余裕が出来るようにと、自宅を1番列車で出てきた上、途中新幹線で加速したのに、枇杷島駅の人身事故の影響でギリギリ。 事故は仕方ないとしても、葛西帝国は意図的に接続悪くしているとしか思えない。 大垣駅手前でしばらく停車→接続のため、米原行きが遅れ→米原で新快速に不接。
(13/08/07 15:31:41 3015M) 国鉄車の旅、実は大阪〜福知山が1番のネックです。この381系「こうのとり」に乗るしかありません。福知山の381系が消えた瞬間に、北海道〜九州の国鉄車の旅は出来なくなります。 大阪からは「こうのとり15号」に乗ります。 車両は福知山電車区381系FE65編成にFE651編成を挟んだ編成です。 (写真)
(13/08/07 15:32:34 3015M) ちなみに、今回の乗車券、新山口〜幡生の扱いについて、JR西日本のお客様センターからの回答は来ていません。 先程、大阪駅改札口に怒りの文書を手渡して来ました。
(13/08/07 15:33:51 3015M) 尼崎〜塚口の魔のカーブで、踏切支障のため停止。7分遅れとなりました。
(13/08/07 15:50:04 3015M) 停車中にお客様センターから電話あり。大阪駅での文書が効いたのか? 結論から言うと、別途旅行は須佐〜宇田郷しか認められないとのこと。 または新山口で前途を払い戻して、幡生で別途購入してくださいとのこと。(払戻額より別途購入額の方が高くなります。) アホくさい話ですが、新山口〜幡生の放棄しかありません。
(13/08/07 16:14:32 3015M) ちなみにこの列車、J-WESTカードの会員だと自由席と同額で指定席に乗車できます。 「くろしお」に至っては自由席以下…。先日、混雑している自由席に乗って大損しました。
(13/08/07 17:23:28 3015M) 和田山発車。いつの間にか定刻に。
(13/08/07 18:09:13 183D) 豊岡からは延々と普通列車の乗り継ぎになります。これ以降、本州内で特急に乗る予定はありません。 豊岡からは浜坂行きです。車両はキハ47 5+キハ47 1012です。 (写真)
(13/08/07 18:28:50 183D) 検札が回って来たので、敢えて青春18きっぷではなく、稚内→枕崎の乗車券を見せました。 そういえば、この乗車券、何度か検札に会っていますが、スタンプを捺したのは「こうのとり」車内、大阪車掌区だけです。 大阪車掌区ということで、「浅尾車掌のスタンプ、持っていませんか?」と聞いたのですが、持っていないとのこと。残念。 (写真)
(13/08/07 19:08:45 183D) いつの間にか、旧余部鉄橋が舗装されて「空の公園」になっていました。 車掌さんも知らなかったみたいですからごく最近です。 (写真)
(13/08/07 19:17:05 183D) 車掌さんと書きましたが、実はこの区間、ワンマンではない普通列車は一往復だけ!!貴重でした。 所定はキハ47×4両なので、本日は2両減車です。
(13/08/07 19:28:19 545D) 浜坂駅はすでに営業終了。 途中下車印もスタンプも押せず。残念。 (写真)
(13/08/07 19:30:40 545D) 浜坂からは鳥取行きワンマンカー。 車両はキハ47 146+キハ47 1037です。 このカラーの車両は初めて見た。 (写真)
(13/08/07 20:58:48 545D) さっきの車両、こんなデザインでした。 (写真)
(13/08/07 21:00:59 265D) 鳥取ですぐの列車に乗っても倉吉で接続が無いので、一本落とします。 21時01分発倉吉行き、車両はキハ47 2017+キハ47 3015です。 (写真)
(13/08/07 21:43:20 265D) 宝木で交換する「スーパーまつかぜ14号」の遅れを受けて5分遅れ。
(13/08/07 22:16:25 267D) 倉吉で米子行きに乗り換え。快速「とっとりライナー」の交換待ちで2分遅れで発車。 車両はキハ47 8+キハ47 1025です。 (写真)
(13/08/08 00:00:45 267D) 今日は切符上は伯耆大山、実際は米子泊です。 しっかりとこういう印がありました。他駅の下車印が付くのは米子駅だけになる予定です。 それにしても米子は宿が安くて嬉しいです。今日泊まる宿は何と2630円!! 今日は山陰本線の荒島〜揖屋で人身事故があったみたいですね。 西から来る列車が軒並み遅れて来るわけですね。 (写真)
(13/08/08 06:02:39 228D) おはようございます。 米子を出発し、本来の出発地、伯耆大山に向かいます。 車両は、キハ47 1025+キハ47 8+キハ47 84+キハ47 1114です。 (写真)
(13/08/08 06:13:23 228D) 伯耆大山駅到着。 枕崎への旅を再開します。 (写真)
(13/08/08 06:24:54 820M) 伯耆大山からは伯備線、新見行きに乗ります。 車両は岡山電車区115系G8編成です。 国鉄車の旅で何度も乗ることになる115系ですが、2日の立川以来です。 色はご覧のとおり手抜き塗装の黄色。別名「末期色」と呼ばれています。 逆側の先頭車は…見ない方がいいと思います。 (写真)
(13/08/08 07:52:09 820M) 普通列車が通過する駅、布原。 この列車は「運転停車」し、「サンライズ出雲」と交換します。 4分間停まってもドアは開けません。 (写真)
(13/08/08 07:58:52 820M) 新見到着。 見ない方がいい先頭車を見てしまいました。 (写真)
(13/08/08 08:40:18 848M) 新見からは相生行きに乗ります。車両は岡山電車区115系A2編成です。 国鉄車ですが、客室内は転換式シートに変更されていますので221系並!!快適です。 ただし色は末期色に塗り替えられてしまいました。 (写真)
(13/08/08 09:43:19 848M) 備中高梁で一本落とします。その理由は… (写真)
(13/08/08 09:55:15 1828M) 理由は備中高梁から213系に乗るためです。 213系は国鉄からJRへの移行期に作られているので、車両によっては国鉄車ではなくなります。 このため、少しでも国鉄車の確率を上げるため、4両編成のこの列車を狙いました。 車両は岡山電車区213系C1編成+C7編成、4両とも国鉄車です。213系のトップナンバー編成とサハ→クハ改造のトップナンバーの組み合わせです。 (写真)
(13/08/08 10:19:07 1828M) 213系は国鉄最後の新形式です。 わずかな期間でしたが国鉄に在籍していた証拠です。 (写真)
(13/08/08 10:22:01 1828M) こちらは改造先頭車。 運転台ユニットをまるまる付け足していますが、ちゃんと国鉄っぽいデザイン。 115系に施した下手くそな先頭車改造と違い、あまり違和感無いです。 (写真)
(13/08/08 10:52:30 1733M) 倉敷からは山陽本線で西へ向かいます。 普通列車糸崎行き、車両は岡山電車区115系D14編成です。 車内は転換式シート、塗色は末期色です。 JRの手抜き塗装も着々と増え、まともな塗装の車両を見るのが厳しくなりました。 (写真)
(13/08/08 11:12:56 1733M) 3両編成の先頭車だけ明らかに空いている。他の車両には立ち客もいるのに、先頭車だけは空席だらけ。何故なら先頭車は弱冷車だから。 明らかに支持されていない施策なんだからいい加減廃止すべきではないか。
(13/08/08 11:27:27 1733M) ここで「国鉄車の旅」のコースの説明を…。 本州に入って直江津までは日本海側を来ました。ところが、小松以西は国鉄車が無い(「トワイライトエクスプレス」除く)ため、直江津から本州横断しました。川崎からは太平洋側を来ますが、尼崎〜姫路は国鉄車が無いため、再び本州横断して福知山からひ日本海側を行きます。 ところが今度は浜田〜益田に国鉄車が無いため、三度目の本州横断をして太平洋側に来ました。 無駄に日本海側と太平洋側を行き来したように見えますが、国鉄車の旅では必然なのです。
(13/08/08 12:09:19 1733M) 糸崎駅到着。 岡山支社と広島支社の境界駅で、運転上の大拠点ですが、駅自体はご覧のとおりです。 (写真)
(13/08/08 12:22:56 351M) 糸崎からは予定を変更し、すぐの列車で三原に駒を進めます。 車両は下関総合車両所広島支所115系L04編成です。 珍しく、まだまともな色です。 糸崎駅の側線を見ても末期色ばかりになりました。 (写真)
(13/08/08 12:59:32 143M) 三原からは呉線に乗ります。これから広島まで、2時間以上、通勤電車のロングシートです。 まずは広行き、車両は下関総合車両所広島支所105系K3編成です。 末期色に塗り替えられた仲間も多い中、広島色(白地にJR西日本カラーともみじ色の帯)を保っています。 (写真)
(13/08/08 13:38:45 143M) 竹原駅停車中。 青春18きっぷに途中下車印を頼む阿呆が増殖中。 押す場所まで指定する馬鹿がいる。 一葉化で記載事項が見にくくなったし、18きっぷに下車印は要らないだろう。 こういう迷惑な奴のせいで、本当に下車印が必要な切符まで下車印が省略されたら本末転倒だ。
(13/08/08 14:38:45 5645M) 広からは快速広島行きに乗り換えです。 車両は下関総合車両所広島支所103系D3編成です。 103系は中央線、山手線から始まり、東京、仙台、名古屋、大阪、福岡の通勤区間でいくらでも見られた車両でした。国鉄で1番たくさん作られた車両です。 しかしすでにJR東日本、JR東海では絶滅。JR西日本でも急速に数を減らしています。 今回の旅でも103系に乗るのはこの区間だけです。 そして…一色塗りが1番似合う車両なんですが、何故か末期色にしていません。 (写真)
(13/08/08 14:50:55 5645M) 安芸阿賀での交換列車遅れの影響で呉駅の停車時間が消えました。それでも3分遅れ。
(13/08/08 15:08:28 5645M) 天応駅でまっ黄色の103系と交換。さすが全く違和感無し。路線的には水色の方が似合いそうだが。 ダイヤが乱れているからか、かるが浜、天応、水尻と運転停車。快速とは言いづらい。
(13/08/08 15:23:05 5645M) 海田市発車時点で4分遅れ。 間もなく広島です。
(13/08/08 16:36:22 1563M) 【国鉄車の旅番外編1】 番外編で宮島口に向かいます。 車両は下関総合車両所運用検修センター115系N9編成です。 3000番代、末期色にはなっていません。 (写真)
(13/08/08 17:02:33 Ship) 宮島口に来た理由は、国鉄連絡船の唯一の生き残り、「ななうら丸」に乗るため。 16時30分宮島口発になんとか乗れました。 折り返しの運航は無く、そのまま宮島桟橋に停泊です。 (写真)
(13/08/08 17:21:06 Ship) 緊急地震速報の影響で山陽本線が遅れている。そういや宮島で例の音を聞いたけど地震の通知メールは来なかった。気象庁、派手に誤報やったっぽいな。
(13/08/08 18:30:47 791M) せっかくですからまともな113系に乗っておきます。 可部線可部行きです。 車両は下関総合車両所広島支所113系P02編成です。 車内は221系並の転換式シート、色もJR西日本カラーです。 (写真)
(13/08/08 18:34:08 791M) 緊急地震誤報の影響で広島駅を7分遅れで発車。 緊急地震誤報が夕ラッシュのダイヤを破壊しています。 (写真)
(13/08/08 20:19:12 1583M) 横川(実際には140円の乗車券を買って広島)からは下関行きで西へ向かいます。 車両は下関総合車両所運用検修センター115系N02編成です。 3000番代です。 緊急地震誤報の影響で4分遅れで広島を発車。ダイヤが乱れたときでも基本的に発車順序の変更はしないようです。 広島を出た時には大混雑でしたが、すぐに空いてきて座れるようになりました。 東京と違って通勤距離が短くてうらやましいです。 (写真)
(13/08/08 21:43:55 3483M) 岩国の停車時間分で遅れを取り戻すと思いきや、岩徳線との接続待ちで逆に遅れを増幅。 現在、5分遅れで走行中。
(13/08/08 22:40:09 3483M) いつの間にか定刻で走っていた。謎。
(13/08/08 22:47:40 3483M) 新山口到着。 村上から何度となく乗った115系ともこれでお別れ。 そしてこれから、切符の扱いについて、JR西日本と戦いです。 (写真)
(13/08/09 00:39:44 3483M) 約1時間の戦いの末、新山口〜幡生(山口線・山陰本線経由)の不乗証明をゲット。ただし、払戻は原券を回収しないとダメとのこと。ということで、実際には払戻しないのを前提に証明しているのが現状。 原券回収しないといけないというのは社員がちょろまかさないようにとのこと。まっそういうことやる社員がいる会社だしな(笑)。 明日朝までに山陽本線経由の乗車券に作り直して差額返金しろと言うのも可能だったが、本当にやりそうだし、駅員一人徹夜させるだけの嫌がらせなのでやめた。
(13/08/09 07:29:13 9521) 今回の原因列車。車両は下関総合車両所新山口支所に留置中。 まあ、ここが所属区だから当たり前と言えば当たり前。 機関車の方は梅小路運転区の所属なので、今期は山口県にすら来ていないと思われます。 地福まで運転すればいい(機関車はプッシュプル)のにやらないのはやる気が無いからか。 元々今期は運転日が少なく、JRのSLで最多運転の座はSL人吉に譲っています。 (写真)
(13/08/09 07:43:12 1833M) 【予定変更】 山口線・山陰本線不通のため、新山口〜幡生を宇部線・山陽本線経由にし、幡生〜枕崎の予定を24時間繰り上げます。 なお、宇部線・山陽本線迂回中についても「国鉄車のみ」のルールは適用(逆に国鉄車以外に乗れるかは疑問だが)とします。 元々今回の国鉄車の旅のルール上は、新山口〜幡生が山口線・山陰本線経由である必要は無く、ただ「SLやまぐち」に乗りたいがための冗長経路でした。 不通にかこつけてSLやまぐちを全区間運休にしたJR西日本には怒りを覚えます。
(13/08/09 07:50:27 1833M) ということで、1833Mで下関行きで新山口を発ちます。 車両は下関総合車両所運用検修センター105系U9編成+I2編成です。 123系も期待しましたが、そもそもこの列車はどう見ても105系I編成の入庫列車なので、123系は入らないと思います。 (写真)
(13/08/09 08:25:50 1833M) 宇部新川到着。 (写真)
(13/08/09 09:02:53 3835M) 宇部新川からは予定通りの下関行きに乗ります。 123系電車が下関に入庫するための列車なので、必ず123系が入ります。 車両は下関総合車両所運用検修センター123系U14編成(クモハ123-3)+105系U3編成です。 この123系、元々はクモニ143という荷物電車だったのですが、国鉄の小荷物輸送の廃止と1両で走れる電車の必要性から、旅客車に改造されました。 元羽衣線の5か6を期待しましたが、残念ながら3でした。 123系はまともな色ですが、後ろの105系は末期色です。 (写真)
(13/08/09 09:17:17 3835M) 製造が昭和53年、改造が昭和62年ですから、本来の荷物電車としての仕事は10年足らずだったことになります。 国鉄の郵便・荷物輸送の廃止は急だったようで、わずか4年で廃車になった郵便車もあるようなので、長い方なんでしょう。 改造が国鉄時代だったのも意外でしたが、当時の国鉄の苦しいお財布事情がそう(荷物電車にお客を…)させたわけですから当たり前と言えば当たり前。すでに荷物車時代の約3倍、旅客車としての歴史を残しています。 ちなみに昭和62年の国鉄車は3ヶ月しか無いので貴重です。 (写真)
(13/08/09 09:53:32 3835M) 下関駅到着。 国鉄車の旅、井手商会(JR西日本)エリア終了です。 北海道から続いた国鉄車の旅も、いよいよ終盤に入ります。 (写真)
(13/08/09 10:15:33 5147M) 下関からは小倉行きに乗ります。 下関〜門司はトンネル、そして交直切替区間という特殊性から、民営化後はこの区間を抜けられる車両は作られておらず、全列車が国鉄車になっています。 車両は大分車両センター415系FO107編成です。 415系の貴重なセミクロスシート車です。 (写真)
(13/08/09 11:02:44 2337M) 小倉からは久留米行きで吉塚へ向かいます。 車両は小倉総合車両センター門司港車両派出415系FJ103編成です。 鹿児島本線を快速に抜かれながら各駅に停まって行きます。 (写真)
(13/08/09 11:55:35 2337M) 赤間で2本待避。 そういえば九州の415系の側面行き先幕、ローマ字が入っていないものがかなりの率であるんだが、何故だろう? 他の地域では見たことがない。 (写真)
(13/08/09 12:39:35 2337M) 吉塚到着。稚内〜枕崎の本体の旅としては、今日はここまでです。 引き続き、国鉄車の旅の番外編をお送りします。 (写真)
(13/08/09 12:45:52 2337M) 【国鉄車の旅番外編2】引き続き博多→博多、国鉄車の旅をスタートします。 トップランナーは普通、二日市行き。車両は小倉総合車両センター門司港車両派出415系FJ103編成です。 博多駅のこのホーム、篠栗線用だと思っていたのですが、本線の列車も使用するのですね。 (写真)
(13/08/09 13:04:55 2337M) しかし暑い。 冷房車にいるはずなのだが、窓(それも日影側)に近づくだけで汗が吹き出る。 井手商会の簡易冷房車じゃあるまいし、外は一体何が起こっているんだ?
(13/08/09 13:53:09 2857M) 鳥栖で長崎行きに乗り換え。 数少ない国鉄車同士が綺麗に接続します。しかも対面乗り換え。 車両は小倉総合車両センター門司港車両派出415系FJ126編成です。 (写真)
(13/08/09 14:02:55 2857M) 鳥栖と言えば「焼麦(しゃおまい)」。 「つばめ」のビュッフェでこれを頼むのが楽しみでした。 (写真)
(13/08/09 14:39:15 5845D) 佐賀で西唐津行きに乗り換えです。 前に黄色い何かが付いていますが、こちらには乗りません。 車両はキハ125-1+キハ47 9126です。 (写真)
(13/08/09 15:58:04 5845D) 唐津駅、金持神社。 正直、まだあったのかという感想。 金持さん、異動出来ないの? (写真)
(13/08/09 16:13:49 5845D) 西唐津到着。 唐津線、筑肥線の起終点だからもう少し大きな駅かと思ったらホーム一面だけの駅。駅スタンプも無し。 次の福岡空港行き国鉄車は1時間後。 こんなところで1時間待つのは耐えられないので、唐津駅に戻ります。 (写真)
(13/08/09 16:23:21 5848D) ということで唐津に引き返しました。 (写真)
(13/08/09 16:49:30 350C) 唐津からは103系に乗ります。 本編では広〜広島でしか乗れなかった103系ですが、福岡では比較的楽に乗ることが出来ます。 ご覧のとおり、水戸岡デザインで、まるで別車両のようになっています。 元々、九州の103系は201系の製造開始後に作られた車両で、本州の103系とはかなり別車両ですが。 車両は唐津鉄道事業部唐津車両センター103系E17編成です。 (写真)
(13/08/09 17:29:12 654C) そのまま筑前前原まで行っても接続する福岡空港行きは福交車なので、浜崎で一本落としました。 浜崎を選んだ理由は、古いスタンプがありそうだからという理由だったのですが、外れました。 浜崎からは福岡空港行きに乗ります。 車両は唐津鉄道事業部唐津車両センター103系E18編成+E07編成です。 (写真)
(13/08/09 17:51:50 654C) 3号車と4号車はモハとクモハが向き合っています。 (写真)
(13/08/09 18:38:59 654C) 博多駅到着。 番外編2はここまでです。 (写真)
(13/08/10 06:26:50 1620H) おはようございます。 本日は吉塚(実際は博多)からスタートします。 トップランナーは篠栗線・筑豊本線経由小倉行きです。 両線、国鉄時代は電化されていなかったので、国鉄車が黄色いヘッドサイン出して走るのはかなり違和感があります。 車両は小倉総合車両センター門司港車両派出415系FJ106編成です。 (写真)
(13/08/10 08:07:08 3531D) 新飯塚から快速・田川後藤寺行きに乗ります。 快速なので後藤寺線内ノンストップです。 車両はキハ31 7+キハ31 10です。 キハ31は国鉄車とJR車がありますが、幸いなことに国鉄車です。ただし昭和62年製なので、国鉄在籍期間はほとんどありません。 昨日の小倉から今日の城野までは冗長経路となっていますが、このキハ31は他車との共通運用が多く捕捉し辛い上、JRになってから製造された車両もあり計画が立たないので、確実に乗れるようにするためです。 (写真)
(13/08/10 08:35:24 936D) 予定を変更し、田川伊田まで先に駒を進めておきます。 車両は キハ147 49+キハ40 8051 、キハ147に乗っておきました。 (写真)
(13/08/10 10:26:30 944D) 田川伊田では「石炭・歴史博物館」に行っていました。 博物館の前には鉄道グッズが大量に展示された喫茶(?)があります。 田川伊田駅に戻り、小倉行きに乗ります。 車両は キハ147 184+キハ147 1033 です。 (写真)
(13/08/10 11:22:52 944D) 小倉駅到着。 稚内〜枕崎の本編二度目の小倉駅ですが、城野〜小倉は特例による複乗が認められているだけで、乗車券上は城野で大分方面へ折り返しているため、片道乗車券が成立しています。 (写真)
(13/08/10 11:28:37 9043M) 摩訶不思議な出来事です。 同じ時刻に同じホームから同じ方面への列車が出ます。 (写真)
(13/08/10 11:41:57 9043M) JNRマーク!! (写真)
(13/08/10 11:56:28 9043M) 小倉からは臨時特急「にちりん83号」に乗ります。 「いなほ」「北越」と同じく485系ですが、こちらは200番代(ただし貫通扉は埋められている)の国鉄色です。 大分鉄道事業部大分車両センター485系DO32編成、昭和47年、48年製の古豪です。 JR九州485系の定期運用は平成23年3月12日をもって終了しましたが、このDO32編成だけが、時々臨時列車として運用しています。 (写真)
(13/08/10 12:38:35 9043M) この5両の485系、新製配置は揃って青森です。 かつてはグリーン車、食堂車を組み込んだ長編成で、「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「白鳥」「いなほ」などで活躍していたのでしょう。 485系一族に転機が訪れたのは東北新幹線開業。 485系は全国的に大異動がありました。 そのとき、この5両も九州に来ました。
(13/08/10 13:38:57 9043M) L特急というのも懐かしい。 (北海道や葛西帝国では現役だけど) (写真)
(13/08/10 14:40:58 7004D) 続いて「ゆふいんの森4号」に乗ります。 こんな新しい車両に乗っていいんですか?と思うかもしれませんが、国鉄時代の車両の改造車です。車両履歴を見たら、逆にその古さに驚きます。 (写真)
(13/08/10 15:22:40 7004D) 車両と新製年、転属履歴を書きます。 先頭4号車キハ71-1(元キハ65 51)、昭和45年製、長野→大分。 3号車キハ70-2(元キハ58 436)、昭和38年製、松本→金沢→名古屋→七尾→新潟→大分→人吉→竹下→長崎。 2号車キハ70-1(元キハ58 490)、昭和39年製、新潟→竹下→直方→早岐→長崎。 1号車キハ71-2(元キハ65 19)、昭和45年製、竹下→大分。
(13/08/10 15:28:16 7004D) 中間の2両は東海道新幹線の開業前から働いている車両ですからびっくりです。 「能登路」「赤倉」「きそ」「ひめかわ」「しらゆき」…当時、どんな列車で走ったのでしょうか? 当然ながら、車体は新造していますので、当時の面影は全く残っていません。
(13/08/10 16:46:55 4448D) 豊肥本線復旧に伴い、熊本方面への国鉄車の旅がしやすくなりましたね。 復旧後の豊肥本線内の国鉄車の運用は不明なのですが、元々宮地〜豊後竹田は列車が少なかったこともあり、あまり変わっていないみたいですね。 ということで、国鉄車が来るまで1時間以上待ちました。 車両はキハ47 4509+キハ47 8088です。 (写真)
(13/08/10 17:44:04 4448D) 「九州横断特急6号」との交換のため、犬飼駅に停車。 犬飼は、国道10号自転車旅行で泊まった街です。 (写真)
(13/08/10 18:38:09 4448D) 豊後竹田到着。 前回来たときにはここに代行バスの姿がありましたが、無事、全線復旧したため、今はその姿はありません。 (写真)
(13/08/10 18:51:40 4448D) 瀧廉太郎旧宅 (写真)
(13/08/10 18:54:37 4448D) 廉太郎トンネル。通るとメロディが…。 (写真)
(13/08/10 20:04:38 1091D) 豊後竹田からは「九州横断特急101号」で熊本に向かいます。 車両はキハ185-1008+キハ186-5+キハ185-16です。 185系ディーゼルカーは国鉄末期に四国に導入され、JR四国に引き継がれました。後にJR九州に売却され、大改装して九州でも走っています。 分割民営化以降、数少ない広域異動を経験した車両です。 これで乗車ノルマもあと713系電車だけです。 J-WEST会員特典で指定席を取りましたが、自由席の方が空いているという罠。 写真は後で撮り直します。 (写真)
(13/08/10 20:49:50 1091D) 立野のスイッチバック通過中。 真っ暗で面白くも何ともない。 そういえばこのスイッチバック、登る方向の列車に乗ったことがない。
(13/08/10 21:38:27 1091D) 熊本到着。本日はここまでです。 (写真)
(13/08/11 06:24:25 521D) おはようございます。 熊本は今日も朝から汗ばむような暑さです。 今日は普通列車三角行きからスタートします。 昨日、後藤寺線でキハ31に乗っているので、今日ここで頑張る必要はないのですが、いろいろ乗っておきたいので乗っておきます。 車両はキハ31 1+キハ31 14です。 先頭はキハ31のトップナンバーです。 (写真)
(13/08/11 06:57:05 6323M) 宇土で息つく間もなく、普通列車八代行きに乗り換え。 415系が大牟田以南を走るのは朝しかなく、宇土〜八代の行程は大変組みにくくなっています。 車両は南福岡車両区415系FM1517編成です。 …記録を取っていて気付いたのですが、415系って、民営化後の90年まで製造が続いていたのですね。 JR九州は民営化以降に作っていないから大丈夫ですが、ちょっと焦りました。 (写真)
(13/08/11 07:38:33 6323M) 八代駅到着。 約3時間後の「SL人吉」まで待ちです。 今日は異常に接続が悪く、西都城までしか行けません。 (写真)
(13/08/11 08:42:20 6329M) 熊本→八代の6329M。平日は国鉄車415系だけど、土休日は815系っぽい。 早めに八代まで来て正解でした。 (写真)
(13/08/11 09:08:50 1081D) 昨日「九州横断特急101号」で乗った車両が「くまがわ1号」としてやってきました。 暗くて気付かなかったのですが、九州横断特急カラーではなくゆふカラーだったんですね。 (写真)
(13/08/11 10:38:30 8241) 「SL人吉」到着。 機関車は58654、大正11年製です。 (写真)
(13/08/11 10:48:08 8241) お目当てはこちらの客車。今や貴重になった50系客車です。 編成はオハフ50 702(元オハフ50 40)+オハ50 701(元オハ50 75)+オハフ50 701(元オハフ50 39)です。 機関車は大正時代ですが、客車も昭和50年代の国鉄車の改造車です。 しかしこのくそ暑い中、SLの運転席はすごい状態だろうな。トンネルも多いし、想像を絶する。 客車は旧形客車でもないし、冷房も入っているので快適。逆に言うと今回の旅ではSLでなくても構わない。 (写真)
(13/08/11 12:16:06 8241) 人吉到着。暑い。
(13/08/11 12:28:59 8241) バック運転で引き上げです。 (写真)
(13/08/11 12:45:05 8241) 石造の機関庫、国内唯一らしい。 客車を外した58654が休んでいます。 ディーゼル機関車のようなものは見当たりませんので、客車の入れ替えも蒸気機関車でやるのですね。 (写真)
(13/08/11 13:26:47 1255D) 次に乗る「いさぶろう3号」が到着しました。 人吉駅に国鉄車(を水戸岡鋭治氏がリニューアルしたもの)が並びます。 (写真)
(13/08/11 13:47:15 1255D) 車両はキハ140-2125+キハ47 9082+キハ47 8159 です。 「リゾートしらかみ」同様、40系ディーゼルカーを改造したリゾート列車です。 (写真)
(13/08/11 14:26:26 1255D) 昼食は八代駅弁の「鮎屋三代」。 八代駅で買い忘れたのですが、「SL人吉」の車内で売っていました。 (写真)
(13/08/11 14:42:16 1255D) 日本三大車窓も今日は曇り。 ちなみに今回の旅では姨捨と矢岳と、日本三大車窓のうち二つを通過しています。 (写真)
(13/08/11 15:57:50 1255D) 吉松にも国鉄車(の水戸岡鋭治リニューアル車)が並びます。 手前はキハ47の特急!!「はやとの風」。 (写真)
(13/08/11 16:09:01 2932D) 今日知ったのですが、吉松はかつては鹿児島本線と日豊本線という、九州の幹線の分岐駅だったのですね。 今の肥薩線が鹿児島本線、今の吉都線が日豊本線でした。 今はどちらもローカル線ですが…。
(13/08/11 16:14:06 2932D) 観光列車もいいですが、混雑しているので疲れますね。 吉松からは吉都線都城行きです。 車両はキハ40 8050単行です。 吉都線はかつては特急、急行も走る路線でした。1980年に特急「おおよど」、2000年に急行「えびの」が廃止され、一ローカル線になりました。 今ではJR九州で1番の赤字線と言われています。 (写真)
(13/08/11 16:21:37 2932D) 雨の音で目が覚めました。 雨と言えばこの夏は嫌な目に遇いました。 抑止ないといいな。
(13/08/11 17:32:12 2932D) 都城到着。 雨は降っていませんがまとわり付くような暑さはありませんので、一雨降ったのかもしれません。 終点枕崎まではあと3本、今まで散々に遠回りしましたが、ここから枕崎は最短距離を行くだけです。 (写真)
(13/08/11 19:30:57 6887M) 都城駅で待つこと約2時間。 乗るのは次の西都城までなので、絶対に歩いた方が早い。
(13/08/11 20:45:34 6887M) 都城からは一日一本だけの713系西都城行きに乗ります。 車両は鹿児島鉄道事業部鹿児島車両センター713系LK1編成+LK4編成です。 この713系は国鉄が地方線区向けの近郊形車両として開発し、長崎地区に配置されました。 しかし国鉄の財政難で増備は叶わず、僅か4編成8両のみの異端児となりました。 平成8年、宮崎空港線開業の際、空港アクセス電車として白羽の矢が立ち、鹿児島へ異動の上、水戸岡大改造となりました。 車内は回転式リクライニングシート、JR東日本なら間違いなくグリーン料金を取ります。 (写真)
(13/08/11 20:49:02 6887M) ちなみに所属は鹿児島ですが、鹿児島県内での営業運転は無く、もっぱら延岡〜宮崎空港での空港アクセスが仕事。 一本だけある西都城行きですが、そのまま明日の西都城発になるのか、はたまた鹿児島回送になるのかと思っていたら、都城回送でした。
(13/08/11 21:01:16 6887M) 旅も残すところあと一日になりました。 電車は今日の713系で終わり。明日、40系ディーゼルカー2本を乗り継いで終了です。 上川から一日一本の普通列車に乗ったこと、熊の恐怖と戦いながら天北線の廃線跡を走ったこと、ワクワクしながら稚内駅で切符を購入したこと、一日は運休、翌日は2時間以上遅れ、なかなか北海道を脱出出来なかったこと、みんな遠い昔のようです。 あと2本、ちゃんと動くことを祈っています。 この3週間、あまり仕事をしていなかったので、帰ったらかなり仕事が溜まっています。 (写真)
(13/08/12 07:01:24 6751D) 西都城駅に来ました。 最終日の出発です。 (写真)
(13/08/12 07:17:16 6751D) 最終日トップランナーは普通列車鹿児島中央行きです。 今日の行程のうち、鹿児島中央までは電化されていますが、もうこの切符で電車に乗ることはありません。 西都城〜国分は国鉄電車は走っていません。よってディーゼルカーに乗ることになります。 国分から先は415系も走っているのですが、この時間はありません。 つい5ヶ月前まで、国鉄急行形の改造車717系という電車が走っていたのですがね。 車両はキハ40 8101+キハ147-183です。 今回の行程で何度も乗った40系ディーゼルカーです。 (写真)
(13/08/12 07:29:49 6751D) 出発してすぐ、財部はもう鹿児島県ですが、実際の山越えはその先です。 最後の県に入ったと思ってほっとするとあとで泣きます。(自転車で走った経験談) 非力なキハ40がエンジンを唸らせて峠を登っています。 ダイヤグラムを見るとこの列車だけスジが寝ているのが分かります。
(13/08/12 08:21:10 6751D) 国分で55分停車、普通列車2本と特急を先行させます。 が、いずれも国鉄車ではないため、乗れません。 西都城〜鹿児島中央、1/3が停車時間のような気がします。 この列車も国鉄マークの扇風機があります。 (写真)
(13/08/12 08:32:40 6751D) 停車時間中に近くのジョイフルで朝食…を試みましたが、混雑で無理でした。 (写真)
(13/08/12 08:50:38 6751D) 停車時間中に「サンライズ瀬戸ソロ」ゲット!! これで帰りの寝台券も揃いました。
(13/08/12 09:20:43 6751D) 加治木から立ち客が出るくらいに混んできました。
(13/08/12 10:09:13 3071D) 鹿児島中央到着。 向かいに指宿行きのぼったくり特急「指宿のたまて箱」が停まっていました。 あの非力な40系に特急を名乗らせるというとんでもない列車です。 いくら水戸岡デザインでもこれはひどい。 国鉄車なので乗ることは出来ますが、乗り換え時間が短い上、枕崎に着く時間は変わらないので乗りません。まあ、そもそも満席でしたが。 (写真)
(13/08/12 10:18:26 1333D) いよいよ最後の列車です。 稚内から国鉄車だけで繋いで来ました。その数のべ63列車!64列車目、アンカーを勤めるのは普通列車枕崎行きです。 車両はキハ47 1049+キハ47 8125です。 40系ディーゼルカー、国鉄旅客車両で唯一、6社すべてに在籍しています。 非力でセミクロスシートでどこにでもいる、考えてみれば1番国鉄っぽい車両です。 (写真)
(13/08/12 10:32:32 1333D) 残念だったのは山口線・山陰本線経由に出来なかったこと。これで12系客車に乗るチャンスを失いました。正直、旅に疲れていたので、日程短くなってホッとした面もありますが。 この区間の払戻については、新山口駅で1時間、博多駅の西日本事務所で1時間半戦いました。 規程に基づいて払戻しろというだけなんですが…あの手この手を使って払戻を逃れようとするあたりが「井手商会」の社風なんでしょう。 ちなみにこの分の払戻は受けていません。
(13/08/12 10:41:58 1333D) 同行者が少なかったのも残念です。 天王寺→大阪と、広島→横川(陽)だけでした。 本当は小倉→別府もいたはずだったのですが、山口線・山陰本線の運休に伴う一日繰上で合流できませんでした。 前半は雨にやられました。「はまなす」運休で、初日から予定が狂いました。JRバス日勝線の運休で帯広まで流されたのもかなり予定外でした。が、その後はほとんど予定通り。 実は広島でゆっくりしなければ、その日のうちに吉塚まで行けたのですが、そうしていたら指宿枕崎線が運休していたはずで、最後の最後にまた延泊喰らうところでした。
(13/08/12 11:23:02 1333D) 指宿でこの旅最後の列車交換。 宗谷本線の兜沼以来、数多くの列車と行き違いましたが、これ以降、列車と出会うことはありませ。 (写真)
(13/08/12 11:39:18 1333D) JR日本最南端の有人駅、山川停車中。 (写真)
(13/08/12 11:42:49 1333D) 交換ではありませんが、山川始発の1342Dと並ぶので、「列車と出会うことはありません。」は間違いですね。 (写真)
(13/08/12 12:03:28 1333D) JR日本最南端の駅、西大山。 最北端の駅、稚内からここまで旅して来ました。 JR最北端の稚内、JR最西端の佐世保は下車したことがありますし、最東端の東根室は根室から徒歩で訪れたことがありますが、最南端の西大山だけはアクセスの悪さが災いし、下車したことがありません。 西頴娃交換の列車を狙って山川から往復するか、朝の列車を利用するかですが。 (写真)
(13/08/12 12:45:09 1333D) 最後の駅、薩摩板敷発車。 (写真)
(13/08/12 12:50:01 1333D) 到着。 (写真)
(13/08/12 13:17:56 1333D) 稚内から枕崎まで、国鉄車だけを64本乗り継いでの旅が終了しました。 ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。 (写真)
(13/08/12 13:45:59 1346D) 折り返し列車が発車していきました。 枕崎駅に静けさが戻ります。 (写真)
(13/08/12 13:51:22 Bus) 行きも「宗谷本線を使わない」というコンセプトで稚内に向かいましたので、帰りも「指宿枕崎線を使わない」というコンセプトで枕崎を去ります。 鹿児島交通なんさつ線で伊集院へ向かいます。 (写真)
(13/08/12 14:30:36 Bus) 加世田ステーション通過。 鹿児島交通の鉄道時代の中心地です。
(13/08/12 14:38:40 Bus) 稚内も枕崎も、昔は2本ずつ(稚内…宗谷本線と天北線、枕崎…指宿枕崎線と鹿児島交通南薩線)の鉄道が通じていました。 稚内も枕崎も、今や通じる鉄道は1本だけ(稚内…宗谷本線、枕崎…指宿枕崎線)です。 稚内も枕崎も、ホーム1面1線だけになってしまいました。 でも最近、稚内には駅ビルが建ち、枕崎にも駅舎が建ちました。 意外に似ているなと。 そうして今回、代替バスと鉄道を利用して、両駅を訪問したことになります。
(13/08/12 15:34:33 Bus) 伊集院駅到着。 鹿児島交通ホーム跡です。 (写真)
(13/08/12 15:44:25 2450M) 伊集院からは鹿児島本線です。 今回は乗れなかった鹿児島の415系が来ました。 車両は鹿児島鉄道事業部鹿児島車両センター415系FK516編成です。 (写真)
(13/08/12 17:10:42 6138D) 肥薩おれんじ鉄道。 一本で新八代まで行けるので便利です。 稚内への行き、枕崎からの帰りとも、経営分離区間は在来線(行き…IGRと青い森、帰り…肥薩おれんじ)に乗ります。 極力在来線は基本です。 (写真)
(13/08/12 19:47:42 574A) 新八代からは新幹線「さくら574号」で加速です。 明日は仕事に出ないといけないので。 車両はJR西日本博多総合車両所S9編成です。 残念ながらJR九州車ではないので向谷サウンドが聞けません。残念。 というか、S編成って嫌な思い出が…。 (写真)
(13/08/12 20:20:08 574A) そういえば今日は日航ジャンボ123便が落ちて28年目ですね。 ついこの間のような気がしますが…。 当たり前ですが今回も危険な乗り物は避けましょうということで、稚内への行き、枕崎からの帰りとも、陸路で移動しています。
(13/08/12 22:54:10 5032M) 今日の宿はこちらです。 まあ、西方面から寝台で帰ろうと思ったらこれしかない訳ですが…。 1階ソロです。「北斗星」のソロと比べると狭すぎです。特に1階は、荷物の置き場が無いので嫌いです。 食堂車も無いし、部屋で起きている場所も無いので、正に「寝るしか無い」列車です。走行時間を考えると仕方ないのですが…。 唯一、「北斗星」よりいい点は、コンセントがあること。でも1階部屋はこれも使いにくい位置にあるんだよね。 (写真)
(13/08/13 07:16:48 5032M) 無事東京到着。 (写真)
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