3月23日(仙台→いわき)
 午前6時のスタートを予定していたが、前日の午後4時頃より雪が降り出し、深夜には路面が凍結状態になった。仙台といえどもこの季節に雪が降るのは珍しく、すでにスノータイヤを外した人が多く、スリップをする車が多い。
 午前8時半に家を出て、国道6号の起点となる仙台市役所前に向かう。せっかくなのでちゃんと起点から走りたい。ついでに転出手続きを行い、午前9時31分、いよいよスタートである。ちなみにこの時点では九州まで走るつもりであった。
 のろのろ運転を続けて長町駅前着が10時頃。ここで道中ともにするSAN氏とおちあい朝食をとる。10時22分出発。予定よりだいぶ遅れてしまった。
 名取でSAN氏がお金を下ろすために止まった以外は快調に走る。館腰で仙台バイパスと合流。岩沼で4号と分かれ、6号単独区間へと入る。阿武隈川を渡ったところでさっそく問題発生。SAN氏の自転車のブレーキワイヤーが切れた。私の自転車は出発前、点検整備を完了しているが、聞くところによるとSAN氏は整備などしていないらしい。よく見るとタイヤの方もすり減ってパンクしそうな状態である。以前SAN氏と二人で6号を走ったときに、相馬で自転車屋のお世話になったことがあるのでそこまで耐えようということになる。
 亘理のミニストップで小休止。ここまで大体1時間半で来たのでペース的にはほぼ順調である。デジタルカメラで国道6号の風景を撮る。さらに2時間走って相馬着。だいたいこのあたりが東京から300kmの場所である。2年前の夏に利用した自転車屋を探してSAN氏の自転車の修理にかかる。20分ほどで自転車の修理は終了した。
 さすがに初日とあって問題は次々起こった。次は私のナップザックの紐が切れた。正確に言うと、ナップザックの紐は無事なのだが、ナップザックの布生地自体が長年の酷使で重さに耐えられなくなり、一番力のかかる紐を固定した部分が切れたのである。持ってきた裁縫セットで修繕するがいつまで持つか。
 朝の長町以来食事も取らず走り続けたので食事でもしようと、道路際のカレーハウスに入る。これまた怪しい店で客は誰もいない。注文を取りにやってきたのはインド人で、メニューはどう見ても日本向けのものではない。入ってしまった以上は仕方がないので注文する。
 外へ出るともう薄暗くなり始めていた。まだ出発してから100kmも走っていないのにもう夜である。ライトを点灯しようとして再び問題発生…点かないのである。私の愛車、「あさお2号」であるが、長距離走行の際には絶対にライトが壊れる。購入して早々の仙台〜つくば一日走行の時も、早々に点かなくなった。修理してもまた早々に点かなくなる。原因は明白で、ダイナモからライトへの配線が泥除けの裏を通っているため、少しのことでタイヤと接触し、断線してしまうのである。とはいえ、同様の構造をしている「あさお1号」は同種の故障は無かったから、やっぱり2号のライトがおかしいのかも知れない。こういう時のために電池式のライトも持ってきているのだが…、こちらもなぜか点かない。
 タイヤを外して配線を調べたり、豆球を交換したり、SAN氏と電池を交換したりしているうちに、結局電池式のライトの方は単なる電池切れと分かったので、次のコンビニで電池を購入して走行を再開した。すでに完全に暗くなっていた。
 あとはひたすら走っただけの記憶がある。双葉の休憩所で、未だ泊まるところは決まっていないと親に連絡を入れた。19時52分であった。ちなみにこの休憩所、トイレはあるのだが水道が無いという変なところである。自動販売機はあるのでもったいないが熱いお茶を購入し、飲料兼手洗いに使う。
 富岡のミニストップで休憩。21時18分であった。いわき市中心部まではあと40kmだ。私の自転車のペースは長距離走行時で約17km/hなので、あと2時間以上かかる計算になる。外はもう真っ暗でトラックがときどき高速で走り抜けるのみである。
 気温はすでに0度まで下がった。私はすでにダウン寸前だが、SAN氏は元気で、いわきまでは行こうという。私も覚悟を決める。
 途中で私のライトが落ちるということがあった。ライトを自転車に固定していた部分のネジが取れたのである。素早くSAN氏にストップをかけ、SAN氏のライトを使い手元を照らして修理する。本当に一人だったらどうなったか分からないところだ。
 またいわき市のあるトンネルでは危なく命まで落とすところだった。トンネル内に一段上がった歩道らしきものがあるのでその上を走行していたのだが、こいつが幅が狭く一歩間違うと段から落ちてしまうのである。その幅70cmくらいだろうか?もちろん狭くて自転車を引いて歩くなどということは出来ない。しかも嫌がらせのように左側壁面には手すりがあるのである。全くハンドル操作をする余裕がない。こんなトンネルでお約束のごとく、後方からトラックが来たのである。充分注意していたものの、風圧を受けて左側壁面の手すりに接触した。次の瞬間、自転車は反動で右側へ向かいだした。段差から落ちれば倒れるのは間違い無しだし、ここで転べばどうなるかくらい分かっている。しかし右側の段上には足をつくだけのスペースもない。奇跡的なハンドル操作で体制を立て直し、トンネルを抜けた。後ろから来るSAN氏に、
「手すりに接触してたろ?死ぬかと思った。」
と言うと、
「見てない。こっちも自分のことで精いっぱいだったから。」
と言われた。実際、このあたりのトンネルは二輪車の事故が多いらしい。これを教訓に今後は下手に歩道らしきところは走らないことにしようと決めた。
 そんなこんなで、久ノ浜から四ツ倉海岸に下ったときにはほっとした。ここからはしばらく市街なのでトンネルもないしそんな危ないこともない。四ツ倉のローソンに入ったのは0時過ぎだっただろうか?そろそろ泊まるところを決めねばならない。今日泊まるところを決めるのはSAN氏の担当だったはずだが、なにせSAN氏は金が無いらしく、旅館やビジネスホテルの値段では納得しない。ローソンの店員に聞いてもいい返事は無い。
 もうこうなったら徹夜でも走ってやると諦めが入った頃、草野で2名4500円の宿を発見。誇りも何も捨てきった我々は0度の世界に別れを告げた。
 日本海では不審船が出没し、自衛隊が出動していた。

<写真>
    出発時の自宅前
    旅の始まりとなった仙台市役所前
    亘理町内国道6号
    新地付近国道6号にてSAN氏
    鹿島町内ミニストップ前にて、AsaPi!とSAN氏
    日の暮れた富岡町内国道6号にて