福知山 泊
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(17/12/25 00:05:02 5536M) 日付の変わった門司駅にやってきました。 約24時間前にもここにいたような…。 (写真)
(17/12/25 00:13:43 5536M) しかしこの駅名票のイラスト、811系(交流車)はトンネル入っちゃダメだろ? (関門トンネルは直流電化)
(17/12/25 00:15:47 5536M) 鹿児島本線が遅れているようで、乗る予定の下関行は小倉駅での接続待ちのため3分遅れ。 寒風の中、下関行を待ちます。
(17/12/25 00:31:47 5536M) ようやく下関行が到着しました。 編成は分オイ415系FO107編成です。 (写真)
(17/12/25 00:31:56 5536M) 小倉側から来た列車は門司駅停車中に交直切替試験をするため、門司駅停車中に一度、室内灯が消えます。 門司駅を発車後、デッドセクション通過のためもう一度室内灯が消えます。 写真はデッドセクション通過中のもの。 (写真)
(17/12/25 00:35:50 5536M) 5分遅れで下関駅到着。 JR九州の車両は下関で滞泊しないので、折り返し門司港行回送列車になります。 (写真)
(17/12/25 05:21:21 820D) おはようございます。 現在、下関駅ホームで益田行の到着を待っています。 今日はかなり風が強いです。山陰本線を行く日としては不吉です。
(17/12/25 05:34:18 820D) 5時29分、益田行が入線しました。 (写真)
(17/12/25 05:45:43 820D) 5時37分、7番線に門司港からの回送列車到着。 824列車の時代には門司に泊まって福知山まで行けましたが、824列車の分断とともに不可能になりました。 ご覧のように実は列車自体はありますが、回送になっています。 もっとも、824列車の時代、824列車の車両は下関滞泊で、朝一番に下関発門司行の運用をこなしてから、折り返し福知山行になっていました。 それも考えると、下関の始発列車はかなり遅くなったことが分かります。 (写真)
(17/12/25 05:50:00 820D) 実質的なトップランナー、下関発益田行です。 車両はキハ40 2073+キハ40 2074です。 前のキハ40 2073が益田行、後ろのキハ40 2074は長門市止めです。 ちなみに824列車の時代も、下関〜長門市だけ連結される車両がありました。 (写真)
(17/12/25 05:55:32 820D) この列車の列車番号は820D。 短距離列車ばかりになってしまいましたが山陰本線の列車に800番台を割り当てるのは今も変わらないのです。 最長距離普通列車が無くなった後も、山陰本線下関口の客車列車として、824列車は存在し続けました。 824Dの番号は長門市行の列車の番号として、現在でも使っています。
(17/12/25 06:03:13 820D) 本日、強風のため、小串〜滝部で徐行運転をする予定とのこと。 先が心配ですが、このまま風が強くならなければ、運転見合わせにはならないそうです。 とはいえ、そういう車掌もまさか福知山まで行く客がいるとは思っていないと思います。 架け替えられたとはいえ、この先、余部鉄橋もあるので心配です。 しかし、こうやって座ったまま、乗り継ぎ失敗の心配もなく、福知山まで行けた時代があったなんてうらやましい。 今は運転区間が細切れにされているので、不接の心配をし続けなければなりません。
(17/12/25 06:25:06 820D) 吉見で最初の列車交換。 車掌に余部鉄橋の状況を聞きましたが分からないとのこと。まあここは広島支社の管轄、余部鉄橋は福知山支社ですから無理もありません。 今回の行程、門司〜下関がJR九州鉄道事業本部、下関〜益田がJR西日本広島支社、益田〜居組がJR西日本米子支社、居組〜福知山がJR西日本福知山支社となります。 国鉄時代は門司〜下関が門司局、下関〜長門市が広島局、長門市〜居組が米子局、居組〜福知山が福知山局でした。 車両は圧倒的な区間を占める米子局が受け持っていました。
(17/12/25 06:48:33 820D) 徐行運転で湯玉に到着しましたがここで抑止。 交換する予定の列車も徐行を行っているためです。 益田で乗り継ぎ時間がたっぷりありますので大丈夫でしょう。 ちなみに今回の行程、824列車と重ね合わせてみると、1番824列車のダイヤに近いのが下関〜益田になります。 車掌が来て、現時点では余部鉄橋は大丈夫とのこと。
(17/12/25 06:51:28 820D) 湯玉を14分遅れで発車。
(17/12/25 07:02:05 820D) 長門二見を15分遅れで発車。
(17/12/25 07:30:30 820D) すっかり明るくなりました。
(17/12/25 07:50:53 820D) 黄波戸を9分遅れで発車。 高校生の乗り降りがあります。今日あたりが終業式でしょうか? 登校する高校生と下校する高校生、両方が見られるのが824列車でした。 今ではそんな列車はありません。 (写真)
(17/12/25 08:10:26 1564D) 長門市で後ろ1両切り離し。後ろ1両は小串行となり折り返します。 長門市からはワンマン列車となりました。
(17/12/25 08:50:15 1564D) 東萩でほぼ定刻に。 ダイヤを見ると東萩で停車時間を取ってあったんですね。
(17/12/25 08:56:41 1564D) 玉江から客も減り、車内も落ち着きを取り戻しています。 (写真)
(17/12/25 10:01:39 1564D) 益田到着。 824列車の時代からすればわずかな距離ですが、現代では山陰本線下関口の最長距離列車です。 4時間以上の国鉄車の旅も終わり、ここで約1時間のお休みです。 (写真)
(17/12/25 11:01:08 348D) 益田からは普通浜田行です。 先程までの国鉄車とうってかわってJRの高性能車です。 車両は、 キハ126-1001+キハ126-1、キハ126のトップナンバーです。 「スーパーまつかぜ1号」が到着しないため、益田を発車しません。 (写真)
(17/12/25 11:05:34 348D) 益田駅8分遅れで発車。
(17/12/25 11:16:18 348D) 「まつかぜ」と言えば…824列車の時代の「まつかぜ1号」は博多行だったんですよね。 大阪から米子経由の博多行。朝、大阪を出た列車が夜は福岡県を走っていたのですからスケールのでかい話です。 編成も食堂車込みの13両編成。(途中米子で6両切り離し?) 今の2両の「スーパーまつかぜ」なんて「何それ?特急?」です。
(17/12/25 11:58:59 376D) 浜田で普通列車浜原行に乗り換え。 車両はキハ120 315です。 快適な国鉄車、高性能なJR車と続きましたが、ここでヤスモノ車登場。三江線に直通する列車なので大混雑を覚悟していたのですが、そんなに混んでおらず拍子抜け。 益田からの列車が遅れて到着したので、ほとんど乗り換え時間なく浜田を出発。 (写真)
(17/12/25 12:11:34 376D) この列車は三次まで通り抜けられないため空いているんだとか。 混んでいるのは特定の列車だけのようです。 特定の列車は3両編成で運転しているらしいです。
(17/12/25 12:15:28 376D) この列車は運転士2人に加えと係長、さらに偉そうな人まで乗っていたので「三江線対応?」と思ったが、運転士1人以外、敬川で降りてしまった。謎。
(17/12/25 12:22:15 376D) 江津到着。 ここでまた約1時間お休みです。 (写真)
(17/12/25 13:19:04 328D) 江津からは後続の大田市行に乗り換え。 この列車、浜田始発なので、浜田から乗ってもよかったのですが、なるべく当時の824列車の時刻に近い列車に乗るということで、一本早い浜原行に乗りました。 ちなみに終点大田市では、益田を1時間半以上後に出た快速米子行に乗り換えることになります。 車両はキハ120 316です。 3分遅れて江津を発車。 (写真)
(17/12/25 13:23:10 328D) 益田から鳥取では一本後の列車でも福知山まで行けるという状態が続きますが、結局、鳥取からは同じ列車になります。また長門市〜益田が3時間に渡って列車が無く、今朝乗った列車が午前中に益田に着ける最終列車ですので、下関を一本遅くしてしまうと浜坂までしか行けません。 結局、これだけ途中で余裕がありながら、朝一番に下関を出て行けるのは福知山まで、福知山に行くには下関を朝一番に乗るしかないということになります。
(17/12/25 14:34:03 3454D) 大田市からは後続の快速「アクアライナー」米子行に乗り換え。ここまで各駅停車で来ましたが、ここから出雲市までノンストップです。 益田、江津でお休みが入ったせいで、824列車からはかなり遅れていますが、米子到着時刻はかつての824列車とあまり変わりません。 各駅停車で行けないのは残念ですが、現在のダイヤ、各駅停車では下関〜福知山の日着は出来ません。 なお、824列車も完全な各駅停車ではなく、宇賀本郷、飯井、久代、敬川は通過でした。 (写真)
(17/12/25 15:07:32 3454D) 荘原停車中。ここで特急「やくも」と、「やくも」に宍道で抜かれた普通列車の2本の交換待ちをします。 824列車はここで「まつかぜ4号」に抜かれていました。「まつかぜ4号」は博多発大阪行の特急です。 書き忘れていた車両はキハ126-1002+キハ126-2です。 (写真)
(17/12/25 15:24:19 3454D) 宍道湖畔を走ります。 (写真)
(17/12/25 15:35:54 3454D) 宍道湖畔を走ります。 (写真)
(17/12/25 15:42:46 3454D) 松江でかなり客が入れ替わりました。 下校とみられる高校生の姿がみられるようになりました。
(17/12/25 16:23:26 3454D) 米子到着。 (写真)
(17/12/25 16:59:04 258D) 米子からは普通列車鳥取行です。 車両はキハ121-6+キハ121-8です。 JR車両ですが、快適なクロスシート車で山陰本線東側の旅がスタートです。 列車はバラバラに分断されましたが、益田(同一ホーム)、浜田(向かいのホーム)、江津(同一ホーム)、大田市(向かいのホーム)、米子(同一ホーム)と、すべてフラットに乗り換えられています。 東海道の乗り継ぎと違い、このあたりがラクです。 トイレ付き、クロスシートばかりだし。 (写真)
(17/12/25 17:30:38 258D) 御来屋駅。 山陰本線で1番古い駅舎だそうです。 ここで快速「とっとりライナー」と交換、特急「スーパーおき4号」に道を譲ります。 (写真)
(17/12/25 17:58:08 258D) 由良発車。 824列車はここで出雲市からのブルートレイン「出雲2号」に抜かれていました。 乗り換え無しに日本全国に行けた、良い時代でした。
(17/12/25 18:08:31 258D) 倉吉駅停車中。 ここで特急「スーパーまつかぜ9号」と交換。 列車は赤碕付近からガラガラでしたが、倉吉からまた乗ってきました。
(17/12/25 18:47:38 258D) 末恒停車中。 普通列車と特急「スーパーまつかぜ11号」と2本との交換。
(17/12/25 19:08:25 258D) 鳥取到着。 車両は快速「とっとりライナー」米子行として折り返します。 フラットに乗り換えられて褒めたらついに別ホームへの乗り換えになりました。 (写真)
(17/12/25 19:14:42 546D) 次に来る列車がホームに入っていないと思ったら、 18:43頃、大岩〜福部駅間で発生した動物支障の影響で、浜坂〜鳥取駅間の列車に遅れが出ています。 だそうです。 快速米子行はお得意の不接で発車。
(17/12/25 19:47:22 546D) まさか目の前で米子支社お得意の不接を見せ付けられるとはねぇ…。浜坂でやらないことを祈ります。 (浜坂は福知山支社だから大丈夫か。) 鳥取からは普通列車浜坂行。 車両はキハ47 8+キハ47 1113です。 益田依頼の国鉄車。やはり山陰本線には国鉄車が似合います。 (写真)
(17/12/25 19:51:14 546D) なお、この列車の前運用(1543D快速浜坂発鳥取行)は、お約束のシカと衝突したとのこと。
(17/12/25 20:09:21 546D) 客層も高校生が減り、勤め帰りかショッピング帰りかのような大人が増えてきました。 30年以上前の824列車でも同じような光景が広がっていたのでしょう。 その人たちにとってはどこ発かなんて関係ない、いつもの列車だっただけです。 今では普通列車は短距離ばかりになってしまいましたが、80年代には京都発米子行だの大阪発出雲市行だの、そんな長距離列車が当たり前のように走っていました。 そして戦中には、鹿児島発東京行という、今では想像も出来ないような普通列車がありました。
(17/12/25 20:40:57 186D) 浜坂で普通豊岡行に乗り換え。米子支社エリアを抜け、福知山支社エリアに入っています。 褒めちゃいけないね。フラットどころかエレベータも無い階段を使っての乗り換え。しかもワンマンなので先頭車両しかドアは開かないのに階段は最後尾だけ。 支社の境界(居組)に近いから乗り換え駅になっているだけで、本来乗り換えさせちゃいけない構造の駅なのでは? 車両はキハ41 2004+キハ47 5。国鉄車ですが、キハ41は片運転台の国鉄車キハ47を最低限の改造で両運転台にしたもの。下手くそな工作が先頭に出ています。 米子付近から雨が降っています。 (写真)
(17/12/25 20:45:22 186D) 824列車は浜坂駅でブルートレイン「出雲4号」(浜田発東京行)に道を譲りました。 現在は夜間無人で駅員もいない浜坂駅ですが、30年前のこの時間は、年末を使って東京に行く人で賑わったのでしょう。 唯一残った寝台列車「サンライズ出雲」も、この季節は連日満席です。
(17/12/25 21:00:34 186D) 餘部駅。 旧余部橋梁は一部を残して解体され、残った部分は展望施設「空の駅」になっています。 朝から強風で余部橋梁が通過出来るか心配でしたがあっさり通過。 夜景が綺麗かなと思いましたが、そもそも民家か少ないからか、明かりはあまり見えませんでした。 (写真)
(17/12/25 21:07:01 186D) 香住駅ホームの接近メロディを聞いて「近畿圏に来たんだな」と感じました。 朝は広島支社の接近メロディで出発した訳で…。 もし現代に824列車があったら、そんなメロディの違いも楽しめたことでしょう。 DD51が元気なうちに復活列車でやってくれないかな?車両は復刻旧客か12系で。
(17/12/25 21:27:01 186D) 竹野で特急「はまかぜ5号」鳥取行と交換。 次は城崎温泉。いよいよ最後の乗り換えです。
(17/12/25 21:38:57 186D) 城崎温泉到着。 見れば見るほど失敗した鉄道模型みたいな顔(笑)。 (写真)
(17/12/25 21:54:38 186D) 城崎温泉駅はこの時間でも改札口やっていました。 貸し傘を借りて街に傘を買いに行く。 でも傘を買ったら雨は弱くなるという罠。 (写真)
(17/12/25 21:57:45 186D) でもスタートはみどりの窓口の中なので捺せないというちょっと残念な状態。
(17/12/25 22:06:43 1450M) いよいよ最後の列車になりました。ホームの向かい側に停車中の快速福知山行です。 門司〜下関以来の電車、 編成は福フチ223系F13編成です。 旅の最後は快適な223系が飾ります。 先程の列車で豊岡まで行ってもよかったのですが、なぜ城崎温泉で乗り換えたかというと、こちらの方が824列車の時刻(城崎21時58分発)に近かったから。 でも824列車は玄武洞も停まった(この列車は通過)し、豊岡で長時間停車があったので、先程の列車で豊岡まで行った方がそれっぽかったかも。 (写真)
(17/12/25 22:09:45 1450M) 城崎温泉まで来ると、行程の9割以上終わった気がしますが、実は距離的にはまだ9割来ていません。 この列車、スピードの出る電車、かつ長時間停車が無いにも関わらず、乗車時間は1時間を超えます。
(17/12/25 22:17:33 1450M) 城崎温泉出発時には、乗客は片手で数えるほどでしたが、1駅走って豊岡から、それなりに乗ってきました。 勤め帰りの感じの人が多いです。年末で積もる仕事を片付けてきたのか、同僚と食べに行った帰りか。 824列車の時刻は、この列車のさらに30分ほど後だったので、これほどの乗客はいたのでしょうか?
(17/12/25 22:45:26 1450M) 和田山で豊岡行と交換。
(17/12/25 23:15:24 1450M) 福知山まであと1駅、上川口で豊岡行最終列車と交換。
(17/12/25 23:26:24 1450M) 無事、福知山駅到着。 (写真)
(17/12/25 23:38:57 1450M) 門司から延々と普通列車を乗り継いできた福知山。 これが一つの列車なら感激も倍増だったでしょう。 (写真)
(17/12/25 23:48:11 1450M) 車両は23時25分に回送で福知山電車区に回送されて行きました。 824列車の車両は、米子所属で、下関滞泊、福知山滞泊と運用されていたわけで…荷物車があり、長距離運用が必須だった時代とはいえ、整備は大変だったと思います。 (写真)
(17/12/25 23:51:25 1450M) 下関駅でシャッターが開くのを待ち、福知山駅がこの状態になるまで乗り続けました。 一昨日も一日中乗りましたが、実は1番列車には乗っていません。 今日は1番列車から最終列車まで乗りました。 こんな経験はまず無い。 (1番列車にも最終列車にもなる列車は現在存在しない) (写真)
(17/12/25 23:54:51 1450M) 福知山駅。 国鉄時代とは違う建物ですが。 城崎で雨の中、傘を買ったのに、雨は止んでいました。 今日は日本海側は荒れるという予想だったので心配しましたが、無事、ここまで来ました。 ダイヤ乱れは強風徐行とシカと接触と、程よいトラブルでした。 明日も順調に行くといいな。 では皆様、おやすみなさいませ。 (写真)
(17/12/25 00:05:02 5536M) 日付の変わった門司駅にやってきました。 約24時間前にもここにいたような…。 (写真)
(17/12/25 00:13:43 5536M) しかしこの駅名票のイラスト、811系(交流車)はトンネル入っちゃダメだろ? (関門トンネルは直流電化)
(17/12/25 00:15:47 5536M) 鹿児島本線が遅れているようで、乗る予定の下関行は小倉駅での接続待ちのため3分遅れ。 寒風の中、下関行を待ちます。
(17/12/25 00:31:47 5536M) ようやく下関行が到着しました。 編成は分オイ415系FO107編成です。 (写真)
(17/12/25 00:31:56 5536M) 小倉側から来た列車は門司駅停車中に交直切替試験をするため、門司駅停車中に一度、室内灯が消えます。 門司駅を発車後、デッドセクション通過のためもう一度室内灯が消えます。 写真はデッドセクション通過中のもの。 (写真)
(17/12/25 00:35:50 5536M) 5分遅れで下関駅到着。 JR九州の車両は下関で滞泊しないので、折り返し門司港行回送列車になります。 (写真)
(17/12/25 05:21:21 820D) おはようございます。 現在、下関駅ホームで益田行の到着を待っています。 今日はかなり風が強いです。山陰本線を行く日としては不吉です。
(17/12/25 05:34:18 820D) 5時29分、益田行が入線しました。 (写真)
(17/12/25 05:45:43 820D) 5時37分、7番線に門司港からの回送列車到着。 824列車の時代には門司に泊まって福知山まで行けましたが、824列車の分断とともに不可能になりました。 ご覧のように実は列車自体はありますが、回送になっています。 もっとも、824列車の時代、824列車の車両は下関滞泊で、朝一番に下関発門司行の運用をこなしてから、折り返し福知山行になっていました。 それも考えると、下関の始発列車はかなり遅くなったことが分かります。 (写真)
(17/12/25 05:50:00 820D) 実質的なトップランナー、下関発益田行です。 車両はキハ40 2073+キハ40 2074です。 前のキハ40 2073が益田行、後ろのキハ40 2074は長門市止めです。 ちなみに824列車の時代も、下関〜長門市だけ連結される車両がありました。 (写真)
(17/12/25 05:55:32 820D) この列車の列車番号は820D。 短距離列車ばかりになってしまいましたが山陰本線の列車に800番台を割り当てるのは今も変わらないのです。 最長距離普通列車が無くなった後も、山陰本線下関口の客車列車として、824列車は存在し続けました。 824Dの番号は長門市行の列車の番号として、現在でも使っています。
(17/12/25 06:03:13 820D) 本日、強風のため、小串〜滝部で徐行運転をする予定とのこと。 先が心配ですが、このまま風が強くならなければ、運転見合わせにはならないそうです。 とはいえ、そういう車掌もまさか福知山まで行く客がいるとは思っていないと思います。 架け替えられたとはいえ、この先、余部鉄橋もあるので心配です。 しかし、こうやって座ったまま、乗り継ぎ失敗の心配もなく、福知山まで行けた時代があったなんてうらやましい。 今は運転区間が細切れにされているので、不接の心配をし続けなければなりません。
(17/12/25 06:25:06 820D) 吉見で最初の列車交換。 車掌に余部鉄橋の状況を聞きましたが分からないとのこと。まあここは広島支社の管轄、余部鉄橋は福知山支社ですから無理もありません。 今回の行程、門司〜下関がJR九州鉄道事業本部、下関〜益田がJR西日本広島支社、益田〜居組がJR西日本米子支社、居組〜福知山がJR西日本福知山支社となります。 国鉄時代は門司〜下関が門司局、下関〜長門市が広島局、長門市〜居組が米子局、居組〜福知山が福知山局でした。 車両は圧倒的な区間を占める米子局が受け持っていました。
(17/12/25 06:48:33 820D) 徐行運転で湯玉に到着しましたがここで抑止。 交換する予定の列車も徐行を行っているためです。 益田で乗り継ぎ時間がたっぷりありますので大丈夫でしょう。 ちなみに今回の行程、824列車と重ね合わせてみると、1番824列車のダイヤに近いのが下関〜益田になります。 車掌が来て、現時点では余部鉄橋は大丈夫とのこと。
(17/12/25 06:51:28 820D) 湯玉を14分遅れで発車。
(17/12/25 07:02:05 820D) 長門二見を15分遅れで発車。
(17/12/25 07:30:30 820D) すっかり明るくなりました。
(17/12/25 07:50:53 820D) 黄波戸を9分遅れで発車。 高校生の乗り降りがあります。今日あたりが終業式でしょうか? 登校する高校生と下校する高校生、両方が見られるのが824列車でした。 今ではそんな列車はありません。 (写真)
(17/12/25 08:10:26 1564D) 長門市で後ろ1両切り離し。後ろ1両は小串行となり折り返します。 長門市からはワンマン列車となりました。
(17/12/25 08:50:15 1564D) 東萩でほぼ定刻に。 ダイヤを見ると東萩で停車時間を取ってあったんですね。
(17/12/25 08:56:41 1564D) 玉江から客も減り、車内も落ち着きを取り戻しています。 (写真)
(17/12/25 10:01:39 1564D) 益田到着。 824列車の時代からすればわずかな距離ですが、現代では山陰本線下関口の最長距離列車です。 4時間以上の国鉄車の旅も終わり、ここで約1時間のお休みです。 (写真)
(17/12/25 11:01:08 348D) 益田からは普通浜田行です。 先程までの国鉄車とうってかわってJRの高性能車です。 車両は、 キハ126-1001+キハ126-1、キハ126のトップナンバーです。 「スーパーまつかぜ1号」が到着しないため、益田を発車しません。 (写真)
(17/12/25 11:05:34 348D) 益田駅8分遅れで発車。
(17/12/25 11:16:18 348D) 「まつかぜ」と言えば…824列車の時代の「まつかぜ1号」は博多行だったんですよね。 大阪から米子経由の博多行。朝、大阪を出た列車が夜は福岡県を走っていたのですからスケールのでかい話です。 編成も食堂車込みの13両編成。(途中米子で6両切り離し?) 今の2両の「スーパーまつかぜ」なんて「何それ?特急?」です。
(17/12/25 11:58:59 376D) 浜田で普通列車浜原行に乗り換え。 車両はキハ120 315です。 快適な国鉄車、高性能なJR車と続きましたが、ここでヤスモノ車登場。三江線に直通する列車なので大混雑を覚悟していたのですが、そんなに混んでおらず拍子抜け。 益田からの列車が遅れて到着したので、ほとんど乗り換え時間なく浜田を出発。 (写真)
(17/12/25 12:11:34 376D) この列車は三次まで通り抜けられないため空いているんだとか。 混んでいるのは特定の列車だけのようです。 特定の列車は3両編成で運転しているらしいです。
(17/12/25 12:15:28 376D) この列車は運転士2人に加えと係長、さらに偉そうな人まで乗っていたので「三江線対応?」と思ったが、運転士1人以外、敬川で降りてしまった。謎。
(17/12/25 12:22:15 376D) 江津到着。 ここでまた約1時間お休みです。 (写真)
(17/12/25 13:19:04 328D) 江津からは後続の大田市行に乗り換え。 この列車、浜田始発なので、浜田から乗ってもよかったのですが、なるべく当時の824列車の時刻に近い列車に乗るということで、一本早い浜原行に乗りました。 ちなみに終点大田市では、益田を1時間半以上後に出た快速米子行に乗り換えることになります。 車両はキハ120 316です。 3分遅れて江津を発車。 (写真)
(17/12/25 13:23:10 328D) 益田から鳥取では一本後の列車でも福知山まで行けるという状態が続きますが、結局、鳥取からは同じ列車になります。また長門市〜益田が3時間に渡って列車が無く、今朝乗った列車が午前中に益田に着ける最終列車ですので、下関を一本遅くしてしまうと浜坂までしか行けません。 結局、これだけ途中で余裕がありながら、朝一番に下関を出て行けるのは福知山まで、福知山に行くには下関を朝一番に乗るしかないということになります。
(17/12/25 14:34:03 3454D) 大田市からは後続の快速「アクアライナー」米子行に乗り換え。ここまで各駅停車で来ましたが、ここから出雲市までノンストップです。 益田、江津でお休みが入ったせいで、824列車からはかなり遅れていますが、米子到着時刻はかつての824列車とあまり変わりません。 各駅停車で行けないのは残念ですが、現在のダイヤ、各駅停車では下関〜福知山の日着は出来ません。 なお、824列車も完全な各駅停車ではなく、宇賀本郷、飯井、久代、敬川は通過でした。 (写真)
(17/12/25 15:07:32 3454D) 荘原停車中。ここで特急「やくも」と、「やくも」に宍道で抜かれた普通列車の2本の交換待ちをします。 824列車はここで「まつかぜ4号」に抜かれていました。「まつかぜ4号」は博多発大阪行の特急です。 書き忘れていた車両はキハ126-1002+キハ126-2です。 (写真)
(17/12/25 15:24:19 3454D) 宍道湖畔を走ります。 (写真)
(17/12/25 15:35:54 3454D) 宍道湖畔を走ります。 (写真)
(17/12/25 15:42:46 3454D) 松江でかなり客が入れ替わりました。 下校とみられる高校生の姿がみられるようになりました。
(17/12/25 16:23:26 3454D) 米子到着。 (写真)
(17/12/25 16:59:04 258D) 米子からは普通列車鳥取行です。 車両はキハ121-6+キハ121-8です。 JR車両ですが、快適なクロスシート車で山陰本線東側の旅がスタートです。 列車はバラバラに分断されましたが、益田(同一ホーム)、浜田(向かいのホーム)、江津(同一ホーム)、大田市(向かいのホーム)、米子(同一ホーム)と、すべてフラットに乗り換えられています。 東海道の乗り継ぎと違い、このあたりがラクです。 トイレ付き、クロスシートばかりだし。 (写真)
(17/12/25 17:30:38 258D) 御来屋駅。 山陰本線で1番古い駅舎だそうです。 ここで快速「とっとりライナー」と交換、特急「スーパーおき4号」に道を譲ります。 (写真)
(17/12/25 17:58:08 258D) 由良発車。 824列車はここで出雲市からのブルートレイン「出雲2号」に抜かれていました。 乗り換え無しに日本全国に行けた、良い時代でした。
(17/12/25 18:08:31 258D) 倉吉駅停車中。 ここで特急「スーパーまつかぜ9号」と交換。 列車は赤碕付近からガラガラでしたが、倉吉からまた乗ってきました。
(17/12/25 18:47:38 258D) 末恒停車中。 普通列車と特急「スーパーまつかぜ11号」と2本との交換。
(17/12/25 19:08:25 258D) 鳥取到着。 車両は快速「とっとりライナー」米子行として折り返します。 フラットに乗り換えられて褒めたらついに別ホームへの乗り換えになりました。 (写真)
(17/12/25 19:14:42 546D) 次に来る列車がホームに入っていないと思ったら、 18:43頃、大岩〜福部駅間で発生した動物支障の影響で、浜坂〜鳥取駅間の列車に遅れが出ています。 だそうです。 快速米子行はお得意の不接で発車。
(17/12/25 19:47:22 546D) まさか目の前で米子支社お得意の不接を見せ付けられるとはねぇ…。浜坂でやらないことを祈ります。 (浜坂は福知山支社だから大丈夫か。) 鳥取からは普通列車浜坂行。 車両はキハ47 8+キハ47 1113です。 益田依頼の国鉄車。やはり山陰本線には国鉄車が似合います。 (写真)
(17/12/25 19:51:14 546D) なお、この列車の前運用(1543D快速浜坂発鳥取行)は、お約束のシカと衝突したとのこと。
(17/12/25 20:09:21 546D) 客層も高校生が減り、勤め帰りかショッピング帰りかのような大人が増えてきました。 30年以上前の824列車でも同じような光景が広がっていたのでしょう。 その人たちにとってはどこ発かなんて関係ない、いつもの列車だっただけです。 今では普通列車は短距離ばかりになってしまいましたが、80年代には京都発米子行だの大阪発出雲市行だの、そんな長距離列車が当たり前のように走っていました。 そして戦中には、鹿児島発東京行という、今では想像も出来ないような普通列車がありました。
(17/12/25 20:40:57 186D) 浜坂で普通豊岡行に乗り換え。米子支社エリアを抜け、福知山支社エリアに入っています。 褒めちゃいけないね。フラットどころかエレベータも無い階段を使っての乗り換え。しかもワンマンなので先頭車両しかドアは開かないのに階段は最後尾だけ。 支社の境界(居組)に近いから乗り換え駅になっているだけで、本来乗り換えさせちゃいけない構造の駅なのでは? 車両はキハ41 2004+キハ47 5。国鉄車ですが、キハ41は片運転台の国鉄車キハ47を最低限の改造で両運転台にしたもの。下手くそな工作が先頭に出ています。 米子付近から雨が降っています。 (写真)
(17/12/25 20:45:22 186D) 824列車は浜坂駅でブルートレイン「出雲4号」(浜田発東京行)に道を譲りました。 現在は夜間無人で駅員もいない浜坂駅ですが、30年前のこの時間は、年末を使って東京に行く人で賑わったのでしょう。 唯一残った寝台列車「サンライズ出雲」も、この季節は連日満席です。
(17/12/25 21:00:34 186D) 餘部駅。 旧余部橋梁は一部を残して解体され、残った部分は展望施設「空の駅」になっています。 朝から強風で余部橋梁が通過出来るか心配でしたがあっさり通過。 夜景が綺麗かなと思いましたが、そもそも民家か少ないからか、明かりはあまり見えませんでした。 (写真)
(17/12/25 21:07:01 186D) 香住駅ホームの接近メロディを聞いて「近畿圏に来たんだな」と感じました。 朝は広島支社の接近メロディで出発した訳で…。 もし現代に824列車があったら、そんなメロディの違いも楽しめたことでしょう。 DD51が元気なうちに復活列車でやってくれないかな?車両は復刻旧客か12系で。
(17/12/25 21:27:01 186D) 竹野で特急「はまかぜ5号」鳥取行と交換。 次は城崎温泉。いよいよ最後の乗り換えです。
(17/12/25 21:38:57 186D) 城崎温泉到着。 見れば見るほど失敗した鉄道模型みたいな顔(笑)。 (写真)
(17/12/25 21:54:38 186D) 城崎温泉駅はこの時間でも改札口やっていました。 貸し傘を借りて街に傘を買いに行く。 でも傘を買ったら雨は弱くなるという罠。 (写真)
(17/12/25 21:57:45 186D) でもスタートはみどりの窓口の中なので捺せないというちょっと残念な状態。
(17/12/25 22:06:43 1450M) いよいよ最後の列車になりました。ホームの向かい側に停車中の快速福知山行です。 門司〜下関以来の電車、 編成は福フチ223系F13編成です。 旅の最後は快適な223系が飾ります。 先程の列車で豊岡まで行ってもよかったのですが、なぜ城崎温泉で乗り換えたかというと、こちらの方が824列車の時刻(城崎21時58分発)に近かったから。 でも824列車は玄武洞も停まった(この列車は通過)し、豊岡で長時間停車があったので、先程の列車で豊岡まで行った方がそれっぽかったかも。 (写真)
(17/12/25 22:09:45 1450M) 城崎温泉まで来ると、行程の9割以上終わった気がしますが、実は距離的にはまだ9割来ていません。 この列車、スピードの出る電車、かつ長時間停車が無いにも関わらず、乗車時間は1時間を超えます。
(17/12/25 22:17:33 1450M) 城崎温泉出発時には、乗客は片手で数えるほどでしたが、1駅走って豊岡から、それなりに乗ってきました。 勤め帰りの感じの人が多いです。年末で積もる仕事を片付けてきたのか、同僚と食べに行った帰りか。 824列車の時刻は、この列車のさらに30分ほど後だったので、これほどの乗客はいたのでしょうか?
(17/12/25 22:45:26 1450M) 和田山で豊岡行と交換。
(17/12/25 23:15:24 1450M) 福知山まであと1駅、上川口で豊岡行最終列車と交換。
(17/12/25 23:26:24 1450M) 無事、福知山駅到着。 (写真)
(17/12/25 23:38:57 1450M) 門司から延々と普通列車を乗り継いできた福知山。 これが一つの列車なら感激も倍増だったでしょう。 (写真)
(17/12/25 23:48:11 1450M) 車両は23時25分に回送で福知山電車区に回送されて行きました。 824列車の車両は、米子所属で、下関滞泊、福知山滞泊と運用されていたわけで…荷物車があり、長距離運用が必須だった時代とはいえ、整備は大変だったと思います。 (写真)
(17/12/25 23:51:25 1450M) 下関駅でシャッターが開くのを待ち、福知山駅がこの状態になるまで乗り続けました。 一昨日も一日中乗りましたが、実は1番列車には乗っていません。 今日は1番列車から最終列車まで乗りました。 こんな経験はまず無い。 (1番列車にも最終列車にもなる列車は現在存在しない) (写真)
(17/12/25 23:54:51 1450M) 福知山駅。 国鉄時代とは違う建物ですが。 城崎で雨の中、傘を買ったのに、雨は止んでいました。 今日は日本海側は荒れるという予想だったので心配しましたが、無事、ここまで来ました。 ダイヤ乱れは強風徐行とシカと接触と、程よいトラブルでした。 明日も順調に行くといいな。 では皆様、おやすみなさいませ。 (写真)
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